8:開かない瞼
私が森にやってきてから二年の時が経ったわ。地道で辛い訓練毎日休むことなく続けた結果、ようやく以前の力を取り戻すことに成功したのよね。
「これでようやくスタートラインに立てたと言うところかの」
バンホルト様がしみじみと呟くのに私は頷く。残念ながらこれで終わりじゃないのよね。むしろここからが始まりなのだから。
「本当よ。しかもここから強くなっていかないと……森を出ることもかなわないわ」
「でも、前よりかは強くなったんでしょうー? 魔力の制御と術式の構築は完全に習得できたって言ってたじゃんー。と言うか、隠れる魔術で森を抜ければー?」
タニアの言う通り、バンホルト様の技術は習得することが出来たわ。おかげで以前よりもより精密で効果的な魔術が使えるようになったわ。
あと、隠れる魔術で森を抜けることも当然検討したわよ!……でも無理なのよね。
「タニアの言う通り習得はしたわ。以前の力は取り戻したし、腕も向上したと言っていいわ。でもね、それだけなの。ちょっとばかり腕が向上したくらいでこの森の魔物を相手に出来るようにはならないわ。もっと根本的に実力の底上げをしなければ森を抜けることは不可能ね。あと運の悪いことにね、私は隠れる系統の魔術は才能が無いということが発覚したわ。闇の属性の魔術は普通に使えるのに、どうしても隠れる系統になると魔力の消費量が増えるのよ」
「これにはわしもビックリじゃよ。おそらくアリスティアが隠れるということが苦手な性格じゃからとしか言えんくらい説明がつかんわい。つくづく規格外な娘じゃよ。特定の系統だけが苦手など聞いたことも無いわい」
そうなのよね。隠れる魔術頼りで森を抜けようとすれば、途中で魔力切れになるのよね。この黒い森では以前出会ったコカトリスですら森の中ではランチ扱いにされることが多々あるというのに、コカトリス相手に四割程度の勝率では話にならないわ。そんな私が途中で魔力切れになったら……おやつかしら?魔物の。
「だから隠れることは諦めたわ。幸いこの二年の修行で壊れた器を治すことが出来ただけじゃなく改善することが出来たわ。だから後は私が制御できる範囲を広げていった上で自分なりの武器が必要になるわ」
注ぎ口が壊れてしまった私の魔力の器はちゃんと治すことが出来た上に、注ぎ口を広げることが出来たと言ってもいいわ。おかげで一回で使える魔力の最大値が上昇したのよね。もちろんその分繊細なコントロールが必要になるのだけれど、それは覚えればいいわ。
タニアから聞いた千眼の魔女が使っていたという眼を習得できないかいろいろ試して入るのだけれど、全然ダメなのよね。魔力の制御が高いレベルで必要だという推論は立ったのだけれど、どこまで必要かは分からないのよね。
ちなみにバンホルト様も魔力の節約を習得されたから今では三小節の魔術を詠唱さえすれば使えるようになっているわ。詠唱を省略出来るかどうかはこれからの訓練次第ね。
「まぁまぁ、あたしも手伝うからさー。あ、七色キウイ食べるー?」
タニアがそう言いながら山のようにカラフルな色をした果実を取り出してくる。
まったくこの子は、私が食べれば元気になると思っていないかしら?……まぁ、貰うけれど。
のんきな所のあるけれど、タニアはとても優しい子なのよね。二年も一緒に暮らしていれば家族みたいなものだわ。それはバンホルト様も同じだけれども。もっともバンホルト様はお爺様というよりは先生だけれども。
二年か……ユリウスはどうしているのかしら?……クーデターは無事に防げたのかしら?
本当は今すぐにでも飛び出していきたい。家族がどうしているかも知りたいし、国が今どうなっているかも知りたいわ。でも、今の私がここを飛び出して行けばゴールは魔物のお腹の中になるだけ。安全圏であるこの家から遠く離れて行動することすら出来ないのでは論外ね。
「思い悩むのは理解できるが時間がもったいないぞ。ほれ、今日も訓練を始めんとな。どちらにせよ眼の魔術には高レベルの魔術の腕は必要じゃからな」
確かに一刻も早く帰りたいと願うのなら、ここでいろいろ思い悩む時間が無駄ね。
「そうですね、先生」
「なんじゃそれは?」
不思議そうな顔をするバンホルト様に私は内緒ですと答えておいたわ。
眼習得の訓練を始めてからというもの、着実に魔力の扱いなどの実力が大幅に伸びていったわ。反面眼の習得には何の進歩も無いままいたずらに時が過ぎていく。
何の成果も手掛かりも無い現状は私から余裕を奪っていき、何の成果もないまま半年が過ぎる頃には、私の心に諦めが見え隠れするようになっていた。
タニアはいつもの調子で明るく諦めずに頑張ろうと言ってくれたし、バンホルト様はこの試みがどれだけ難しいか理解した上で、焦ることなく落ち着いて自分の魔力に向き合うようにと言ってくれるのだけれど……正直なところ、私にはもう心の余裕なんて無かった。
帰りたいのに出ることが出来ず、大事な人がどうなっているかも分からない。
ユリウスに会いたい! 会って抱き締めて欲しい!
