ヤングケアラーについて思うことがある
子供時代に、劣悪な家庭環境から保護された人間としては、「ヤングケアラー」に対して思うことがある。
それは、「子供の同意は、どこまで有効なのか」という問題だ。
子供は親に逆らえない。肉体的にも社会的にも、親のほうが遥かに強い力を持っているからだ。
このような、絶対的とも言える力関係がある中で、子供が「分かった」といった約束や同意は、どれくらいの正当性があるのだろうか。
身近な子供を守るために、私が今から話す視点を知っておいてほしい。
私は幼いころ、両親から「誓約書を書け」とよく言われた。後になって「お前、あのとき誓約書を書いただろ?誓約を破るのか?」と私を追い詰めるためだ。
本来、誓約書とは法的効力を持った書類だ。それを知った両親は、法を盾に子供を操ろうとした。
「お前、自分で『分かった』と言ったよな?」と。
ここで読者の皆さんに、自分の幼少期を思い返してほしい。
子供のころ、両親を喜ばせるために、本当の気持ちを我慢して「わかった」と言った経験はないだろうか。
私には、数えきれないほどある。きっと、同じような経験をした人は多くいるはずだ。
子供は、親を喜ばせたいという一心で、自分の気持ちを隠した言葉を使うことがある。
本当は嫌だとしても、「分かった」と言えば、親が喜び、いつもの優しい顔に戻ってくれるからそう言うのだ。
それを踏まえた上で、私たち大人は目の前の子供が発した「わかった」という言葉を、そのまま「同意」とみなすべきだろうか。
私は、一人の大人として、そして、当事者として「子供の同意を、安易に同意と見なしてはならない」と思う。
子供が幼心に「親を喜ばせたい」と思って発した言葉。たとえそれが、世間から「クズ」と呼ばれるような親だったとしても、子供にとっては世界に一人しかいない特別な存在だ。
喜ばせたいと願う、純粋な気持ちに偽りはない。
しかし、その純粋さを汲み取ることなく、「本人が『わかった』と言ったから」と子供の気持ちに甘え、歪な状況を放置するのは、一種の育児放棄ではないだろうか。
子供を単純な存在だと思ってはいけない。
子供は大人と同じように切実な嘘をつく。
大人のように財産を持たない子供にとって、親を喜ばせるために差し出せるものは「自分自身の気持ち」しかない。だからこそ、我慢して身を切るような嘘をついてしまう。
大人は、その「優しい嘘」に甘えるべきではない。それは一人の人間として、非常に恥ずべき行為だと私は思う。
もし、あなたの周りにいる子供が「わかった」と言ったなら、その後の様子を注意深く観察してほしい。
視線が泳いではいないか。手遊びをして不安を紛らわせてはいないか。話が終わった直後、現実から逃げるように何かに集中してはいないか。
大人も人間だ。時には感情的になってしまうこともあるだろう。
けれど、そんな時こそ、その子には「自分しか頼れる大人がいない」という事実を、何度でも思い出してほしい。
失敗をしない大人などいない。
大切なのは、失敗したとしても、そこから諦めずに子供との対話を続けることだ。
「子供の『わかった』を、そのまま同意とみなしてはいけない」
この視点さえ覚えていれば、きっとあなたは子供と正しく向き合えるはずだ。
子供たちの「優しい嘘」に気づける大人が増えることを願ってる。
【あとがき】
本文にある「誓約書」についてですが、子供が親と交わした誓約書には、基本的に法的効力はありません。
子供が未成年者であることや、本文に書いた通り「その同意は、本当に自由な意志による同意なのか?」という観点から、法的には無効とみなされます。
私のように、子供のころに書いた、ただの紙に縛られて自分を責めている方がいるのなら安心してください。




