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自業自得

作者: 吉江 一樹
掲載日:2026/04/04

 いつもとおりの朝だと思ったが、目を覚ました私は、何故だか少しだけ疲れていた。私は吉村正人40歳。離婚歴2度の独身おやじだった。それでもその日、私はいつもとおりの時間にベッドを出ると、何も考えずに、というか、考えられずに出勤の準備を始めた。時間は6時30分。晩秋のこの季節、北国の夜が明けるには、まだ少しの時間があったが、会社の同僚から比べると、出勤準備を始めるにはやや遅い時刻だった。まるで案山子のように、ゆらりと立ち上がった私は、だらしなく衣服の散らばった、煙草臭い部屋の電気をつけ、いつもとおり顔を洗うために、洗面所にだらしなく向かった。部屋は去年に引っ越してきた2K、家賃は私の給料ではぎりぎりのものだった。おかげで私は、いまだ母に借金をすることがあったが、そのかなりたまっている母への借金を、私は返すつもりはなかった。認知症の気のある母も覚えちゃいまい。とりあえず私はこの部屋を気に入っていたのだった。すばやく顔を洗った私は、まず朝食をとることにした。その時だった、昨日の課長のあの一言が、私の耳に響き渡った。

「契約解除」そうだった、「契約解除」私は会社をクビになったのだ。もう私は会社に行く必要はないのだ。

 課長はクビとまでは言わなかったが「契約解除」つまるところクビなのだ。  

 「契約解除」それはクビとは言わなかった、課長の最後の私に対する思いやりの言葉だったのかもしれない。とにもかくにも、私はもう会社に行く必要はないのだ。

 正直なところ、そろそろ覚悟はしていたのだが、「契約解除」の事実は私に大きな衝撃を与えた。「何をしよう・・・」私は思った。

 暫く私は考え込んでしまっていたが、取り敢えず仕事を探さねば。そう思い部屋を出る準備を始めた。何日も寝間着にしていた紫の汗臭いトレーナーを脱ぎ捨て、2~3日履いたままのパンツを脱ぎ、ベッドの上に放り投げた。

 晩秋の夜明け、部屋の中の空気は、いつもより冷たく重かった。私は、通勤用に使っていた、1週間続けて履いている黒のチノパンと3日間続けて着ているタバコ臭い赤色のトレーナーに着替えた。街ゆきの市電の時刻は8時23分、まだ時間は30分以上あった。私は、先月中古の家具屋から3300円で買った、座り心地のいい木製の椅子に座布団を敷いて、腰を掛け、これも最近、中古でようやく買った2万5千円のテレビのスイッチをつけた。

 出勤、いや、出かける時間までには、まだ30分以上はあった。私はテレビのニュースを見ながら30分経つのを待った。ニュースは、交通事故に殺人事件、おまけに戦争ときたが、ニュースの中の出来事は、私にとってはまるで、すべて、ただの他人ごとに思えた。総理大臣がアメリカに出かけたらしいが、今の総理大臣は誰なのだ?これも特別私に関係のする事でもないように思えたので考えるのはやめた。

 その日の30分はいつもよりゆっくりと、とても長い30分で、私にはじれったくもあった。ようやく30分経つと、私は立ち上がり、黒のダウンを少しだらしなく引っ掛け、テーブルの上のタバコとライターを無造作につかむと、ダウンのポケットに突っ込んだ。部屋のドアを開け、外に出たが、石油ストーブの火を消すのを忘れて部屋に戻った。まあ、よくある事だ、気にはしない。

 いつも通りに階段を降り、歩道に降りた私は、まだ暗い道路をまるで犯罪者のように素早く左右を見渡し、道路を横切り、そしてやはり、いつもとおりにうつむくと、ダウンのポケットに手を突っ込み、市電の駅へ向かって足早に歩き始めた。

