・第一幕「里心」その3(後)
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<O-276(紀元前500/499)年><夏><ペルシャ帝国の首都・スーサ><大王の宮殿にて>
――さて、門前で打合せを済ませた俺とメガバテスは、巨大な宮殿の門を潜ると、いくつもの豪華な部屋を経た先にある大王の間に通された。やたら天井の高ぇ正方形の部屋で、ご立派な丸柱が三十六本も林立してやがる。――まぁその多くは俺たちイオニア(浦上)人が尽力したもので、かく言うこの俺も柱や壁の彫刻なんかを一部指導してたりもするんだがな。――その正面奥の段差の上にでかくて豪奢な椅子があり、そこに大王・ダレイオスがいかにも王者らしく偉そうにゆったり座っていた。
その左右には帝国のお歴々たる大勢の取り巻きも椅子に腰掛けこちらを注目している。胆力のねぇ野郎どもなら、ここで心底震え上がってまともに喋る事もままならねぇだろうな。隣りのメガバテスも心なし上ずってる感じだ。
ちなみに、ペルシャ人同士の礼儀作法では、身分が同等の場合は口づけをし合い、少し差がある場合は頬を付け合い、かなり差がある場合は下等の者が土下座して平伏するんだが、大王陛下に対しては一部の近親者を除いては基本的に地面に頭をこすりつけることになる。ギリシャ(倭)人なら神に対してしか決してやらねぇ大仰な作法だが、大王・ダレイオスは神に等しき人物だからな、敢えて拒む奴なんて誰もいやしねぇ。
だからこの俺も大人しく大王陛下の前に跪いて挨拶をする。――
大王-ダレイオス
「朕の忠実なるヒスティアイオスよ。本日は他でもない、汝の代理人が『とある島を攻めるべきだ』との提案をしたことに対する汝の見解を知りたいと思ってな。これを是とすべきか非とすべきか、憚ることなく申してみよ」
主役-ヒスティアイオス
「陛下、取るに足らぬこのヒスティアイオスめに、かような大事を親しくご下問くださること、内外の栄誉これに過ぐることはなく、感謝の他に言葉は御座いません。
さて、ご質問の件でございますが、このヒスティアイオスめが考えますに、この作戦を実行した場合の損得を考えますれば、是とするのがより好ましい答えでございしょう。なぜならナクソス(上対馬)島はエーゲ海のほぼ中央に浮かぶ島であり、ここを抑えればエーゲ海全体に睨みを利かせられるのに加え、さらに対岸のギリシャ(倭)本土のほうへの足がかりとしてもまことに有効であるからです。
しかも、このヒスティアイオスめの代理人・アリスタゴラスの報告によれば、現在ナクソス(上対馬)島の有力者がわがミレトス(柔①)に亡命しているとの話であります。であれば、彼らをうまく利用し島の内紛を煽り立てたならば、なんら労せずしてこれを攻め取ることも可能になりましょう。
以上のことを考えますれば、この作戦は損することがほぼ無く、得することばかりが多い優れた提案であるとこのヒスティアイオスめは判断いたします」
大王-ダレイオス
「なるほど、しかし一つ懸念すべきことがある。それはこの提案をした者が他ならぬ汝の代理人であるということだ。もしも汝が汝の身内であることを理由にこの提案を贔屓し賛成しているというのであれば、それは大いに差し引かねばならぬであろう。この件について、なにか言うことはあるか?」
主役-ヒスティアイオス
「陛下のご懸念はまことにもっともなことであると存じます。たしかに、この作戦の提案をしたのはこのヒスティアイオスめの従兄弟であり、このヒスティアイオスめの代理人であります。身内に甘いのは世の常であり、身内に頼まれればなかなか断りづらいのもまた人情でしょう。このヒスティアイオスめが、いくら『陛下の御為にならないことは、たとえ身内からの依頼であったとしても絶対に無視する』と申し上げたところで、容易にご納得いただけないのも無理からぬことです。
