9:今の私の実力
回想にしか出て来ない婚約者。
なんか可哀想になってきました。
弾き飛ばされた私は転がりながら襲い掛かって来た猪を確認する。馬よりも大きいその猪は口からよだれを垂らしながらこちらを見てきた。どうやらかなり興奮しているようね。
それにしてもこいつはいったい何なのかしら? いきなり襲い掛かってくるなんてずいぶん凶暴なやつね。
自分の体の状態を確認してみると、刺された腹部以外は大した怪我ではなさそうね。骨が折れているわけでもなさそうだし、打ち身程度なら問題ないわ。
巨大猪の鋭い牙を血が濡らしている。あんな槍のように太い牙に刺されて腸を引き裂かれなかっただけ運が良かったわ。弾き飛ばされたおかげで刺されても綺麗に抜けたのでしょう。
とにかく、まずは傷を癒してから反撃しないと!
そう思った私が傷を癒そうとした瞬間、巨大猪は足元にあった石をタニアと巨大瓜坊目掛けて蹴り飛ばしてきた。
こいつ!! まさか邪魔をするために!?
「大地の盾!」
大地を変化させた壁を出して石を弾く。魔術は同時に二つ唱えることが出来ない以上、今は傷を癒すことが出来ない。
蹴った石を防がれた猪はそのまま苛立たし気に唸ると私目掛けて突進してきた。馬よりも大きなその体が大地を揺らし、物凄い音を立てて迫ってくる。
刺された腹部を押さえながらこれ以上の出血を防ごうとするけれどあまり効果は無いわね。血を流し過ぎているせいか足に力が入らない。咄嗟にかわそうと思ってもあの巨体じゃ私の身体能力ではかわし切れない可能性が高いでしょうね。
だったら!!
巨大猪が迫りくる瞬間、魔力に意思を伝え自分の足元に魔術を起動させる。
「大地の盾ー!」
先ほどと同じように大地を壁に変化させる。違うのは出したのが私の足元ということ。迫り出した壁に乗っかってそのまま突進を巨大猪の上を跳躍することでかわす。
土の壁はあっさりと巨大猪に砕かれてしまっていた。この巨大猪を止めるにはもっと硬い壁が必要だわ。
跳躍した私は出血だけでも癒すべく傷口に魔術をかける。暖かい光が腹部を包み込むと出血が止まった。ただそれは私が受け身を取る余裕との引き換えだった。地面に叩きつけられるように落下した私は思わず肺から息を吐きだす。
全身が痛みを訴えているけれど、あんなのをまともに受けることに比べればマシだというものだわ。
痛む体を起こして巨大猪を見てみれば、いつの間にか私のすぐ側まで突進して来ていた。回避する余裕なんか当然無く、属性を持たせることすら出来ずにただ魔力のみで張った障壁を展開する。魔術は属性があってこそ指向性が生まれるもので、属性も無い魔術など見習いが使う魔術として笑われるレベルだというのに!
「盾!!」
それでもこのまま直撃するなんて冗談じゃない!! ありったけの魔力を込めて展開した障壁はゆらりと虹色のような輝きを放って私の前へと現れる。
「BUOOOOOOO!!」
巨大猪は障壁にぶつかるとそのまま障壁ごと私を吹き飛ばした。障壁が砕ける音と共にそのまま木に叩きつけられて背中を激しく打ち付ける。
「ガハァッ!」
地面に倒れた私はあまりの衝撃に意識が遠のきそうになる。全身が痺れて指先にも力が入らない。巨大猪は倒れ伏した私を無視してタニアと巨大瓜坊の方へと向き直る。タニアも巨大瓜坊も恐怖のあまり動けそうにない。
あいつは私のことなんか眼中にないのね。取るに足らない存在だと巨大猪の態度が語っていた。随分とバカにしてくれるものね。
この私が! レイグレイシア王国最強の魔術師である私が相手にもされないなんて!
「あまり甘く見ないことね!!」
口の中に鉄の味が広がるけれど構わないわ。あちこち痛いし視界だって霞んでくる。それでもこの私が相手にもされずに無視されたままなんて認められるわけがないでしょう!
