32
迷わずに生きていければ
それがいいのに
それができない
×××32×××
暗くて、深い
何も見えない世界を一人歩く
本当に歩いているのさえ解らないような感覚で
目の前には一筋の光
その光だけを求め、震える足で前へ進む
光に触れたい
でも
裏切られたくない
闇は怖い
一人は怖いから
いや、もっと怖いのは
一度光を胸の内に抱き込んだ後に、それを手放してしまうこと
それでも目先の闇が怖いから
恐る恐る目の前に漂う光に触れる
「っ……眩し…!?」
一瞬の閃光
目の前に広がる緑の広野。青い空に、白い雲。
鼻につく煙と血の臭い。
「え……」
思わず声が洩れた。
地割れの様な音が、地面を揺らす。
目の前を黒い騎馬隊が孟スピードで過ぎ去ってゆく。
その動きは、リアの美しい髪の毛をぶわりと揺らした。
その速さは、決して目が追いつくことの無い筈なのに。
自分の瞳はその先頭で騎馬隊を引き連れている人物に向けられていて。
黒く、清く、勇ましい、ヒト。
「ローベルト…様っ…!」
思わず叫び声をあげた瞬間、彼らの騎馬隊と相手の騎馬隊が相殺し、馬の嘶きが響き渡った。
緑豊かな草原が、真っ赤に染まる。
「っ……!」
目を見開けば、真っ白な天井。
瞳からこぼれおちる涙が頬を濡らす。
「リアさん……お気づきに、なられましたか…?」
「……っ、エマさん…?」
「熱を測りますので、額に触らせてもらいますね」
「……あの、ここって…」
目の前には、下女の格好ではなく美しい侍女の格好をしたエマの姿があった。ゆっくりとリアの額に触れられた掌がとても冷たく、思わず一瞬身を引いてしまう。
「熱は…ないようですね」
「え、えぇ……それより…私は…」
「リアさんは、もう3日も眠られていたのです……魔力が暴走したから…でしょうね」
「魔力の…暴走…?」
その言葉に、リアは一瞬の後口元に両手をあてた。
胃の中には何も入っていないのに、吐き気が急激に押し寄せる。
彼は、母を殺した。彼の自らの掌で、あの優しく抱きしめたくれた掌で大好きな母親をコロシタ。
「我慢しないでください……気持ち悪いものは、吐いてしまいましょうね…」
エマの優しい言葉とゆっくりと背をさする動作はリアを安心させる。
何か良くわからない体内の液体を目の前の器に吐き出せば、幾分動悸が治まるような気がしてほっと一息つく。
さし出された水をゆくっリと飲めばエマは微笑みながらリアの髪を撫でる。
「……今日から、リアさんのお世話をさせて頂くことになりました。何なりと、言ってくださいね」
「お世話…?どうして…?エマさんは、下女だし…それに、私は……」
『ローベルト様の侍女』
その言葉が、喉に絡みついて出てこないことにリア自身が驚いていた。
茫然としながら、喉元に手をあてるリアの様子にエマは気遣いながら顔にかかる髪をゆっくりとした手つきで耳に掛けてあげると微笑みながらリアの視線の下に潜り込むようにして微笑む。
「リアさん、今日は私にリアさんの一日をくれませんか?」
「……え?」
「私、行きたいところがあるんです。御一緒してくれませんか?」
にっこりと、しかし有無を言わさない様なエマのその表情にリアは気づけばこくりと頷いていた。
「さぁ!そうと決まれば、今日はどのドレスにしましょうか~」
「っ……え?」
笑顔でエマが手を叩けば沢山の侍女が数多くのドレスを持って入ってくる。
「今日は、初夏の風も気持ちよいですから~!この青いドレスでしょうか?それとも、この淡い黄色のシャーベット風のにしましょうか?いや、この淡いミントも捨てがたいです~!」
エマの楽しそうな様子に、リアはもちろんのこと入ってきた侍女達も声をあげて笑った。
*****
「戦況は?」
「はい……先に放った斥侯によるとトゥルーサは未だに人体生成魔術の技術を持っているとのこと」
「……そうか」
円卓を囲み7人の男たちが広大な平野の地図を見ながら、話をしていた。
「でも、まだここまで来てないんだろ。今のうちに物理的に攻撃をしかけるべきじゃないか?」
真っ赤な軍服をみにつけたベルドットの声に対して、青い軍服を身に着け、白い髭を蓄えた男がしゃがれた声をあげる。
「何を言いよるか!小童が!そんな事をすれば敵の思うつぼだ!」
