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英雄叙事詩 Das Heldenlied  作者: 野原 ヒロユキ
~Himmel und Erde~
33/287

パウルス

その日は雨が降っていた。

気温は低く、霧も生じていた。

アルテミドラはツェツィーリエンホーフ(Zäzilienhof)の王座に座っていた。

彼女は思案していた。

このツヴェーデンをどう支配するか。

支配の理は『闇』だ。

『闇』は表の世界に現れた。

ツヴェーデンは『非常事態』に陥ったということだ。

アルテミドラは考える。

忌々しいテンペルはこちらの攻撃を退けた。

アルテミドラはテンペルを軽く見ていない。

むしろ、極めて危険な敵だと認識している。

テンペルの騎士は一人たりとも生かしておけない。

『アルテミドラ政権』にとって光の勢力は危険だった。

彼女は独裁政権を樹立した。

それこそ、闇の支配にふさわしい。

自由や権利、民主主義など破壊されるべきものだ。

国民はただ、この私に服従していればよい。

アルテミドラは部下でさえ信用していない。

アルテミドラには部下でさえ、裏切るのではないかと危惧の念を抱かせる。

アルテミドラの周りには阿諛あゆと追従のおべっか使いばかりだった。

独裁者は孤独だ。

そのため彼女は恐怖で部下たちを支配する。

恐怖こそ人の根源に働きかける要素だ。

アルテミドラは政権を手にすると、軍部の粛清をした。

優秀な軍人ほど危険とされて処刑された。

そのため、ツヴェーデン軍は弱体化していた。

それがマイヤー大佐のような無能な司令官を作り出した。

このデメリットに魔女は気づいていた。

だが、魔女の政権では反対者はその存在を物理的に消される。

それゆえ、おべっか使いほどおもねるというわけだ。

その静寂を外の騒がしい人々が破った。

「? なんだ?」

アルテミドラは宮殿の外で何か異常事態が発生していると思った。

アルテミドラはバルコニーから姿を見せた。

そこでは市民たちがデモ行進していた。

市民たちは『自由万歳!』とか『民主主義万歳!』と叫んでいた。

ツヴェーデン市民はあくまで魔女の独裁を認めないようだ。

そもそも自由や民主主義に何の価値があるのだ?

この者どもは幻想を信じている。

もっとも人間とは現実を見るより、信じたいと欲することを信じるものだ。

この市民たちもそうに違いない。

このデモにツヴェーデン軍は手を焼いていた。

デモに参加していた市民がアルテミドラの存在を認める。

すると、市民たちは考えられる限りの罵詈雑言をアルテミドラに浴びせた。

アルテミドラはいちいちそれには反応しなかった。

ただ冷ややかに市民たちの反抗を眺めていた。

「フッ、愚かな」

アルテミドラがつぶやいた。

アルテミドラは強烈な嫌悪感に襲われた。

クズどもがこざかしい!

身の程を知れ!

「市民どもはよく吠えるようだが、闇の理に従わないのであれば、死しか残されていない。氷天花ひょうてんか!」

アルテミドラから氷の魔力が昇った。

すると、上空から氷のつぶてが降り注ぎ、市民たちを氷漬けにしていく。

市民たちはそのまま果てた。

私に逆らう者には死を与えよう。

アルテミドラの圧倒的な力によって市民たちは殺された。

力だ。

力こそがすべてを支配するのだ。

むき出しの力こそ『アルテミドラ政権』の支配を確固たるものにする。

しかし、これは諸刃の側面を併せ持つ。

アルテミドラによる独裁ですべてが行われるということは、アルテミドラが死んだ場合、すべてが停止するということだ。

アルテミドラは『独裁』こそもっともすぐれた政治体制だと考える。

だが、それはどうだろうか?

