08
「それはあのほらあれよっ」
「どれですか?」
そう急かさないでほしい。
また気持ちが悪いと言われてしまうであろうことを口にしようとしている。
けれどここでハッキリしておかないと妙に鋭い彼女のせいで落ち着いた時間が過ごせない。
「……あなたといるの苦しいの」
「どうしてですか?」
「だってあなたは私のことが嫌いじゃない……それにあなたは仕方がなく私といてくれている、それが苦しい……私が気になった人とは必ず上手くいかない運命だから」
でも、なだれは自分の願い通りに茉優先輩と関係を戻せた。
羨ましい、あの格好いい先輩の大切な人でいられることが。
羨ましい、あの優しい可愛い女の子の大切な存在でいられることが。
だが、私は違う、家族からすら必要とされていないどうしようもない存在。
プライドがあるから死ぬことは断固としてゴメンだが、ただなんともない時間を送るだけ。
それが悪いとは言わない、真面目に勉強をして卒業して社会に出て働くだけの人生もいいだろう。
しかしどうせなら……自分の気になった人とくらい仲良くなりたい。
周りがしているように大切になりたいのだ、そしてひとりを大切にしたい。
「ふーん、そうですか」
「……ええ、そうよ」
「ならこれから仲良くすればいいんじゃないですか? 私、約束守りますよ? 母と交わした約束を破ったあなたとは違います」
約束……ああ、お姫様役を演じるって嘘ついたんだ私は。
本当は人気すぎて私はただの村人Aだったわけだが、あまりにも期待するものだから言えなかった。
で、当日にバレて、怒られて、そこからずっとあの調子。私が嘘をついたことが嫌だったんだろう。
「本当にそれだけですか?」
「……捨てれば楽になると思ったの」
「それって……まだあったんですか? 私への気持ち」
「……なだれが無理だって分かったらあずさしかいないと思って。それであなたに触れているとぽわぽわとした気分になるの。初めて好きだと気づいた……あなたが小学生だった頃のように」
不思議な顔と声を出して彼女は私に抱きしめられていた。
それでも彼女しかいないと思ったんだ、その頃は両親からの評価がもう悪かったから。
外では生憎と上手く溶け込めなかったし、なんだかんだであずさは来てくれていたから依存した。
妹がいない時にベッドで寝転んだ時もある。服の匂いを嗅いで自分を落ち着かせたことだってある。
だが、中学卒業と同時にいつの間にか契約していた賃貸に追いやられ、そこから慣れないひとり暮らし生活が始まった。
ただまあ1年間もあっていないと人間ってのは途端にぎこちなくなるものだ。
おまけに両親からは圧力をかけられ、ああいう対応をしたということだったが――あれは単なる彼女の気持ちだったのではないかと考えている。
「もう少し待ってちょうだい、そうすれば捨てられるから」
「はあ……本当に困った姉さんですね。私達は血の繋がった姉妹なんですよ? それだけではなくあの両親がそんなの許すと思いますか?」
「だから捨てようとしているじゃない……出ていってっ」
「私が小学生の時からのそれを簡単に捨てることができるんですか? なだれさんが無理だと分かった瞬間にぐんぐんと出てきてしまっているんですよね? いまだって私に触れたり、キスしたりしたいんですよね? こうして顔を近づけたとしても、あなたは我慢できるんですか?」
なにがしたいのか分からない。
困るとか口にしているくせに困ることになりそうなことをするってどういうことだ。
もうこのまま奪ったっていいんだぞ、どうせ嫌われているんだし、捨てるつもりなんだし。
でもそうなったら困るのはあずさでしょ、嫌いな人間に無理やりキスされるんだから。
――じゃあ関係ない、私はそのまま彼女を抱きしめる。
「……苦しいですよ」
「本当はあなたがしてほしいんじゃないの? 気持ちが悪いと言った人間にここまで近づく理由ってそれくらいしか考えつかないんだけれど」
「……私はあなたに抱きしめられても嫌ではなかったですからね」
「冗談よ……」
離して寝転ぶ。
顔を見られたくないからなるべく遠くに。
そうしたらベッドの端から落ちて後頭部を打った。
