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ヤパーナー自治区

アンシャルは聖堂の前でディオドラと待ち合わせをしていた。

アンシャルの方が先についたらしい。

日差しは暖かだった。

ツヴェーデンの気候は温暖化しつつある。

昔はツヴェーデンは寒冷な土地で、森が広がっていたため農業には向いていない土地が多かった。

ツヴェーデンは中世以降、土地が開墾され、農業がおこなわれるようになった。

中世の君主の趣味は狩猟であった。

アンシャルはヤパーナー自治区を訪れる前に、ヤパーナーの歴史を調べていた。

ヤパーナーとは『ディアスポラの民』である。

ディアスポラとは『離散』という意味だ。

ヤパーナーは祖国を滅ぼされて以来、全世界各地に散っていった。

アンシャルはヤパーナーの歴史を調べようとしたが、完全にはできなかった。

それはヤパーナーがあまりに各地に離散していて、全体的な歴史を調べることができなかったからだ。

せめて調べることができたのはエウロピア大陸とガスコーニャ大陸のヤパーナーに関してであった。

エウロピア大陸ではシベリウス教が普遍的に広がった。

その結果、ヤパーナーは宗教的に『特殊』な地位に落とされた。

中世はシベリウス教が『普遍的』な時代である。

多神教を信じ、頑迷に改宗を拒むヤパーナーは『特殊』に甘んずるしかなかった。

ヤパーナーの頑迷さは有名だった。

とはいえ、ヤパーナーは全体としては少数だったため、あまり政治的な問題にはならなかった。

そして近代を迎え、宗教が相対化された。

ヤパーナーの冬の時代も終わりを告げた。

ツヴェーデンでは自治権を与えられ、ヤパーナーはその自治区の内部で暮らしていた。

この自治区は政治的に軍事、外交などをのぞき自治が行われていた。

ただし、死刑だけはツヴェーデン政府の許可を必要とした。

ヤパーナーの宗教分布は、多神教徒70%、シベリウス教徒30%である。

シベリウス教徒が年々増加しつつある。

シベリウス教徒は水面下で嫌がらせや弾圧を受けていた。

例えば、家族としての縁を切るとか、学校に通わせないとか何らかの圧力を受けていた。

これが政治問題化した。

ツヴェーデン政府はヤパーナー自治区にシベリウス教徒の権利と保護を求めた。

これに対して、自治政府は一応穏便な対応をした。

『善処する』と回答した。

だが、これは一時的な処置でしかなく、彼らの本音はシベリウス教の弾圧にある。

ヤパーナーはシベリア人と違って言語的には同化されつつあった。

ツヴェーデン語を話すヤパーナーは名前や文化での同化だけは免れた。

もはや彼らの伝統さえもエウロピア化された。

ヤパーナーは伝統的に子弟の教育に力を注いできた。

そのため、高学歴なものが多かった。

教育こそ、彼らが突出した分野であった。

それに対して、ガスコーニャ大陸ではヤパーナーは悲惨な運命をたどった。

ガスコーニャ大陸の代表国家はガスパル帝国だが、この国家はヤパーナーを『異物』と見なして情け容赦なく弾圧した。

ヤパーナーという理由で処刑されたことさえある。

ガスパル帝国は東洋的専制君主の国である。

この国では皇帝の考えがすべてに優越する。

国民はすべて臣民と見なされている。

このような国ではヤパーナーには居場所がなかった。

歴代皇帝によるヤパーナーを絶滅させるためのジェノサイドが頻発した。

そのため、ヤパーナーはガスコーニャ大陸ではほとんど消滅してしまった。

コミュニティーを維持できなかったからである。

「兄さん、お待たせ。待たせたかしら?」

アンシャルが考えていると、そこにディオドラがやって来た。

ディオドラはほほえみかける。

「いや、たいして待っていない。悪かったな、私一人では角が立つと思ってね。おまえにわざわざ来てもらった」

アンシャルとディオドラの関係は良好そのものだ。

二人は兄と妹だが、はたから見たら恋人同士にも見えるかもしれない。

「私は別にかまわないわ。ヤパーナーの兄弟姉妹のためですもの。これくらいどうってことはないわ」

シベリウス教では同じ信徒を兄弟姉妹と見なす考えがある。

ディオドラがヤパーナー自治区行きに積極的なのも、同じ兄弟姉妹と思ってのことだ。

「フフッ、ディオドラがテンペルの外に出たら糧食部は回るのか?」

「あら? 兄さんが心配しなくてもそれは大丈夫よ。日々のルーチンをこなすだけなら、私がいなくても支障がないわ」

「おまえと外出するのは久しぶりだな」

「そうね。兄さんと外出するなんて何年ぶりかしらね?」