自分の内側に意識を向けて魔力を引き出していく。
引き出された魔力は意志を受けて炎の魔術へと変わっていく。赤く燃え上がる炎の槍は注ぎ込まれて行く魔力に応じてやがて青い炎へと変わっていく。
以前の私では本気にならなければ作れなかった青い炎。魔力放出量が二倍以上に成長した今の私なら特に苦労すること無く作り上げることが出来る。
「通常の炎の魔術よりもこれは熱いわよ? いい感じに焼けなさい!! 炎の槍!!」
森の中で炎の魔術なんて正気じゃないけれど、あの巨大猪を倒すにはもうこれしかない。私が詠唱省略できる魔術で最強の魔術。こいつ相手に詠唱が必要な魔術なんてとてもじゃないけれど無理なのだから。だったら今使える最強の魔術で倒すしかないでしょ!
宙に出現した青い炎の槍は真っ直ぐ巨大猪目がけて飛んでいく。迫りくる青い炎の槍に気が付いた巨大猪は驚いたことに炎の槍目がけて正面からぶつかってきた。
青い炎槍はそのまま巨大猪を飲み込み燃やし尽くすと思ったその瞬間。
「BUOOOOOOO!!」
凄まじい雄たけびと共に巨大猪を包んでいた青い炎は消し飛ばされ、中からところどころ焼け焦げた巨大猪が姿を現した。牙が一本折れていて決して無傷ではなかったけれど、目は怒りに染まっていてただ手負いにしてしまっただけのようだった。
……冗談じゃないわよ、渾身の一撃を受けて死なないどころかあの程度で済ませるだなんて!
肉や毛皮の焼ける臭いが辺りに広がってくる。血の臭いも混じっているから決して無意味ではなかったのでしょうけれど……獣は手負いが一番危険なのよね。
昔、王城で開かれた狩りの大会について行ったときにお父様から教えてもらったわね。手負いの獣は思いもよらぬ力を発揮すると。だから何があっても手負いの獣相手に油断しないこと、何よりも獣を相手にする時は一撃で終わらせることとしつこいくらい言われたかしら。あの時は適当に聞き流していたけれど。
「……ごめんなさいお父様……お父様が正しかったわ。獣は一撃で仕留めるべきだったわ」
巨大猪からは先ほどとは違って濃厚な殺気が漏れ出している。タニアや巨大瓜坊には目もくれないで私の方を見ている。それは私を自分を傷つける力を持つ敵だと認識したことに他ならないわけで。
前足で地面を蹴りながらこちらに突進する準備をしている巨大猪を見る。今渦巻いている感情があるとすれば自分を傷つけた者への怒りと屈辱といったところかしら?
お生憎様ね、私も無視されてそれなりにプライドを傷つけられたからあおいこでしょう?……なんて獣相手に言っても無駄でしょうけれど。
「それでも! ここで尻尾撒いて逃げること出来るわけないでしょう!!」
タニアや巨大瓜坊から意識を逸らすことは出来たけれど、私がいなくなればすぐに二人に向かうことは見えている。だから何があっても一人で逃げ出すことなんて出来るわけがない。
でもどうすればいいの?
詠唱省略出来る魔術で一番強い魔術を使ったのに仕留めることが出来なかったわ。あいつを仕留めるには四小節以上の詠唱が必要な魔術でなければ無理ね。『陽は地に沈まず』ならいけるかもしれないけれど、こんな森であんな魔術を使えば山火事では済まなくなるわ。それにタニア達を巻き込んでしまう。
「BUOOOOOOO!!」
目を血走らせながら巨大猪が突進してくる。まったく、魔術師なんだからこれだけポンポン飛ばされて体が無事だと思わないで欲しいわね。とてもじゃないけれどかわす余裕なんてありはしない。魔術で受け止めることは出来ないのも実証済みだわ。
「アリスティア! 逃げてぇぇぇぇ!!」
タニアの悲痛な叫び声をかき消すように唸り声をあげながら向かってくる巨大猪は動けない私を見てニヤリと嗤った気がしたわ。
「転移」
魔力に余裕はまだある。無いのは私の体力だけね。
「雷の網」
だったら魔術でかわしてやるわ。巨大猪の真後ろへと転移して網上に姿を変えた雷の魔術が巨大猪に被さった。
直接的な魔術が駄目ならばこれはどうかしら? 雷があなたの体を麻痺させるはずよ。
雷の網が巨大猪に絡まっていくかと思われたその瞬間、巨大猪が激しく身震いをすると雷の網が弾け飛んだ。
冗談でしょう!? ここまで魔術抵抗力が高いなんて!?
