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第29話 豚と裸足と、クソ令嬢。

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挿絵(By みてみん)


 子豚を脇に抱え、全力で城内を駆けた。

 服は着ていない。


――ちくしょう、なんで俺がこんな目に!


 石畳を蹴る裸足の音が、城内の回廊に甲高く響いた。後ろからは兵士たちのどやどやした足音、鉄の鎧がぶつかり合う耳障りな響き。罵声と怒号が波のように押し寄せてくる。

 俺は子豚を片腕に抱え、ただただ必死に走る。脇の下で震えるその小さな体から、ぬるい体温が伝わってきた。


「止まれーッ!」「豚を捕まえろ!」


 いや違う、捕まえるべきは豚じゃなくて俺の方だろうが、などと頭の片隅で毒づく余裕すらあった。けれど城の中庭を突っ切る風は冷たく、素っ裸の身には容赦がない。

 視線が刺さる。窓から覗き込む女中、植え込みの陰で目を丸くする下働き――皆が俺を見やっている。裸の男が子豚を抱えて疾走する図だ。驚くのも無理はない。


 まったく、ついてねぇ人生だ。

 生まれ落ちたのは貧しい農家の五男坊。口減らしで奉公に出されたのは五つの頃か。

 だが力だけはあった。嫌味な手代の頭をぶん殴って逃げ出したのが十二の頃、そのまま傭兵だの何だのを渡り歩いた。初めて騎士ってやつを見たのは十五の時だ。きらきらした鎧で馬にまたがってよ。まだ若かった俺は憧れちまったんだ。

 幸い腕っぷしには自信があった俺は、入団の門を叩いた。一度目は落ちた。力だけじゃ足りない。だから、歯ぁ食いしばって鍛えた。三度目でようやく見習いに滑り込んだ。あのときは嬉しかったぜ。


 俺はただ息を切らしながら出口を探して走り抜ける。子豚が「ブヒッ」と鳴いた瞬間、兵士の槍先が石畳にカンと突き刺さった。紙一重でかわした俺は、心の底から呻きを漏らした。


 畜生、ついてねぇ。大体、全部あのマルエル嬢が悪いんだ。あの男爵令嬢――本国で王侯貴族の子息争奪戦に敗れて追放された、あの娘が。


 誰も助けてくれないその背中が哀れでな。一人くらい付き添ってやるかと思ったのが運の尽き。……いや、違うな。心のどこかで思っちまったんだよ。もし俺の娘が生きてりゃ、ちょうどあんな年恰好だったんじゃないかってな。


 まあ、クソな性格だってのは前からわかっちゃいたが、本当にクソだ。ありゃ正真正銘のクソ令嬢だ。

 魔法の才とあの容姿がなけりゃ、そこいらの野グソに並べても遜色のない、ご立派なクソだぜ。

 あの綺麗な脚とすました顔立ちがなけりゃ、キング・オブ・クソ間違いなしだ。


 逃亡先のこの国で公爵令嬢に一目惚れしたとかで、


「マルエルは影から日向から♡♡♡ セレフィーナ様を応援していますわ。どうぞ怖がらず、ご自身の気持ちを解放して差し上げてくださいな? お胸のうちが、とおっても窮屈そうで――寛がせてあげなくては、はち切れてあふれ出してしまいますわ」


 とか言って、夢魔のアムレットを使ってこの国の公爵令嬢にその欲望を暴かせる、という頭のおかしいアプローチをかました時には、次はどこに逃げるかと逃走先を探したものだ。


 それがどうしたことか、うまい具合に事が転がり、マルエル嬢はその公爵令嬢の恋の立役者になった。話はわからねぇ。公爵令嬢の旦那さんがあれよあれよと南部を平定したため、マルエル嬢にも小さいながら所領が転がり込んだ。これで逃亡生活ともおさらば、って寸法よ。


