4:たっけてー!!
光を感じて瞼を開ける。陽が昇り朝露が葉を濡らしているのを見て私は体を起こす。
「……随分懐かしい夢ね」
幼い頃の夢を見たわ。バルヴィエスト侯爵家の長女として生まれた私は幼い頃から大きな魔力を持って生まれたわ。弟と妹もそれなりに大きな魔力を持って生まれはしたけれど、私に届くほどではなかったわね。バルヴィエスト侯爵家は今までに何度も宮廷魔術師を輩出している魔術師の家系だったわ。ちなみにお父様は現在も筆頭宮廷魔術師だわ。
しかし、夢の中で見た幼い頃の記憶の中にあるお母様は今と変わっていなかったわね。母は社交界で玉華のバラと呼ばれていた美しい人で、その美しさのあまりそれはそれはとても多くの男性を虜にしたのだとか。その中からどういうわけかあまりパッとしない父を選んで結婚したわけなのだけれど、幸いにも二人の間に生まれた子供は全て母の血が勝ったようで整った容姿を持って生まれたわ。
そんな家に生まれた私が魔術師の道へと進んだのは自然な流れだったわね。なまじ大きな魔力を持って生まれたおかげで他に道を選べなかったというのもあるけれど。
ジュスティーヌの件で強くなることを決心した私は厳しい訓練と恵まれた才能のおかげで、他に並ぶ者がいない魔術師へと成長することが出来たわ。幼い頃からの憧れである千眼の魔女みたいになれたとはとても言えないけれど、国内最強は名乗っていんじゃないかしら?
事実、聖炎の魔女と二つ名が付くくらいの実力者にはなれたのだもの。もっとも最初はこの呼び名は私とユリウスとの間でしか使っていない遊びみたいなものだったのよね。名付け親は当然ユリウス。名前の理由は私の得意とする炎の魔術から来てるそうよ。
それが正式なものになったのは、私をユリウスがそう呼んでいることを耳に入れた陛下が、気に入ってしまって正式に採用することになったからだわ。ちなみに正式なものになったのだけれど、この称号は地位をさすものではなく、私個人の称号らしいわね。
ふふっ、ユリウスからの贈り物だから別に正式な物でもなくて良かったのだけれども、それでも認められるのは嬉しいわね。
ジュスティーヌはあれからちょくちょく嫌がらせをしてくるようになったけれど、魔術を覚えた私にはどれも意味をなさず、逆に返り討ちにしてやったわね。一回紅茶をかけて来ようとしたから風を起こして逆にかけてやったこともあったわね。
私が魔術を使えるようになったことでジュスティーヌも習って対抗するようになってきたけれど、私の相手ではなかったから負けたことは無いわね。それでも一応国内では上位三十人の中に入れるくらいの実力はあるんじゃないかしら?
ただ、ユリウスに物凄く冷たい態度を取られても喰らいついてくるその根性は素直に凄いと思うわね。それとも嫌われているって分かっていないのかしら?
ちなみに婚約に関しては、レイグレイシア王家が強力な魔術師になるであろう私を婚約という形で結び付けておきたいという理由……は建前で、ユリウスが珍しく強硬に主張したことが本当の理由らしいのだけれど。
後で二人で会った際に誇らしげに語るユリウスがどこか可愛らしかったのを覚えているわ。
「いつまでも感傷に浸っている場合じゃないわね。せめてここがどこだか把握しないと」
それにしても人が来るかもしれないと警戒したけれど、その心配は不要だったみたい。強張る体をほぐしながら岩場の陰から出る。ここに朝食があれば最高の朝になるのに……残念だわ。
体調は問題なさそうね。少しでも早くユリウスや家族の元へ戻りたいから移動できるだけ移動しないと。ただ、昨日魔力を制御できなかった理由が分からないのよね……一応何か簡単な魔術を使ってもう一回試してみようかしら?