「っつ……痛い……」
「馬鹿ですねあなたは」
「そうなのよ、実の妹を好きになる馬鹿なの。私に唯一笑顔を見せてくれるあなたに恋したのよ」
ベッドの側面に張り付きとにかく顔を見せない。
その方がよりシュールであずさも退屈しないだろうから。
「妹に恋ですか」
「分からなかった?」
「いえ、露骨でしたからね。アイス買ってあげるから抱きしめさせて、おかずあげるから手握らせて、怖いだろうから一緒に寝てあげる、ちゃんと洗ってあげる――ふふ、そりゃ母だって気づきますよ、怪しいですもん」
私、ヘッタクソすぎる……。
しかもそれを小学生時代の彼女にしたんだぞ、一歩間違えたら犯罪だ。
「1番大胆だったのは、なにも言わないでキスさせて、ですよね」
「性的虐待よね……」
実の姉が妹にそんなことを……本当に笑えない。
「私のベッドに転んで名前を呟いていた時もありましたよね」
「うぇ……き、気づいていたの」
だからってそれ以上のことはしていない。
妹の匂いに包まれながら自分をそういう意味で慰めるなんてことはしてない。
いらない情報ではあるが、そういうことを1度としてしたことはなかった。
「いいですよ」
「は」
「いいですよ、そのままで。どうせもう両親は味方ではありませんし、そういう点でもお互いにお似合いじゃないですか?」
「じょ、冗談はやめなさい……」
「ならキスします? あなたがしたかったことをできるんですよ?」
無理やり顔を反転させられ仕方なく体も同じ方に向ける。
痛いからしょうがない、別にこれはそういうのではないのに。
「ほらここに。それとも私にしてほしいですか?」
「……して」
「分かりました。でもさすがに恥ずかしいので目を閉じていてくださいね」
彼女の唇が重ねられてから5秒、10秒、15秒――体感的にはそうしてどんどん積み重なっていく。
しかし彼女は唇を離してこちらのおでこにでこぴんをかましてから、「たった一瞬しかしていないのになんですかその蕩けた顔は」と言って妖艶に微笑んだ。
「これで分かりましたよね?」
「……いいの?」
「あれ、でも付き合うとはまだ言っていませんよ? このままの距離感で過ごして、気が変わった場合にはなにも言わずまた奪います。それがなければ進むべきではなかったのだと判断してください」
「……ええ」
キスから始まるなんてだいぶ歪。
まあ妹に恋をしている時点で通常ではないのだが、なだれや茉優先輩には言えないなと思った。
「あずさ」
「なんですか?」
「……求めるのはいいの?」
「駄目です、キスはその時までしません。それでも手を繋ぐことや抱きしめる程度ならいいですよ」
「なら……抱きしめて」
「……しょうがないですね」
彼女はわざわざ寝転んで正面から私を抱きしめる。
「もう、私は妹なんですから逆に甘えさせてくださいよ」
「……恥ずかしい」
「はあ……こっちだってっ」
「じゃあ」
「あっ……馬鹿ですねあなたは」
なんでも姉妹そっくりでいいじゃないか。
こうして仲を深めておけば両親とだって正面から戦えるかもしれない。
彼女はともかく私は彼女を守りたい。
「そういえば今更なんですけど、実は告白されました」
「それって同じ高校の子に?」
「はい。だけど断りました」
「なんで……?」
「だってこんな面倒で甘えたがりの姉がいるんですよ? 他の子の相手をしている場合じゃないですよ」
面倒で申し訳ない。
けれど面倒で良かったということを考えてしまい、しっかりと謝罪をしておいたのだった。
「あずさ、友希那は?」
「もう寝ました。凄く落ち着いた感じですよ」
お出かけ中、帰り道、家に帰ってからの姉とは全然違う。
いまは手を離しているが、先程まで手を繋いでいることを求められていた。
軽々しく許可をしたばかりに初めて知った子どものように求められて困っている状態だ。
「良かった、あの子元気になったんだ」
「今日はありがとうございました。色々話をしてくれたんですよね?」
「まあね、友希那が困っていたようだから。それにあの子のおかげであたしはなだれと戻れたようなものだからなにかしてあげたかったんだよ」
