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この恋は
方角を見失ってしまったの
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真っ黒な礼装に身を包み、真直ぐに歩く集団。彼らの視線は、踊る煌びやかな人々など目に入っていないかのように壇上に居る若き王だけに注がれている。
突然の第四騎士団一行の登場に会場はどよめき、大臣達の大半が驚いた様子でその光景を見ていた。中には、称賛の声をあげるものや反対に悔しがる様に悪態をつくものもいる。
オーケストラの演奏が自然と小さくなり、ついには消えるように止まった瞬間に一行がその場に跪く。
布こすれの音が静かに響き渡り、シュアルツの優しくもはっきりとした声が壇上の王へ、そして会場にいる全ての者へと届き、その場に居た全員の視線が彼ら一行へ向けられていた。
「……ここに、魔術師団及びその護衛である第四騎士団の到着をご報告いたします。遅れましたこと、大変申し訳なく」
「よくやった、……魔術師団及び、第四騎士団の者たちよ、どうぞ顔をあげてくれ」
王の声にその場に跪いていた全員が顔をあげる。
「お前達の到着に合わせて、この会を開けなかったこと…王として謝らねばならない」
「王っ…!何を…!この様な者たちにそんな」
「財務長、発言を控えよ」
発言を遮る財務長を無言で王は制し、代わりに傍に居た宰相が声をあげる。
「お前達の功績は、伝令から聞いている。よく、あの過酷な光景を目にして此処まで無事に帰ってきてくれた……。今宵は心身共に癒し、次の戦いに向けて準備せよ。皆も、彼らの功績を讃えよ」
王の力強い声に、その場に居た大半の人々が拍手を送り、声をあげる。
会場は喜びと歓喜の熱で溢れかえっていた。何せ、遠征で確実な勝利をあげたのはかれこれ1年ぶり。この言葉を裏返えせば、戦がなかった平和な時間が大半を占めていたことを意味しており、仮に戦の様なものがあれども負け戦が続いていたこの国には、「勝利」という言葉に飢えている者が大半だった。
再び音楽が鳴り響き、人々が踊り始める。
その一行に駆け寄っていく人々や、彼らの姿をみて頬を染める女性達まで。先ほどよりも数倍の熱気と輝きに溢れた舞踏会と化していた。
リアは、ただただその一行の姿をそしてローベルトの姿を視界に入れていた。無意識に自らの手のひらを胸の前で握る。
夢ではないのだ、これは現実で、彼は帰ってきた。無事に、帰ってきたのだ。目がしらが熱くなるのが自分でも解る。
リアが部屋に用意していたあの黒い礼装を身に着け、美しい達振る舞いでシュアルツと共に大臣方へ挨拶をしている彼は騎士そのものだった。どんなに称賛の声をかけられようとも、微笑むことはなく冷静な瞳であいさつを返している。
「……リア」
レヴァンの掌がリアのか細い肩に触れる。反射的に後ろを振り返れば、残念そうに眉を下げる彼のレヴァンの姿があった。
「っ、レヴァン…」
「今日は、残念だけど…君と踊るのは止そう。……ほら、君の主人がこっちへ来てる」
その言葉に振り向けば、真っ黒な礼装に身を包み、美しい黒髪で金色の瞳を持つ彼が足音も立てずに静かにこちらへ向かって歩いてきていた。レヴァンはさっと身を翻し、リアのもとから離れる。
「ローベルト様っ…」
無意識の呟きと共にリアはその場に跪こうと片膝を地につけようとしゃがむ。
「っ、え?」
しかし、その行動は捕えられた片腕によって失敗した。
「リア、その格好で跪くな。ドレスが崩れる」
「も、申し訳ございませんっ…!」
久しぶりに聞いた声に、胸が高鳴る。低くもしっかりとした声がリアの心を満たしてゆく。
「っ、よくぞ、ご無事でっ…」
「やはり、お前には黒が似合う」
「え…?」
「以前から、お前には黒が似合うと思っていたんだ……それで、作らせた」
優しくほほ笑むその瞳や表情に、リアは思わず見とれてしまった。
何故こんなにもこの人は美しく笑うのか、普段もこの様な表情をしていればきっと、今以上に多くの人から慕われるはずなのだ。それが、少し惜しいと思う。
「以前、お前をテーラーのもとに連れて行ってよかった。このエメラルド色の薔薇も、真珠も…お前の瞳と良く合っている」
「っ、そ…そんな…。あの時の、採寸はこのために…?」
