・第一幕「里心」その2
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<O-276(紀元前500/499)年><夏><ペルシャ帝国の首都・スーサ><ヒスティアイオスの邸にて>
執事長
「ヒスティアイオスさま、ミレトス(柔①)からのお客人がご到着なさいました」
主役-ヒスティアイオス
「おう、通せ通せ、ここに通せ」
代理人-アリスタゴラス
「叔父貴~! 本当にお久しぶりです~!」
主役-ヒスティアイオス
「おう、アリスタゴラス! 長旅ご苦労だったな! えれぇ日に焼けてるが、体調崩したりとかしてねぇか?」
代理人-アリスタゴラス
「いえいえ~、御陰さまで案外悪く無い旅路だったようで、病気やケガをすることなく、楽しい旅を満喫させてもらいましたよ~。なにしろ、ペルシャ帝国の顎足付でしたからね~」
主役-ヒスティアイオス
「そうかそうか、そいつは良かったな」
代理人-アリスタゴラス
「ただ、この地方の暑さはなかなかの酷さですよね。山からくだった途端、地面が焦げてるのかと思う程で、馬やロバも悲鳴をあげていましたよ。私も頭がクラクラして、まるで釜かなにかで焼き物にでもされてる気分です」
主役-ヒスティアイオス
「確かにな、スーサの都も冬は温っかくて良いんだが、夏はちときついかもしれねぇんだよな、ったく。大王陛下も本当なら、夏の間はメディア高原にでも移って涼まれたりするんだがよぉ、今年は他の用があるらしくてな」
代理人-アリスタゴラス
「へぇ~、そうだったんですか。それにしても、イオニア(浦上)の海岸から九十日以上もの歩き旅をすると、まるで違う星にでも来たかのようです。エーゲ海から見るに、アジア大陸はまことに途方も無く、奥が深く、これがまだまだインドやバクトリアに向かって続いているというのだから、本当に世界は広い、広過ぎますよね」
主役-ヒスティアイオス
「違いねぇ。そんで、ペルシャ人はこの途方もねぇ世界をぜんぶ征服してるってんだから、正直呆れるよな」
代理人-アリスタゴラス
「ですよね~、これなら無理してエーゲ海のほうまで征服する必要、全然無いと思うんですけどね~」
主役-ヒスティアイオス
「けっ、なに言いやがる、そういうお前はさらにペルシャ人どもをそそのかして、そっちに出兵させようとしてるんだろ?」
代理人-アリスタゴラス
「そうなんですよ~、成り行きとはいえ、そうなってしまいました。事後承諾になってしまい大変申し訳ないのだけれど、ペルシャ軍の力を借りてナクソス(上対馬)島を攻略しようと考えています。そこで是非とも叔父貴には、大王・ダレイオスへの口添えをお願いしたいのです」
――このアリスタゴラスという男は俺の従兄弟で、俺が長ぇこと留守にしてるミレトス(柔①)市を代理人として支配させている。そのため、こいつ自身がスーサの都まで訪ねて来ることは滅多に無ぇことなんだが、エーゲ海に浮かぶナクソス(上対馬)島への軍事行動をサルディス城の総督に提案したら、「上洛して大王陛下に直接ご説明して許可を得て来い」との命令を受けたんだそうだ。――
代理人-アリスタゴラス
「自分で言うのもなんなのだけれど、これはなかなか賢い作戦だと思うのですよ。叔父貴もよくご存知のとおり、ナクソス(上対馬)島はエーゲ海のほぼ真中に浮かぶ大きめの島で、周囲の島々を影響下に置いているのだけれど、それはつまり多くの重装兵や軍船を保有した軍事大国ということなのです。そのため、普通にやればかなり攻略が難しいはずなのだけれど、島の上流階級たちが大衆派に追われてわがミレトス(柔①)に亡命してきたのですから、内政干渉するには絶好の機会が訪れたのです。
手紙でもお知らせしましたが、彼らは叔父貴と旧知の間柄だそうですから、代理人であるこの私のことも大いに信用してくれてます。彼らを島に復帰させてあげたなら、彼らが牛耳るナクソス(上対馬)市を通じてエーゲ海の島々をもわがミレトス(柔①)市の影響下に置く事が出来るでしょう。
とはいえ、この作戦を私たちだけでやってしまえば、きっとペルシャ人が良い顔をしないですよね。そこで、私はサルディス城の総督・アルタプレネス殿に会いに行き、『ペルシャ軍の力でナクソス(上対馬)島を攻略すべきだ』と入れ知恵したのです。ペルシャ人をエーゲ海に関わらせるのはあとあと面倒だという考え方もあるでしょうが、しかし彼らは海を苦手にしていますからね。エーゲ海の攻略はどう考えても私たちヘラス(大和)人の力を頼るしかありません。
