1話:証拠は手の中に
どうやら私は、修羅場、というものを目の当たりにしているらしい。
「いつになったら婚約破棄するの!?」
叫ぶのは、聖女セリーナ。
声が大きいから回廊まで響き渡っている。
この様子だと、すぐに人が駆けつけてしまいかねない。
(言い争う男女の声が聞こえてくるから何事かと思ってきてみれば……)
まさか、私の婚約者と今話題の聖女様がいるなんて、思いもしないじゃありませんの~~!
やだー!この逢瀬が明らかになったら、大変な醜聞じゃない?これ!
(というか、カミロ……!あなた今日、予定があるから約束はキャンセルだ、って一方的にメッセージカードでよこしてきたわよね……!?)
用事って、聖女との逢い引き!?
首根っこ掴んで揺さぶって聞いてやりたい。
だけどその気持ちを私はグッ、と抑えた。
なぜなら、これはチャンスだからだ。
私とカミロの婚約を、解消するための。
私はそっと言い争う男女に近付くと、手に持っていた魔道具を起動させようとして──ふと、背後に気配を感じ、悲鳴をあげそうになった。
なぜならそこには、聖女の取り巻きの一人がいたからだ。
万事休すかしら!?と思い、青ざめる。
「っ……」
悲鳴を呑み込むと同時、魔道具が静かに起動した。
彼の視線は、私の手元にいく。
(ここで争うのはまずいわ。彼らに気づかれてしまうもの……)
そろり、そろりと忍び足で後退しようとすると、しかし彼は私への興味を失ったらしい。その視線は私から、木陰の間でロミオとジュリエットばりの名演技をする2人へと向かう。
「どうしてあなたの婚約者はあんなに頭の悪そうな女なの!?神様は酷いわ!」
しかしそのセリフは随分酷い。
ドストレート悪口だわ……。
カミロは頷いて答えた。
「そうだね。リンシアは頭が悪い。彼女と話していると僕は、腹が立つことばかりだ。彼女には淑女の嗜みというものが欠けているように見える。その点、君は素晴らしい女性だよ、セリーナ。早く君と結婚したい」
「カミロ……可哀想な人。彼女、意地悪よね。私もよく夜会で睨まれるの。きっと、とても性格が悪いんだわ。カミロのことだって、こんなに縛り付けて」
「セリーナ。彼女に嫌な思いをさせられているんだね。すまない。僕が不甲斐ないせいで」
(どの口が言ってるのよ、ええ~~~~!?!?)
静かに見ていようと……いいえ、証拠を残すつもりだったけど、もう限界だわ。
思わず飛び入り参加してしまいそう。もちろん笑顔でね!!
ドレスをからげてそのままGO!しようとしたところで、ふと視線を感じた。
そうだった。ここには私以外にも人がいるのだった。しかも、聖女の取り巻き。
「…………」
先程の苛立ちも忘れて、私はじっと隣の人を見る。
なぜここにいるのかしら?
そして、どうしてここで私と同じように見物人に回っているのかしら。
2つの疑問が混ざって怪訝な視線を向けていると、その人── ルシアン・ルーズヴェルト公爵令息は、人差し指をくちびるに当てた。静かに、ということらしい。
(何がしたいのかしら、この人……)
聖女の取り巻きだというなら、こんな愛を語らっている状況(と、いうより私への悪口大会になっているが)いてもたってもいられないはずじゃない?
あなたも飛び入り参加するの?という疑問が視線に現れていたのだろうか。
その間も、カミロとセリーナの話は続いていく。
「もうすぐだよ。リンシアの有責で、婚約は破棄される」
(…………はっ!?)
その言葉に、私は唖然とした。
「リンシアの嫌がらせは目に余る。僕が知らないとでも思っているのかな」
やれやれ、と言わんばかりにカミロが言う。
けれど、冗談じゃない。
(嫌がらせですって!?一体何の話をしているのかしら!?)
思わず、意識がそちらに向く。
視線を向ければ、セリーナが涙をハラハラとこぼしていた。
「仕方ないわ……カミロ。あの人は、あなたが好きなのよ」
「だとしても、やっていい事と悪い事があるだろう!?夜会ではセリーナを無視し、仲間はずれにする。きみは聖女なんだ。もっと抗議していい!」
「でも……」
「待っていて、セリーナ。必ず僕はリンシアとの婚約を破棄する。王に嘆願して、彼女を追放してもらおう」
(!?!?)
追放!?
どうしてそこまで話が飛躍するのかしら……。
思わずくらりと目眩がした。
しかし私は、手に握った魔道具の感覚で、意識をつなぎとめた。
(はぁ……信じられない。随分好き勝手言ってくれるじゃない……)
それも自分たちの行いを棚に上げて、だ。
私には、前世の記憶というものがある。
それはつい最近、とあるきっかけで思い出したのだけど……
(今までこんな人達に悩まされて、泣かされてきたのがバカみたい)
しかし『バカだった』と言い切るのは以前の私があまりにも可哀想すぎる。
だって、以前の私は知らなかった。
社交界で生きることを義務付けられ、この世界での生き方しか知らなかった。
以前の私は、それが全てだと思い込んでいた。
カミロとの関係を友好的に保ち、聖女との関係にも目を瞑る。
そうすることで上手くやっていくことが、正解だと思っていた。
確かに、それはひとつの正解なのだろう。
社交界においては、仮面夫婦も少なくない。
貴族令嬢の常識として、婚約者との関係を良好に保ち、その火遊びには目を瞑る。
あるいは何事も無かったかのように振る舞う。社交界の常識だ。
だから、それを無視して以前の私をただ、愚かだった、とこき下ろすのは、あまりに前の私が哀れだ。
しかし、前世の記憶を取り戻した私はこうも思ったの。
(こんなにも馬鹿にされて、虚仮にされて、それでも守らなければならない矜恃って、何かしら?)
例えそれで矜恃を守れたとしても、それ以外はめちゃくちゃになるだろう。
全てを犠牲にしてでも守らなければならないのが貴族の矜恃だというのなら──
(私はそんなの、いらない)
私は冷めた目で愛を語らう男女を見つめた。
婚約破棄される前に、婚約破棄、してやろうじゃない。
そのための手段は、既に手の中にある。