巨大猪はくるりと振り向くと鼻先を引くように下げた後下から私をしゃくり上げた。
咄嗟に腕を交差して身を守る。
強烈な一撃を受けて飛ばされた私は倒れてしまい起き上がれない。
動けない私にゆっくりと巨大猪が近づいてくる。参ったわ、逃げようにも体に力が入らないわ。何とか逃げようともがくけれど既に私の体は限界を迎えていたみたい。
「アリスティアァァァ!! 立って逃げないとー!!」
タニアの必死な声が聞こえてくる。
ごめんなさいタニア、逃げようにも体が動かないのよ。
……ユリウス様……お父様、お母様……助けて
祈るように名前を呟いても何も変わらなかった。
巨大猪は倒れて動けない私のすぐ側まで来ると前足をゆっくりと持ち上げる。
ちょ、ちょっと待ちなさいよ……まさか……
巨大猪はそのまま私の左腕目がけて足を振り下ろしてきた。蹄が腕にめり込み骨が折れる音が聞こえた。
「アガァァァァ!!」
意識が刈り取られそうな痛みが私を襲う。折れた腕を踏みにじる巨大猪の足の感触が分からなくなるくらいの痛みだった。
こ、このクソ猪!!
こんな屈辱を受けて大人しくしていると思ったら大間違いよ!!
怒りに任せて体が動く。
杖を手放して右腕を巨大猪の口に突っ込む。そのまま口の中で魔力に意志を伝え魔術を練り上げてやるわ!
「炎の爆発!!」
巨大猪の口の中で炎が爆ぜて物凄い衝撃が腕を襲う。たまらず巨大猪がのけぞって私から距離を取る。口からは血が零れ落ちておりしっかりとダメージを与えていた。。
私の方はと言えば……たぶん今右腕を見ない方が良いと思うわ……心折れるから。
捨て身の一撃も無駄ではなかったみたいね。もっともここで完全に打ち止めだけど。これ以上はもう打つ手はないわ。
タニアの方に視線を向けてみれば、大量の食べ物を次から次へと取り出しているのが見えたのだけれど何をしているのかしら?
最後の力を振り絞って起き上がる。と言っても折れた左腕では杖は持てないし、右手は多分指が無い。
格下の反撃に怒り狂った巨大猪は止めと言わんばかりに先程よりも鼻息荒く前足を蹴っている。
これは終わったかしら? 転移でかわそうにも両腕の痛みで集中出来そうにないわ。
巨大猪が今まさにこちらに突進しようとしてきた瞬間だった。
「アリスティアをやらせるもんかー! これでも喰らえー!!」
タニアの声と同時に赤い果実が巨大猪の顔に当たって潰れた。その瞬間、凄まじい絶叫をあげて巨大猪がのたうち始める。
「な、何を投げたの? タニア」
これまでで一番苦しそうにもがく巨大猪を見ながら私は思わず後ずさった。
「んー? 世界で一番辛いオルデント・パロ・アデルロンの実だよー。その辛さに竜も口が灼けると言われている代物だよー」
何ていうものを投げたのかしら……呆気にとられた私の下へ巨大瓜坊に乗ったタニアが突進してきた。
「乗って! アリスティア!」
しがみつくだけでもかなり厳しいけれど他に方法は無いわね。私がその背中に抱き着くと巨大瓜坊は杖を咥えてそのまま走り出した。
「これはオマケだぁぁぁぁー!!」
逃げ出す際にタニアが巨大猪の顔にまた何かの実を投げつけた。顔に当たった実からは粘性の果汁が飛び出してオルデント・パロ・アデルロンの実を容易に取れないようにしていく。
……結構エグイことするのね……タニアって。
そのまま巨大瓜坊は猪突猛進という言葉がピッタリな勢いで森の中を駆け抜けていく。タニアが巨大瓜坊に指示を出しているようでしばらく経つとバンホルト様の家が見えてきた。
「もうすぐだからね! アリスティア」
タニアの声が少し遠く聞こえる。
いけない、血を流し過ぎたわね。このままじゃ危険なことになるわ。
見ないようにしておいた右腕を見ればやっぱり指が数本無くなっていた。自覚したことで痛みがを思い出したけれどそんなことを言っている場合じゃないわね。
「命の修復」
薄れゆく意識の中、とにかくこれ以上悪化しないように傷を癒しておく。指の再生は……意識が戻ってからでいいわ。
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