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英雄叙事詩 Das Heldenlied  作者: 野原 ヒロユキ
~Himmel und Erde~
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20年後

そうして時がたった。

あの修道女が赤子を身ごもってから、20年の歳月がたった。

修道女は一人の息子を産んだ。

名は「蒼き意思」という意味を込めてセリオン(Selion)と名付けられた。

セリオン20歳。

彼は金髪にアイスブルーの瞳、紺色の戦闘服に、片刃の大剣を持っていた。

彼の前には青いドラゴンがいた。

その威容は見る者をすくみ上らせる。

暴龍ファーブニル(Favnir)――龍の中の龍――。

『暴君』と名高い龍だった。

ファーブニルはセリオンに殺気を叩きつけてきた。

普通の人間ならこの殺気だけで恐怖に打ちのめされるだろう。

ファーブニルは翼を広げて咆哮ほうこうを出してくる。

セリオンはそれにはやられない。

龍の咆哮は対象をすくみ上らせる効果がある。

しかし、セリオンには通じない。

セリオンは戦士クリーガーだ。

セリオンの人生は戦いの連続だった。

そして今、セリオンにとって大きなイニシエーションがあった。

それが暴龍ファーブニルの討伐だ。

それはセリオンに託された多くの人々の望みだった。

『我息する、ゆえに我在り(Spiro ,ergo sum.)』

これはセリオンのモットーだ。

セリオンは『息ある限り、希望はある』と考えている。

では、セリオンはなぜこの暴龍ファーブニルと対決することになったのか。

時を遡ろう。



セリオンはテンペル(Der Tempel)という組織に属している。

このテンペルは宗教軍事組織であると同時に、シベリア人の民族共同体(Volksgemeinschaft)でもあった。

テンペルを組織したのは二人の父(Zwei Väter)と一人の母(Mutter)だ。

二人の父とはスルト・ボルグ(Surt Borg)とアンシャル・シベルスク(Anschar Sibersk)、一人の母とはディオドラ・シベルスカ(Diodora Siberska)だった。