「愚かな者たちだ。闇の支配を受け入れないとは」

アルテミドラはもはや市民を見ていなかった。

アルテミドラはバルコニーから姿を消した。



パウルス(Paulus)司令は部隊をテンペルの前に布陣させた。

ツヴェーデン軍はあれだけやられてなおまたテンペル攻略をあきらめていなかった。

ツヴェーデン軍は弱くない。

ツヴェーデン軍はエウロピア大陸最強の軍隊だからだ。

しかし、それも魔女による粛清と精神支配により弱体化していた。

精神支配には対象を従順にできるが、能力が弱体化するという欠点があった。

テンペルもツヴェーデン軍を侮ってはいなかった。

一度退けたとはいえ、ツヴェーデン軍の再来に備えてテンペルは軍備を整えていた。

パウルスはマイヤーの哀れな末路を知っていた。

パウルスはまだ死にたくなかった。

あのアルテミドラは、女主人ドミナは撤退さえも許さない。

魔女の支配では軍隊に敗北は許されない。

敗北した司令官は必ず処刑される。

これが魔女のやり方なのだ。

パウルスはそれを完璧に認識していた。

それがゆえに考える。

どうすれば死なずに済むか。

つまり、負けないことである。

負ければ処刑されるのだから、負けなければ処刑されることはないだろう。

それがパウルスの出した答えだった。

そんな司令官の心理を読み取ってか、兵士たちの動きには精細さが欠けていた。

兵士たちの攻撃は中途半端に終わった。

当然だ。

被害が出ようものなら、パウルスの責任が追及される。

パウルスは軍人というより官僚とでもいえるような人間だった。

軍に入っても、実戦で頭角を現したというより、デスクワークで昇進してきた。

デスクワークに優秀な人間が、軍隊の指揮を執ってもうまくいくとは思えないのだが……。

パウルスはマイヤーの末路を繰り返す気はない。

アルテミドラに処刑されないためには、負けないことが重要なのだ。

それゆえ、このパウルスの精神は末端の部下にまでいきわたった。

兵士たちは臆病に支配された。

兵士たちとて人である。

戦場に出れば恐怖を感じるのも無理はない。

ましてや、若輩の兵士ならなおさらそうだろう。

老練な兵士は戦場での経験も豊富だし、そもそも有能な司令官のもとで軍務をスタートさせられたのなら戦死の可能性も引く。

ベテラン兵たちはパウルスのような官僚的軍人に率いられても指揮の低下は見られなかった。

テンペルとアルテミドラとのあいだで行われているのは戦闘ではない。

これは戦争だ。

人と人の殺し合いだった。

これをスルトも、アンシャルも、サラゴンも、セリオンも完璧に理解していた。

だからこそ、聖堂騎士たちは少ない戦力にそれをいかに効率よく用いるか、考えるのだ。

ツヴェーデン軍の兵士たちがどこか消極的だというわけで、テンペルは罠かと疑ったくらいである。

「どう思う、アンシャル? 奴らは臆病に見えるが?」

さすがのスルトも自身の保身を考えて積極的に攻められないということはわからなかった。

そもそもスルトならそんなサボタージュはしないからだ。

しかし、人間とはステレオタイプではない。

いろいろ個性を持っている。

それがまたおもしろいところなのだが、スルトには怠惰で臆病な司令官など考え付かないからだ。

「ああ、そうだな。これはひそかな情報だが、ツヴェーデン軍の司令官は交代したらしい」

「なぜだ?」

「これは推測だが、マイヤー大佐は処刑されたのではないか? 魔女の怒りを買って……」

アンシャルが肩をすくめる。

アンシャルにもこの消極性には疑問があるのだ。

アンシャルは敵の司令官とは面識はないが、配下のニンジャ部隊に諜報任務を命じてある。

ちなみにテンペルの諜報部隊は難民のヤパーナー出身者で構成されている。

ヤパーナーとはヤーパン人という意味だ。

彼らはかつてレーム帝国に反乱を何度も行ったため、その故地ヤーパンで生きていくことは死刑を持って禁じられた。

それ以来彼らは流浪の民となった。

「なるほどな。司令官といえども人だ。前任者が哀れな末路をたどったのなら、無気力にもなるだろう。我々はツヴェーデン兵をあまり殺したくないから、むしろ望ましい展開と言えよう」

「どうする? こちらから攻めてみるか?」

「そうだな。ここは敵に出血を強いるべきだろう。アンシャル、おまえも前線に向かって指揮を執れ」

「いいだろう」



アンシャル、サラゴン、セリオンの三人はツヴェーデン軍を圧倒した。

三人の戦士に攻められて、ツヴェーデン軍は戦線を崩壊させそうになる。

特に若いセリオンの活躍は著しかった。

セリオンもできる限り、ツヴェーデン兵を殺さないようにしている。

スルトの命令は聖堂騎士すべてに伝わり、徹底されていた。

ツヴェーデン軍はテンペルの同盟国。

そのため、極力犠牲を出したくはなかった。

戦後の軍事バランスに影響が出かねない。

パウルス司令の顔色はすぐれなかった。

さすがに戦場を見わたせばツヴェーデン軍が押されているのは明白だ。

パウルスでもそのくらいはわかる。

「くっ、増援部隊はまだか!」

パウルスが苦し紛れに言う。

「は、まだしばらくかかるかと……どうでしょう? ここは『彼ら』に任せてみては? このままでは戦線の崩壊も時間の問題です。『彼ら』ならテンペルに一矢報いることができるかもしれません」

冷静な副官にパウルス司令の怒号が浴びせかけられた。

「そんなことはわかっている! いちいち言われなくてもだ! だが、いくらアルテミドラ様の部隊とはいえ、あんな不正規兵どもなど信用できるか!」

パウルスはメンツと信用を天秤にかけていたが、さすがに折れないと見える。

今回、パウルスのもとにはアルテミドラの直属の部隊が同行していた。

パウルスはこの部隊を『不正規兵』として嫌っていた。

この部隊に頭を下げるなど、パウルスにはメンツから受け入れられない。

だが、戦況は刻々と悪化していた。

「不正規兵とは言ってくれるな、パウルス司令官」

「きさまら!?」

パウルスのもとに黒い軍服を着た、剽悍ひょうかんで荒々しい男たちが集まっていた。

彼らがいわゆるパウルスの言う不正規兵たちだった。

彼らは一人一人が猛者だ。

戦士であり、戦いに身を捧げた者たち。

それはいいのだが、パウルスはこの部隊が自分の指揮下にはないことから気にくわなかったのだ。

彼らは魔女アルテミドラの寵愛を受けている。

それがますますパウルスには気にくわない。

「私たちはアルテミドラ様から独自の判断をしてもいいよう、権限を与えられている。わが軍はこのままでは総崩れになると私は見た。ゆえに我らケルベリアーナー(Kerberianer)は前線に出る。そもそも我らは戦いたいのだ、あなたと違ってな。ジュナイド(Jchuneid)、ガウルス(Gaurus)、出るぞ!」

「「はっ!」」

戦いはさらなる高みに達しようとしていた。


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