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長い休暇や季節の節目などに男爵家へ遊びに来ていたパトリックの兄。容姿端麗、頭脳明晰そして近年希な高位精霊使いで、まさに貴族令嬢が憧れるトップクラスのハイスペック男性である。
リリアナの日焼け止めの精製は、彼の精霊使いとしての手伝いがなければ成功はなかった。
「僕が男爵家にお邪魔したのは、今、リリー姉さまが思い浮かべた人の指示だよ。今回は急な都合で、自分は休暇にここに来れないからって。だから、僕はリリー姉さまのお目付け役」
「…パトリック、人の頭の中を勝手に決めつけないでよ。じゃぁ、いよいよ、貴方のお兄様と王女様とのご婚約が決まるのね?」
巷の噂では、そのハイスペック貴公子がとうとう婚約者を決めたと大変な噂になっており、社交界に疎いリリアナの耳にも入ってきていた。
ーーーあのキラキラ男子も、とうとう婚約なのね…確か、隣国の王女ルーシャ様とのご縁とか…。嫌だ、まだ少し寂しい…
幼少期から何かとリリアナを気にしてくれる、パトリックの兄。小さい頃のリリアナから見れば、そのキラキラの容姿も相まって絵本の中の王子様そのものだった。
「あら?どうしてそんな勘違いを?リリーお姉さまが私の義理のお姉さまになるのではなくて?」
研究室の重いドアを公爵家から連れてきた侍女に開けてもらいながら、兄のパトリックと同じく、天使かと間違えるほどの美少女が研究室に顔を出した。
「あぁ、ヴィー。レベッカ様のお話から解放されたんだね?」
「ちょっと、パトリックお兄さまったら失礼ですわよ。難航していたご自身のご婚約が整ったのです。少しくらいお話に夢中になられても、致し方ありませんわ」
どうやら、サロンでレベッカの話に付き合っていたらしい。やや疲れた表情を見せながらも、軽口を叩くパトリックを諌めた。
「まぁ!ヴィ―も来ていたの?!パトリックったら妹が一緒に来てるなら、先に教えてよ!ヴィ―!久しぶりね、会いたかったわ!」
銀色の柔らかなウェーブヘアと引き込まれそうな青い瞳、白い肌と、儚げな佇まいのパトリックの妹、ヴィヴィアン・リーフェンシュタールだ。
男爵家の末っ子のリリアナは、パトリックと似て、天使が地上に舞い降りたような美貌を持つ2つ年下のヴィヴィアンを、自身の妹のように可愛がっていた。
「リリーお姉さま、お久しぶりです。私もお会いしたかったですわ。リリーお姉さまったら、なかなかお手紙のお返事をくださらないから、寂しかったです」
頻繁にやり取りしていた手紙をリリアナが急に出さなくなったため、ヴィヴィアンは長い睫を伏し目がちにしながら、少しいじけたような表情をした。
リリアナとしても、ヴィヴィアンに連絡を取りたくなかったわけではない。ただ、ヴィヴィアンと連絡を取ることで、ヴィヴィアンの上の兄と王女殿下の婚約の知らせを聞くことを恐れたのだ。
ーーーいつまでも現実を受け入れないままではダメなのにね…
「ヴィー、ごめんなさい。ちょっと、いろいろあって。落ち着いたらまた手紙を書かせてもらうわ」
「まぁ、お忙しかったのですね。ならば私は気を長くしてお返事をお待ちしておりますわ。ただ、上の兄さまが忙しさのあまり苛立っておられます。リリーお姉さまから、お手紙をいただけないかしら?」
「そうだね。あの苛立ちは巻き込まれたら災難だ」
ヴィヴィアンとパトリックは頷き合いながら、リリアナに手紙を出すように進めてきた。
「あら?王女殿下と婚約で何かあったの?噂では、もうじき正式なご婚約発表があるって聞いたわよ」
リリアナの住む帝国の端の領地にさえ噂が広がっている。婚約発表は間近だとリリアナは考えていた。
「王女殿下とご婚約なんてもの、噂にすぎませんわ。…それに、私の義理の姉さまは、リリーお姉さま以外には考えられませんわ!」
ヴィヴィアンは何かを思い出したかのように苛立ちを見せ、上の兄の婚約話を否定した。
ーーー何か、国家間で揉め事でもあったのかしら?
「んん?ちょっと待って?さっきもヴィ―の義理の姉うんぬんって言ってたわよね?私、もしかして、パトリックと婚約するの?」
リリアナは、かなり久しぶりのヴィヴィアンの登場に嬉しさのあまり取り乱してしまったが、先程のヴィヴィアンの一言を思い出して、はっとなった。
ーーー私、前世では未婚だったから、結婚なんて考えもしていなかったけど。貴族令嬢だもの、結婚は避けられないわよね…そっか、パトリックと結婚かぁ…
ーガッシャーン!!ー
リリアナのひと言を聞いて、パトリックが慌てて立ち上がる。パトリックの側に置いてあったガラスの複数のナスフラスコが、ぶつかり試験台から落ちて割れてしまった。
ーーー?!私のナスフラ!特注なのよ!!
「はぁ!?なに言ってるの?リリー姉さま。本気で冗談がきついよ。僕は、まだ死にたくないから…!」
「…リリーお姉さま…それも間違いですわ…」
どうやら2人は特注のナスフラスコよりも、リリアナの婚約話に訂正があるらしい。けれども、リリアナはそれどころではなかった。
「ちょっと?!ナスフラ割れちゃったじゃない!高いのよこれ!パトリック、ナスフラ弁償してもらうからね!!」