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花火  作者: 瑛彪・玄彪
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 よるつもりのなかった夜のトイレで手を洗う。そして帰ったはずの人物がいる、その教室に戻った。

 戸を開けると、いまきさんが席を立ってこちらへ向かうところだった。狭い通路を互いにゆずりあっていたが、珍しく淑女的ないまきさんに折れて、先に通してもらった。席に着いて三秒呆けていたが、すぐ自習の続きをした。答案を仕上げて一息つくと、誰かがモニョモニョと話しているのに気づいた。ありゃ、僕ととりさんが話していたのは結構迷惑になっていたのかも、と反省していると、「・・・ここは思い切ぃって!」と声を荒げたので、会話主がいまきさんだ、しかも誰かを花火大会に誘うことを促しているというのがわかってしまった。あのいまきさんがそこまですすめているのだから、よほど誘わなきゃもったいないひとなんだろうな、と思ってみた。

 それ以降、自習室は澄んだように静かだった。それまで心が騒がしくて、その静けさに気がついていなかったのかもしれない。黙々と自習をした。さすがに国語の答案作りは続けることができなかったが、数学はモリモリ食うようにこなした。ただ、八時四十分になった時、いつもの癖で集中がパッときれ、辞書類をロッカーにしまうべく、席を立った。立つのがまにあわなかった!という感じで慌てて立ち上がったそいつの横をすり抜け、外に出た。後ろでガッチャンっとそいつが何かを落とした音がした。しかし僕は、振り返らずに戸口をくぐった。

 外は、階段はもちろんロッカーまで電気がオフになっていて、周りがぼんやりと闇に埋もれていた。荷物を置いて教室に戻ると、戸口でいまきさんがエレベータガールみたいに立っていた。先をゆずると、どうぞ、としなやかな手つきで逆にゆずられた。もう帰ってしまっていたが、その後も私は自習を続け、チャイムが鳴ってからかばんをしょって、外に出た。

 自転車を連れてチャリ小屋を出ると、警備員さんに会って、ピーナッツおこしをもらった。花火終わったですかね、ときくと、終わったんじゃな〜い?とテキトーに返ってきた。見たかったけど、自習やり貫きました!と胸張って云う私を、警備員さんは目を細めて見つめて、ようがんばった、花火は来年もあるしね、と云って笑った。


 あ――よかった、自分のポリシーが貫けて! やっと一人きりになれた夜道、自転車をこぎつつ、ほうっと大きな息をついて大空をあおいだ。自分がしたいことをやり遂げた。満足だ。ちゃんと自習ができた。しかも、ちゃんと自習をしていたから、一緒にいれた。本当によかった。花火大会に行ってはいないが、受験生である身にとって、最高の花火大会をすごせた。なんたって、夜空ではかなく消えていく花火より、もっとたしかな花火が僕を照らしたのだから。

 ……まあ、いてくれたのかいたのかはわからない。世界は、放っておいても僕の意思とは無関係にまわるものだ。でも、あの時あの場所にいたのは事実だし、それによって僕の心がずいぶん軽くなっているのも事実だし・・・

 と、その時、見上げた空がチカチカ光っているのに気づいた。一瞬雷かと思ったが、すぐにピンときた。


  花火だ


 藤崎宮の信号が折よく青になり、神宮に向かって一直線にこいだ。まだ終わったわけじゃないんだ! 鳥居の前できゅぅっと右に曲がり、傾斜の激しい坂を一気に上りつめた。そこはめーご橋、そして前方には・・見えた! 黄緑色のつぶつぶが、小さいながらも夜空にはじけているのが見えた。花火だ。花火である。白に赤に虹色に、あでやかに夏の空を染め、息つく間もなく現れ消えていく。ちょうどクライマックスだった。僕は自転車にほおづえをついて見入っていた。 綺麗だった。 本当にそれだけしか頭に浮かんでこなかった。花火の音が体中のすみずみまでよく響きわたった。驚きや戸惑いが、みんなどこかへ飛んでいった。あるのは、どうしようもないうれしさだった。

 やがてフラッシュ弾が炸裂し、静けさが戻った。らんかんに腰かけていた女の子が「ねーねー、もう終わっちゃったの?」と名残惜しげに母親に聞く声を背中に、僕は速やかに帰路についた。顔は、ニマニマしていた。



 いやぁ〜、いい花火だった。自転車をこぎながら、つくづくと感じ入った。高校2年のときの中川家での花火が一番楽しい花火だとすれば、今日のは一番嬉しい花火だ。やりたかったことがすべて、最高の形で叶ったのだ。うれしいったらありゃしない。塗っても塗っても黒い絵の具の下から浮き出るクレヨン画のように、花火が僕の心に次々とあがっている。

 一生懸命やった後に悔いは残らないものだ、と川口氏は去り際に云い残していった。それは真に僕の人生にぴったりくる名言だった。なんとなく僕の中にあったものが、言葉を与えられることではっきりと目覚め、さっき芽を出したと思ったら、もう、予想以上に大きな花を咲かせていた。


  憶測はいくらでもできる。

  だけど、あの日本当に美しい花火を見たのは

  揺るぎない真実である。




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