「セリオンやエスカローネが小さかったころを思い浮かべるな」

「確かにそうかもしれないわ。兄さんは幼かった二人を連れていろいろと連れてってくれたわね。懐かしいわ」

アンシャルはセリオンとエスカローネにとって父親も同然である。

アンシャルは良き父であろうとした。

彼は子供たちを父性で育てた。

シベリア人の伝統を教え、善悪や倫理を教えた。

だが、一番大きな影響は外出だったかもしれない。

「では、さっそくヤパーナー自治区へと行こう。自治区は新市街地にあるようだ」

「ええ、行きましょう」

二人はヤパーナー自治区に向かって歩み出した。



ヤパーナー自治区は森に囲まれた一角だった。

ヤパーナーは緑を愛する民だという。

そんなせいか、花がきれいに咲いていた。

ヤパーナー自治区には検問がある。

自治区は柵で全周囲を囲まれていた。

これは彼らの心理を反映している。

基本的に周囲との交流を拒否したメンタリティーだ。

全周囲の柵は防御には適していても、交流には不向きだからだ。

ヤパーナーは積極的な交流より、接触の拒否を選んだのだ。

ここは通称『ゲットー』と呼ばれている。

ここに国民性が反映されている。

ヤパーナー自治区は許可された人しか入ることができない。

アンシャルとディオドラはテンペルの代表として自治区入りを許可された。

ヤパーナーの民族的特質は黒髪、黒目である。

二人は物々しい検問を無事に通過できた。

「ふう……なんだか落ち着かないな」

「兄さんも? 私もそう。なんだか、拒絶されているような感じがするわね」

二人はこれも異文化コミュニケーションだと割り切ってやり過ごした。

彼らは自治区への出入りを許可されたが、どこかいづらさを感じていた。

特に検問の衛兵の目が異物を見るような目だった。

ここではヤパーナーの法が支配するのだ。

彼らは自治政府の建物を目指した。

小川が流れて橋が架かっていた。

そんな時、二人は小さな少女が泣いているのを発見した。

「うわあああああん!」

「どうしたの?」

ディオドラがすぐさま話しかける。

ディオドラはかがんで少女に目線を合わせた。

「ひく……お母さんとはぐれたの……」

「そうそれは大変ね。どんな人?」

「緑のスカートをはいているの」

「緑のスカート……」

「困ったな……どうする? 検問に戻って調べてもらうか?」

アンシャルたちはこの自治区を詳しく知らない。

緑のスカートをはいているだけでは、情報としては不確定過ぎた。

「あら? ジュリちゃん?」

「アオイお姉ちゃん!」

そこに一人の女性がやって来た。

年齢は20代だろうか。

髪は黒でセミロング。

服は白いシャツに、紺のミニスカート。

「ジュリちゃん、どうしたの?」

「ぐすん! お母さんとはぐれたの」

「そう……ならお姉ちゃんが家まで送ろうか?」

「いいの?」

「もちろん!」

「この子の知り合いですか?」

ディオドラが女性に尋ねる。

「まあ、そんなところですね。お二人はツヴェーデン人ですか?」

「いや、私たちはシベリア人だ。ツヴェーデン人ではないよ」

アンシャルが割りこんだ。

「シベリア人……」

女性は何か含むところがあるのか思案したようだった。

シベリア人では何かまずいだろうか?

アンシャルは女性の顔をじっと見つめた。

「私たちは自治政府に用があってね。それで自治区を訪れたんだ。その途中にこの子が泣いているのを発見したんだよ」

アンシャルが事情を説明した。

女性は納得したようだった。

「そうですか。この子は私が責任をもって親御さんに送り届けますので」

「わかった。この子を頼む」

「お願いしますね」

アンシャルとディオドラは女性にジュリちゃんを預けた。

「それでは、失礼します」

女性はぺこりとおじぎした。

ヤパーナーは礼儀正しいと聞いていたが、この女性もそうらしい。

「それじゃ、ジュリちゃん、お姉ちゃんと行こうか」

「うん!」

アンシャルたちは二人を見送った。

二人は人ごみの中に消えていった。

「うふふ……」

「どうした?」

ディオドラが笑顔を浮かべていた。

何か含むところがあるのだろうか?

「セリオンもエスカローネちゃんも小さいときはこんな風にはぐれた時があったと思ったの」

「ああ、確かに」

「あの子、ちゃんとご両親と会えるといいわね」

「そうだな」

アンシャルたちは再び歩き出した。

この時は再び再会するとは夢にも思わなかった。

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