だとすれば、この作戦はペルシャ軍の力を借りて、実質的には私たちミレトス(柔①)人が全てを取り仕切り、戦後はエーゲ海の島々の面倒も任されるという、一石で何鳥もの利益が見込める、まさにお買い得な作戦案という訳なのです」
主役-ヒスティアイオス
「おい、アリスタゴラス、そういう事をあんまり大っぴらに言うんじゃねぇよ。ここは大王陛下のお膝元だぞ? どこに大王の目やら耳やらが潜んでるか分かったもんじゃねぇんだ。イオニア(浦上)と同じ感覚でやってたら、冗談じゃなくその寿命を縮めるぜ?」
代理人-アリスタゴラス
「おっと、それはとても恐ろしいことですね。でも問題はありませんよ。この作戦案は私たちだけが得するものではなく、ペルシャ人だって一石で何鳥も得するような話なのですから。だってこの私にちょっと軍勢を貸し出しさえすれば、エーゲ海の島々をペルシャ帝国の版図に加えることが簡単に出来るというお得過ぎる話なのですから。私たちはそのおこぼれを頂戴するに過ぎないのだから」
主役-ヒスティアイオス
「やれやれ、相変わらず口だけは達者な野郎だ、ったく。で、俺は大王陛下にお前の作戦案に賛成だって口入れしとけって話だな?」
代理人-アリスタゴラス
「よろしくお願いします。実はもう大王・ダレイオスにはご挨拶してきたのです。この町に入ると同時に大王の前へ召還されましたので、今叔父貴に述べたような内容はほぼ説明しておきました。すると大王は『ヒスティアイオスに相談してから、是か否かの結論を下す』と述べられましたので、叔父貴にはもうあと一押しをしていただければ結構です」
主役-ヒスティアイオス
「お前なぁ、さっきから全部事後承諾じゃねぇかよ、ったく。俺にそれを依頼したいのなら、もっと先に詳しく相談しておきやがれ」
代理人-アリスタゴラス
「それは確かにそうだとは思うのだけれど、でも叔父貴、私は今回のこの作戦に人生を賭けているのです。自分はこれまでずっと叔父貴の代理人として、その肩書きでミレトス(柔①)市を主導してきました。でもそれは私の実力ではなくあくまで叔父貴の近縁者だという理由から下駄を履かせてもらっているだけで、『それが無ければ何も出来ないような本当は大した事のない奴だ』ってそういう陰口も散々たたかれてきたんです。
でも私だって、叔父貴の代理人をやり始めてからもう十年以上は経っているのです。その間、私はこれといった失敗をおかすことなく、ミレトス(柔①)市を無事に保って、イオニア(浦上)地方に数多ある諸市の中でも最も栄えていると評判の町を衰えさせることなく、ずっと維持し続けてきたという自負だってあるのです。
だったら、そろそろ私だって自分の力だけで、自分に力があることを証明したいのです。だから今回は申し訳ないのだけれど、叔父貴にはあまり相談せずに、自力でこの作戦案を進めさせてもらいました。それにそもそも、今回のこの作戦はこんな遠くに住む叔父貴に一々相談していては時機を失する恐れもありましたので、このようなことになるのも無理からぬことだと思うのですよ。だって、返事が届くまで半年近くもかかるのですから。
だから、決して叔父貴の権威をないがしろにするつもりなんてありませんでしたし、どうかこんな私にご助力いただきたいのです」
――なるほどなぁ、たしかにそう言われてみりゃ、こいつはこいつで辛ぇ思いとかしてたのかもしれねぇんだよな。ならしゃあねぇか、なるだけ応援はしてやらねぇとな。――
主役-ヒスティアイオス
「解ったよ。大王陛下もお前にすぐ会ったということは、この作戦案にそれなりに関心を持ってるってこったろうからな。俺も呼び出されたら、きっちり賛成の意見を述べて来てやるよ」
代理人-アリスタゴラス
「さすがは叔父貴! 大王の側近を十年以上も仰せつかっているのは伊達ではありませんね! これで、ナクソス(上対馬)攻めは成功したも同じです、ありがとうございます!」
主役-ヒスティアイオス
「やれやれ、ったく。ところで、あいつ死んだんだってな。どんな最期だったか詳しく聞かせてくれねぇか」
代理人-アリスタゴラス
「あっと、これは大事なことを忘れていました。まことに遺憾なことながら、叔父貴からいただいたわが妻は、先頃、享年二十五才にして永眠と相成りました。亡くなる直前まで私のことを痛く罵るほど元気でしたので、とても意外な最期でした。医者の診断によれば、死因は内蔵系の衰弱によるものであったとのことです。あれほど健康そうであったのに、人間というのは本当にいつ死ぬか判らぬ儚い存在なのだと改めて思い知らされました。
彼女の遺体は、叔父貴の指示どおり、一族の墓地に埋葬し、生前の姿を美しく彫らせた墓碑を立派に設えさせ、市の費用で盛大な葬儀も執り行わせました。この日ばかりは、さすがのエーゲ海も暗く濁っていたように思えました」