であれば、ここで、このヒスティアイオスめのほうから、この提案の修正案を憚り乍ら提出させていただきましょう。と申しますのも、実のところこの作戦案はわが代理人・アリスタゴラスが一人で考案したもので、このヒスティアイオスめに知らされたのもつい先日のことでした。すなわち、このヒスティアイオスめの目からすればまだまだ粗があると言わざるを得ない部分があったにも関わらずそれを指摘する機会がありませんでした。であれば、それを修整する案をここで提言させていただいたなら、ただの身内贔屓で無条件に賛成しているとのご懸念も払えましょう」
大王-ダレイオス
「なるほど、道理であるな。ならばそれを申してみよ」
主役-ヒスティアイオス
「ありがとうございます。それでは憚り乍ら提言させていただきます。とても簡単な話で恐縮なのですが、まず、この作戦を必ず成功裡に終わらせる最高の案はこのヒスティアイオスめを現地におくだしになり、この作戦を指揮させることにあると考えます。こちらのメガバテス殿を遠征軍の司令官に任命されるのであれば、このヒスティアイオスめをその参謀役に据えられるのが最善の組み合わせであろうと具申いたします!」
取り巻きたち
「「「ザワザワ、ザワザワ」」」
主役-ヒスティアイオス
「そもそも、ナクソス(上対馬)島から亡命してきた有力者たちはこのこのヒスティアイオスめの旧友たちでありますから、彼らを最もよく扱えるのはこのヒスティアイオスめを置いて他におりません。
このヒスティアイオスめの代理人・アリスタゴラスは、このヒスティアイオスめが見込んだ者であるからには、優秀な人物であることに違いはないと自負いたしておりますが、そうは言っても、彼はこのヒスティアイオスめほどの軍事経験を積んではおりませんので、確実を期すのであれば、彼よりもこのヒスティアイオスめを遠征軍の参謀役にするほうが遥かに無難であるに違いないからです。
また、彼と違って、このヒスティアイオスめは大王陛下のお傍に十年以上も侍らせていただいておりますので、大王陛下のご意向を誤りなく弁えているであろうことはこちらに居られる方々もお認めくださるところでしょう。であれば、このヒスティアイオスめであれば、陛下のお考えを寸分も違えることなく、安心して敵地での軍事作戦に送り出すことが出来ましょう。
どうか、大王陛下の手足のごときこのヒスティアイオスめを現地におくだしになり、この作戦案を完璧なる成功に導かれんことを陛下の忠実なるこのヒスティアイオスめは、憚り乍ら提案する次第で御座います!」
――ところで、ここでしゃべってるのはもちろんギリシャ(倭)語ではなくペルシャ語だ。さっき門前でメガバテスとしゃべってたのも当然ペルシャ語だったんだが、辺境の異民族出身のこの俺がペルシャ人の高官連中と割に親しく付き合えるのは、おそらくペルシャ人並みにペルシャ語を扱えてるからに違いねぇ。ここで出世するには必須だしな。
なにしろ、ペルシャ語を覚えたのはかなり若ぇ頃だったから大して訛らねぇで、違和感なく会話も出来てるはずだ。むろん、大王に対しては特別丁寧な言葉使いってやつで、最大限気を使ってきちんとしゃべってるつもりだ。
ってな訳で、普段「俺だ」の「お前だ」のしゃべってる俺の口ぶりからするとかなり違ってて情けなく聞えるかもしれねぇが、大王の前では皆そうだから、敢えてそういうふうに振る舞ってるんだと了解しておいてくれ。大王の従兄弟だって同じような感じでしゃべってるんだからよう。――
大王-ダレイオス
「なるほど、いかにもヒスティアイオスらしい提案であった。そして実直なるメガバテスらしい説明であった。