テンペルはツヴェーデン(Zweden)連邦共和国という西方大陸中央の国、その首都シュヴェリーン(Schwelin)にある。

テンペルはシベリア人の共同体である。

このシベリア人とはもともとシベリア(Siberia)に住む人のことをさしていた。

シベリアはツヴェーデンの東にある国であった。

であったというのは東の大国ガスパル(Gaspar)帝国がこのシベリアを属州として征服したのだ。

祖国を占領されたシベリア人はツヴェーデンに難民として避難した。

シベリア人はツヴェーデンではツヴェーデン語を習得し、ツヴェーデン人とも友好関係を築いている。

それはそれでいい。

スルトはツヴェーデンで暮らしているシベリア人がツヴェーデン化することを、民族のアイデンティティーを失うことを恐れた。

つまり、民族が保たれることを彼は望んだのだ。

それがテンペルという組織が誕生した理由である。

テンペルは一つの顔として宗教組織、もう一つの顔として共同体という性格を備えていた。

このテンペルは『聖堂騎士団せいどうきしだん』という軍事力を保有している。

聖堂騎士団はテンペルを守る団体でもあったが、ツヴェーデンと同盟を結んでいた。

騎士団の総長はスルトが務める。

副長はアンシャルだ。

セリオンはこの組織の聖堂騎士であった。

セリオンはその日、スルトとアンシャルから呼び出された。

呼び出しの場所は聖堂執務室。

テンペルはその敷地に聖堂を持っている。

そこで待っていたのはスルトとアンシャルだ。

セリオンがこうして呼び出されるときは何か任務を与えられる時だ。

セリオンはドアを手でつかむ。

「セリオン、入ります」

セリオンは執務室に入った。

中にはスルトとアンシャルがいた。

「よく来てくれた、『若き狼』よ」

スルトがセリオンを呼んだ。

スルトはセリオンと出会って以来、彼を『若き狼』と呼ぶ。

セリオンは誇り高い。

そのため、スルトはセリオンを狼と呼んでいるのだ。

スルトはまるでスーツのように甲冑を着こんでいる。

年齢は50歳。

スルトはセリオンにとって父のような人物だった。

そしてセリオンの師でもある。

彼はいかめしく、厳格なので、子供たちから怖がられることがある。

ただし、シベリア人は彼を尊敬していた。

スルトの隣に座るのがアンシャル。

セリオンのおじであり、セリオンの母ディオドラの兄。

セリオンに剣術と学問を教えたのはこのアンシャルだ。

アンシャルはディオドラと共にセリオンを育てた。

いわば育ての父と言える存在だった。

アンシャルは長い金髪に白いコートを着ていた。

その瞳はアイスブルーだ。

年齢は40歳。

この二人はテンペルを創造したのだった。

この二人がいなかったらテンペルは生まれなかっただろう。

「それで、今日はどんな仕事なんだ?」

セリオンは話を切り出す。

セリオンはここに来たのが世間話をするためではないことを知っていた。

スルトもアンシャルも真剣な顔をしていた。

「ああ、おまえに任務を頼みたい。これはおまえにしか頼めない仕事だ」

アンシャルが言った。

「それは?」

「暴龍ファーブニルを知っているな?」

スルトがセリオンに尋ねる。

「ああ、知っている。つい最近、ツヴェーデン軍の一個師団がファーブニルの前に全滅したそうだな?」

「そうだ」

スルトが肯定する。

この事件はツヴェーデン政府を恐怖のどん底に叩き落した。

ツヴェーデン政府は一個師団も勢力を投入して、ファーブニルに負けるとは思っていなかった。

ファーブニルはドラッヘンベルク(Drachenberg)に住み着いた、狂暴なドラゴンだ。

ツヴェーデン人を数多く殺戮していた。

それはまさに虐殺と言ってよかった。

「おまえにはそのファーブニルを討伐してもらいたい」

アンシャルが話を進める。

「簡単に言ってくれるな」

「おまえなら倒せる、若き狼よ」

「……」

セリオンはファーブニルの討伐が危険を伴うのを理解していた。

ファーブニルはすさまじい人的、物的被害を出している。

ツヴェーデンからすればこのファーブニルをどうにかする必要があった。

いつまでもこのファーブニルを討伐できないなら、東のガスパル帝国に侵略の手を伸ばさせるだろう。

そもそもなぜテンペルがこんなことをしなければならないのか。

それはツヴェーデンのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)大統領が泣きついてきたからだ。

大統領としてもこの問題を解決できないなら、無能のそしりを免れない。

ヴァイツゼッカー大統領は政権を維持するため、テンペルに『協力』を要請したのだ。

「サラゴンではだめなのか?」

セリオンは自分以外の人選をにおわせた。

サラゴンはセリオンの友人だ。

「サラゴンの得意属性は炎だ。おまえは雷の技を使えるだろう? それがおまえを今回の任務に選んだ理由だ」

アンシャルはセリオンの『雷の力』を強調した。

それは理にかなっていた。

セリオンは『雷の息子』だ。

彼は幼いころから雷の力を操ることができた。

セリオンと雷の力は切り離せない。

そしてその力は強かった。

セリオンの雷の技の威力は大型のドラゴンでも一撃で絶命させることができるのだ。

そのため扱いが難しいという欠点もあった。

強力すぎて普通の魔物相手には使えないのだ。

「断るという選択肢は?」

セリオンはわざとこう聞いた。

「ない」

スルトが有無を言わせぬ圧で続ける。

これはもはや規定事実だった。

「どうだ? 勝つ自信はあるか?」

アンシャルがからかうように言う。

セリオンはむっとして。

「勝てるか? と問われれば、勝てると言おう」

それはセリオンの正直な気持ちだった。

ファーブニルは強い。

セリオンが今まで戦ったどの龍より強いだろう。

それでもセリオンは『勝てない』とは思わなかった。

ファーブニルにあるもの……ファーブニルを突き動かすもの……。

それは憎しみである。

ファーブニルはベルゲン山脈に住んでいたらしいが、ベルゲン山脈に観光客が訪れるようになってしまいファーブニルは住みづらくなったのであろう。

ファーブニルは住みかを追われた。

それゆえファーブニルは人間に憎しみを抱いている。

ファーブニルには怒りもある。

マグマのような熱い怒りだ。

ファーブニルは憎しみと怒りに支配されている。

おそらくファーブニルは自分でも自分を止められないのではないだろうか。

ファーブニルと交渉の余地はない。

平和的解決はありえない。

「それでは明日、出発する。今日はあいさつと準備に時間を使っていいか?」

「それはおまえの好きに任せる。それでは見事ファーブニルを討ち取ってくれ」

スルトはそう言うとセリオン・シベルスク(Selion Sibersk)の背中を見送った。

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