中
夕飯は、外の自動販売機の前に長椅子で、仲間と一緒に食べた。これから授業という奴もいれば、これから花火を見に行くという奴もい、これから自習室にこもるという奴もいれば、家にまっすぐ帰ると断言する奴もいる。みんな、きれいにちりぢりになった。
「はづきは?」「自習だよ」
あな珍らかっという顔もあれば、んな当然のとこを得意気に云うなぃっとツッコミたげな顔もあり・・・こんな多彩な奴らだから一緒にいるのがたまらない。
みんな一緒、何をするのも一緒じゃないと許さないっと云うベタベタ・ギシギシな集団は、僕は見るのも関わるのも嫌だが(研究対象としては興味がある)、こうやって素直に自分が出せて、しかも互いに認め合うことができる連中といるのはいい。したいことをするのをとがめたりしないし、ある程度理解を示してくれる。さすがにやりすぎはとめてくれる。で、なければ群れることが好きでない僕が彼らと飯を食うということは、ありえないだろう。
やれ花火が、浴衣の女の子が、と盛り上がっている輪からふと目をあげたら塚崎が帰るのが目に入ったので、チキン南蛮サンドをパクつきながら、帰るのを見送った。あいつは、花火を見に行くか、家で自習だろうな、と思いながら、「んじゃあお先に」と長いすの背もたれから腰を上げ、サンドのパッケージをごみ箱に放り込んで、自習室に入った。
朝からその時間を自習に尽くそうと決めていたのは、もちろん花火に興味がないからというわけではない。「花火なんてくだらない」なんて口に出す奴にはなりたくない。花火とか祭りとか、そういった、なんと云おうか、人間の情熱の塊のようなものを馬鹿にしくさった態度というのは、ど―――――っしても好きになれないのだ。それはおいといて、僕の信条は、楽しむときは心ん底から楽しむ、やるときゃやる!である。今、花火を見に行ったところで、本当に花火を見ていられるだろうか。あーれもこーれも・・・といろいろ考えながら、結局は心配事を見てばかりになりそうだ。そんな中途半端な思いはしたくない。それになにより、今本当にすべきことは何なのかを考えてみると、やはり将来に向かって一歩でも進めるほうが断然理にかなっている。花火を見に行くと決めたら見るに徹することができなくもないが、後が大変だ。やっぱりスッキリした気持ちで花火を見たい。そう思うと、自習したいという気が自然におこってくるのである。何のために、今、何をすべきか考えて行動せよ。これが、高校三年間必死で働いて得た教訓である。
自習室には思ったより人が残っていたが、それでも長机が余るほどだった。昼間から隣で自習していた制服姿の女の子がそのままそこにいたが、僕は席を移動しなかった。・・・せめて、そこにいたかったのである。
心おきなく自習ができるというその時に、僕は自分の心が沈んでいるのに気づいた。やっぱり、あの時傷つけたのは相手だけではなかったようだ。見過ごすことのできない痛みが、僕を光のないどん底へズリズリ押しやる。あの時変な顔をしなかったならば、もう少し状況は変わっていたのかな。・・・本当は行きたかったんだ、一緒に。でも、やっぱり日頃の行いだね。 行けなかった。
ちょっとのことだった。ちょっとのことでできなかった。後もうちょっと、のちょっとを埋められなかったのは何だろう。受験もあとちょっとで、今もあとちょっとで・・・。やはり、それは日頃の行いというやつだろう。そうしたいと思うだけでなく、実際にそうするよう行動しているのが大切だ。あとちょっとだと思えても、そのちょっとは実はものすごく大きな隔たりなのだ。(少なくとも今回は<ちょっと>どころではないのだが)よほどの強靭な意志でない限り、そのちょっとは埋まらない。その意思も突拍子なものでなければ、日頃から培われるものだから、いわゆる火事場の馬鹿力をあてにしてはいけない。なりたきゃ、なれ。やりたきゃ、やれ。ということで、まずは手始めに今夜は自習だ!と気をひきしめ直して、久しぶりに国語にとりかかった。
開いたのは、今まで買った中で唯一縦書きの参考書である。まあまあよりもきちんと的を射た答案を作りたいと思って、買ったのだ。文を読み込んで、答案作って、ふと時計を見て、戻ってくるなら今ぐらいかなぁ――――と考えているのに気づいて、このウマシカ野郎が!とかぶりを振って、また答案を作って・・・まだ沈みっぱなしの心を一応気遣って、答案の端に書き添えた。
信じるかどうか、今日はこれが問題だ。
それぐらい答案作りが進んだころ、二・三人がゴソゴソと支度をして教室を出ていった。ゴロゴロ・・・という戸の音が静かに響く。そろそろ花火を見に行くらしい。さすがの僕も、花火の音が聞こえてきたら自習を続けることは難しくなるだろうと思った。ゴロゴロ・・・ゴロゴロ・・・・。それにしても戸の出入りが多いな、と思っていると、後ろ上から「寒いね」ととりさんの声がした。首をねじって見上げると、とりさんは鼻の下にキラキラと汗の小玉をつけて、ちっとも寒そうじゃなかった。ああ、そうか、二枚も上着を着ている僕が寒いのか、とわかった。小声で、今来たの?ときいたら、小声で、今来たの、と返ってきた。
今から何すんの?
自習だよぉ。
花火見ないの?
見ないよ。僕も自習だよ、でも花火見たいなぁ、駐輪場から見えないかなぁ。
二人でこんなことをコショコショと話していたのがうるさかったのか、ここらへんでななめ前の席にいるいまきさんがふり返って、話しているとりさんと僕をじぃっと見た。
六号館の屋上からだったらバッチリだよ。 へえ、行けるの。と言葉を切って、自習の邪馬よ、シッシととりさんを追い出した。とりさんはすねたように口をとがらせて追い出された。
時計を見ると七時四十分、花火が始まる時間が過ぎていた。ちょっと外の様子を見てこようと思って、とりさんが出てったのと反対側の戸へ私は向かった。後ろの席で本を読んでいる人がいる。戸を開けて、戸を閉めた。このまま去ってはいけないような気がして、とってに手をかけたまま閉めたばかりの教室の光景を思い返した。ん、もしや・・・。いや、そうだ。
いる。 今、いるのだ。 あいつが。