サーシャ
セリオンは聖堂の外に出た。
すると外にディオドラがいた。
「おや? 母さん?」
「あら、セリオン?」
ディオドラは花束を持っていた。
今日は何かあっただろうか?
「どうしたんだい? 花束なんか持って?」
「今日はサーシャ(Sascha)ちゃんの命日でしょ?」
「サーシャの? そういえばそうだったな……忘れていたよ」
「セリオンは忙しいから……どうしたの? 仕事は?」
「ああ、ある事件があってね。夜に動くことになった。これから寮に戻るつもりさ」
「そう……私はこれからサーシャちゃんのお墓参りに行こうと思っていたの」
「俺も行っていいか?」
「ええ、いいけど……」
サーシャ――フルネームはアレクサンドラ・ヴァシーリエヴナ・プラトーノヴァ
(Aleksandra Vasilievna Platonova)はセリオンにとって特別な人だった。
セリオンの女性の好みは大人っぽい人である。
セリオンは当時10歳で、サーシャは20歳だった。
これはセリオンの初恋だった。
セリオンはサーシャを愛していた。
しかし、10歳も年のひらきがあったし、そもそも当時サーシャは苦笑していたように思える。
セリオンの想いはバレバレだっただろう。
サーシャはセリオンの良き『お姉さん』だった。
エスカローネはそうしてセリオンの好みを知った。
当時はエスカローネもサーシャをしたっていた。
サーシャは良き姉だった。
それはセリオンにとって良き思い出だ。
そう……今となっては……。
サーシャの死によって思い出となってしまった。
「母さん、その花束は俺が持つよ」
「そう? ありがとう」
セリオンはディオドラからはんば奪うように花束を取った。
そして二人はシュヴェリーンの共同墓地へと向かった。
墓地にセリオンがやってくるのは久しぶりだった。
このところいそがしくて、なかなか来ることができなかった。
墓はシベリウス教では十字に円を取りつけた『アンク』というシンボルを使っている。
サーシャの墓も型どおりだ。
サーシャの死はセリオンに心の傷を残した。
サーシャの死は不明なところがあった。
サーシャの体の魂が抜き取られていたらしい。
セリオンはサーシャの詳しい死の真相は知らない。
当時のセリオンはそれだけの理解力がなかったし、サーシャの魂が天国に行けるよう願ったものだ。
セリオンとディオドラは墓の前にたたずむ。
セリオンは花束を墓に置いた。
「なあ、母さん……?」
「何、セリオン?」
「サーシャはどうして死んだんだい?」
「それは……」
ディオドラは言葉を詰まらせる。
「今の俺なら当時のことをもっと知ってもいいと思う」
ディオドラは意を決したように話し出した。
「サーシャちゃんは魂を抜き取られたみたいなの……」
「魂を抜き取られた?」
セリオンは既視感を覚える。
それはセリオンが今追っている事件そのものだったからだ。
どういうことだ?
今回の事件も、サーシャと何かつながりがあるのか?
その時、雨が降ってきた。
「母さん、雨だ。そろそろ帰ろう」
「そうね。フフッ、サーシャちゃんもセリオンが来てくれて喜んでいるんじゃないかしら?」
「そうだといいがな……」
セリオンとディオドラはそうして墓地を後にした。
雨が強く降ってきた。
人々は傘をさして道を通っていく。
人々は雨宿りするところを探している。
彼女は雨に打たれていた。
彼女は特別誰かを恨むということはない。
彼女はただ、命令に従っているだけだ。
彼女の胸の内は虚無だった。
何もない。
熱い想いも、暗い情念も……。
そう、何もないのだ。
表情は仮面で見えない。
主によってその仮面をつけるように言われている。
彼女は主に逆らうなど、考えられない。
今日も彼女は獲物を見つけた。
すべては彼女の主の望みのままに。
彼女は道具でしかない。
結局は優秀か、無能かでしか測られることはない。
そもそも主にとって彼女は使い捨てのコマなのだ。
彼女の仮面も彼女の心情を抑え込んでいた。
本来なら彼女は豊かな感情があった。
神を、人を愛し、そして世界そのものを肯定できる愛が、彼女にはあったのだ。
今の彼女はただの操り人形だ。
彼女の行動もすべては主のためだ。
彼女は雨の中、鎌を構えて前を歩く少女たちに近づく。
少女たちは彼女に気づいていない。
彼女は鎌を振るう。
すると少女の一人が雨の中地面に倒れた。
「「キャアアアアアアア!?」」
ほかの二人が悲鳴を上げる。
しかし、もうすでに遅かった。
彼女は二人の少女に鎌で斬りつける。
鎌はまるですり抜けるように少女たちの体を通過し、魂を奪った。
あっという間のできごとだった。
この鎌の名は『幽冥の鎌』という。
「フッフッフ……さすがだな」
大雨の中に一人の禿頭の男が現れた。
男は黒いマントの上からもわかるほど筋肉質であることが分かる。
目は赤く光っていた。
男はまるで出来のいい兵器に対するよう彼女に接した。
彼女はしゃべらない。
そもそもしゃべるようにできていないのだ。
「さて、青き狼はどう動く? 我々が犯行を重ねれば、青き狼は動くであろう。青き狼の心には傷がある。大切なものを守れなかった傷だ。フフフ……感動の再会の時、青き狼はどう出る? そうは思わないかね、エレシュキガル(Ereschkigal)よ? ククククク……フハハハハ! ファーハハハハハハハ!」
男の哄笑が道路に反発していた。
彼女の仮面の下はわからなかった。
が、もっとも無表情であったに違いない。
彼女はマスターの奴隷なのだから……。
こうして、セリオンを狙った陰謀が仕組まれていった。