もし、万が一制御が出来なくなっているのだとしたら大きな問題だもの。
「これで制御に失敗したら偶然ではなくなるわね……水」
唱えたのはコップ一杯分の水を生み出すだけの魔術。それなのに私の手の平からは大量の水が滝のように流れだしていく。魔力の制御も全く出来ていなかった。
「……これで確定ね。私は何らかの理由で魔力の制御能力を失っているわね」
昨日、月明かりのおかげで魔術の明かりを出す必要が無かったのは幸運だったわね。うっかり出していたら物凄い光量で目を焼かれていたかもしれないわ。
帰りたいのだけれど、この状態では移動には気を付けないといけないわね。制御できない力何てかえって危険だわ。少しの炎を出すつもりで周りを焼き払いましたなんて笑えないもの。下手に魔力があるから無いとは言い切れないわ。
歩きながら周りを観察していると、黒いバラが咲いていることに気が付いた。漆黒の花びらを咲かせて何物にも染まらない美しさを誇っているようね。
「綺麗なバラね……ちょっと待って。黒いバラって」
バラが好きでいろいろな情報を集めていたから聞いたことがあるのだけれど、レイグレイシア王国の隣国である、ロンドフルト王国の辺境に黒い森と呼ばれている森があるらしいわ。その森の中でしか咲かない黒いバラというものがあると聞いて昔、見に行きたいと思ったことがあるわ。
もっとも黒い森は危険な魔物が数多く生息する危険地帯として有名な森で、ロンドフルト王国もこの森の扱いには困っていて基本的には放置するしか手が無いと言われていたくらいだとか。そのせいで結局見に行くことは諦めたのよね。
「ということはここは……黒い森ということかしら?」
もし、そうだとしたら最悪ね。魔力の制御が出来る時の私でもこの森は手に余る場所だと昔調べた時に判明しているのに、今の制御がろくに出来もしない私では森を抜けるどころか生きていくことすら不可能だわ。
「……それでも帰るわよ、アリスティア。あなたはユリウスを一人にするわけにはいかないのだから」
弱気になる自分に言い聞かせるように呟く。根性はあるつもりだもの。精神論でどうにかなるものじゃないけれど、それでも心が折れたらそこでお終いだわ。
とりあえず水を確保しないことには話にならないわね。闇雲に歩き回ってもどうしようもないのだけれど、森の歩き方なんて知らないのだから動くしかないわ。周りを警戒しながら歩いていく。しばらく歩いてから少し休憩しようと近くの木に寄り掛かると思ったよりも深いため息が出てきたわ。
「警戒しながら歩くのはここまで疲れるのね」
昨日の夜は疲れていたせいかほとんど気を張っていなかったら歩けたのね。昨日、ここが黒い森だと気が付いていれば心が折れていたかもしれないわね。昨日から何も食べていないし、水も飲んでいなかったから体が弱ってきているようね。せめて水だけでも見つけないと。
「……け……-」
どこからか女の子の声がしたような? 気のせいかしら?……気のせいだわね。こんな危険な森に居るわけがないもの。
「……けてー!」
気のせいじゃないみたいね。声の感じからして幼い子供ではないようね。私は杖を支えにしながら疲れた体に鞭を打って立ち上がる。声のした方を確認して歩き出す。申し訳ないけれど走れるほどの余裕は無いのよね。
「たっけてー!!」
草木をかき分けて進むと少し開けた場所に出てきたわね。その開けた場所で大きな鶏のような魔物が三十㎝くらいの少女を追いかけまわしていた。薄い緑の長い髪に宝石のように輝く瞳を持った可憐な美少女なのだけれど人間ではないわね。
人の見た目を持つ小さな存在と言えば……精霊ね。レイグレイシア王国の国教でもある女神教の御使い様と言われているのよね。今まで見たことは無かったから自信は無いけれど、おそらく間違いじゃないと思うわ。一応人の形をした精霊は他に水の貴婦人とかいるらしいとか。人型以外だと炎のトカゲかしら?
「たっけてー!! そこの人ー!!」
いけない、つい、必死で逃げている精霊を見て考え込んでしまったわ。でもあの大きな鶏はコカトリスよ……ね?
石化の毒に強靭な足から繰り出される一撃は鉄の鎧すら簡単に砕くと言われているわね。本来ならば軍が相手にするような魔物なのだけれど。こんな化け物、万全の私が相手しても勝率はおそらく四割よ? 今の私では絶対に勝てない相手ね。
「……かと言って、見捨てていくことも出来ないわね」
精霊に関してはあまり知識が無いから何故襲われているのかとか、精霊に命の危険があるのかとかは不明だけれど。
「それでも助けを求める声を無視なんてできないわ! 目を閉じて!! 光の球!」
見捨てる選択肢なんてありえない。私が自分のために誰かを見捨てるなんてことをする女になったら、ユリウスに顔向けできないわ。それに精霊は女神様の使いだもの助けるのは当たり前でしょう。
魔力の制御が出来ないのなら最初からしなければいい。必要以上の魔力が術式に注ぎ込まれていき、光の玉を形成した瞬間凄まじい光量を放ちながら爆発する。
目を焼くその光を見ないように背を向けて治まるのを待つ。
光が消えた後振り返ってみればコカトリスは思惑通りのたうち回っていた。
「光で目を焼かれてくれたわね」
コカトリスには悪いけれど、この隙にお暇させてもらうわ。
急いで精霊の少女を探すと少し離れた場所で同じようにのたうち回っている。間に合わなかったのかしら? 直接光を見てしまったようで、可愛らしい声をあげながら目を押さえてじたばたしているのを見ると凄く申し訳なくなる。
「目がー! 目がぁぁぁー!!」
……ごめんなさい。
気を取り直して、私は急いで精霊の少女を抱きかかえると走り出す。いつ、コカトリスが復活するとも限らないのだから。少しでも早くここから逃げ出さないといけない。
五分ほど走り続けていると後ろから木をなぎ倒しながら何かが近づいてくる。同時に鳥の鳴き声のようなものが聞こえてくるわね。
「復活早すぎじゃないかしら? もう少しのたうち回ってくれてもいいのよ?」
「目がぁぁぁぁ!!……って鶏が追っかけてくるー!!」
目がーとか叫んで遊んでいた精霊が後ろから追いかけてきているコカトリスに気が付いたようね。それにしてもとっくに目は大丈夫なくせに遊んでいたわね。精霊ってこんなものなのかしら?
