3:夢の中のユリウス
傷跡が消えていることを確認した後、私は慎重に自分の体の様子を探ってみた。今のところ何も問題は無さそうね。残るはずだった傷が跡形もなく消えているなんて……いったいどういうことなのかしら?
「少し整理した方が良いわね」
まずここはロステリア渓谷付近でないことは確かね。あの付近の森とは植生が違っているもの。
次にどうやら私は魔力の制御が出来なくなっているようね。あの二つの魔術に使われた必要以上の魔力、あれもどこから来たのかしら?
「分からないことばかりね。やっぱり転移が暴走した結果、別の場所まで跳ばされたことだけは確かなようね」
まずはここがどこだか確認しないといけないわ。何としても帰らなければならないもの。ユリウスがあの惨状を見れば私に何かあったと思ってもしょうがないわ。
気絶している間に体力と魔力はそこそこ回復したみたいだし、動くことは出来そうね。
「とりあえずここを離れましょう。せめて一晩安全に過ごせる場所を見つけないと」
杖はちゃんと握りしめていたようで失くしてはいなかった。良かったわ。これは流石に替えはきかないから。
歩き出しながら自分の状態を考える。月明かりが照らしてくれるから、考えながらでも歩く分には問題はなさそう。
「魔力の制御が出来ないなんてまるで習いたての子供みたいだわ」
魔力の制御なんて一番最初に習うもので、それが出来なければそもそも魔術なんて教えてもらえない。
それに魔力切れを起こした後、絞り出してようやく魔術を使ったはずなのに、魔力が後から溢れ出してきたのも有り得ない事態だわ。
そもそも魔力とは何なのか。
一般的に説明される際にはよく、ティーポットで例えられる。ポットに注がれるお湯が魔力で、お湯を注ぐ口が大きければ大きいほど魔力回復量は多くなるし、ポットの容量が大きければ大きいほど魔力の総量は多くなる。そして注ぎ口が大きいと一度に使える魔力の量が増えると言われているのだけれど、これらを総括して魔力の器とよばれているわね。
「子供が制御が出来ないのは単に注ぎ口が作られている途中だからだと言われているけれど……私にそれは当てはまらないから」
そうやってしばらく考えながら歩いていると、川が見えてきた。近くには岩場があって、突き出している岩が屋根みたいになっているからここで寝れそうだわ。
気になることは多いけれど、もう寝てしまった方が良いわね。少しは回復したとはいえ、まだ体がだるいわ。疲れているのは確かだもの。
「清浄なる家」
魔物避けの魔術を張っておけば朝くらいまでは安全に寝れるでしょう。もちろん、人相手には無意味だから深くは寝れないけれど。
外套を抱き寄せるようにしながら目を閉じる。川の水音が疲れていた私を眠りへと誘っていく。
ユリウスは無事かしら? 安全な場所にいるかしら?
ユリウスのことを思うだけで心配で胸が張り裂けそうになる。
お父様やお母様、下の双子の兄妹は大丈夫かしら? お父様がいらっしゃるから大丈夫だと思うけれど。
……ジンバルトが陛下に何もしていないといいのだけれど。それに関しては何とも言えないわ。
ご無事でいられるのを祈るしかないわ。
ぼんやりとしてきた意識の中でそんなことを思いながら私は幼い頃のことを思い出していた。
夢を見ている。
幼い頃の夢だ。
五歳の私の前には同じよう五歳の誕生日を迎えたばかりのユリウスが立っている。これは初めて顔を合わせた時の夢ね。
確かこの日は朝早く侍女のアンナに起こされて身支度をさせられて眠くてぐずってしまったのを覚えているわ。アンナは私の二つ上で、私が赤ちゃんの頃から仕えてくれている侍女で、私がお母様の次に信頼している女性と言っても過言ではないわね。
まだ寝ぼけている私を立たせて鏡台の前まで連れて行ってくれる。鏡にはぼんやりとした顔の私が写っているわ。
「ほら、お嬢様。起きてください。いつものように可愛らしく仕上げますよ。旦那様がお呼びですからね」
そう言ってアンナが私の髪をすき始める。アンナの手から私の赤い髪が零れる。ラレーナお母様譲りの燃えるような赤い髪にルビーを嵌め込んだような瞳が私の自慢だったわ。
「ああ、私の可愛いアリスティア。どうしてお前を城に連れて行かなければならないんだ!」
着替え終わってオーギュストお父様の待つ部屋まで行くと、心底嫌そうにお父様がそんなことを言ってきたわ。引き締まった体にハンサムな人なのに情けないお顔のせいで台無しになっているわ。