 この時間、風もなく、まっすぐな歩道には、人一人歩いていなかった。所々で赤黒いカラスが捨てられたゴミを奪い合うようにつついていた。

 道路は時々、空車のタクシーが走っているだけだった。少し行くと近所のよく行くコンビニが見えてきた。その時、私は今日、まだタバコを吸っていなかったことに気が付き、ダウンのポケットに、手を突っ込み、タバコを取り出し徐に口に咥えると、タバコに火をつけ、時刻を見た。今日はいつもの時間より少し早いかもしれない。私はポケットから携帯灰皿を取り出すために立ち止まった。

 100円の安物の携帯灰皿だった。以前この辺でタバコを吸いながら歩いていた時に、近所の親父に睨まれたことがあったのだったが、それ以来、灰皿は常に持ち歩くようにしていた。中は吸い殻が詰まって膨らんでいる。もう一度、立ち止まった私は灰皿の中のタバコを全部、路上に捨てた。

 そして私は、タバコを大きく吸い込むと空を見上げた。ただ真っ白な雲のかかった空。雲しか見えなかった。私は突然大きな不安に包まれ、加えていたタバコを路上に捨てて踏みつけると、携帯灰皿をズボンのポケットの入れ、市電の駅へと急いだ。


 仕事のない、つまり、金のない一日というのは非常に単純なもので、することが毎日決まってしまうのだ。その日も昼飯は、何時ものすき屋で済ませることにした。

 結局それ以上の事をすることもできないし、それ以下の事にする訳にもいかないので、毎日が非常に単調なものになってくるのだ。

 私は取り敢えずハローワークへと向かった。確か、失業保険も与えられるはずだった。前の会社で1年働いたのだ。

 電車を降りた私は、バスに乗り、何度もお世話になっている、ハローワークの門を開いた。そして、1時間以上は待っただろうか、適当に選択した求人票を手にして椅子に座って待った。 

 ようやく順番が来て、窓口の女性に「ここの紹介状をお願します」そう言って手にしていた求人票を差し出した。するとその女性が、突然「あら、吉村さんまたなの?」大きな声でそう言った。


 失業保険は3か月しなければ与えられないということだった。だが私は、それほど気にしてはいなかった。こういう時のために親がいるのだ。だから私は親の長生きを祈った。先月、母と喧嘩した時に「早く死んでしまえ」そうまともに言った事は当然、後悔している。

 そして私はまだ40歳だった。当然、あちらのほうにもそろそろ欲求を感じていた。私はその日、パソコンで調べておいたデリバリーヘルスとやらに思い切ってTELしてみることにした。金は通帳からATMで引き落としてきた。

 残り少ない残高だったが、金は使うためにある、それが私の信念だった。そして電話をした後に、部屋に戻って、私は女が来るのを待つことにした。TELしてから女が来るまでの間に私は汚れ切っていた部屋をかたずけた。何日ぶりだろう。流し台の皿とコップを洗い、ベッドの布団をそろえ、消臭剤をかけた。散らかってる衣類を箪笥に突っ込み、部屋の中に掃除機をかけた。

 すると連絡してから1時間程たち、部屋に女がやってきた。私が思っていたより若い女だった。

 長い黒髪がツヤツヤと美しく、厚化粧の白い顔に真っ赤な口紅がくっきりと艶めかしく輝いていた。だが女は美しくはなかった。その女をみた瞬間に私の胸中の男としての欲求は、何故かろうそくの灯が消えていくように萎えてしまっていた。しかし女は何も言わないままに部屋に上がり込むと、そのまま寝室へ向かい、赤いウールのコートを脱ぐと、続けざまに着ていたピンクのワンピースと黒の下着を脱ぎ捨てた。


 私は部屋の中央にすえた炬燵の上に二つのコップをおいて、それに安物のインスタントコーヒーを入れると彼女に進めた。

「飲まないかい?」      

「どうしたの?」寝室のベッドに腰を掛けた女は少し不思議そうな顔で、私を見つめながら言った。


「時間は40分よ」

「いいんだ」

「こっちに来て坐って」私は少し微笑むように言った。

「それならいいけど」女はやっぱり不思議そうに私を見つめ、素っ裸のまま炬燵に入ってきた。


「・・・・・・」しかし女とまともに向かい合ったことがここ最近、全くなかった私は微笑みながらも言葉を失ってしまっていた。

「出身はどこだい?」私は苦し紛れに女に何とか尋ねた。

「あんたに関係ないでしょ」女は怒った様に私を睨みつけた。正直、初めて女が自分の部屋に入ったということで私の心は満足し、私のその男の欲求は十分に満たされてしまっていたのだ。ニコニコと微笑みながら私は女を見つめてコーヒーを口にした。


