ヤパーナーの深い闇
アンシャルはヤパーナー自治区に戻ってきた。
ずいぶんと時間を無駄にしてしまった。
アオイはどうしているだろう?
「ここは……ヤパーナー自治区か。アオイはどこにいる?」
「ほほほ……アオイさんなら墓地の地下にいますわ……」
ローデが答えた。
まだ息があったらしい。
「何だと?」
「アオイさんは闇に呑まれたのです。ヤパーナーの本質は闇にあるのですから……」
「彼女は私の光を見ていた。彼女は救出できる」
「愚かな……もはや、無駄な悪あがきにすぎませんのに……フフフ……フッフフフフ……」
アオイは光の力を持っていた。
彼女に光が宿っている限り、希望はある。
ローデは勝利を確信しているかのような顔で死んだ。
「……アオイ、待っていろ。この私が必ず君を救い出す!」
アンシャルの瞳には決意が宿っていた。
墓地の一角に大きな穴があった。
ここから地下へと行けそうだ。
アンシャルはそれを確認すると、階段を下りて行った。
地下はかがり火が焚いてあった。
火が周囲を明るく照らしていた。
闇が周囲を支配している。
アンシャルは地下へと続く階段を下りていくごとに、闇が深まるのを感じた。
「ここは一体どこに通じているんだ?」
アンシャルは広く広大な空間に出くわした。
その中でもかがり火が焚いてあった。
「クークククク! ようこそ、破滅のショーの舞台へ!」
「誰だ?」
アンシャルの前に姿を現したのは小柄な老人だった。
「クーククククク、わしは長老じゃ。ヤパーナーの真の主じゃよ」
「アオイはどこにいる?」
「クーククク、心配はいらんわい。彼女は丁重に預かっているとも」
「わからないな。おまえたちは何がしたいんだ?」
「わしらは死の母に仕えておる。死の太母イザナミ様にな」
「イザナミだと?」
「そうとも。ヤパーナーであれば誰しもイザナミ様の影響下にある。イザナミ様は我らの母じゃ」
「……その母がアオイを支配しているのか?」
「その通り。我らの目的はイザナミ様の支配する世を作ること。イザナミ様は偉大な女神じゃ。父なる神などけがらわしい! 神は母であるべきじゃ! 母なる神がこの世を統べるのよ! これは神々の闘争なのじゃ!」
長老は恍惚とした表情で語った。
自己陶酔の色がある。
長老は自分の話していることに酔いしれているらしい。
アンシャルはこれを父なる神と母なる神の戦いだと解した。
どうやらこの戦いは宗教的な闘争でもあるらしい。
人間の極限には宗教がある。
宗教を持たない人間はいない。
シベリア人は父なる神を持つ。
それに対して、ヤパーナーは母なる神を持つ。
アンシャルはヤパーナーの神話について知っていた。
それによれば、イザナミは出産の際のやけどで命を落とし、死の神になったという。
母は命を生み出すが、同時にそれを喰らい死へと至らしめる側面も併せ持つ。
ヤパーナーの無意識はこのイザナミの支配下にある。
アンシャルは思うのだ。
人は母のもとにとどまり続けることはできない。
いかなる形にせよ、母から分離、独立しなければならない。
母からの分離を促すのは父だ。
父親の役割とは母親から子供を引き離すことにある。
それこそ、正常な発達段階だとアンシャルは考える。
母親との固着は正常ではない。
そのため、母は死なねばならない。
人間の精神的発達は父のもとで成就する。
ゆえに人間は父権制を作ってきた。
イザナミのやろうとしていることは時代錯誤だ。
「おまえたちがやろうとしていることはよくわかった。それが、どんなに愚かであるかもな」
「きさま! 我らを侮辱するつもりか!」
「ああ、そうさ。私はおまえたちの在り方を否定する。神は父だ。母ではない。真理は父なる神と共に在る」
長老は激高した。
今にもアンシャルに跳びかかりそうなくらいだ。
「私たちはイザナミが何を考えていようと、その意図は叩き潰す。我々はマザコンではないのだから」
これはヤパーナーをマザコンだと言っているようなものだった。
長老は激怒した。
「きさまー! 我らを侮辱しおって! アオイよ! この男を叩き斬ってしまえい!」
炎が灯火された。
アオイの姿が現れる。
「アオイ……」
アンシャルは一目でアオイが正常でないと看破した。
アオイは洗脳されている。
それだけではない。
アオイは何かに憑りつかれている。
「アオイ、今助ける」
「フン! アオイ! この男を殺せ! それこそおまえの本来の任務だ!」
「つまり、アオイはこの私を殺害するために近づいたというわけか?」
「その通りよ!」
「だが、彼女の気持ちは本物だ。彼女が私を愛している限り、救いの可能性はある」
「フン! しょせんは無駄な悪あがきよ! 死ねい!」
アオイが刀・月華を抜いた。
アオイの目には生気がない。
アンシャルは光明剣を出した。
「アオイ、おまえの全力を、私にぶつけてみろ!」
アオイが刀で振りかぶった。
アンシャルはそれを受け止める。
長剣と刀がぶつかる音が地下に響いた。
アオイが刀でアンシャルに斬りつけてくる。
アンシャルはそれをすべて受け流す。
アンシャルとアオイには明確な技量差がある。
長老はアンシャルはアオイに手出しできないと考えているのだろう。
だが、それは誤りだ。
「アオイ……私は君を愛している。だからこそ、必ず助け出す!」
「アンシャル、さん……い、嫌、来ないでください!」
「アオイ!」
アオイが月光斬を出した。
光の力をアオイは使える。
これは希望だった。
「アオイ! 闇に身をゆだねるな! 光を信じろ!」
「アンシャルさん……アンシャルさん!」
「はあああああああ!!」
アンシャルはアオイに光の剣で斬りつけた。
「ああああああああああ!?」
影がアオイから分離する。
それをアンシャルは逃さなかった。
「終わりだ!」
アンシャルは銀光剣で影を斬った。
影はアオイから消えた。
「アンシャルさん……」
そこには正常に戻ったアオイがいた。
「アオイ……無事でよかった」
アンシャルはアオイを抱きしめる。
アオイがアンシャルに抱きついてくる。
「アンシャルさん! アンシャルさん!」
「いいんだ。もう終わったんだよ」
「バカな……闇の洗脳が解けただと!?」
「さて、アオイを操り人形にしてくれたことの礼をしなくてはな」
アンシャルが剣を長老に向ける。
「クククク……イザナミ様! 今、あなた様のところにまいりまする!」
そう言うと長老は液体を飲んだ。
それは毒だった。
アンシャルはそれに気づいた。
「ぐ、フッ……」
長老はそのまま倒れた。
アンシャルは何の感慨も抱かなかった。
「アンシャルさん、ごめんなさい……私は長老から密命を受けていました……それはあなたを殺すことでした」
「アオイはどうしてそうしなかったんだ?」
「それは……」
「いつでもチャンスはあっただろう?」
「だって、私はアンシャルさんを愛していたから……」
「なら、それでいい。アオイがもし呪われているなら、私もいっしょに呪われよう。なぜなら、私はアオイを愛しているのだから……」
「アンシャルさん……私もあなたを愛してます」
「アオイ……」
アンシャルはアオイにキスをした。
ただ互いの気持ちを確かめ合った。
互いに愛し合っている……それだけが真実なのだから。
鬼道という宗教をヤパーナーが持っていたことはスキャンダルだった。
ツヴェーデン政府はヤパーナー自治区の自治権を取り上げた。
ツヴェーデン政府は事態を重く見て、鬼道を信仰している者を国外追放に処すと脅した。




