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冷たくなった指先で
耳を塞いでしまいましょう
そうすれば、何も聞こえないはずだから
×××11×××
早歩きで、青い毛氈が敷かれた廊下の端を歩く。手には灰の入った袋を落さないようにしっかりと持って。
リアは、走りだしたくなる衝動を押さえながら次の仕事場へと向かっていた。
どうして彼は、あのような事をしたのだろう。
美しく身分も高い女性と結婚し、幸せな家庭を築くことが彼にとって最高の人生となるはず。
もはや彼は、将来を期待された、誰もが羨む男性となっていた。
三年前に出会ったときの彼とはもう何もかもが違いすぎる。
「……なのに、どうして…」
東塔から出ると、全身を突き刺すような寒さが一瞬にして襲う。
どくどくと早くなっていた鼓動は自然と治まり、ゆっくりと息を吐き出せば白く、高く、空へと昇っていった。
エメラルドの瞳には、空からふわりわりと降りてくる雪がまるでこの世界の時間を遅らせているかのように映る。
「もっとゆっくり、時間が動けばいいのに」
呟いた声は雪に吸い込まれる。
冷えた身体とは反対に、後ろから抱きしめられた体温がまだ微かに残っている様に感じて、それを振り切るかのようにリアは、早歩きで庭園の横の通路を歩き始めた。
脳内によぎる、彼と笑いながらこの通路を通った昔の自分も振り切るように。
城の中でも一番日の当らない場所、そこが北の塔。
普段はそこまで気にすることもないのだが、こうも寒いとこの立地の所為にしてしまいそうになる。
リアは、本日最後の暖炉周りの掃除をするべく北の塔へと入っていた。
順調に数をこなし最後の部屋に辿り着く。灰掻きの掃除を初めたのは、太陽が昇った頃。もうすでに、夕方近くになっている。
基本的に下女には、どの部屋に誰が住んでいるという情報は伝えられていない。だからこそ、どこの部屋に入る時も入る前にはきちんと身を整えてから入るのだ。
いつも通りにノックを二回。本日最後の灰掻きなので、無意識にもそのノックにまで力が入る。
「………………」
「ん?」
普通の部屋なら、ノックをすれば中から侍女の返答が返ってくるはずなのだが。
無反応の部屋に対して、もう一度ノックを2回する。
「………………」
やはり何の返答もない。
ポケットに入れていたメモを取り出し、今日担当の部屋を再度確認する。もちろんメモにはしっかりとこの部屋番号の文字が記されていた。
考えられるのは二つ。
一つ目は、このメモが間違っているということ。もしかしたらチェックミスで、この部屋は元々物置か何かで今は使われていないかもしれない。
二つ目は、侍女も含めこの部屋の主が外出中ということである。
しかし、もう夕方。はっきり言ってこの極寒の中、この時間帯に外出するとはよっぽどの多忙な方か若しくは変人である線が強い。
「………二つ目は、ないか」
苦笑しながら、言葉にしたリアに対して
「何が、ない」
「……え?」
返答を求めてもいないのに、低い声が返ってきた。
急いで振り返れば、黒髪で金色の瞳をしたあの騎士が目の前に立っており、自然と視線が合う。
細められた目に、急に心臓が飛び出しそうになった。
「私に、何か用か?」
「っ……!」
気配を感じられず、自分より身分の高い者に背を向けていたことは無礼。
リアは顔を青ざめながら極度の緊張と共に、急いでお辞儀をするために膝を折ろうとした。
「っ、え!?」
しかし、ぶれる視界。その動作をするよりも早く目の前の騎士の腕がリアの手首を掴んだ。
「そこまで畏まるな。用件は?」
男性特有の大きくしなやかで節のある掌の感触が手首に直に伝わる。
剣を良く持つからであろう、その掌には無駄なぜい肉は一切付いておらず美しかった。
「ご無礼を…いたしましたっ…!お部屋の暖炉周りの掃除に参りました…!」
何とか失礼にならないようにと、必死で頭だけでも下に向ける。
片腕を上の方で掴まれ、頭だけ下に向けている姿は端から見れば滑稽だろう。
リアの茶色の髪を見ながら部屋の主であるローベルトは小さく溜息をつき、鍵穴に鍵を入れて扉をあける。
「戻るのが遅くなった私が悪い。………入れ」
ローベルトに手首を掴まれたまま、リアは灯りのともっていないうす暗い部屋に足を踏み入れた。