「お父さま、どうかされたのですか? もしかしてお腹すいたのですか? だったら大変だわ! お腹が空けば悲しい気持ちになってしまうもの。そうだわ! 私のおやつのクッキーがあるから今持ってきますわね」
しょんぼりするお父さまにクッキーをあげると言うとお父さまはありがとうとほほ笑んで下さったわね。
「ありがとう、アリスティア。違うんだ、実はお前を城に連れていかざる得なくなってしまったのだ」
「お城に遊びに行くのですね? 舞踏会ですか!?」
舞踏会は沢山のお姫様がいっぱいなのよ。だから私もお姫様になれるの!なんて考えていた覚えがあるわ。
「まあ、アリスティアったら。舞踏会に出てみたいのね。残念ながら今日は違うけれど、いつか行きましょうね……あなたはもう少ししっかりして下さい」
いつの間にか来ていたラレーナお母様がそう言いながら私の頭を撫でてくれたわ。嬉しくてお母様に抱き着くと嬉しそうに抱き締め返してくれたわね。
「ヨシュアとセレナティアも連れていけるの? お父様?」
一つ年下の弟のヨシュアとセレナティアは双子の兄妹で生まれたばかりだから無理に決まっているのにね。あの頃はそんなことも理解していなかったわね。それにしても当時は二人ともプニプニしてて良い匂いがしたわね。
「二人はお留守番だよ。今回はアリスティアだけがお城に行くんだ」
「……そうですか。分かりましたわ」
幼いながらに弟達に王城を見せようとしていた覚えがあるわ。だから凄くがっかりしたのよね。
「旦那様、そろそろお時間が」
時間を告げに来た家令のナディスが呼びに来たので王城に向かうことになったのよね。
そんな私が初めてユリウスと出会ったときはつい、ユリウスに見惚れてしまったのよね。銀の髪に空を写したような綺麗な青い瞳が私を見つめてくるからドキドキしてしまったわ。
もっとも後でユリウスから聞いたのだけれど、あの時ユリウスも私に見惚れていたらしいわ。
「アリスティア、ご挨拶を」
「お初にお目にかかります。アリスティア・バルヴィエストと申します。この度は殿下にお目にかかれる栄誉を授かり光栄に存じております」
お父様に教えられたまま言っているだけであまり意味も理解していなかったわね。表には出さないように頑張ったのよ? 内心は物凄く緊張していたのだから。
「ユリウス・レイグレイシアです。アリスティア嬢、よろしければ僕と友達になってくれないかな?」
私の挨拶を聞いたユリウスがそう言って手を差し出してくる。私はその手を少し恥ずかしそうに受け取って二人で庭を散策するために歩きだしたわ。あまりユリウスをちゃんと見ることが出来なくて顔を赤くしながらうつむいている私に、ユリウスは気にすることなくいろいろ話しかけてくれたわ。
「見て、アリスティア嬢、このバラは母上が植えさせた蒼穹の夕暮れという名のバラなんだ。ほら深紅の花びらの中に青い色が混じっているんだよ。僕とアリスティア嬢の色だね」
そう言ってユリウスが指さした深紅のバラの花びらの中に青い色がグラデーションとなってとても綺麗だった。私は初めて見るバラに心を奪われてしまっていたわね。
「私とユリウス様の色ですか? 本当だ、綺麗ー」
無邪気に喜ぶ私にユリウスはバラを一つ折って棘を取ると手渡してくれたわ。そして私の前に跪くと手を取ってこう言って来たわ。
「麗しき姫君、どうかあなたのお名前をアリスと呼ぶことをお許しください。そしてどうか私のことをユリウスと呼んでいただけませんか?」
まるで物語の王子様のような格好でこんなことを言われれば、嬉しくてつい頷いてしまうわよね。ちなみにあのセリフが、有名な本に出てくる騎士のセリフを名前だけ入れ替えたものだと知ったのは一年後だったわね。知ったからといって嬉しくなくなったのかと言われれば決してそんなことは無かったけれど。そう言えば私はこの日からバラが好きになったわね。
それから私はユリウスとよく遊ぶようになったわ。二人で中庭でかくれんぼしたり、私がおままごとにつき合わせたり。ちなみにおままごとはユリウスの強い希望で新婚夫婦設定だったわね。
そうそう、いたずらをして叱られたこともあったわ。宰相様がお昼寝をしているときにこっそりお顔に落書きをしてみたり、筆頭宮廷魔術師であるお父様のローブの袖を縫ってみたりしたこともあったわね。
一番大きないたずらは城のあちこちにトラップを仕掛けて回ったことかしら。もちろん怪我をすることが無いようなたわいもないものばかりだったけれど。
