ポップアップ初日
車内での話し合い以降、徐々にだが私と山下さんの関係は回復していった。完全な和解ではない。お互い煮え切らない部分は抱いている。
ただ腹の内を曝け出したからか、後腐れは無かった。表面上以前と変わらないくらいに話せるようになっている。
全てを山下さんの言う通りにするつもりは無いけれど、私は行動を変化させた。以前より共演者さんや裏方さんとコミュニケーションを取るようにする。携帯を触ったとしても最低限のチェックをするだけにする。
幸い、高梨さんとの繋がりに変化は無かった。私は高梨さんが離れて行くかと不安だったけれど、杞憂だったようだ。私のペースに合わせてくれているのかもしれない。
仕事はこれまで以上に意欲的に取り組んでいる。そうしないと山下さんが事務所に報告してしまうかもしれないし、これ以上愚痴愚痴言わせたくなかった。何より高梨さんが離れて行かないと分かったのが大きい。私にとって高梨さんは、精神安定剤のような役割になっているのである。
その高梨さんとは今年に入って3度顔を合わせている。1度目は原宿の化粧品ショップで、2度目はラジオの公開収録、3度目が池袋で行われたトークショーだ。
とは言っても、接した時間はほんの少しだけ。けれどその短い時間でも私は嬉しかった。
1人で来るのは恥ずかしいだろうに、時間とお金を掛けて会いに来てくれている。それだけで充分だった。
その短い時間と、普段のコメントのラリーで、高梨さんの情報も集まりつつある。年齢は恐らく30過ぎで、都内の会社で管理部門に勤めている。業界は不明。身長はひょろりと高く180センチ近くて細い。ファッションはシンプルで、あまり拘りは無さそう。作家を志望しているだけあって、難しい本を読んでいる。ノンフィクションの事件や歴史物、経済について。映画をよく観に行くようで、1週間に一度くらい映画館に足を運んでいる。妹が居て、妹さんは結婚していて甥っ子が居る。穏やか。あまり怒らない。真面目。他人に流されない。などなど。
これだけ知った上で好きなのだから、ちゃんとした気持ちだと言っても良いだろう。きっと大半の人が認めてくれるに違いない。などと私は、無意味なことを考えた。山下さんにはああ言ったけど、私も少なからず似たようなことを考えているようだ。果たして高梨さんはちゃんとした人なのだろうか。と。
詰まる所山下さんや事務所に認めて貰わなければ何ともならないのだが、世間一般的に認めて貰えるならちゃんとした恋愛と言っていいのかもしれない。そして今年4度目となる高梨さんと会うチャンスが巡って来た。それは新宿で開催するポップアップイベントだった。
私は自身のアパレルブランドを経営していて、春夏と秋冬で毎年ポップアップを開催する。全国各地が対象だが、その中で毎年開催する場所があった。それが新宿だ。新宿は鉄道で世界一利用者の多い駅だし、流行の最先端でもある。あらゆる観点から外せない場所だった。
恐らく高梨さんは来てくれるだろう。大阪よりは断然近いのだから。私はその日を励みに、仕事をこなしていく。
ドラマの撮影が終わり、夏が過ぎて、また秋が来た。今年の残暑は短かった。だからちゃんと秋が訪れている(皆が口を揃えて言うように、私も毎年秋は感じづらい。1週間くらいしか無い体感だ)。緩やかに気温が低下しているので、過ごしやすい日が続いた。
夜風が冷んやりし始めた10月上旬、3日間のポップアップが新宿の商業施設でスタートした。毎回ポップアップは楽しい。お祭りみたいでスタッフは張り切っているし、来てくれるファンの皆の興奮度も高い。それが熱を生む。
そのファンの笑顔が、また私の活力になる。芸能人とファンは支え合っているのだと、毎回思わせてくれる。
来るポップアップ初日。店内は、ファンの子達でごった返している。
開店前から行列が出来(全て私のファンの子達では無いけれど)、オープンと同時に一気に雪崩れ込んで来た。ポップアップは5階の催事コーナーで開かれ、大々的に私の顔やブランドポスターが掲示されている。
こんなに自分がフューチャーされることは一般社会では有り得ない。多少の恥じらいはあるけど、光栄だ。私もいつまでこうしてイベントを開催させて貰えるか分からない。
ポップアップには、毎回全国からファンの子達が集まってくれる。でも今回はいつも以上の集客だった。それはひとえに、ドラマの効果だった。
夏ドラマで私という存在知った新規のファンが、今回多い。私も店内に立って接客しているが、「ドラマを見てファンになりました」と言ってくれる人が本当に多い。
こうして見ると、まだまだ「東條 まもり」というタレントには秘められたポテンシャルがあるのだと自信が湧いてくる。私の今後の課題は、自分より上の層をいかに開拓出来るかだ。今居るファンの気持ちを掴みつつ、より幅広い層にアプローチする。その展望が少し見えた気がしている。
「いらっしゃいませー!」
店頭で一番声を張っているのは山下さんだ。山下さんは元々服飾の専門学校を卒業後、アパレル店員をしていた。その後ウチの事務所に入って来たという経歴の持ち主だ。だから営業力が高く、販売に慣れていて非常に戦力になっている。今日だってトップクラスの売上かもしれない。
田村さんも販売は未経験ながら貢献してくれている。丁寧な対応で相手の要望を聞き、お客様との会話を楽しんでいる様子も良い。話しやすい雰囲気というのは、それだけで販売において武器になるのだ。
「皆~、楽しんで行ってね~~!」
当然私も負けないよう先陣を切る。自分のブランドだし、誰より私が商品に愛着があって、熱がある。商品開発から参加していて、色や素材・シルエットやディテールも1点ずつ選んでいる。商品の良さを最も伝えられるのは、私以外に居ないのだ。
大盛況で、あっという間に時間は過ぎた。現在の時刻は15時。予想を超える反響で、開店からずっと混雑が続いている。その為スタッフは別だけど、私と山下さん・田村さんはまだ昼食を摂れていない。それどころか小休憩さえ挟んでいない。
「東條、先に休憩しろ。何も食べてないだろ」
人混みを掻き分け、山下さんが声を掛けて来た。
「いえ、山下さん先に出て下さい。まだピーク中なんで私は抜けられません。私のブランドなんで」
私の言葉に山下さんが笑った気がした。
「分かった。じゃあまず田村に出てもらおう。アイツが一番販売力が無い」
「言い方悪」
「バカヤロウ。これが俺だ」
私達は久しぶりに顔を見て笑った。
「いらっしゃいませ~!」
「東條本人此処に居ますよ~!」
結局ポップアップ初日は、従来を超える最高売上を叩き出した。新宿という立地に加え、ドラマによる新規ファンの増加、その熱気に感化された一般客の参入。
高梨さんは来なかったけど、今日じゃなくて良かったかもしれない。今日はずっと忙しかったし、来て下さってもあまり話せ無かっただろう。
残り2日、このまま好調を維持する。高梨さんが来てくれると信じる。
閉店し、商品の補充やレイアウトの変更は店舗スタッフさんに任せ、私達は店を出る。夜の新宿は、まだまだ眠らなそうだった。