家族に会いたい! お父様やお母様に会ってお帰りと言って欲しい!
弟や妹を抱きしめてただいまと言いたい!
それらの想いが胸の中でグルグルと渦巻いていて苦しかった。|眼《オーキオが使えなくても大分成長したのだし、森を抜けることは出来るかもしれない。いつしか私の胸にはそんな思いが芽生え始めていたわ。
――そうして私は眼の習得を諦めた。
眼を諦めた以上、森を出れるかどうか試さない理由は無いわね。とりあえず私の力が通用するかどうか試すために森の中を進んでみることにするわ。
バンホルト様は賛成はしなかったけれど、試さないと何も分からないと説得したら無理はしないことを条件に賛成してくれたわ。
ちなみにタニアはどうしても着いてくると言って聞かなかったので、しかたなく連れていくことになったのよね。
「森! 森! ご飯大盛ー!」
今日も元気なタニアの声が森に木霊する。その声に合わせて歌うように鳥がさえずる。賑やかね、本当に。まぁ、この賑やかさが無いと寂しくなりそうだから助かってはいるのかもしれないわね。空は青く澄み渡っていて、こんな森の中でなかったら絶好のピクニック日和ね。
タニアとご機嫌に歩いていると前方に大きな黒い鶏……もといコカトリスの姿が現れた。前の私なら勝率四割だったけれど、今の私ならどれくらいかしら? コカトリス相手に苦戦しているようでは森を抜けるなんて不可能だわ。
「タニア、今からあのコカトリスと戦うから安全な場所まで離れていて」
「オッケー! 気を付けてね、アリスティア」
タニアが近くの木の上まで飛んで行って身を隠すを確認すると、私はコカトリスに近づいて行く。あの時はゆっくり観察する暇もなかったけれど、馬くらいの大きさだったのね。
コカトリスも近づいてくる私に気が付いたのか、鶏のような鳴き声をあげ翼を大きく広げて威嚇してくる。
やる気満々の様ね、いいわよ来なさい! こちらもそのつもりだから!
「KYEEEEEEEEEEE!!」
コカトリスは奇声を上げると私目がけて飛び掛かって来た。
迫りくる鋭い爪を前へ転がることによってかわす。頭の上スレスレを通り過ぎる爪に背筋が凍る。
「危な!」
悪態をつこうとしたとき、背筋に走った悪寒に従ってその場を飛びのくと嘴がさっきまでいた場所に突き刺さる。
間一髪だったわね。あんなのに当たったらたまったモノじゃないわ。
コカトリスはかわされたことに苛立ったのか地団駄を踏んで鳴き声をあげている。私を逃がさないと言わんばかりにそのまま足を振り下ろそうとしてくる。
でも、残念ね。片足じゃバランス悪いでしょう?
「大地の槌!!」
地面から突き出た岩の塊が振り上げていない足を掬い上げコカトリスを転倒させる。
その隙は見逃さないわ!
「氷の槍雨!」
すかさず魔術を唱える。
空中に現れた氷槍が雨のように降り注ぎコカトリスを磔にしていく。コカトリスはけたたましい鳴き声をあげて激しく身を暴れさせて抜け出そうとする。
でもここで逃がすつもりはないわ。
「炎の剣」
暴れ狂う炎を制御しながら思う様に形を変える。
全体的に昔よりも威力も上がったし、制御に少しだけ苦労するようになったけれど、やっぱり炎が一番扱いやすい愛称のいい属性ね。
炎はやがて一本の剣と化しコカトリスの首を焼き切る。首を斬られたコカトリスから血が噴き出ることは無かったわ。傷口が焼き切られていれば返り血は浴びなくて済むわね。
首を失ったコカトリスはしばらく暴れていたけれどやがて静かになっていったわ。
観戦していたタニアが飛んでいて私の頭に張り付いてきて、そのままやったーやったーと言いながら頬を摺り寄せて来たわ。こういう素直な感情表現は私にはないものね。
このくらい率直に感情表現すればユリウスも喜んでくれるかしら?
