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苦悩

 小説が書けなくなったのはそれからだった。


 正確には、書けてはいた。けれど何を書いても面白いと感じなくなってしまった。


 書いては消し、書いては立ち止まって。数十ページだけ書いた作品が、パソコンの未完成ファイルに溜まっていく。


 そのまま小説家という夢を諦められれば、いっそ楽だっただろう。けれどその夢だけは残り続けた。もし僕から小説家という夢を取ってしまえば、今度こそ何も残らない。僕の潜在意識はそのことを誰より理解していて、小説家という夢を諦めることを許さなかった。


 どれだけ苦しくても、完成させればそれなりの文章になっている。僕はそのことをこれまでの経験則で知っている。知っていても尚、書けなかった。言葉を紡いでいる内に脳にノイズが掛かり、言葉が出て来なくなる。毎回その状態に陥ってしまう。


 苦しみとスランプから脱する為に、という言い訳でしかなかったが、僕は本を読み、SNSを見て、映画を観賞した。


 ただの甘えに聞こえるかもしれないが、僕にはその時間が必要だった。執筆や作品の糧となり知識になるものを選び、それで最低限の活動はしていると思おうとした。それらの効果は短期間は表れた。案の定、根本的な解決にはならなかった。


 数十ページ書けばまたスランプ状態に戻ってしまう。そしてまた苦しみがやって来る。その時初めて僕は、己に限界を作ってしまいそうになった。


 小説家としての僕は、ここまでの人間だったんじゃないか。僕は小説家として生きて行けない人間として生まれてきたのではないか。僕より若くして成功してる人は、沢山居る。それが何よりの証拠ではないか。


 やがて1文字も書かない日が来た。


 まもりさんと繋がりを断ってから、1カ月が過ぎた。僕はコメントこそしなくなったものの彼女の活動はチェックしていた。見てしまっていた。


 第三者が言いたいことは分かる。そこを断絶しないといつまで経っても忘れられないだろう、と言いたいのだろう。その理屈を分かっていても出来なかった。例えば1週間程度離れられてもう大丈夫だと感じていても、彼女に関連するものを見てしまうと、すぐに感情が呼び戻される。


 そんな僕に対し、彼女は僕が居なくても変わらないように見えた。でもそうじゃないように感じる場面もあった。彼女の投稿から、忘れないで欲しい、私を見て欲しいという意志が伝わってくる時がある。


分かっている。それはただの妄想で、願望だ。彼女は一言もそんなことは言っていないのだ。今までだってずっと。


「恋愛、リアリティーショー……」


 春、彼女は若者に人気の番組に出演し始めた。僕は動揺こそしなかったものの、チクリと刺すような痛みを味わった。彼女は恋愛をしに行くのだという。


 大画面で彼女を見るのは、久しぶりだった。久々の彼女は少しやつれているように見えた。ドラマに出ていた頃に放出されていた煌めきも、薄まった気がする。それだけ多忙なのかもしれない。


 もしその理由が、僕と離れたからだとすれば嬉しい。嬉しいと感じる僕は心が捻じ曲がっているのだろうか。などと考えてみたが、あれからもう幾ばくかの時間が流れている。僕はすぐにその願望を振り払った。彼女は既に次のステージへと進んでいるのだ。


 今作でも、彼女は最も注目される1人となった。彼女を含めた3人が今作の主役だ、彼女のシーンの放送時間が一番長かった。


《違う、違うよ。そっちじゃないって。おっちょこちょいだなあ、凍也は》


 彼女は新たな出会いに刺激を受けていた。


 番組では、3人の異なる個性の男性が居る。若手の人気俳優と、ハーフのDJ,店舗経営者のパティシエ。彼女が誰を選ぶのか、僕は気になった。どうせ誰かが選ばれるなら、パティシエの人であって欲しかった。強いて言うならだが、この中では彼が最も僕に近しかったからだ。