 で、今日はその公爵令嬢の婚礼だ。所領の南部では王様を招いての結婚式を終え、今度は王都で公爵主催の婚礼の儀。マルエル嬢も招かれたってわけだ。


 どんなご馳走にありつけるかと楽しみにしてたら、あのマルエル嬢が言いやがった。


「――あら、あなたみたいな野卑で不細工な中年男を、セレフィーナ様の素晴らしい結婚式に連れて行くわけないじゃない。そうね……でも置いていくのも可哀想だし、こうするのはどうかしら?」


 その次の瞬間、俺は豚の姿に変えられた。前にも、絵を描くから四つん這いになれと言われ、背中に乗せてご機嫌を取っていたら、目の前の脚にキスした拍子に豚へと変えられた――あの時と同じだ。


「あらあら、やはり豚の姿がよく似合うわね、あなた。まあこの魔法、解く手立てもあるのだけど、あなたには無理かしら?」


 ちくしょうめ、と思っていたら、マルエル嬢はすまして俺の背に座り、


「ほら、さっさと行きますわよ」


 と言った。背中に乗った尻の柔らかさが妙に心地よくて、反論をやめたのは秘密だ。


 王都に着いて、厩舎で馬と並べて座らされ――それが昨日のこと。近くの馬どもにガン飛ばしながら寝転がっていると、「ブヒィ」と声がした。脇を見ると子豚が一匹、俺の脇で震えていやがる。外では「どこへ行きやがった!」「逃げ足が速いぞ!」と探す声。俺はその子豚に藁をかけてやった。


 ……なに、あの鳴き声、「おとうちゃん」って言われた気がしたんだ。


 ・

 ・

 ・


 朝の光が干し藁の隙間から差し込んでいた。鼻をつくのは獣の匂い、乾いた糞と青草が混じり合った馴染みのない臭気。目を開ければ、人間の姿に戻っている。裸のまま、藁にまみれて転がっていた。


 厩舎の係の若い男が口を半開きにし、指を震わせて俺を指差す。


「へ、変質者だあッ!! 全裸の男がっ!」


 悲鳴がこだました。馬たちが驚いて蹄を鳴らし、藁の山がざわつく。つかまったらマルエル嬢に大目玉だ。第一、婚姻の日に全裸でうろつく変質者なんざ、生かしちゃもらえねぇだろう。

 俺はとっさに脇に転がっていた子豚を抱き上げ、その小さな体が「ブヒィ」と震えるのを感じた。


 まったく、ついてねぇ。

 騎士見習いになった後も、後ろ盾のない俺は必死だった。必死でやってりゃ、自分で思うほどには見られなくても、誰かは見てくれているもんだ。

 だからよ、あの時――もしかしたら幸せになれるのかもって、ほんの一瞬思っちまったんだ。

 外れ枠とはいえ、聖女候補の護衛騎士を務められるくらいには成長できたのも、そのおかげだろうよ。


 裸足のまま、藁をまとった体で駆け出す。背後には「捕まえろ!」「城の中に変態が!」という怒号。追われ、しかも先回りされる。普通の奴ならすぐに御用だろうが、俺は違う。あの令嬢について幾度も追手を振り切ってきたこの俺だ。場数が違うんだ。


 花嫁のご実家、アークレイン公爵家は光魔法の宗家だ。背後から光の術が何本も飛んで来たが、光を自在に曲げられる上級者は多くないらしく、障害物の多い城内なら躱すのはそれほど難しくない――しかも式当日だ、派手な術はそうそう使えまいという読みもあった。

 木剣の一振りでもありゃ、あの程度の魔法は切り払ってやるんだが……全裸の身じゃ後の祭りだ。とはいえ流石に丸出しでは気が引ける。通りすがりに見つけた布切れを腰に巻き付け、そのまま駆け抜けた。