「気持ちの悪い人ね」

「どうせならビールでも無いの?」女が言った。

「酒は飲まないんだ」私が言った。

 私が酒を飲まないのは事実だった。

 彼女はあきれたように表情を崩し、コーヒーに手を差し出しながら言った。

「料金は安くならないわよ。金はあるんでしょうね」

「大丈夫、金は準備してるよ」私は言った。

 

 そして40分経つと素っ裸の女は立ち上がり、私に向かって右手を突き出した。

「時間よ」女が言うと私はいつもの黒いリュックの中の財布を取り出し、中から新品の1万円札を一枚取り出し女に渡した。

 すると女はポケットの中からしわくちゃの千円札を取り出し、3枚そろえると投げつけるように私に差し出した。私は「おつりはいらない」、そう言いかけたがさすがに言葉にはならなかった。そしてそのしわくちゃの千円札を3枚素直に受け取った。そして、下着を身に着けると衣服を身に着け、部屋に投げ捨てていた真っ赤のウールのコートに身を包むと


「私はサチコ。またよろしくね」

「次があるから」そう言って、玄関に出て、靴を履き、まるで真っ赤な猫のように素早く部屋を出て行った。私は満足していた。今度の時はビールを用意しておこうと私は思った。炬燵の上のコーヒーカップをかたづけ、そのままベッドに入って私は目を瞑った。

 いい一日だと私は思った。私はそのままベッドで眠りについた。


 次の日、私が部屋を出ると街中にはまるで雪が降る様に雪虫が跳ねていた。

 思わず空を見上げると、空には雲が満ちていた。

 財布の中は千円札1枚しかなかった。結局、私はポケットからスマホを取り出し、母をあてにTELをした。


「生きてるか?」私は言った。

「そう簡単にくたばりゃしないよ」母は言った。

「今から帰る」私は言った。

「どうした、金か?」

「コメか?」母は立て続けに聞いてきた。

「帰ったら話す」そうして私はTELを切った。

 

 その日、久しぶりに私はバスに乗った。

 私がバスに乗り込むと、バスは空いていた。

 私は一番後ろの窓際の席に深々と腰を掛け、窓から外を見つめた。

 家までは40分だった。


 ターミナルに着くと私はそこで降りて昼食を取ることにした。

 私はターミナルにある食堂の唐揚げ定食が気に入っていた。

 私は母からの借金を当てにして、少し贅沢をすることにした。

 家に帰っても食事は魚ばかりで肉は出てこないのだった。

 母は帰ると必ず稲荷寿司を作り、私の好きなホッケか鮭を焼いくれたのだ。

 しかし母は自分が食えないからと言って肉は焼かないのだった。が、私は母の作る稲荷寿司が好きだった。

 

 家に着くと母はもうすべて知っているように私に言ったのだった。

「何があったんだい」

「会社をクビになった」

 母は少しうつむき、その表情に陰りを見せたようだった。

 そして私に向って言った。

「金はもう貸さないよ。失業保険が出るんだろう」私は驚いた。


「失業保険が出るまで3か月もあるんだ。お袋の借金当てにしてたんだよ」

 私は懇願するように母に泣きついた、しかし母は一度行ったことは変えない人間だった。

「頼むよ」私は苦し紛れに泣きついた。

「うるさいね、お前、私にいくら借金があるのか知ってるのかい」

 母は私の借金を全て覚えていた。

 

 その日、私は部屋に帰ると飯も食わずに、いや、食えずに眠った。

 自業自得という言葉が身にしみた。


                             

                               おわり

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