ベッカー
ベッカー(Bäcker)が新しいテンペル攻撃司令官に就いた。
ベッカーも前二者の哀れな末路を知って、保身に走った。
ベッカーはマイヤーやパウルスとは違い、テンペルを包囲、封鎖することにした。
ベッカーはテンペルを直接攻略することは、できたとしても兵力の犠牲が大きすぎる考えた。
そこで彼は敵の補給を絶ち、ライフラインを寸断し、飢餓地獄に追い込むことで、籠城戦をすることにした。
敵の兵糧を断つのは兵法の常道である。
テンペルとしては直接、攻撃に訴えてくれて方がうれしいのだから。
しかし、一見合理的に見えるこの作戦にも、ベッカーをいら立たせる要素があった。
それはツヴェーデン兵の不評だった。
兵士たちは口々にベッカーの作戦への不満を口にした。
それどころか、兵士たちは自らの代表を送ってきて、副官に作戦の撤回を司令官に説いてもらいたいと訴えた。
「司令……このような作戦は栄光ある我がツヴェーデン軍にふさわしくありません……私たちは積極的な戦い方を好みます……兵士たちも作戦の撤回を口々に主張しています……どうでしょう? 考え直してくれませんか?」
副官がベッカーに意見具申する。
ベッカーは副官をギロリとにらみつけた。
ベッカーは己の作戦が不評なことにいら立っていた。
ツヴェーデン軍の方が戦力では大きい。
それは数の有利を生かせるということ。
つまり、交代制でテンペルを包囲できるのだ。
これは兵士たちの負担を和らげることにつながる。
これに対して、テンペルは兵力が少ない分、交代も難しく、負傷兵や戦死者は致命的になる。
ベッカーは重いため息をついた。
これはわざとだった。
ベッカーは無知蒙昧な副官にわざわざ説明してやらねばならなかった。
「テンペルの軍事力はあまりに強力すぎる。彼らとまともに戦えば、我が方の犠牲はあまりにすさまじいものとなるだろう。特にテンペルにはあのセリオン・シベルスクがいる。奴には軽々しく手を出すことはできん。持久戦こそ、我らがとる最良な戦術なのだ!」
ベッカーはそう言い切った。
もっともベッカーからすれば、積極戦法にでて兵力に犠牲が出ようものなら自分がアルテミドラに処刑されることはわかっている。
このような持久戦という、『消極的な』作戦を執るのはそのような理由があった。
ようはベッカーも己の保身を優先したのである。
ベッカーはまだ死にたくはないのだ。
マイヤーやパウルスのような結末はごめんだった。
わざわざ、危ない橋を渡ることもあるまい。
だが、副官はなおも訴える。
「し、しかし……一部の兵が司令を軽蔑しています。司令は優柔不断だと……司令はあまりに慎重すぎるのではありませんか?」
実際、部下の兵士たちはベッカーの作戦に批判的だった。
ベッカーは『グズ』、『ノロマ』などと陰口を兵士たちから叩かれていた。
ツヴェーデン軍は積極的な軍事作戦でツヴェーディシュ・ラントを制圧して領土を広げ、覇権国となった。
そのため、積極果敢な戦い方をするという伝統がある。
ベッカーの作戦はどんなに合理的でも、ツヴェーデン人の国民性に会わないのだ。
ベッカーはそれを失念していた。
「くどい! 私はテンペルを直接攻撃することはない! これは決定事項だ!」
ベッカーは不機嫌になって、副官との会話を強制的に打ち切った。
ベッカーは己の正しさを確信していた。
部下どもは無能なのだ。
戦わずして、勝てるならその方がいいではないか。
わざわざ血を流すこともあるまい。
テンペルとの直接戦闘など自殺行為だ。
そうならないためにはテンペルを兵糧攻めにして、飢餓地獄に追い込むほかないのだ。
一方、テンペルでは。