――大体、こっちに抜ければ……


 裏門が見えてきた。あの門を抜ければ外は森だ。こんな日に徹底して追ってくる連中がいるはずはねぇ。そう思って踏み出したとき――


 まったく、ついてねぇ。

 抜けようとしたところで、光魔法が俺の足を捕らえた。踏み込んだ足を突き刺され、力が抜けて前のめりに頭から転げ落ちる。


 裏門へと続く庭は開けていて、遮蔽物は何ひとつない。そこを狙われたらしい。


 畜生、あと一歩だったのによ。

 後ろからは「捕まえろ!」と叫ぶ声が迫る。万事休すだ。


 だが、子豚の方がツキがあったらしい。門はもうすぐそこで、そこを出られれば自由だ。胸に抱いていた子豚が腕の中でうごめき、身体をひねる。俺はそいつが逃げ出すものと安心した。


 ところが、子豚は逃げなかった。むしろ、倒れた俺の前にすくりと立ち上がり、追手と俺の間にちょこんと身を据えたのだ。


「いいから逃げろ……! 俺のことはどうでもいいんだ!」


 喉の奥から血を吐くように叫んだ。俺を守ろうとした奴は、みんな死んだ。俺を見捨てて逃げた奴だけが生き残った。――娘だって、そうだったかもしれねぇ。

 だからよ、俺を置いていけ。生きろ。それでいいんだ。頼む……。


 だが子豚は鼻をピクつかせるだけで、一歩も引かない。小さな背中を俺の方に向け、短い脚で踏ん張り、まるで俺を守ると言わんばかりに構えている。


 追手が迫る。

 その手が子豚に伸びかけた、その瞬間――追手たちが次々とばたりと崩れ落ちた。


 いや、これは倒れたんじゃない。眠っているのか?

 そう考えた矢先、泥のように眠り込む追手たちの後ろから、女の声が涼やかに響いた。


「あらあら、こんなところでお昼寝なんて。式の準備でよほどお忙しかったのね」


 声の方へ振り向くと、マルエル嬢が姿を現していた。陽光を背に受けたその佇まいは、まるで舞台の主役のように優雅だ。追手たちはおそらく、マルエル嬢の〈眠りの雲〉で眠らされたのだろう。

 彼女は俺を見て、ほんの一瞬だけ目を見張った。


「場内で全裸の中年男が駆け回っていると聞いて、まさかと思ったのだけれど……まあ、あなた、人間に戻っているじゃないの」


 声にわずかな驚きが混じる。

 その視線はすぐにマルエル嬢と俺の間に立ちふさがる子豚へと移った。


「あら、とてもかわいらしい子豚さんですこと。……なるほど、そういうわけね」


 そう言うと、マルエル嬢は力ある言葉を静かに口ずさんだ。

 次の瞬間、子豚は光に包まれていく。


 小さな鼻面がやわらぎ、光とともに肉体が変わってゆく。短い脚はすらりと伸び、白い布地が生まれ、やがて繊細なメイド服の姿を形づくった。

 生まれ変わった少女は、自分の腕や足を見つめてはきょろきょろと戸惑っている。


 マルエル嬢はわざとらしく肩をすくめ、優雅に告げた。


「参列にふさわしい従者がいないなんて、貴族としては恥ずかしいことだわ。――ちょうどいい。あなた、私についていらっしゃい」


 そして今度は俺の方に視線を向け、冷ややかに告げた。


「あなたは駄目ね。こんな大騒ぎを起こしたんだから、しばらくその姿で反省していなさい」


 言葉とともに、俺の身体は再びずしりと重くなり、巨豚の姿へと引き戻された。蹄が石畳を叩き、薔薇細工のような魔法の光が腰を縁取る。


 一方の少女――元子豚の彼女は、まだ自分のスカートの裾を持ち上げ、まじまじと確かめていた。


「え、えっと……わ、わたしが……ご主人様の、め、めいど……?」


 顔を赤らめながらも、ちらりと俺を見て、慌ててぺこりとお辞儀をする。その初々しさが、かえって屈辱を際立たせた。


 マルエル嬢は上機嫌に扇子をひらひらと振り、巨豚となった俺の背に腰を下ろす。


「あら、もう言葉が話せるのね。ぶひぶひとしか言えない誰かさんと違って、優秀だわ。さあ、これで恥をかかずに済むわね。セレフィーナ様の結婚式に、立派な従者を連れて行けるもの」