「あぁ……部下にはらしくないと散々言われたが、な」
「……ふふ、その光景を一度この目で見てみたかったです」
「そうか?そんなに、面白いものとは思えないが」
「いえ、きっと部下の方もローベルト様を慕ってのことでしょう」
にこやかに談笑する二人に好奇の視線が会場のいたるところから集まっているのを二人は知らない。あの「冷血の第四騎士団隊長」と呼ばれる青年と何処の誰とも解らない美女が仲よさげに話しているのである。その上、あの騎士団長が笑っているのだ。これにはだれもが驚き、特に令嬢達はその笑顔を見るなり顔を真っ赤に染める始末である。
そんな光景を壇上の王とその付き人である、アメジストの瞳をもった女性が眺めていた。
「……とても珍しい光景でございますね」
「あぁ。私も、彼の笑顔を久しぶりに見た…。ローベルトには、いつも苦労ばかりかけさせているからな…」
「あら、王様。反省なさっておいででしたか」
けろりとした表情で言ってのける付き人である女性に王は苦笑しながらワインを飲む。
「やっぱり君は手厳しいなぁ、昔から」
「そうでしょうか?私は…あの女性の事が、気に入りました」
「そうかい…?エスタール女史の娘だから?」
その問いに彼女は、ゆくりと隣に居る王へと振り返る。
「……気づいていらっしゃいましたの?」
「あぁ、シュアルツに見張らせていた」
「そうでしたの…。でも、それだけではありません…。彼女は、真っすぐで、美しい」
「……今回の件はローベルトにとって転機だと考えている」
「手厳しい方ですね…、貴方様は」
「……自分でも、自分を怖いと思うよ。でも、こうするしか無かった」
王の指から空になったグラスが滑り落ちるが、想像するガラスの割れる音は聞こえず、代わりに隣に居た彼女が素早い動きでそのグラスを手の中に収めていた。
アメジストの瞳を美しく細め、手中のグラスをくるくると器用に回す。
「……で、前線はどう?」
「はい……まだ動きはありませんが明朝にも使者がこちらに現れるかと思いますわ」
「そうか…では、私は先に部屋に戻ろう」
「はい………ひとつ、聞いても?」
「何かな、親愛なる部下よ」
「まぁ、その言葉とてもうれしいですわ。……彼女を、使うのですか?」
「リア・フェレンか?」
「えぇ…」
王がゆっくりと女性の顎を指先で持ち上げる。
「情が移った?」
「いえ……ですが」
「使うときは、使うよ。この国が、勝つためなら…魔術も、人間も、感情も。全て使う……彼女だって例外じゃない」
その言葉に彼女の綺麗な表情が歪む。
「そうやって、貴方も自分を責められる。……ローベルト様と一緒ではないですか」
「……そうかい?君は優しい子だね…。ローベルトにも、君みたいな子ができればいい」
「彼女が…リアが…」
「本当は、一番それが良かったんだけどね。運命が、悪すぎた」
椅子から立ち上がり、彼女の腕をとったまま王宮の中へとひっそりと歩いてゆく。
「ローベルトには悪いけど、私は君の様な存在を持てて嬉しいよ…ティア」
「……地の果てまで、お仕えいたします」
二人の姿が、壇上から消えたことには宰相以外の会場の全ての人が気づいていなかった。
「リア……私と、踊ってくれないか」
「あの…今まで、踊ったことがなくって…」
「大丈夫だ」
ローベルトの黒い手袋をはめた指が、同じく黒い手袋のリアの細い指をからめとる。二人は、音楽と共にホールの中央まで進み、踊り始める。
リアがまわれば、黒いドレスが美しく華開くように広がる。その光景は、この二人が漆黒ではなく純白の衣装を身につけていれば何処かの国の結婚式であるかのように美しかった。
リアの心はとても弾んでいた。ローベルトのエスコートがとても上手く、踊ったことのなかったステップも自然と身体が動き、踊れるのだ。心地よい感覚に包まれる。一曲がこんなにも短いと思ったのは初めてだった。
踊り終えた後、ローベルトに腰を抱き込まれたままテラスへと移動する。息ひとつ乱していないローベルトとは違い、慣れないダンスにリアは若干息を乱しながら頬を赤く染めていた。
夜風が頬をなで、落ちてきそうなほどの数の星が夜空に瞬いている。
「ありがとうございました…こんなに、綺麗な衣装をいただけて。それに、一緒に踊っていただけるなんて」
「そんなに…畏まるな」
「ですが…」
「……感謝しているんだ…リアには…」
