表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/29

人気急上昇

 穏やかな春が過ぎて、日が長くなり始めた初夏の季節。梅雨に入る直前にドラマのクランクインの日がやって来た。


 私は前日から緊張していた。入りが肝心だ。と、私は努めて明るい声を発する。


「初めましてっ。中村 琴役の、東條 まもりです! 演技経験は少ないですが、場を盛り上げられるよう頑張ります。宜しくお願いします!」


 パラパラと拍手が鳴る。好意的に受け止めて貰えた、と思う。


 民放の連続ドラマだけあって、スタッフの数は桁違いだった。その他機材も、設備も、用意された衣装も役者も。


 これだけ大掛かりな環境での演技経験は無い。緊張するなという方が無理だった。


 私は事前に、どんな撮影になるかイメージして来ていた。けれど現場は全然違う。私は何処に居れば良いのかさえ迷ってしまう。


 全員の挨拶が終わると、早速撮影に入る。今回の主演は大手アイドル事務所の人気グループの中心メンバー・矢島 光さんだ。年齢は27歳。絶賛売り出し中だ。


 昨年デビューを果たし、デビューシングルがミリオンを達成。雑誌や映画と引っ張りだこのタレントである。このドラマは彼の影響力に拠るものが大きい。彼を生かしつつ、私自身も視聴者の印象に残るよう努めたい。


 矢島さん演じる主人公と恋仲になるヒロインに、小野田 麗奈さん。25歳。クールビューティーな容姿が人気の彼女だが、その実力は本物だ。10代の頃から主演を張り油が乗っている状態と言える。見た目の整い方と違い性格は姉御肌で豪快らしい。作中では私の先輩役に当たる。


 部下からいじられて愛される部長役を演じるのは、真中 正さん。54歳。数々の作品に出演してきた名脇役だ。厳格な役柄からコミカルな役まで、幅広く演技をこなす。人柄は穏やかでいらっしゃるだけで現場に安心感を与える。


 他にも個性派の役者さんが勢揃いしている。そんな中私の経験値は圧倒的に乏しい。演技どうこうの前に、私は撮影の妨げにならないよう過ごした。撮影開始から30分くらい経ったところで、出番がやって来る。初演技の時間だ。


「よし、行って来い」


 山下さんに背中を叩かれる。その力が強くて、背中がヒリヒリする。でも気合が入った。肩に力が入った状態で、撮影のセットの中に入った。


 私の初演技は、主人公が会社に入社して来るシーンだった。主人公は海外の大手から引き抜かれて来るやり手のビジネスマンで、傍若無人で破天荒な性格、という設定た。私は父親が大手企業の役員で、コネ入社したと噂されている2年目の女子社員。総務として雑務をこなしているという役柄だ。


 幸い、初撮影のシーンで私にセリフは無かった。いきなりド派手な主人公がオフィスに入って来て、私をそれを唖然として見ている、という演技をする。


「よーい、アクションっ」


 監督の声でカメラが回り始める。現場が動き出した。


 私は緊張を見せないよう、自然な動きを心掛ける。ただ歩くだけなのに足が震えるのは久しぶりだ。芸歴が長くなるにつれ、そんな感覚は無くなっていた。


 私が演じる中村 琴はオフィスでヒールの靴を履いている。そこも懸念材料だった。私は普段ヒールのものをあまり履かない。スニーカーが楽ちんで好きだからだ。


 私は抱えた資料を、課長役の方にお渡しする。そこでちょっとした会話をする。それから来たルートを戻り、自らのデスクまで戻ろうとする。その最中に、大きな物音と共に主人公が入って来る、というシーンだ。実際には課長と会話しているが、音声には入らない。


 私がオフィスから出て行こうとする。書類を渡す際に手が震えたけど、私はミスしなかった。そこで矢島さんが力強く扉を開け、オフィスに入って来た。緊張していたからか、私は本当に驚いた。ある意味迫真の演技だ。フロアの社員が全員会話を止め、扉の方に向き直る。