――そこが戻ってくれたおかげで友希那が戻ってきてくれた。
それだけではなく私への感情はまだ存在しているということも知れた。
そんなの嬉しいに決まっている。
やらかしたことを考えれば良くないことだが、姉が求めてくれるのなら応えるつもりだ。
と、考えていたのに、なんかあまりにも恥ずかしくて先延ばしにしてしまった。
あとは初めてのキスの感覚、あれはやばい。
「茉優先輩、内緒にしておいてほしいんですけど」
帰ってからのことを説明する。
先輩もそうだったのかということ、なだれさんはその時どんな反応をしていたのかということ。
うちの姉ときたら蕩けすぎて溶けてしまうんじゃないかと心配になったくらい。
あとはあれだ、あの顔を見ると理性が容易に崩壊しそうで怖かった。
「あんた、友希那のこと本気?」
「当たり前じゃないですか」
「じゃあなんで気持ちが悪いとか言ったの?」
「それは……母に頼まれて」
「だからって実の姉を苦しめるんだ? あんた一緒に住んでいるわけではないでしょ? いくらでも嘘くらいつけたでしょうが」
これは間違いなく茉優先輩の言う通りだ。
なぜこちらに来られたのに引き続き従おうとなんてしてしまったのか。
「はあ……いや、そういうのはいいか、あんたが1番分かっているもんね。キスしたんだから責任取れよあずさ」
「はい、絶対に守ります」
「じゃあさっさと答えてあげな、友希那はあんたのこと好きだって言ったんでしょ?」
「はい。聞いてくれてありがとうございました」
「いいよっ、進展したら教えてね。それじゃあ」
姉の部屋に戻ったらなぜか起きていた。
なにかを探している様子、近づくと急にガバっと抱きついて、
「あずさ好き!」
――と、寝ぼけているのか本気なのか分からないことを言ってくれる。
とりあえずベッドに戻して私も寝転び、スリスリとこちらに匂いをこすり付けるようにしてくる姉はそのままにして考え事――なんてできるわけない。
なんだろうこの積極的さ、満月か? と思って頑張って見てみても欠けているし。
「あずさ……ちゅーしよ?」
あ、これは確実に寝ぼけている。
それでハッと冷静になった時に猛烈に恥ずかし状態になるかもしれない。
羞恥に悶ている姉? いやそれ結構見たい。
基本的に暗い顔をしているか、たまに笑うか、泣くか、怒るかという姉だから、そんな姿見たすぎる。
「駄目ですよ、寝てください」
「嫌だぁ……してくれないと寝られないよぉ」
いや、これ誰……。
さすがに寝ぼけているところを襲ったりはできない。
私は姉じゃないんだからそれくらいの常識は備わっている。
でもグッとくる、普段クールっぽい姉がこんな風になるなんて。
ここでしてあげれば間違いなく明日の朝は目当ての仕草が見えるだろう。
「友希那――あ」
「すぅ……すぅ……」
おーい!? 生殺しとはこのことだろうか。
起こしたらまた面倒くさいことになるのでしなかった。
「もしもし?」
「あ、いま大丈夫ですか?」
「うん、もうすぐ寝るところだったけど大丈夫だよ?」
お礼を言って今日あったことを説明する。
あとはこのモンモンとした感情をどうやって発散させればいいのかということを先輩に聞きたい。
「へえ、そういう形もいいのかもね」
「あ、でもなだれさんは……」
「うーん、だけど友希那ちゃんが求めたならなにも言えないよ。それとその気持だけどね、無理だよ、発散させるのなんて。頑張ろうとすればするほど、相手に会いたくなっちゃうんだから。愛おしくて、キュンキュンして、もう全身が熱くなって、次に会った時はそれはもう――ふふふ、になっちゃうからね」
こっちはいつでも会えてしまうから不味いんだ。
部屋に行けば姉が見えるし、なんならそのまま自由に弄ぶことだってできる。
なだれさん達の場合はお互いが別の家だからいいけれど、こっちはそうもいかない。
「抑えられないならしちゃってもいいんじゃない? その場合はしっかり答えてあげてからだけど」
「我慢すると止まらなさそうで……」
「分かるっ。ふふ、あずさちゃんもむっつりさんか」
「なだれさんこそ」
どんなことをするんだろう。
ここは後輩として聞いておくべきではないか?