「しかし、アリスティア楽勝だねー!」
「油断すれば殺される相手ではあるわよ。でも油断さえしなければもうコカトリスは怖くないわね」
確実に私は強くなっている。森の中で弱い方であるコカトリス相手とはいえここまで余裕で倒せたのだから。バンホルト様の家は森の奥とは言え、それでもまだ一番浅い場所にあるわ。本当に危険な魔物はもっと奥の方にいるから、森を抜けようとする私とはかち合うことはないでしょう。
「これなら森も抜けれそうね」
私は確かな手応えを感じていた。
コカトリスを倒した後、コカトリスの食べられる部分を回収してから、もう少し森の外目指して歩いてみることにしたわ。ある程度目途が立つ所まで歩いておきたかったのよね。
そうしてしばらく歩いているとお腹がクゥーと鳴きはじめる。あら、嫌だ恥ずかしい。
まぁ、確かにそろそろお腹が空いてきたわね。もうそろそろお昼になる頃かしら? どこかいい所でお昼にしましょう。
「いえーい! 飯ー!」
私がそう言うとさっきまでパンを食べていたタニアが嬉しそうに私の肩の上で飛び跳ねる。いつも思うけれど、タニアは食べ物の精霊と言うよりかは食欲の精霊ね。
森の中でどこか適当な場所を見つけて腰を下ろす。タニアがお弁当を出してくれるから持ち物が少なくて助かるわね。
「いつもありがとう、タニア」
「いいってことよー。あたしは食べ物の精霊だからねー」
用意してもらったサンドイッチを食べながら流れていく雲を見送る。森の中に咲いている名も知らぬ花を眺めながら食べる食事も乙なものね。
「んー、アリスティアはそういう花が好きなのー?」
「私? こういう花も嫌いじゃないわね。一番好きなのは蒼穹の夕暮れと言う名のバラね。赤い花弁に青い色が混じっている綺麗なバラよ。機会があればタニアにも見せてあげたいわね」
「……蒼穹の夕暮れ? なんか知っているような知らないような……ま、いっかー。うん、その時はお願いねー」
タニアがそう言って約束だよーと笑っている。ユリウスがくれた思い出のバラ……きっとタニアも綺麗といってくれるわね。
食事を終えて出発しようとした時、どこからか鳴き声のようなものが聞こえてきた。弱々しく今にも消えそうな鳴き声が。
「アリスティア、今何か聞こえたー!」
「ええ、でもいったい何の鳴き声かしら?」
「うー、気になるー!! あたし、ちょっと見てくるー!」
タニアは声の出所を探っていた私を置いて森の中へと飛んで行ってしまう。
ちょっと! 何の生き物か分からないのに危ないわよ! まったく、勢いだけで行動するのだから!
先に行ってしまったタニアを追いかけて私も森の中へと入って行く。もし危険な生き物だとしたらタニアが危険だわ。
茂みをかき分けて少し進むと一匹の猪が血溜まりに倒れているのが見えるわ。特徴的な瓜のような模様があるから子供かしら?……大きさがもう既に普通の猪位あることを除けば。タニアはその猪のすぐそばで必死に声をかけ続けていたわ。
「アリスティアどうしよう! この子怪我してる!!」
「落ち着きなさい。今診てみるから」
呼吸が荒いわね。傷を見てみると槍のようなもので刺されたような傷ね。こんな森の中に人間がいるとは思えないのだけれど、いったい何がこの子を傷付けたのかしら?
「命の修復」
暖かな光を発しながら癒しの魔術が傷を少しずつ癒していく。光が収まると巨大瓜坊はゆっくりと起き上がりこちらを少し警戒するような目で見てくる。それにしてもすぐに逃げると思ったのに逃げないのね。
「タニア、失った血までは治せないわ。何か食べるものを」
「オッケー! さぁ、瓜坊お腹いっぱい食べてねー」
ドサドサっと大きな音を立てて次から次に野菜や果物が降ってくる。巨大瓜坊は驚いたのか少し距離を取って小山になった食べ物を見ている。やがて警戒を解いたのか食料の山に顔を突っ込みながら食べ始めた。
「よしよしー。たーんとお食べー」
タニアは満足そうにその光景を見ているのわね。ふぅ、それにしても思わぬ道草を取ってしまったわね。今日はここら辺で帰ろうかしら。これ以上は遅くなるのはマズいでしょうし。
今思えば、私はこの瞬間確かに油断をしていた。
私は迫りくる脅威に気付くことなく、何かが森から飛び出して食事に夢中な巨大瓜坊とタニア目がけて突進してきた。
「しまった!!」
遅れて気が付いた私は思わず彼女らを突き飛ばして影の前へその身を躍らせる。
脇腹に突き刺さる牙の感触に思わず悲鳴が漏れる。物凄い勢いの突進に弾き飛ばされながら私が見たのは、馬よりも大きな猪だったわ。
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