ラビュリントス
ベッカー司令はなかなか成果を上げない『持久戦法』にいら立っていた。
テンペルはひっそりとしている。
まるでベッカーの作戦など効き目はないと言っているかのようであった。
テンペルでは散発的な交戦はあったがいずれも、退散している。
ベッカーの作戦は思ったほど効果を上げていない。
当然だ。
この策は効果を表すまでに時間がかかる。
もっともこの策はベッカーの発案だったが……。
「どうだ? テンペルに動きはあったか?」
ベッカーが忌々し気に副官に尋ねる。
副官は少しためらって答えた。
この副官は今でも『持久戦法』の効果を疑問視している。
ベッカーにはそれが分かった。
「司令……いえ、今のところは……」
「そうか……」
すぐに効果が現れることを重視するならこんなことはしない。
『持久戦法』の効果が発揮されるのはこれからだ。
時間だ。
時間を味方につけるのだ。
ベッカーはセリオンが魔女のもとに行ったことを知らない。
「しかし、司令……この戦法における現場兵士たちのストレスは最悪です……」
副官は言外に作戦を変えることを言っているのだ。
ベッカーにはそれが伝わった。
「……君は何を言いたいのかね?」
ベッカーは不機嫌になった。
なぜこの作戦のすばらしさが分からないのか。
なぜこの作戦に疑問を持つのか。
なぜだ?
副官はベッカーのそんな内面を見透かすように言った。
「ベッカー司令! 今でも遅くありません! 積極戦法に転換すべきです!
兵士たちのストレスは限界です! このままでは反乱が起きる恐れも……!」
副官は真剣に訴えた。
おそらくこの副官がここまで強く司令官に迫ったのは初めてではないだろうか。
この副官は義務に駆られてこう進言しているのだ。
しかし、彼の訴えはベッカーには理解できなかった。
いや、理解するつもりなどなかったのかもしれない。
ベッカーは戦略・戦術の理論には詳しかったが、実戦の経験は不足していた。
理論がどんなに正しくても、自分たちにそれが可能かとは考えなかったのだ。
ベッカーはなまじ頭が切れた。
そのため、論理的に考え、合理的であることを重視した。
それ自体は欠点というより、ベッカーの長所である。
だからこそ理論的に正しいことこそが取るべき道だと考えていた。
「いいかね? 我々はテンペルに勝てない。勝てるなら、こんな策はとらない。積極戦法に切り替えればこちらはすさまじい犠牲を出すだろう。この私は慈悲深いのだ。わかっているのかね? 私は味方の犠牲を危惧しているのだ」
それがベッカーの主張であった。
確かに、この作戦はテンペルにとって嫌な作戦だった。
この策はテンペルに静かに打撃を与えつつあったのだ。
しかし、同時にチェックメイトを打たれていることにベッカーは気づかなかった。
セリオンがアルテミドラの暗殺に向かったのだ。
これは致命的ミスであった。
それだけではない。
この策はツヴェーデン人の国民性に反するものであった。
ツヴェーデン人は勇敢で、積極的に、果敢に攻めるのを得意とする。
それこそがツヴェーデン人がエウロピア大陸の覇権を握った理由であり、原動力でもあった。
ツヴェーデンの首都シュヴェリーンは国際都市であった。
それは世界からありとあらゆるものがやってくる。
それはツヴェーデン人の自意識を刺激した。
自分たちが覇権を築いているということを自覚させた。
そんな世界に住んでいるツヴェーデン人という民族に、持久戦法ほど屈辱的なものはなかった。
ベッカーは自分たちの強みを理解できなかったのだ。
そして、この致命的失策は効果を表すよりも先に、中止された。
それは……。
突然、兵士たちが頭を押さえて道路上に倒れた。
「いったい、何事だ!?」
ベッカーが叫ぶ。
その声には明らかに動揺があった。
「わかりません! なぜだか……かああああああ!?」
「ぐおあああああああああ!?」
ベッカーも副官も頭を押さえて倒れた。
その様子を、アンシャルたちが見ていた。
「ツヴェーデン軍で異変が起こっているようです! これはいったい!?」
聖堂騎士が報告してくる。
「おそらく、魔女からの洗脳が解けたのであろう。つまり、セリオンがアルテミドラを倒したというわけだ」
アンシャルは冷静に分析した。
ツヴェーデン兵はアルテミドラの魔法で操られていた。
それが解けたのであろう。