 矢島さんは凍り付いたオフィスを一瞥した。周囲の空気を無視し、一気に部長のデスクの前まで闊歩する。


「あの、俺の席ってどこ?」


「はい、カットーっ!」


 裏方の方達が動き出す。一発OKだった。


 私はほっと一息吐く。セリフが無かったとはいえ、最初のシーンをミスなくこなせたことに安堵する。


「良い感じじゃん」と課長役の方から声を掛けられる。私の緊張が伝わっていたらしい。


「いやあ、これが初めてのシーンだったので良かったです」


「大丈夫、大丈夫。リラックス、リラックス」


 その一言が有難かった。私は心の中で言い聞かせる。


 ――なんとかやれる。この調子だ。


 その後も撮影が続く。私は後方で動いているだけのシーンが多く、段々とその場の雰囲気に慣れていった。ついに台詞のシーンが来たが、短かったのでワンテイクで成功した。そこで弾みがついた。


 調子が出て来た私は、撮影の合間に役者さんと話をしようと試みる。山下さんに教わったことだ。共演者と打ち解けることは演技のしやすさにも繋がる。中には却って演技の妨げになるからと親交を避ける人も居ると聞くが、私はそんな領域じゃない。だから少しでも今後の撮影がしやすくなるよう、自分から働きかけていくつもりだ。


 途中、自分が登場しないシーンの撮影になる。現場から離れた私は用意された椅子に座ってお茶を飲む。そこでまだ身体に力が入っているのだと実感する。すぐに山下さんと田村さんが傍にきた。