 彼女はその男性を選ばなかった。


 彼女が選んだのは最も若い俳優の子だった。その彼と接している彼女は、僕の隣に居た時とは全く違う。彼をリードし、余裕を見せ、誰からも好かれ生き生きとしていた。


 その彼女は世間から好評だった。見た目は女の子らしいのに、サバサバとした性格。明るくて気配りが出来、見た目に反してあっけらかんとしていて、絡みやすい。その東條 まもりは絶賛された。


 ひょっとすると、こちらが本当の彼女だったのだろうか。


 僕に見せていたのは東條 まもりは作りもので、いや、そもそも東條 まもり自体が創り出された人格だ。だとしたら、僕と居た時の彼女が本当の彼女だったのだろうか? 分からない。 


 でもすぐに思い至る。どちらが本物かどうかなんて、今となっては意味が無い。何故なら僕達はもう終わっていて、であればどちらであろうと何も変わらないからだ。


 性格や人間性は関わる相手によって変わる。僕が引き出せなかった彼女を、この若い青年は引き出したのだ。


「前に、進んでるんだな」


 過去を払拭して前進する彼女と、未だに縛られている僕。もしかしたらこういった部分が、彼女が成功して僕が何も生み出せずにいる要因なのかもしれない。


 あるいは初めから、彼女は何も感じていなかったか。そう考えると、整合性があるように思えた。


 彼女は僕のことなんて何とも思っておらず、京都に行ったのはただの気まぐれで。だとすれば彼女がすぐに次に進めたのも納得出来る。というのも、彼女の口から直接僕達の関係を肯定する言葉は、一度も出ていないからだ。


 SNS上でそれらしき発言を感じる瞬間はあった。が、前提としてそれらは、彼女のフォロワー全員に発信されたものだ。だから全てが僕の妄想で、最初から何も始まっていなかったのかもしれない。そう考えると途端に虚しくなってきた。


「一体僕は何をやっているんだ」


 世を照らし続ける一番星の彼女と、30代を迎えて誰からも必要とされていない自分。 


 もし彼女との全てが僕の妄想ならば、これ程無意味なものは無い。時間とお金、人生の無駄使いだ。

  

 だったら今すぐにでも断ち切るべきだった。たとえそれが妄想で無かったとしても。


 もう終わっている関係に固執し、他の何かを享受する機会や時間を無駄にしている。この時間は人生において何も生み出さない時間と思想だ。その理屈は分かっている。分かってはいるのだけれど……。


 結局僕は、その番組を最後まで観てしまった。彼女はその若い俳優の男の子とカップルになり、また世間を賑わせた。


 告白のシーンでは、彼女はその彼とキスをしていた。不思議と何も感じなかった。


 その頃にはもう諦めが着いていた。――のなら、良かったのだが。



「率直に言って良いですか? 引き込まれないんですよねえ。いや、僕個人の感覚ではですよ? でも何て言うかなあ……、魂を感じないというかなあ……」


 とある作家志望のコミュニティで、僕の作品を読んだ方の言葉だ。僕の最新作だった。


「そうですか」


 評価は散々だった。5名のメンバーが居て、1人を除いた全員が苦言を呈した。


 読まれる前から、自分でも分かっていた。この作品は平凡だ。誰の心にも刺さらないだろうと。


「ん~、何ですかね。前から思ってたんですけど、高梨さんの作品って凄く纏まってるんですよね、綺麗に。でも何ていうか、纏まり過ぎてて面白みがないというか。

 伝えたいことは明確だし、文章が破綻してもいない。難し過ぎる表現が無くて読みやすいから、言いたいことは分かるんだけど……。

何だろうな。人間味が無いというか、俯瞰的過ぎるのかな。高梨さんが伝えたいことが前面に出されていて、というかそれが全てで、キャラクターが死んでるっていうんですかね……」


「はい……」

 

 昨年も応募した賞の提出期限まで、あと1カ月を切っている。これから添削や見直しはするつもりだが、大筋はもう変更しない。今の段階でこの評価だと、本戦で苦戦を強いられると推量するのが妥当だろう。


 最後に慰めるように言われた。


「まあ実際、小説の評価なんて読み手の主観に拠るところが大きいからね。もしかしたら良い線いくかも。出版されてて面白くないって感じる作品って沢山あるじゃない。だからもしかしたら、ね?」



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