優しい瞳がリアを愛しそう見つめる。頬にかかるひと房の髪を手にとり、口づける。
「っ、そんな……」
「私の部屋で侍女になる打診をした時に言った言葉を覚えているか…?」
「言葉…?」
「何から逃れたかったのかは知らない。だが、何にしろそんなに簡単にはいかない」
「っ………」
冷たく、棘のある言葉が、リアに突き刺さる。
「……リアに言った言葉は、私自身……いや、俺自身に言っていたんだ」
「え……?」
「逃れたかった、全てから。過去からも、今の役職からも、世界からも……自分からも」
金色の瞳が一瞬夜空に向けられ、彷徨った後、リアの姿をじっと見つめた。
「弱い自分に、嫌気がさしていた。その時に、リアに出会った。……最初は、庭園だったか」
「庭園……花を、拾ってくださった…?」
「あぁ、白い花が舞っていた。そんな中に、美しいエメラルドの瞳が見えた…」
ぎゅっと、無意識にリアは手を握りしめる。
ローベルトは、まだ思いだしていないのだ。あの日、血まみれの彼を助けたのが自分であるという記憶は、今も尚魔法の力によって彼の記憶を消してしまっている。
「ただ、それだけで救われた…。傍から聞いたら変だと思うだろう。だが、何故か…リアの瞳に、心の内を救われる気持ちになったんだ…」
急に引き寄せられる身体
背に当たるのは彼の逞しい胸
どくどくと、どちらのものとも言えない心音が響く
「ローベルト様……」
ゆっくりと首だけ振り返れば、近距離に彼の顔。
リアの心に何かが落ちて、満たされてゆく。
彼が居なくて不安だった。彼が無事に帰ってきてくれて、うれしくて泣きそうだった。
一緒に居ると、安心できて、なによりも心地いい。
あぁ、私は―――――-----
この人が、好きなんだ。
無言のまま、お互いの唇が触れあう。
何度も何度も角度を変えて、いつの間にか全身を彼の方へ向けていた。
お互いに抱きしめ合って、額をつけあわせる。
幸せで涙が出る。滲む視界を、リアの頬を伝う涙をローベルトが微笑みながら手袋を外した指で丁寧にすくいとる。
「ローベルト様……私」
リアが言葉を発した瞬間に、ローベルトは目の前にいるリアを自らの胸に抱き込み、会場の方を見据える。
「……?」
「おやおや、あの第四騎士団長様が、こんなところで仲睦まじく…」
「………財務長殿」
途端にローベルトの声に冷たいものが混じるのを感じ、リアは身体を固くした。堅く胸に抱きとめられているため、相手の顔を見ることはできないがただならぬ雰囲気に息を殺した。
「その娘、……どこの貴族ですかな?この様な男にはもったいない美しさだ」
「………貴殿には関係ない」
「ふっ、まぁいい。しかし、今回は運が良かったな」
その言葉に一瞬、ローベルトに緊張がはしる。
「お前ごときに、エスタール女史が負けるとは……なんともあっけない」
「………え?」
男の声に乗せられてきた名前
それは、
思わずリアはローベルトの胸元から顔をあげ、信じられない様子で彼を見つめる。
ローベルトの顔は苦しそうに歪んでいて。
「なんでも、彼女は生きていたんのだろう?」
「財務長、その話は……後でいいだろう」
「姿はどうだったのか?やはり、昔のままか?」
「っ、後でそちらに赴く。一般人に聞かせる話ではない」
「………心臓を貫いたのは、お前だとか?」
「財務長っ…!!」
その言葉に、財務長はローベルトの胸に抱き込められている女に目を向け口元を歪める。
その瞳は絶望の色に染まっており、光が見えない。
「おや、………お前にも、そのような心があったとは。…では、これにて。精々、小鳥を逃がさない様にするのだな」
言葉とともに、会場の方へ戻っていく男。
ローベルトは自らの手の中にいるリアを見つめた。彼女は小刻みに震えており、血の気がない。
「っ、……うそ、…ねぇ、…ローベルト様…」
「……………」
「その、エスタールって……、母、のことでは…ないですよね…?」
リアはすがりつくようにローベルトの礼服を掴む。
怖かった、嘘だと言ってほしかった
違うと、彼が殺したのは別人なんだと
そもそも、母の事なんて知らないと
どうか、否定の言葉を――----
ローベルトは、一瞬瞳を閉じた後、じっとリアの瞳をみつめ、口を開く。
「そうだ…お前の、母である…エスタール・フェレンを殺したのは、私だ」
風が二人の間を駆け抜けた。