「東條、良い感じじゃないか。やれてるぞ」


「まもりちゃん、さっきカメラマンさんが褒めてたよ、自然な演技で悪くないって」


「本当ですかっ。ありがとうございます」


 興奮しているからか、自分の声がいつもより大きい。いわゆるランナーズハイみたいな状態に入っているようだ。


「何か欲しかったら言えよ。今日だけは何でもしてやる」


 と、山下さん。


「本当ですか。じゃあ土下座して貰って良いですか? それでそのまま私の椅子になって貰えますか」


「よおし、分かったっ。俺が本物の土下座というものを、」


「あああああっ、嘘です嘘ですっ。大丈夫です。冗談ですよ」


「分かってるよ。そんな冗談が言えるなら大丈夫そうだな」


「今の所はね。でも何かあったら言うんで、その時はお願いします」


「ああ。遠慮せずに言え」


 2人共私を気遣って、そっとしておいてくれた。


 そういえば、と私はその間に携帯を確認する。極度の緊張で高梨さんのことを忘れていた。


 Xを開く。すると撮影が始まる前のつぶやきに、高梨さんからコメントが来ていた。


《まもりさん、撮影頑張って下さい。いつでも応援しています! 大丈夫ですよ~》


 心が安らいだ。いつも私を見守ってくれている。


 そのまま高梨さんのインスタグラムを覗く。1つの投稿が追加されていた。今年直木賞を獲得した作家さんの新作のレビューだった。


 高梨さんも、この東京の何処かで夢に向かって努力している。だから私も頑張る。


「何見てんの」


「きゃっ」


 背後から山下さんが覗いていた。私は驚いて、咄嗟に携帯を隠す。


「何だよ。何でそんなに焦ってんだよ」


「いや、ビックリしますよっ」


「はあ~? 見られてマズイものでも見てたのか? 東條、まさかお前、エロいものを……」


「止めて下さいっ。セクハラっ。訴えますよ!」


「お前と同じで冗談だよ。ムキになると逆に怪しいぞ」


「もうっ。放っておいて下さい」


 山下さんは身体も声も大きいのに、時たま忍者のように気配を消す。何度待ち合わせでビックリさせられたことか。全く油断ならない。いつか仕返ししてやる。 


 その後は山下さんが傍に居たのでSNSは見られなかった。


「あ、ほら。出番だぞ、行って来い」


「よしっ」


 私は立ち上がる。高梨さんからのコメントで、意欲がまた高まっていた。


「ではいきまーす、よーい、アクションっ」


「あ、すいませ~ん。ここにあった資料知りませんか~?」


 セリフのシーンも難なくこなしていく。監督さんからも、「その調子で」と言って貰えた。


 初日、最高の出だしとなった。これからの数か月を何とかやっていける自信が着いた。




 撮影は順調に続いた。梅雨に入って撮影が延期になったり、その調整で1日に詰め込まれることもあったが、大きな問題無く過ぎていく。


 急なスケジュール変更で不規則な生活となることもあり、私は疲労が溜まっていく。睡眠時間数時間で撮影に臨む日もあった。だが初の連続ドラマなので、栄養ドリンクを飲みながら踏ん張る。色んな栄養ドリンクを飲み過ぎて、栄養ドリンクソムリエになれそうだった。


 疲労はあったものの、現場に行くのが楽しみになってきている。毎回緊張はするのだが、仲良くしてくれる人も増えてきて、チームとしての結束を感じている。


 勿論、深刻な雰囲気になる時もある。NGが続いたり、監督と演者のイメージの違いや、急なトラブル、悪天候や機材の故障など、全ては円滑には行かない。


 でもその苦境を乗り越えた時は、一層現場に一体感が生まれる。ああ、こうやってドラマは作り上げていくんだと、私は身を持って実感する。その体験全てが私にとって価値ある経験だった。


 ドラマは既に1・2話が放送されていて、反響は上々だ。視聴率も良好。SNSやネット動画に浸食されつつあるこのご時世で、二桁スタートを切っている。私のSNSにはファンからのコメントが溢れ、返信するのに大変で全ては返せていない。でも高梨さんには必ず返信した。


《まもりさん、連ドラデビュー! もっとまもりさんの良さが世間に広まりますように》


《いつも応援ありがとうございます! これからも応援してやって下さい。またコメント待ってますね!》


 家族やゆづとゆうや、友人たちもそれぞれ個別でメッセージをくれた。


《真美ーーーっ! 今テレビに映ってんぞーーーーー!》(父)


《お姉頑張ってるやん。まあまあやるやん。実物と同じであざといけど》(弟)


《真美~~、ドラマ見たで。これでアンタも全国区やなあ、親友として鼻が高いわ》(ゆづ)


《おい、真美! お前ホンマにあの真美かっ?! まさかニセモン……? 冗談はさておき頑張れ! お前は名女優だーーーー!》


 私は素直に嬉しかった。


 こんなにも沢山の人が応援してくれている。自分の活躍が沢山の人を喜ばせているのだから、もっと頑張らねばと思った。


 そして嬉しいことに、私のシーンが急遽増やされると決まった。私の役は主人公を恋に落とそうとする小悪魔的な役柄なのだけれど、視聴者からの反響が強くて脚本を変更したそうだ。これには事務所や山下さんも諸手を挙げて喜んでいた。


「東條、チャンスだっ。分かるな? このまま一気にお茶の間を席巻しろ!」


「まもりちゃん、最高です~っ。このまま行きましょう!」


 私の仕事への意欲は日に日に上昇した。私が頑張ることで良いドラマが生まれて、話題になって、視聴率が上がる、皆が喜んでくれる。こんなに嬉しいことは無い。そしてきっと、今度のキャリアにも繋がる。


 やはりドラマの影響は大きく、SNSのフォロワーはここへ来て2万人近く増加している。今後衰退すると言われるテレビだけど、その影響力はまだまだ健在だ。


 驚いたのは、昼間の特番で私が注目の女優としてピックアップされていたことだった。私はたまたまその番組を見て驚いた。


 番組では、私の経歴やこれまでの活動が時系列で公表されていた。私は他人を見ているような感覚で、「ああ、そんなこともあったな」などと思いながら視聴した。


 テレビに出るというのは、不思議だ。自分が全国の人達から注目されているなんて、本人である私は全く感じていない。それなのにこうしてテレビで見ると実感が湧く。こうして皆、国民的存在になってゆくのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