さて、汝らの意見は全て理解した。では、以上の情報をもとに、この作戦を実行すべきかどうか、朕の最も信頼する弟・アルタバノスよ、そして最も賢き娘・アルトゾストラよ、本日はそなたらの助言を得ることにしよう。そなたらはどう考える?」
王弟-アルタバノス
「この世界で最も偉大なる兄上よ、いつものことながら、それがしの役目は慎重の上にも慎重を重ねた意見を申し上げること。この立場から鑑みるに、この作戦案は過ぎし日のスキュタイ攻め等に比べれば飯事のようなものであり、取り立てて危惧するほどのものでは無いように思えます。サルディス城の総督・アルタプレネスの裁量に全て委ねても特に問題はないかと。
ただし、海を渡って軍船によって攻めるという戦い方は、我らが必ずしも慣れてはおらぬことゆえ、それが唯一の難点かもしれませぬ。とはいえ、この作戦には海の事情を良く知る地元のミレトス(柔①)人が責任を持って先導するとのことであるから、その者らを参謀役に据え油断なく準備させるというのであれば、ちっぽけな島を一つ攻め取ることに失敗するほうが難しいように思えます。
すなわち、この作戦案に許可を出されてよろしいかと」
王女-アルトゾストラ
「全世界の王たる偉大な父上、まだ若輩者のわたくしめをかような会議の場に出席させていただくのみならず、さらにはわが意見をもお聴き届けいただけるとのこと、まことに歓喜の念に耐えません。わたくしめは叔父上ほど慎重ではありませんが、父上が誤った選択をされませぬよう、わたくしなりに鋭き意見を述べられるよう心がけまする。
さて、わたくしもこの作戦案は、叔父上と同じく、特にご懸念されるほどの問題とは思いませぬ。と申しますのも、この作戦を遂行するための軍船や兵士は現地のイオニア(浦上)人どもに用意させるのですから、たとえ万が一失敗したとしても損害をこうむるのは彼らであって、我々ではありません。また、この作戦案を提案したのも地元のミレトス(柔①)人どもなのですから、たとえ失敗したとしても全ての責任はその者どもに取らせれば済むため、我々の傷とはなりません。
逆にこの作戦が成功すれば、その果実は全て我々のものとなります。『夷を以て夷を制す』という言葉がありますが、この作戦はまさにそのような種類のものかとわたくしは考えます。
ゆえに、この作戦案は是とされて然るべきかと」
――このアルトゾストラとか言う女、俺も初めて見たんだが、おそらくかなりヤベェ女だ。大王には妻や妾が大勢いるから、娘も腐るほど居るんだが、どうやら取り分け気に入られてるらしい。それを証拠に、普通こういう場には息子とか腹心とか信頼のおける男どもしか同席させねぇはずが、いくら大王の愛娘とはいえまだ十代の女に政治的な助言も求めるってんだから、お頭のほうも伊達じゃねぇってこったろうな。
それとも、「ナクソス(上対馬)攻め」なんて大して重要な話題でもねぇから、娘に適当に発言させてるってことか?――
大王-ダレイオス
「なるほど、そなたらの意見が完全に一致するのであれば特に問題はなさそうであるな。ならば次に、この作戦を遂行するとして、ヒスティアイオスは『その参謀役として、自分こそが相応しい』と述べておるが、この件についてはどう考えるか?」
王弟-アルタバノス
「この世界で最も偉大なる兄上よ、この作戦は先ほども述べたとおり、さして重要でも困難なものでも無いとそれがしは考えます。だとすれば、参謀役などは格別に優秀である必要はなく、むしろそのような者を辺境で自由にさせることのほうが危険であると考えます。
であれば、これまでの方針通り、ミレトス(柔①)のヒスティアイオスは兄上の傍近くに置き、このように有益な意見を述べさせるに留めるのが最善であると考えます。それがこの者にとりても最も幸せなことでありましょう。
