16
待っている気がした
呼んでいる気がした
そうであってほしいと、自分が言っている気がした
×××16×××
『エルメリア』
『……お母様?』
『この真の名は、誰にも言ってはいけませんよ』
『誰にも…?』
『えぇ、誰にも』
『どうして?』
『それはね――――------』
「リアっ!リア!!」
「………っん……?」
ゆっくりと瞳を開ければ、眩しい太陽の光とぼんやりとした視界。
思考回路が上手く回らないまま、ぼんやりとしながらも手を伸ばせば暖かいものに触れる。
雨が、降ってきたのか。
雫がぽたりぽたりと頬に落ちてくるのを感じる。
「……マーサ…?」
思った以上に声が出ず、掠れた声になる。
「っ、リア!目を覚ましたのね!!」
「………ごめんね、迷惑、かけた…」
「馬鹿っ!私と、貴方の仲でしょ!?」
クリアになる視界、そこにはこの3年間毎日顔を合わせていた人物がいて。
ゆっくりと身体を起こせば下女仲間のマーサが背をゆっくりと支えてくれた。
ここは、どこだろう。と思いながら視線を巡らせる。真っ白な部屋。大きな窓からは朝日が差し込んでおり、ここがうす暗く狭い下女の寄宿舎ではないという事だけは解った。なにより、今の今まで寝ていたベッドの質が違う。ふわふわで、とても上質なものだ。
「マーサ…ここは「本当っに!下女になった頃からリアは、一人で進んでいっちゃうんだから!」
「え?」
「下女から侍女に昇格したって、一言言ってくれればよかったのに!あの朝、貴方が居ないって大騒ぎになったのよ!?そりゃ、言いにくいかもしれないけど……みずくさいじゃない!!」
「は?」
「それにしても羨ましいわ~~!!侍女っていったら、一人一部屋でしょ!?こんな素敵な部屋に!私、遊びにきちゃうからね!その時は泊めてよ?」
はっきり言って、リアはマーサの言っている事が全く理解できない。
自分が下女じゃなくて、侍女?この部屋が私の部屋?
「ちょっとっ!……痛っ」
マーサの言葉に問いかけようとすれば、ズキンと痛む足に思わず声がでる。
「リア!?傷が痛むのねっ…!待ってて!」
「え!?マーサ?ちょっと!」
リアの言葉に振り向きもせず部屋を出ていくマーサの後ろ姿に手を伸ばすも虚しく終わる。
ぽすり、と軽い音を立てて腕がふかふかの布団の上に下ろされる。
「………どうなってるのよ…」
この足の痛みは確かなもので、記憶が正しければあの夜に逃げた時に自ら傷つけたもの。
必死で逃げたその先で、彼に会った。そう、あの…。
「目が覚めたか」
「………、貴方は…」
黒い髪、金色の瞳。
「マクレン様…?」
「………、傷は痛むか」
「いえ、………あの、わたし「逃げるつもりだったか」
何の感情も持ち合わせていないというような瞳が、リアを無言で制する。
「逃亡罪で、最悪の場合、死刑になるのを解ってのことか」
「っ…………」
大きな掌が、リアの顎を持ち上げ、自然とリアとローベルトの視線が絡まる。
ぎしり、という鈍い音と共にローベルトの片膝がリアのいるベッドに付き、お互いの鼻と鼻が触れ合うほどの距離まで縮まった。
「全てを…捨てたか」
その言葉に、リアは目を見開く。
「何から逃れたかったのかは知らない。だが、何にしろそんなに簡単にはいかない」
「っ………」
「リア」
ローベルトのしなやかな指がリアの顎から離れ、頬を滑り頭をゆっくりと撫でた。
「行く先を見失ったのなら、ここに居ればいい」
「っ、でも…それでは、貴方様が…」
「第四騎士団長のローベルト・マクレンは、逃亡者を見ていない。一人の下女を見つけたのは、ローベルト……只の男だ」
俯くリアの頭を二回ほど優しくぽんぽんと叩くと、ローベルトは視線を窓の外に向けながら言葉を続ける。
「まぁ…もう、書類上ではお前は私の侍女という事になっているが…どうする」
ローベルトの懐から出された一枚の紙。
そこにはローベルトの名前とサイン、そして契約者の欄にはリア・フェレンの名前。
残る空白はリアと宰相のサインの欄のみ。
「すまないが…苗字は、こちらで調べさせてもらった」
心が、揺れる
本当に、いいのか
戻るなら、今
止めるなら、今
リアのエメラルドの瞳がぐらりと揺れる。
一瞬の後、その瞳には強い光。
「マクレン様……」
「何だ…」
「羽ペンを、貸していただけますか」
はっきりとした声が空間に響き渡る。
美しく弧を描いた唇に、ローベルトも同じような表情でリアに羽ペンを渡す。
「わかった、……侍女殿」
書類には、筆記体でリアの署名が書き加えられた。