主役-ヒスティアイオス
「そうか、そいつは済まなかったな。一人娘の葬儀くらい、出席したかったんだが」
代理人-アリスタゴラス
「叔父貴の心中、深くお察しします。そして、彼女との間に子供を儲けられなかったことを、深くお詫びします。男の子を二人以上産んで、叔父貴にお渡しするという約束も果たせませんでした」
主役-ヒスティアイオス
「まぁ、そいつは仕方ねぇよ。授かるか授からねぇかは神様の領分だからな。それに、お前さんはまだ若ぇんだ。これから子宝に恵まれることもあるだろう。俺はもう諦めたが、お前はまだまだ頑張れよ」
代理人-アリスタゴラス
「叔父貴にそう言ってもらえると、心の枷が少し外れるようです。実は、叔父貴もご存知かとは思うのだけれど、ディデュマ(浦神)の神殿に『姉巫女』と呼ばれる巫女がいますよね。彼女は父親との約束で三十才になれば神託の巫女を引退する許可が出ることになっているのだけれど、実はあと一年ちょいでそうなるのです。そこで、彼女は引退後に結婚する相手を探しているのだけれど、ちょうど私が独り身になるということで、もしよろしければという話に密かになっていたりするのです」
主役-ヒスティアイオス
「おいお前、俺の娘が亡くなったばかりだってのに、もう次の女の話かよ。ったく、良いご身分だな」
代理人-アリスタゴラス
「えっ、でもそうは言っても、叔父貴とはなかなか会えないから、これを良い機会に再婚のこととかもなるべく早めに相談しておくべきかと思いまして」
主役-ヒスティアイオス
「ナクソス(上対馬)攻めのことは相談しねぇくせに、こういうことだけ気安く相談するんじゃねぇよ、ったく」
代理人-アリスタゴラス
「これは大変失礼しました。でも叔父貴、もしも彼女との間に子供が出来たなら、叔父貴にも真先に男子を一人お譲りすることを約束しますので、どうか私たちの再婚を応援してもらいたいのです。私と彼女とは幼なじみで、子供時分に結婚を口約束していたような仲だったりするのだけれど、もちろんそれは冗談ではあったのですけれど、運命の神のいたずらかめぐりめぐってこうして今それを実現させられる状況になったのです。お互いもう結構な年齢ですが、他ならぬ叔父貴が祝福してくれるというのなら、私たちは誰憚ることなくとても上手くやっていけると思うのです」
主役-ヒスティアイオス
「わーったよ、祝福してやるよ。そいで、子供でもなんでも好きなだけ作りやがれ」
代理人-アリスタゴラス
「ありがとう、叔父貴! そう言ってもらえると、本当に助かります! 彼女との結婚が決まったなら、いの一番に叔父貴に報告しますから!」
――ったく、こいつは相変わらず必要ねぇことまでペラペラしゃべり過ぎる癖がありやがるよな。だいたい、一人娘を失ったばかりの舅を前にしてよぉ、次の女の相談を普通するもんかね? まぁ娘が亡くなったのはもう一年近く前ではあるがよぉ。
それにしても気に喰わねぇな。娘との夫婦仲があまり芳しいものじゃなかったってのは聞いたことがあるがよぉ、まさかこいつが殺したってこたぁ、さすがにねぇよな? もしそうなら、こいつを許しておきはしねぇんだが。少なくとも代理人の地位は剥奪して、下級市民にでも突き落としてやるんだが。
ただし、そいつをきっちり調査したくとも、この俺がミレトス(柔①)にくだる許可はおりやしねぇだろうな。ったく、だったらどうする?
いや待てよ、そうか、こいつはナクソス(上対馬)攻めの許可を得にここまでやって来たんだったな。なら、例えば『この俺があいつに成り替わってナクソス(上対馬)攻めの指揮を執るべきだ』なんてなことを大王に強く助言したなら、俺は合法的にイオニア(浦上)にくだることが可能になるんじゃねぇのか? そうすりゃ、ついでに娘の死因を詳しく調べることだって可能になるんじゃねぇのか?
まぁ、アリスタゴラスの野郎が娘を本当に殺ったかどうかはともかくとしてだ、証拠があるわけでもねぇしな、これが上手くいきゃあ念願の里帰りが叶うという訳だ。そいでエーゲ海を自由に飛び回り、もっと遠くにだって羽を伸ばすことが出来るに違いねぇ。自由だ、夢にまで見た自由が手に入るんだ!
よし、だったらこれだな。正直駄目元かもしれねぇが、いくらなんでももう十年以上ずっと帰国を止められてんだ。さすがに「死んだ一人娘の墓参りもしてやりてぇんだ」とでも付け加えてやりゃあ、情にほだされて許可がおりる目もあるんじゃねぇのか?
とにかく全力で大王に助言って奴をぶち噛ましてやろうじゃねぇか!――
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