スルトとアンシャルが会話していた。
「アンシャル、ツヴェーデン軍は作戦を変えたようだぞ」
「そのようだな。彼らは長期持久戦の構えを取っている。この封鎖が続けば、補給は持たない。私たちには嫌な戦い方だな……」
アンシャルが言葉を詰まらせる。
敵が戦い方を変えてきた以上、こちらも対応を変えねばならない。
時間は貴重だ。
時間の支配を握るものが、戦争では勝つのだ。
ただ、こちらに有利な情報がないわけでもない。
「ただ……」
「ただ?」
「ああ、ツヴェーデン軍は積極的な戦法を好む。いくら司令官が望んでも、兵士たちがこのやり方には納得しまい。実際、ツヴェーデン軍の指揮は低いようだ。それに今回も新しい司令官のようだしな」
テンペルはツヴェーデン側の情報を配下のニンジャ部隊に収集させていた。
戦争では情報の収集は基本である。
スルトやアンシャルのように、情報を重視する者にとって、軽蔑ほと無縁なものはない。
ツヴェーデン軍は自分たちが優勢だと知るやいなや、情報収集を怠ったように思われる。
「フッ、ツヴェーデン軍にはよほど司令官のストックがあるのだろう。なにせ、新しい司令官ばかり実戦に投入できるのだからな」
スルトが皮肉を言った。
魔女の軍隊では司令官でさえ、『使い捨て』というわけか。
スルトは敵が作戦を変えて、持久戦に訴えたことで、一計を案じた。
「若き狼よ」
「呼んだか?」
セリオンは壁に寄りかかっていた。
「おまえに特殊ミッションを与える。アルテミドラがいるツェツィーリエンホーフに侵入して、アルテミドラを討ち取れ」
「!? 直接的に頭を叩くのか?」
ツヴェーデン軍は致命的なミスを犯した。
それはセリオンを自由にしてしまったということだ。
これはベッカーの頭にもなかった。
青き狼ともあろう者が、持久戦に訴えかけられて何もしないわけがない。
「そうだ。このままではツヴェーデン軍は我々の相手などしまい。おまえが前線に出ても同じだろう。だがこれはチャンスでもある。アルテミドラを直接倒すことができたなら、この戦いは終わる。やってくれるか?」
スルトが強い目でセリオンを見た。
セリオンは信頼されている。
セリオンは二つ返事でうなずいた。
「ああ、わかった」
スルトはセリオンに決定的な任務を与えた。
この戦争はセリオンしだいというわけだ。
テンペルの未来はセリオンに託された。
セリオンはツェツィーリエンホーフに侵入した。
しかし、宮殿の中には兵士の気配がなかった。
普通なら兵士でひしめいているはずだ。
アルテミドラは護衛を置くつもりがないのだろうか?
それとも、アルテミドラはよほど自分の腕に自信があるのだろうか。
セリオンは判断をつき兼ねた。
ただ、兵士たちがいない分侵入はたやすい。
セリオンは物陰に隠れながら、宮殿を奥へと進んでいく。
「おかしい……護衛の兵士はいないのか?」
「それはな、ザコの兵など不要ということだ」
「ドレイク!?」
ドレイクが階段から降りてきた。
セリオンが大剣を構える。
「ここで決着をつけるぞ、セリオン・シベルスク」
ドレイクは大型曲刀を振りかぶった。
二人の間に緊張が流れる。
二人は攻撃のタイミングをはかる。
ドレイクにはここでケリをつけるという覚悟があった。
ドレイクもあとがないのだろう。
二人は一瞬にして交差した。
セリオンの大剣は雷をまとっていた。
セリオンの技『紫電剣』である。
「かはっ!?」
倒れたのはドレイクだった。
「くっ……俺の……負けだ……」
ドレイクは息絶えた。
潔い死だった。
思えばこの男も哀れな男だったのかもしれない。
力がなかったがゆえに、闇の力に手を出したのだ。