まぁこの者に限らず、いくら優秀な者とはいえ一人でどれほどの事が出来るかという話では御座いますが、後悔よりは慎重を好むべきだとそれがしは考えます」
王女-アルトゾストラ
「全世界の王たる偉大な父上、わたくしも叔父上と全く同じ考えにございます。父上の帝国はその巨大過ぎる版図がために、辺境までたどり着くに数ヶ月や半年かかることも珍しくございません。であれば、大軍を率いる司令官や参謀にはよほど忠誠心に篤い者を指名せねばなりませぬ。
沿海地方のサルディス城には父上の腹違いの弟君であらせられるアルタプレネス殿を長らく任命されているように、父上のご兄弟やご子息、あるいは妻の実家や娘婿といった近縁者こそが最もそれにふさわしい手駒でございましょう。
また、『優秀な者』程度であれば大したことも仕出かさぬかもしれませぬが、『優秀過ぎる者』というのはまさに諸刃の剣でございます。その手の者に大軍を委ね、辺境の地へ赴かせたなら、それこそが最大の不安の種となりましょう。こちらに侍るヒスティアイオスもそうした種類の者の一人と思われます。
わたくしの婿となるべきマルドニオス殿が申しておりましたが、この者は自宅の庭に『運動場』なるものをこしらえ、そこにペルシャ人の高官どもを集め、彼らを裸にした上でギリシャ(倭)式の運動競技なるものを教えているそうでございます。おかげで、彼の邸に通うペルシャ人たちはヒスティアイオスのことを『師匠』などと呼んで慕って居るとかいないとか。
こちらに居られるメガバテス殿もその一人だと伺っておりますし、遺憾ながらわが夫となるべきマルドニオス殿もこの者と親しくしておるようです。他の不埒な者共ならばいざ知らず、わが婿殿ですら彼のことをそのように認めているということは、この者がひとかどの人物であることに疑いはなきかに思えます。辺境の異民族の出身でありながら、かように大勢をたぶらかし、あまつさえ我らペルシャ人の間で着実に勢力を拡げるこの者は、決して油断ならぬゆゆしき存在に違いなく、父上のお膝元たるここスーサですらこうなのだから、この者を故郷に帰して解き放てば一体どのようなことになるか、火を見るより明らかだとわくしはご忠告する次第です」
――こいつは気に入らねぇ。気に入らねぇが、この女はなかなかに鋭い。大王を説得するにはまずこの女を攻略しなけりゃならねぇようだ。
だがよぉ、さらに気に入らねぇのは、この女ははっきり言って、俺がこれまで見て来た中で、最もヤベェ女に違いない。何がヤベェかっていやぁ、まずその容貌だ。ペルシャ人の女は大概背が高くて恵まれた体格をしてるが、こいつはその中でも特に手足がスラリと長く、筋肉質で堂々たる体をしてるもんだから、やたら豪奢な衣装を身に纏ってても、全く見劣りがしやがらねぇんだ。
しかもその眼差したるや、これぞ絶世の美女というやつだろう。長ぇ睫毛を縁取るようにほんのり赤らんで、その潤んだ黒目勝ちな瞳をより一層際立たせやがる。距離的に、匂いなんて届きゃしねぇはずなのに、なぜだか妖艶な香がその身体から匂い立って来るように、そう錯覚させるほどヤベェ女なんだ。
大王ならずとも、この女になにか言われたら、それが全て正しいとでも思っちまうんだろうな。しかも言ってることがなかなか的を射てるからなおさら手に負えねぇ。お手上げとはこのことだ。
隣りのメガバテスも、このヤベェ色香に完全にやられちまったらしい。完璧に惚けてやがる。参謀役の件で「俺のこと応援しろ」って言ってたはずが、こいつ結局一言もしゃべりやがらねぇ。
そんなこんなで、大王・ダレイオスの結論は『ナクソス(上対馬)攻めの総司令官はメガバテス、その作戦参謀としてはアリスタゴラスを任命し、来る春までに沿海地方で軍船を動員し出陣せよ』とのことだった。――
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