魔女
姫には、幼いながらも、たくさんの求婚がありました。
それも当然です。誰からも慕われ、春を思わせるような可愛らしい姫。それに姫の住んでいるフェルディア王国は、とても豊かな国です。そのどれもが手に入るとなれば、他国の王子が黙っているわけがありません。
しかし、姫には相手を決めることが出来ませんでした。
誰かを好きになる……それって、どういう事なのかしら? まだ幼い姫には、その事が分からなかったのです。
それに王もその妃も、たった一人の可愛い姫を手放すことは、まだ出来そうにありませんでした。
「せめて、姫が16歳になるまでは、お断りしましょう……」
悩んだ王と妃は、そう決めていました。
しかし、その事に納得できない者がいたのです。
それは隣の国の第二王子、ダズールです。
ダズールには2つ上に兄がいます。そのため自分は、自国を継ぐことが出来ません。兄の臣下となるか、それとも国を出るか……どちらかひとつしか道はないのです。
しかし姫を妃に迎えることができれば、自分はフェルディア国の王となることが出来る。そう思うと じっとなどしていられません。何としてでも他の王子を出し抜こうと画策します。
小さいと言えども、フェルディアは豊かな国。
ダズールはフェルディアの国が欲しくて欲しくてたまらなかったのです。
(どうしたら手に入るだろう……)
王子は、考えを巡らせます。
しかし、なかなか良い考えが思い浮かびません。
するとそこへ、大臣が来て囁きました。
「森の魔女に頼んでみては?」
「森の魔女……?」
大臣はニヤリと笑いました。
森の魔女──
森の魔女は街のはずれの、深い森の中奥深くに住んでいます。たまに人のためになるような薬も作ってくれますが、悪い魔法を使うからと人々から恐れられています。しかも『悪魔の種』……なる物を持っていると、もっぱらの噂でした。
悪魔の種からは、魔王が生まれます。
魔王は自分の生まれた地を荒らし、その地に命が消えると、再び種となり眠ると言われている存在です。そんな訳のわからない『種』を持っている魔女に近づくなど、到底考えられないことでした。
しかしダズールは、ずる賢そうな笑顔を浮かべると、大臣の提案を受け入れたのです。姫を手に入れられるのなら、悪魔に魂を売ることになっても構わないと、そう思っていました。
(『悪魔の種』を使い、フェルディアを襲わせよう……)
散々暴れたら魔王も眠くなるに違いない。魔王が再び種となり眠りに付くその時、俺がフェルディアを手に入れればいいんだ──。
フェルディアは、もともと豊かな土地。例え今ほどでなくとも、それなりの国に戻すのは簡単なはず。もし手に負えなければ、また魔女の力を借りればいい。
ダズールはそう思い、黒い笑いを顔に張り付けると、森の魔女に会いに行きました。
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森の魔女の家は、街はずれの山のずっと奥。
太陽の日さえ当たらない、大きな崖の下にありました。ドゥドゥと轟き流れる滝が間近にあり、小さな魔女の家は今にも押し流されそうに見えました。
「……」
ダズールはゴクリ……と唾を飲み込むと、そのちっぽけな家の扉をハタハタと叩きました。すると扉はすぐ開きました。赤黒い瞳がギロリ……とダズールを睨みます。
「……なにか、ご用かね?」
赤い目に、ひょろひょろとした細い体。真っ黒のローブを無造作に羽織り、その老婆はダズールを見上げるように睨みます。
そのローブからはボサボサの長い黒髪が、腰の辺りまで流れ出ていました。
いかにも悪い魔女です。
腰はひどく折れ曲がり、ボコボコとした ふしくれだった長い大きな杖を支えに、やっと立っている……そんな感じでした。
ダズールをひとしきり睨むと、魔女は『ケッ!』と滝つぼに向かって唾を吐きました。
それを見てダズールは眉をひそめ、少し声を震わせながら口を開きます。
「……悪魔の種が欲しい」
ただ一言そう言うと、魔女は薄く笑いました。
「そろそろ、誰かが『アレ』を取りに来る頃だと思ったよ……」
しわがれたその声は、どことなく蔑んだ響きがあり、ダズールは不愉快になりました。自分が悪いことをしている自覚はある。あるけれど、それをこんなボロボロの魔女に指摘されたくはない……そう言っているように見えました。
そんなダズールの気持ちに気づいたのか気づかなかったのか、魔女はコツン。コツン。……と杖を響かせながら、家の奥にある棚の方へゆっくりと歩いて行き、1つの小さな箱を手に取りました。
「人の憎悪が重なるとき、魔王は再び産まれるだろう──」
ひひひひ……と魔女は不気味に笑い、ダズールにその小箱を見せたのでした。
それは、あずき色の小さな小箱で、複雑な金の細工が施されています。魔女の持ち物とは思えないほど、それは立派な小箱でした。
「魔王を甦らせるその場所に、この箱の中にある種を植えるがいい」
くく、と笑いながら魔女は続けます。
「魔王が産まれ出でたその国が滅びれば、魔王は再び『種』となる。しかし……もし、もしも万が一、……まぁ、これは有り得ぬとは思うが、万が一魔王が『種』として眠りにつかぬその時は、お前の命は露と消えることだろうよ……。ひひひひひ…… 」
不気味な魔女のその言葉に、ダズールは多少怯みながらも答えました。
「……い、いいだろう。
……魔王が再び、眠りにつかなければ、こちらの計画もうまくはいかないという事だからな。かならず眠ってもらう……」
「……」
魔女は『ケッ!』と部屋の隅に唾を吐きながら、小箱をダズールに渡しました。
それから魔女は、再び楽しげに笑うと、ダズールに渡した小箱のみを残し、魔女の家もろとも かき消えてしまったのでした。
「……っ、」
ダズールは恐ろしくなりましたが、引き返すことは出来ません。
逃げるように森を後にし、その日のうちにフェルディアの国が見下ろせる小高い丘のてっぺんへ行くと、魔女からもらったその悪魔の種を植えたのでした。