この男は闇の誘惑に誘われたのだ。
セリオンはドレイクを残して奥の部屋に入った。
そこには一体の怪物がいた。
三つの顔を持つ大型の犬……。
ケルベロス(Kerberos)だ。
セリオンはドレイクの言葉を思い出した。
「なるほどな。こんな奴がいるなら、ザコの兵士など必要ないわけだ」
セリオンの侵入にケルベロスが気づいた。
ケルベロスは立ち上がってセリオンの方を見る。
ケルベロスはセリオンを威圧してきた。
もちろん、セリオンは動じない。
「戦うしかないようだな」
セリオンは戦う決意をした。
ケルベロスは部屋の中を駆け抜けてくる。
セリオンにかみつくつもりだ。
セリオンは身体強化魔術で一気にケルベロスを跳びこした。
今度はケルベロスが跳びかかってくる。
セリオンはダッシュでケルベロスの下をくぐる。
ケルベロスはうまく着地する。
牙も爪も効かないと判断したケルベロスはセリオンに炎の息をはきつける。
ファイアブレスだ。
炎が燃え盛り、セリオンまで届く。
そのブレスをセリオンは氷結刃で斬り裂いた。
ケルベロスに魔力を込める。
ケルベロスは口から炎の弾をはき出した。
セリオンは氷の大剣で迎撃する。
ケルベロスは三つの口から炎の弾をはき出してくる。
セリオンは大剣を振るってそれを潰した。
ケルベロスの三つの口に炎がともる。
ケルベロスのトリプルファイアブレスだ。
セリオンは横に転がってそれをかわした。
さすがのセリオンもあんなものを受けることはできない。
セリオンは氷の刃を放つ。
「氷狼牙!」
氷の刃がスライドしてケルベロスに当たる。
ケルベロスは軽く悲鳴を上げる。
どうやら痛みは感じるらしい。
セリオンにはそれで十分だった。
セリオンはケルベロスの隙を突き、背中に乗った。
そして大剣をケルベロスの背に突き刺した。
セリオンは全力でケルベロスの体内に雷を注ぎ込む。
肉が焼ける匂いがした。
ケルベロスは絶叫を上げて硬直する。
そのままケルベロスは動かなくなった。
そして赤い粒子と化して消えていった。
セリオンの前の敵は消えた。
セリオンは奥の扉をくぐる。
そこにはアルテミドラがいるだろう。
いよいよ決戦の時だ。
アンシャルは前線で長剣を振るった。
ツヴェーデン兵はアンシャルだと気づくと、すみやかに後退した。
やはり正面からの攻撃は受け止めるつもりがないらしい。
アンシャルが目を細める。
「やはり、相手をしないという作戦か。もっともセリオンが魔女を倒せばこれも終わりだな。こちらとしてはこちらの策を感づかれたくない」
セリオンはアルテミドラの暗殺に向かっている。
セリオンがアルテミドラに負けるとはアンシャルは思っていなかった。
ただ、厳しい戦いにはなるだろう。
セリオンがアルテミドラを倒せばアルテミドラの築いた独裁政権は崩壊する。
独裁政権とは独裁者に依存している。
その脆さは独裁者の死にかかっている。
ベッカーは致命的ミスを犯した。
それはセリオンをアルテミドラの暗殺に行かせてしまったことだ。
アルテミドラが倒されれば、目の前の部隊は無力化される。
つまり、テンペルはチェックメイトをしたのだ。
「アンシャル副長! きっとセリオンがアルテミドラを倒してくれますよ! 私たちには好都合です」
サラゴンはアンシャルの隣に並んだ。
ツヴェーデン兵は二人を警戒して前線に出てこない。
「そうだな。セリオンならアルテミドラを倒すだろう。あいつはそういうやつだ」
アンシャルたちはセリオンを信じていた。
セリオンは人に信じさせる何かを持っている。
それはセリオンが希望だということだ。
セリオンがいる限り、闇の脅威は打ち払われるだろう。