 俺は「ブヒッ」と抗議の声を上げた。だがマルエル嬢の冷たい笑みと、戸惑いながらも俺を庇うように立つメイドの少女――その両方に押し黙らざるを得なかった。


 やがて、追手の数人がうめき声をあげて目を覚ます。その視線の先に立っていたのは、絢爛な衣装をまとったマルエル嬢だ。


「あらあら、まあ……」

 彼女は扇子を口もとに当て、小首を傾げる。


「裸の男と子豚? まあ、なんて恐ろしいこと。けれど――わたくし、そんなものは見かけませんでしたわ」


 追手たちは顔を見合わせ、眠気の残る目をこすりながらうなずき合う。マルエル嬢はさらに続けた。


「それより、厩舎からわたくしの豚が出てしまったようですの。――あの子を戻しておいてくださらない? わたくし、このあと結婚式に参列しなければなりませんもの」


 その視線がすっと巨豚の俺に注がれる。再び魔法をかけられ巨大な豚に戻った俺は、無理やり上品な鞍飾りをまとわされていた。

 一方、元子豚の少女はまだメイド服の裾をぎこちなく握りしめ、戸惑いの面持ちで立っている。


 追手たちは頭を下げ、「は、はい、お客様」と口を揃えた。疑念はあるはずなのに、誰も彼女に逆らおうとしない。その圧と威光は、眠りの魔法よりなお強力に働いていた。


 こうして俺は「ただの豚」として預けられ、子豚は「従者」として連れられていく。

 胸の奥でブヒッと情けない声を噛み殺しながら、俺は改めて思った――やっぱり、この女は正真正銘のクソ令嬢だ。


 ・

 ・

 ・


 巨大な豚が引かれていくのを見送ったあと、マルエル嬢はメイド姿の少女に声をかけた。


「では私たちは、この世で一番尊くて美しい……セレフィーナ様の花嫁姿を見に行くといたしましょう」


 言葉の端々に、崇拝にも似た熱がにじむ。けれどすぐに、彼女はいつもの調子に戻って、扇をパチンと鳴らし、にやりと笑った。


「そうそう、あなた――あの男を選ぶなんて、なかなか見どころがありますわね」


 そして含みを持たせるように、楽しげに告げる。


「あの変化の術の解呪条件は――愛のこもった口づけなのですのよ」

―――――――――――

 あとがき。


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 もし少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、★★★★★の評価や作品のブックマークをしていただけると嬉しいです。


 今回の第29話をもって、セレフィーナ嬢とロジオンの物語はひとまずの区切りとなります。

 現在ノクターンノベルズで連載中の


 【はらはむ】聖女を孕ませ、勇者で孕む。フタナリ王女の魔王復活

 https://novel18.syosetu.com/n4494jp/


 の第12章では、時間を巻き戻して、セレフィーナ嬢が魔王国に人質として送られた頃の出来事を、ロジオンの視点で描く予定です。

 もうしばらくお待ちいただければ幸いです。


 今回の物語は、ううまずらはきさんの『巨豚に騎乗する貴族令嬢』に大きな刺激を受けて書き始めたものです。

 この場を借りて、ううまずらはきさんに心よりの感謝を申し上げます✨


 それでは皆さま、また【はらはむ】聖女を孕ませ、勇者で孕む。フタナリ王女の魔王復活 にてお会いしましょう!


2025年9月23日

――恋愛小説家を名乗ろうか、ちょっとだけ思ってる 門東青史

―――――――――――

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