オファー
「え、本当ですか」
「本当だよ。最近の東條の活躍を評価してくれたんだな。大抜擢だ」
良い流れは春になっても続いていた。トントン拍子で新しい仕事が決まる。ゆづとゆうやが入籍してから1週間後だった。私の念願だった、連続ドラマへの出演が決定したのだ。
将来への展望として私は演技の方にも力を入れていきたいと思っていた。山下さんや事務所とも、そう話していた。
私はまだ演技の経験が少ない。アーティストのMVやネット上でのCMに幾つか出演したものの、未熟と言わざるを得ない。
その少ない作品の幾つかを監督さんが見てくれたようで、ドラマへの出演が決定した。「これから場数をこなす必要はあるが、感情表現が豊かで磨けば光る」、と監督は評価してくれたそうだ。
女優を志すというのは、芸能界で一生を終えたいという表明でもある。歌は才能が必要だし、アイドルは年齢制限がある。一概には言えないが、女優は芸能界で末永く生き残るルートの1つと言える。
その分道のりは険しい。私のようなムーブをするタレントは多く、子役時代から活躍していた俳優や、アイドル、韓国を始めとする海外勢などが生き残りを懸けて参戦する、群雄割拠の戦場だからだ。
だから私は、このチャンスを物にする。今作で爪痕を残し、今後の芸能生活、ないしは人生の活路を切り開くのだ。
私の今回の役柄は、主人公とお同じオフィスに勤める若手社員だ。主役級では無いけれど各話に必ず出番があって、物語のスパイスとしての活躍が期待されている。原作は小説の、恋愛要素もあるミステリーだった。
そこで、私と山下さんと田村さんは今回のドラマ出演が成功するよう決起集会を開く。場所は事務所近くにある大衆居酒屋だ。私は庶民なのでこういう場所が落ち着くのだ。飲み始めて1時間くらい経つと、山下さんは泥酔し始めた。
「とーじょうぅ、ここだぞ。ここでじょれだけやれるかで、決まるからなあぁ」
今日の山下さんはよく飲んだ。これまでに見たことのないペースで。
「分かってますって。もうそれ聞くの今日で3回目です。絡むな、ウザイっ」
私は山下さんの手を振り払う。
「だいじなことはなあ、何回も言うんだよっ。にゃん回でも聞けえぇ」
山下さんは、この中の誰よりも気合が入っているようだった。
酔うと話し上戸になることは知っていた。けれど今回は特に酷い。どれだけ私が事務所から期待されているか、勝負時かを延々と話し続けている。最初はプレッシャーを感じていたけど、何度も聞かされる度に何も感じなくなっていった。皆も気を付けて下さい。
山下さんが何を言っているか分からなくなった所で、お開きになる。山下さんは半ば田村さんに担がれている状態だ。だから私が会計をする。若輩者でタレントの私に会計をさせるなんてマネージャー失格ではないかっ。……自分が天狗になっている気もするのでこれ以上は自重する。
店の前に呼んだタクシーが、到着する。まず後部座席に山下さんを押し込み、私はその隣に、田村さんが助手席に座った。乗ってすぐに山下さんは寝てしまった。口から涎が垂れているけど放っておく。自業自得だバカめ、と田村さんと2人でなじる。
「今日メッチャ酔ってましたね、山下さん」
私は田村さんに話し掛ける。
「いやあ、本当に。珍しいですよ、ここまで酔うのは」
山下さんの鼾がうるさい。
「それだけ期待してるんですよ、まもりちゃんの活躍を」
「ですかねえ」
「そうですよ」
タクシーは五反田から中目黒方面へ向かう。先に私を送り届けてくれるようだ。
「でも山下さんの気持ちは分かりますよ。山下さん、相当長い間苦労されてますから」
「そうですよね」
「はい。私達の事務所は、古参に比べてまだ歴が浅いです。とは言っても15年くらいは続いていて、最初の方は鳴かず飛ばずでした。まもりちゃんが来るまで大した業績も残せていませんでしたから」
「へえ~」
その辺りについて、私は深く考えたことが無かった。
事務所が15年前からあるのは知っていたけど、それまでどんな経営状況でどれだけ売上がったのかを知らない。
「山下さんは事務所が出来てから3年目に入社したそうです。ですから、今では社長に次いで2番目に社歴が長いです。他の先輩たちは厳しい経営に見切りをつけて、もう退社してしまったので。
だから経営がずっとギリギリだったんです。毎年のように赤字で、黒字でもごく僅かな金額だった。それがまもりちゃんの登場によって一気に上向きだしたんです」
「そうだったんですね……」
サイドミラーに映った田村さんは外を見ている。
「はい。まもりちゃんの活躍で依頼が増えて、社員も増え、スターを目指す若い子が沢山入ってきました。だからまもりちゃんのお陰なんですよ、今の事務所があるのは」
何故山下さんが、そこまで私に期待してくれているのかが分かった。2人は私なんかよりずっと下積み時代が長い。それにお2人は結婚をしていて、山下さんの所は秋に2人目のお子さんが生まれる予定だ。だから何としても私をスターにし、事務所を大きくする。それが山下さんのお給料、ひいては人生をも豊かにするということなのだ。
「私も同じですよ。まもりちゃんに期待しています」
田村さんが言う。
「頑張り、ます」
田村さんに言われるのは山下さんに言われるよりずっと重たく感じた。山下さんからは普段から発破を掛けられているが、田村さんは基本的にそういうことを言わない。
「正直私は世帯主じゃないですし、私の仕事が無くなっても生活していけます。でも、まもりちゃんがスターになる所を見たいのは本心です。まもりちゃんのことが大好きなので」
「田村さんに言われると、響きますね……。山下さんの38倍くらい」
笑う田村さんの頬は赤い。
「あははは。それも私の作戦の内です。
でも言ったことは嘘じゃないですよ。まもりちゃんがスターにするのは、私達の悲願なので」
この夜私の覚悟は決まった。周りの人達の為にも、今回のドラマを成功させてみせる。私はやる。