ツヴェーデン兵士たちは次々と地面に倒れていく。
スルトが宣言した。
「戦友諸君! 私たちの英雄がやってくれた! 私たちの勝利だ!」
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
テンペルの戦士たちの声が天高くこだました。
セリオンはテンペルに帰還した。
セリオンが聖堂にやってくると深刻な顔をしたディオドラがいた。
その隣にはアンシャルがいた。
「アンシャル……俺はアルテミドラを倒した。もっとも偽物だったが……」
ディオドラは浮かない表情をしていた。
セリオンは何か悪いことが起きたと悟った。
「セリオン……エスカローネちゃんが……」
「エスカローネがどうかしたのか?」
「エスカローネはさらわれた」
「なっ!?」
セリオンは絶句した。
なぜエスカローネがさらわれなければならないのか。
セリオンはエスカローネの笑顔を楽しみにしていたのだ。
「セリオン……エスカローネちゃんをさらったのは赤い魔女よ。彼女は本物のアルテミドラだった……私はすべてを見ていたの」
ディオドラが言っているのは真実だ。
セリオンは胸が痛んだ。
「そういうことか。アルテミドラは『ゲートは開けておく』と言っていた。つまり、あれか」
セリオンの前には鏡のようなゲートがあった。
あれがアルテミドラが言っていたことなのだろう。
用意のいいことだ。
おそらく、アルテミドラは聖堂に現れた。
そこにいたエスカローネを偶然捕らえたのだろう。
「行くのか?」
「ああ。俺は魔女から招かれている。それにエスカローネを助け出すという目的もできた」
セリオンの瞳には意思が宿っていた。
エスカローネを何としてでも助け出す。
そして魔女を打ち倒す。
そんな意思が。
「セリオン……気をつけて……」
「ああ、わかっている。それじゃあ、行ってくる」
セリオンは父と母に向かって告げた。
これはセリオンの決意だ。
セリオンはゲートをくぐった。
玉座にアルテミドラは腰を下ろしていた。
アルテミドラはセリオンがラビュリントスに入ってきたことを知覚した。
悩まし気な笑みをエスカローネに向ける。
「フフフ……青き狼がやって来たようだぞ? おまえを助けにな?」
アルテミドラは床の上にいるエスカローネに目を向けた。
エスカローネは黒い縄で縛られていた。
エスカローネがきりっとした目を向ける。
エスカローネはセリオンが自分を助けに来てくれることが、申しわけなかった。
自分も戦士だ。
それなのにただ無力に床に横たわれている。
「セリオンはあなたを倒すわ」
エスカローネにとってそれは真実。
アルテミドラはそれさえも快感に思えるらしい。
アルテミドラが残酷な笑みを浮かべた。
「フフフ……青き狼がここまで来れればの話しだがな……さて、テンペルには私の趣向を凝らしてやろう。トーデス・マシーネ(Todesmaschine)!」
アルテミドラが赤い魔力を解放した。
テンペルで異変が起こった。
空中から、小型のゴーレムが襲いかかってきたのだ。
ゴーレムはツヴェーデンの魔法科学と、テクノロジーが結び合わさっていた。
空中から侵入されたのではテンペルの騎士たちでも防ぎようがない。
「テンペル全域に、ゴーレムと思われる敵が侵入しました!」
シエルがオペレーターとして悲鳴のような声を上げる。
「各地域でテンペルの戦士たちが交戦中です!」
一方、ノエルはおっとりとした声だ。
シエルとノエルはオペレーターを務めていた。
この部屋は司令室。
テンペルの頭脳である。
その部屋には甲冑をまとったスルトもいた。
スルトはアンシャルとサラゴンに通信をつながせた。
「アンシャル、サラゴン、聞こえるか?」
「何だ?」
「何でしょう?」
「優先して非戦闘員を守れ! ゴーレムをそちらに近づけるな!」
「わかった!」
「わかりました!」
聖堂騎士もヴァルキューレ隊も必死になってゴーレムと戦った。
ゴーレムはあまり知能はないらしい。
ただし、両手に筒状のレーザーガンを装備していた。
アンシャルは主に司令部を守り、サラゴンは地下シェルターを守った。
戦況は混戦と化した。
空中から侵入してくるゴーレムには騎士たちも苦戦した。
誰もがセリオンのことを考えた。
この事態をどうにかできるのはセリオンだけだ。
すべての希望はセリオンに託された。