「走れー! このままじゃ鳥の晩御飯だー」
「これでも精一杯走っているのよ!! 遅いとか言わないでしょね? こっちは昨日から何も食べてない無いのよ!」
「空腹は敵だー! それじゃしょうがないねー。でも、じゃあどうやって逃げるの?」
そうこう言っている間に木を破壊しながら迫ってくるコカトリスの音が大きくなってくる。マズいわね、とても逃げきれそうにないわ。最悪、奇跡を信じて一戦交えるのしかないのかしら?
他に方法が無さそうだからとは言え、それは最後の選択ね。何か考えないとこのままじゃ死を待つだけだわ。
「あなた何か出来ないの?」
「私ー? 食べることは得意だよー! あとは三秒で寝れる!」
見た目は儚い美少女の癖に話すことは男の子のような精霊ね。まぁ、コカトリスから逃げていた段階で対抗策は無いと言っているようなものね。
折ってくる音はどんどん近づいてくる。他に手が思いつかない以上出来ることをするしかないわね。私が意を決して立ち止まり迎え撃とうした時、すぐ近くの茂みから腕が伸びてきて私を掴むと茂みの中へと引きずり込んできた。不意を突かれたせいで抵抗らしい抵抗も出来ずにいるとそのまま口元を押さえ付けられてしまう。
「むむーむーうーむー」
話せと叫ぼうとしてもくぐもった声しか出ない。精霊も同じように手で口……いや顔を押さえつけられているせいで話せないようね。なんかぐったりしている気がするのだけれど……気のせいね。
「静かにしなさい。大きな声を出すとコカトリスに見つかってしまう」
掴まれた時はがっしりとした腕だと思ったけれど、実際には皴の多い枯れ木のような腕ね。声は落ち着いた男性の声で、しっかりとした年齢を重ねた人特有の重みがあるわね。それにしても誰かしらこの人?
木々をなぎ倒しながらコカトリスが現れる。不思議なことに私達を探しているはずなのにこちらに気付く様子が全くないわね。コカトリスは私達を探しているようで、一回近くまで来た時は思わず悲鳴が出かかったわ。後ろの男性に口をふさがれているから悲鳴をあげすにすんだけれど。
しばらく私達を探していたコカトリスは諦めたのかこの場を去って行った。それにしても全く見つからなかったのはどうしてなのかしら? その答えは救ってくれたあの老人が知っていそうね。もっとも、それよりもまずはお礼が先ね。
「危うい所を助けていただきありがとうございます。私はアリスティア・バルヴィエストと申します」
淑女の挨拶をしながら助けてもらったお礼を私が言ったのと同時に生き返った精霊が老人に抱き着いて大きな声をあげた。
「バンホルトだぁぁぁぁ! たっけてくれてありがとー!!」
「まったく、いつも言っておるじゃろうが。危ないから森の西側には行くなと。まぁ、無事ならそれでよい」
バンホルトと呼ばれた老人は精霊の頭を撫でながらそう言う。まるで孫とお爺さんね。
「これこれは、ご丁寧に。わしはバンホルト・ホーベントというしがない隠者じゃよお嬢さん。そんなに丁寧な礼はせんでいいいぞ」
私の淑女の挨拶を見て目を細めながらそんなことを言ってくる。どこか少しだけ寂しそうな目をしたのは一瞬だけだったわ。いかにも好々爺といった感じの人ね。見た目七十くらいかしら?
白いひげを伸ばし魔術師が着るようなローブと何の変哲の無い杖を持っているだけだけど、底知れない何かを持っているかの知れないわね。だってこんな危険な森に潜んでいるような隠者なんてそうに決まっているわ。
びっくりするくらい魔力を感じないけれど、きっと魔力を隠す術を持っているに違いないわね。こんな森で生活している実力者ですもの。助けてもらったことも含めて敬意を持って接するべきね。
「とにかく、ここは危険じゃ。わしの家に行ってから話をしたほうがよかろう」
「バンホルトの家だー。お家に帰れるぞー」
精霊はバンホルト様が現れてからやたらと元気ね。まぁ、ここにいつまでもいる理由は無いのだから今は言う通りにしましょうかしらね。
「はい、ありがとうございます。バンホルト様」
「よいよい。さて、それじゃ行こうかね。こっちじゃよ」
私はバンホルト様に案内されて黒い森を歩きだした。
面白く読んでもらえているのかなぁ?
感想、評価、ブックマーク等の反応があると作者のモチベーションが上がります。
よろしくお願いいたします。