20
何かを犠牲にしてまでも、欲しいものがあると言ったら
君は、私を軽蔑するのか
×××20×××
心地よい麗らかな春の昼下がり。いつもは騎士団の稽古をつけているが、次の護衛への準備等の書類対応に追われていたローベルトは無心で机に向かい、書類をじっと睨んでいた。羽ペンをくるりと指先で回しては、書類の束をめくってゆく。窓から入り込む春風はローベルトの黒髪をさらりと揺らし、時には花びらをも室内に運ぶ。ただ、運ぶものは物理的なものだけではない。
「リア、そこの書類を取ってくれ」
「………」
「リア?」
自分が呼べば、すぐに対応してくれる優秀な侍女である彼女の声が聞こえない。
椅子から振り返れば、真ん中のテーブルに書類を手に持ったまま突っ伏した状態の彼女の姿が目に入ってきた。春ののどかな気候の所為か、優しい太陽の光が彼女を包みこむ。茶色のふわふわとした髪の毛、閉じられた瞼を飾るのは長い睫毛。
物音を立てないように近づけば、静かな呼吸音が聞こえ、微かに背がその音に合わせて上下していた。
ローベルトは自らが羽織っていたコートをゆっくりとその背にかけ、リアの持っていた書類をそっと取る。
3年前の第二次戦争が終わった後に、第四騎士団の隊長になったローベルトは当時の機密事項など一切知らなかった。しかし、今回の護衛、はたまた次の戦争はその第二次戦争が重要な鍵となってくる。短い期間ではあるが、徹底的にその情報を頭の中に叩きこまなければならなかった。そうでもなければ、また下手に見られ部下達が肩身の狭い思いを強いられてしまう。なにより、自分の所為で今までの第四騎士団の名が落ちてくことは耐えがたかった。
三年前の戦争が、今までは戦争と違ったのは「魔力」の使い方だった。
魔力は、持って生まれた者しか操ることができないもの。土を掘って採掘できるような代物ではない。
それをいわば可能にしたのが、隣国のトゥルーサ帝国が開発した人体生成魔術だった。
魔力を持つ人間を特殊な液に入れ、拡大反応を起こし、大量の魔力を持った液を作り出す。液に入った人間の体は魔術が吸い取られれば吸い取られるほど、朽ちてゆき、最後は骨も無くなってしまう。まるで、その存在は最初から無かったかのように。
「……エスタール・フェレン…」
ローベルトは机の上に広がる書類に記された名前を見る。
この世界でも珍しいほどの魔力を持ち、博学な知識と聡明さが多くの人々に気にいられた女性。グランディア帝国に籍を置き、魔術師団に所属していた時期もあったが、トゥルーサ帝国の男性と結婚しトゥルーサ帝国に移り住んだという。彼女が結婚していた当時は、2カ国の交流も盛んで、友好関係を築いていたことも彼女が何の迷いも無く隣国に赴いた理由の一つであろう。トゥルーサ帝国は、他国と比べても魔法に関しての開発がより発展的だった。彼女の旦那も、研究者の一人だったとか。
資料に添付されたエスタールの肖像画を見て、ローベルトは眉をひそめる。
どこぞの姫かと思わせるほど美しい。ブロンドの髪は艶やかで、長い睫毛は天に向く。透んだ白い肌に、エメラルドグリーンの大きな瞳。
傍の机で眠る少女の髪の色は茶色だが、その瞳は宝石にも負けないほどの澄んだエメラルドグリーン。以前調べた時の彼女の苗字は「フェレン」。
「リア・フェレン………エスタール女史の一人娘……か」
ローベルトは書類を片付けながら、彼女の寝顔を見つめる。
リアはどう思うのだろうか。次の任務は「魔術師団長の護衛」としか伝えていない。
表向きは外気中に放出された魔力の調査、本当は2カ国の国境付近にある研究所にある3年前の遺物、人体生成魔術にされた者たちを消し去ることである。
その中には、きっと彼女の母親も入っている。何より、前回の奇襲に使われた魔術は彼女のものだった可能性が高いのだ。今、その根源を根絶やしにしなければ確実にこのグランディア帝国は次の戦いで滅ぶ。
「真実を言えば、きっとお前は私から離れてゆくだろうな」
自分の母親を殺す者に、誰が好き好んで仕えるだろうか。
鈍い痛みが胸の奥をかすめる。どうしても、彼女を手放したくなかった。身勝手で傲慢である事は解っていた。でも、心の何処かで彼女を手放せないでいる自分がいる。その理由が何からくるのかは全く解らないという初心な年でもない。肯定しづらい感情が少しずつ湧き出しているのは薄々感じていた。
ふっと笑いが口から洩れる。
「すまない……リア」
その頬にゆくりと口づけを落とせば、微かに身じろぐその姿が何とも微笑ましい。それと同時に胸に湧き上がる罪悪感。
風で飛びそうな書類を仕舞い、暫らくぼんやりとリアの姿を眺めていた。