「あの、普段どういったことをされるんですか?」
「えー、普通にキスくらいまでだよ、それ以上はまだ無理……それにね、茉優ちゃんが恥ずかしがるんだ私は普通に求めているだけなのにね」
普通とは? 本当は物凄いことなんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。それでも不安な時は寝ぼけている時ではなく普通に時にするべきだね」
うん、それが1番安全な気がする。
変なことをして嫌われても嫌だし、幸い母から指示されることはもうないんだから。
それに仮にそういうことになっても今度は負けない、母に私達で勝つと決めていた。
「ねえねえ、友希那さんって寝ぼけている時可愛い?」
「はい、ヤバいくらいです」
「いいなあ、私の家にいる時は普通だったからなあ」
「仕方ないですよ、慣れない場所でしたからね」
そう考えると姉は私があんなことをしていても信用してくれていたということか。
そのことに改めて気づくと、確かに限りない愛しさが込み上げてきた。
キスとかちょっといやらしいのはなくていいから、抱きしめて寝たいくらい。
「うぅ……だったら茉優ちゃんのを妄想して寝るぅ……」
「ははは、おやすみなさい」
「うん、おやすみぃ」
スマホは完全に電源を消して姉のベッドへ移動。
「あ、あずさ」
「はい?」
「さ、さっきのは違うのよ? えっと、妹の霊が憑いていたというか……」
「生きてますよ、いいから寝ましょう」
「そ、そうね」
いやでもこれが1番だ、この姉がらしいし大好きだから。
「ちょっと……抱きしめて寝るの?」
「はい、いいですよね?」
「別に……いいけれど」
仮に駄目だと言われても私は間違いなく続行していたが。
この暖かさに触れていると分かる、なだれさんが言いたかったことの全部。
なだれさんと違っていい点はその対象が同じ家にいること。
逆に悪い点はいつでも手を出せる距離に相手がいることだ。
「あずさ……」
「なんですか?」
「好き、なのは嘘じゃない」
「はい、大丈夫ですよ」
あとはまあ、こちらが拒絶しないと分かった瞬間にグイグイくること。
それこそ私が初めて恋をした時みたいなふわふわした気持ちになる。
「私も友希那のことが――」
「ふふ、黙って奪ってくれるのでしょう?」
「……今度はあなたからしてくださいよ、たまには妹らしくいたいです」
「ええ、ちょうど真っ暗だしいいわよね」
手を離すと姉はこちらへとゆっくり体を反転させた。
先程まで全く見えなかった光景も、今度はしっかりと見える。
段々と近づいてくる姉の顔、あの時拒んだそれだが今度は止めない。
「ん……やっぱりお姉ちゃんからしてくもらえる方が好き」
「……私は恥ずかしいけれどね」
だったら先程の音声とか映像を録画しておいたらどんな顔をしただろうか。
見てみたい気がするし、意地悪したくない、笑っていてほしいという気持ちが戦っている。
「茉優先輩やなだれと電話していたの?」
「はい、そうですよ」
「むぅ……浮気しないで」
「違いますよ、あなたがあんな態度で接してきたせいでモンモンとしていたんです。だから先輩にどうすればいいのか聞いてたんですよ」
先程のそれでどこかに飛んでしまったけれど。
満足感が凄い、姉ってなんだろう、妹の私ではできないことを平気でやってのける。
小学生の頃と言ったって6年生だった、だからそれがどんな意味なのか普通にわかっていた。
ドキドキした、姉の感触、暖かさ、どこか熱っぽい顔。
姉が中学2年生や3年生になるともっと大人に近づいて、そんな姉が求めてくれているということに舞い上がってすらいた。
けれど母に見つかって、母がより厳しくするようになって、その機会も減ってしまった。
なのにあんなことをしてしまって……それなのに姉は嫌わないでいてくれて。
それどころかまたこうして私を求めてくれている――こんなに嬉しいことは他にない。
「へえ、なら満足させてあげましょうか?」
「調子に乗らないでください、泣かせるのはこっちですよ」
でもまあ今日はこのままおやすみだ。
色々あって疲れた、キスって甘くて幸せになるけど体力使う。
ここまで疲労したのは初めてだった。
「ね、ありがとう、私を見捨てないでいてくれて」
「違いますよ、それはこちらのセリフです」
あれだけのことをして怒らなかったのは優しさというか間違いだと思うけど。
でもだからこそこうして素直に謝れたり一緒にいられるんだと考えている。
もしビシャンッと怒られていたら意固地になって、誰のせいでこんなことになっていると思っているのってぶつけた結果、関係にもっとヒビを入れていたと思うから。
「あなたがいてくれるだけで私はこれからも強く生きられるわ」
「え、強いですか? 全然そんなことないと思いますけど」
「なら協力してちょうだい、ひとりじゃ無理なのよ」
「分かりました、そういうことなら任せてください」
だってもう約束した、姉をどこにも行かせないって。
私は姉と違って約束を守る人間だ、両親からの? それはなかったことにしている。
大丈夫だと伝えたくて姉の頭を撫でてから目を閉じて寝ることに集中した。