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貫くような痛みは
生きている証
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窓からのうす暗い光だけが室内の輪郭を映し出していた。
ローベルトに手を引かれるまま、部屋に足を踏み入れれば廊下よりもひんやりとした空気が身を包む。
あまりの冷たさに一瞬、身体がびくりと震えた。
「寒くてすまない。今日は一度も暖炉に火を灯していなくてな」
そう言うと、ローベルトはマッチを手に取り部屋に置いてある複数の蝋燭に火を灯してゆく。
その間リアはただただ、ぼんやりと室内を見ることしかできなかった。
最初に支給されたものなのだろう。入って直ぐの部屋には、椅子とテーブル、本棚に暖炉。
幾つかの部屋に繋がるであろう扉もある。ただそれだけで、閑散としていた。
「すまないが、後ろの箱から魔法石を一つ出してくれ」
「は、はい…!」
足元にある木箱を開ければ、見た目は唯の鉄鉱石が沢山詰まっているではないか。
リアは、そのうちの一つを手に取りローベルトに手渡す。掌に乗せた瞬間、微かに感じるピリピリとした魔力の流れ。
リアにはこの石が只の金属では無く魔力を固めて作られた貴重な石であることが解った。
彼は、その石を受け取ると天井から吊るされた液体の入った容器にその石を入れる。その石はボコボコと泡を出しながら徐々に光を放ち温かみのある暖色の光でやわらかく室内を照らした。
「………凄い」
「知らないのか?この城の大まかな部分の灯りは、この魔法石で作り出されている」
ソファに身にまとっていた外出用の黒いマントと剣を置き、ゆっくりと振り返ったローベルトとリアの視線がはっきりと合う。
「………この前の下女か」
「……はい、先日は花を拾って頂き本当にありがとうございました」
無意識に灰袋をぎゅと握りしめる。
彼は、この前の事を言っているのかそれとも最初に出会った事を言っているのか。
曇りなき瞳は、もしかしたらもう全て知っているのかもしれない。
その思いを消すかの如く、リアは小さく息を吐き出す。
いや、知らないはずだ。
あの時の魔法は、自ら言うのもなんだが完璧なはず。
「私は、第四騎士団の隊長をしている、ローベルト・マクレンという者だ」
「私はこの城の下女をしております。リアと申します」
静かな部屋に二人の声だけが木霊する。
「暖炉の掃除をさせて頂きます」
「あぁ……」
リアはいつも通り三角巾を口元と鼻を覆うように後頭部で結び、腕まくりをする。
些か緊張するが、急いで終わらせる為にも作業に集中することにした。
灰を掻き集め、袋に入れていく。時折、灰掻き用の棒が静かな部屋に音を立てる。
元々そんなに溜まっていなかった為か、その作業はすぐに終えることができた。
何事も無く無事に終わり、リアは三角巾を取る。
振り返れば、彼の姿は何処にもない。
「え…?」
部屋をぐるりと見渡せば、先ほどまで閉まっていた室内の扉の一つが微かに開いている事に気づく。
このまま、本人や侍女に何も告げずに部屋を出るわけにもいかないので、リアはとりあえずその扉へ近づいてみることにした。
軽くノックをすれば、返事のようなものが聞こえた為ゆっくりと扉をあける。
そこには、ベッドに腰掛け上半身の衣服を脱いでいたローベルトの姿があった。
頬に熱が集まるのが自分でも解る。
リアは、男性の肌を此処まで間近でみた事が無かったのだ。
鍛えられた身体は無駄な肉などついておらず、かと言って圧迫感を与えるほどの筋肉をつけた様子もない。一言でいえば美しかったのだ。
「っ、申し訳「すまない、手伝ってほしい」
そう言って差し出された右手には巻きかけの包帯が垂れ下がっていて。
どくどくと不規則な鼓動とは相反してゆっくりと近づき、恐る恐る巻きかけの包帯を手に取る。
「この前の戦いで負傷してしまった」
苦笑しながら言うその言葉に、リアは彼の腕に落していた視線を上げる。
視界に入る無数の傷。
「……お前が、その様な顔をする事は無い」
「っ、ですが」
「これは、私が負うべくして負った傷だ」
右腕だけではなく、首下に残された切り傷。腹部にも複数の傷痕。
最もひどいのは左肩。先ほど手首を掴まれた時、何の違和感もなかった。
彼の腕の動きはごく普通で。
しかし、そこに巻かれた包帯からは赤い染みが滲んでいた。
右腕の包帯を巻き終わると、リアは少し移動して左肩の包帯を取ってゆく。
「……侍女は、どちらに…?」
「侍女は持っていない」
「それでは、身の回りの事は…」
「自分で行っている」
赤黒く染まった包帯。明らかに、この傷が癒えない理由が解った。
「無礼を承知で申し上げます、侍女をお付けになられた方がよろしいかと」
「………何故」
「この傷が癒えぬうちに傷口を動かすような事をしては、治りが悪いのも当然です」
消毒液につけた綿を傷口につければ、びくりと動く身体。
幾ら我慢しても、この傷に消毒液は耐えがたいであろう。寧ろこの程度しか、身体が反射的に動かないのは彼の騎士としてのプライドからか。
先ほどまで、恐ろしいとまで思っていたローベルトへの印象が少しだが変わっていて。
時折罰が悪そうに、リアを見るその金色の瞳はまるで子供の様。
リアは無意識に優しくほほ笑んだ。
丁寧に左肩へ包帯を巻いてゆく。
巻きながら、じっとその肩を見つめれば微かに見える魔力の気配。
その気配に微かに表情が曇る。
上手く隠れている様に見えるが、リアの瞳は黒い普術が彼の傷口にかかっているのが映っていた。
明らかに敵国の魔術。ここまで魔術を使うとは。
リアが最初に彼に施した術は、再生の魔術。人間本来の治癒能力を最大限まで高めるものであって、傷を完治させるものではない。
本来魔術は不完全なもの。最終的な完治は本人の力で行う。
だから、いくら魔術をかけても完全な回復はあり得ない。
きゅっと包帯を縛り、そして自然的な流れでその患部に包帯の上から掌を軽くかざす。
普術を吹き飛ばす詠唱を脳内で唱えながら。
「……できました。腕は極力曲げないでくださいね」
「……わかった」
「よろしければ、立って頂けますか?衣服を…」
「あぁ、すまない」
シャツの様なものを広げ、ローベルトの後ろに回り込み袖に腕を通させれば、前へ回り込みボタンを下からとめてゆく。
丁度第二ボタンを閉めようとボタンに手を伸ばした時だった。
「……リア、と言ったな」
「はい」
「お前は、何か…知っているのか」
「……え?」
ローベルトの掌がリアの茶色の髪をゆっくりと撫でる。
「………否、今のは忘れてくれ」
微かに心の奥が痛んだ気がした。