「だからと言って、この位置で交戦していても益々自国に近づくだけだろ!」
「お二人とも落ちついてください。我々魔術師団にも考えがあります」
「では、シュアルツ。どのような考えが?」
シュアルツの言葉に白い軍服を身に付けた男が尋ねる。
「今のところは、なんとか防げます。第三騎士団の部隊に数名、攻撃魔術の者を混ぜましょう。それで、今より50kmは北上してもらいます」
「むむ……50か…。それはちと、遠すぎはせんか?」
「いえ、そこまで出て頂かないと…仮にトゥルーサ帝国が広域魔術を使用してきた場合に対応が難しくなります…」
地図を囲み考え込む隊長達の様子を見ながら、上座に座る麗しき青年は顔をゆっくりと微笑ませる。軽やかに、手首を動かせばその手中にあったピンが静かに広野を表す地図に突き刺さる。
「夜の間に、第三騎士団と魔術師数名を此処まで派遣させる。第二騎士団の6割は物資を持って先遣隊の補佐にあたってくれ。後方からは防御の魔術援護を。第一騎士団は、私と並びに魔術師団の護衛」
王の言葉に、その場にいた全員が真直ぐに彼を見つめる。
「その他の騎士は、明朝と共に前線へ。第四騎士団は、遊軍として戦場を掻きまわすように」
「「「はい」」」
全員が一斉にその場に立ちあがる。
王は、ゆっくりと周りを見渡し、そして一拍置いた後にはっきりとした声で言い放つ。
「明日、明後日が山場だ……心してかかってくれ」
全員が無言で頷いた、星が輝く初夏。
無数の命が消える、そんな予感が全員の中で淡く広まっていた。
「ローベルト!」
「……ベルドット」
「こんなところで、一人で天体観測かー?寂しいやつだなぁ!」
「………お前こそ何しにきたんだ」
テントの外で一人、立って夜空を見ていたローベルトの背を叩きながら、にかっとした笑みでベルドットは話しかける。
「うわー!夜空なんて久しぶりに見たなぁ!すげー綺麗!」
「………そうか?」
「お前とこうやって夜空見るの、隊生時代の行軍の時以来だよな?」
「あぁ、……あの時は、今よりもっと星が出ていた…」
微笑む様に口元を緩めるローベルトに、ベルドットは目を丸くした。
いつからこの男は、こんな表情を気軽に見せるようになったのか。常に寡黙で、冷静。それでいて孤独な青年には影がまとわりついていた。
最初に騎士団の候補生として出会った時から、今まで。彼が笑ったのを見たのは数えるほどであったのに。
「なぁ、ローベルト」
「なんだ」
お互いに夜空を見上げたまま、話す。
「お前のこと、最初は…嫌な奴だって思ってた」
「…………」
「あんま喋んねぇし、くっそ真面目だし」
「おまえは、逆に喋りすぎだろう…」
「そうか~?んで、そのうえ…ローベルトって人を寄せ付けないだろ?」
「……………」
「だからさ、……こいつって、ずっと孤独なのかな、って」
微かに、ローベルトの視線が地を彷徨った。
「でもさ、……お前、ちゃんとみつけたんだな」
「…………?」
「お前の傍に、いてくれる子を」
その言葉に、一瞬目を見開いたローベルトだったが無表情のまま再び夜空を見つめる。
「……生憎だが、そのような「また、自分から手放したんだろ」
「っ……」
ベルドットの有無を言わさない鋭い言葉が響く。
はぁ、という溜息と共にどんっとローベルトの背に同僚の掌が叩きつけられた。
「ローベルト、いいのか…それで。今回の戦い、もうどっちが勝つか検討がつかないことぐらい…解ってるだろ?」
ベルドットの言うとおりだった。トゥルーサ帝国との戦いは、日に日に激しさを増し、両国ともに犠牲者の数は拡大。明日には、両国ともに出し惜しみをしていた魔術の解放がはじまり、血で血を洗う様な酷い戦いなることはこの場にいる隊長格、そして王も理解していた。
「…ローベルト、お前とこうやって話すのも…多分、最後だ」
国の為に
「じゃぁな!親友!」
大切な人の為に
ローベルトは、去っていく友人の姿を見ながら胸にある刺繍をゆっくりと撫でた。
金色の瞳には真直ぐな光
「…………リア」
彼女を深く傷つけた。
この代償は、
「………貴女を、この命に代えて守ろう」
彼女が笑って生きれる
国を、未来を――――――