いたずらがバレた時は揃って叱られたわ。あの時のお母様と王妃様の怖かったこと。今でもあの二人には頭が上がらないわね。
そんな風に同じ時間を過ごしていた私達が、九歳の時に婚約することになったのも自然な流れだったと思うわね。その頃には私にとってもうユリウスは欠かすことのできない存在になっていたわ。それはきっとユリウスも同じだったと思うのだけれど。
「あなたがユリウス様についた虫ね。たかが侯爵家の娘の分際で私を差し置いて婚約者など恥を知りなさい! この泥棒猫!!」
夢を見続けていると場面が変わり、私の前に少しくすんだ銀の髪に薄い青色の瞳の少女が立ちふさがりながら、まなじりを吊り上げて睨みつけていたわ。夢の中の私と同じくらいの年齢の少女は酷く歪んだ表情で叫びながら私へ指を突き付けてくる。
思い出したわ。これは確か婚約したばかりの頃ね。少しずつ始まった将来の王妃教育のための基礎教育のために城へ上がったら彼女に捕まったのよね。狭い廊下に待ち構えていて避けようがなかったのよね。
「あなたなんか私がお父様に言えばどうとでも出来るのよ!? 地に跪いて額を擦り付けながら謝れば赦してあげなくもないわ」
「お、お嬢様。いかがいたしましょうか?」
私の後を着いて来ていたアンナがこっそりと聞いている。それもそうよね、彼女はジュスティーヌ・バルバンティア公爵令嬢だから侍女であるアンナはもちろん、私でも正面から喧嘩を売れない相手だもの。もっとも、だからといってここまで一方的に言われる程こちらも弱いわけではないのだけれど。
「婚約は陛下がお決めになられたことなので私だけでは……」
「うるさいわね! 私は跪けって言っているのよ! その程度も理解できない程あなたはバカなのかしら!? 歴史ある侯爵家の娘でもこんな出来損ないが生まれるなんて、母親が不貞でもしたのじゃないかしら!?」
うん、夢の中だと理解はしているわ。でもこのガキ殺す……しますわね。何度思い出しても腹立たしい。あんなふざけた暴言を言われる筋合いは無いわよ。
「お母様のことをそういう風に言わないでください! 取り消してください!」
「ふん、貴族というものは公爵家を指すのよ。お前のような王家の血も混じっていない雑種が吠えるなんて」
ジュスティーヌはそう言うと持っていた扇で私を叩こうと腕を振り上げたわ。この頃の私はまだ魔術を今のように使うことが出来ずに、咄嗟に反応することが出来なかったのよね。
今にも振り下ろされそうになったジュスティーヌの腕に私は怖くなってつい目を閉じてしまったわ。
「お嬢様!」
アンナの叫び声が聞こえてきたわ。私は来るであろう衝撃に備えていたのだけれど、その衝撃はいつまでもやってこなかったわ。
恐る恐る目を開けると私の目の前にはユリウスの背中があったわ。ジュスティーヌの腕を止めたのは護衛騎士のギュスターヴ様だったわ。私達よりも五つ年上のギュスターヴ様は十四という年ですでに騎士として認められるほどの腕前を持っている方だったわね。もちろん、他の騎士の方も護衛に着いてはいるけれど、よくユリウスと一緒にいるのはギュスターヴ様だったわ。
「……答えろ。私のアリスに何をしようとしていた?」
冷たい声で問うユリウスに気圧されたのかジュスティーヌは震えていて声が出ないようだったわ。ギュスターヴ様から解放された後ようやくジュスティーヌは口を開いて言い訳を並べ始めたのよね。
「ユリウス様、これはその娘が礼儀がなっていないので教育してあげようという親切心ですわ」
「……そうか、君はそこまで礼儀に詳しいとは知らなかった。聞いていた話と大分違うがきっと何かの間違いなのだろう。君が城の礼儀作法の教師に褒められるアリスに指導できるほど優秀だと父上と母上に話しておこう」
「そ、それは!?」
ユリウスの言葉に急にうろたえ始めたジュスティーヌは失礼しますと言って足早に去って行ってしまったのよね。礼儀としては最低だし話にならないわね。
ちなみにこの時は理解していなかったけれど、後になってあれはユリウスの牽制だと理解したのよね。両陛下にそこまで優秀だと伝われば当然後には引けなくなるし、その後万が一にでも礼儀作法で失敗でもすれば評判は地に落ちるものね。幼いから挽回は可能でしょうけれど、それでも痛手にはなるわ。
「これで少しは大人しくなるだろう。アリス、大丈夫だった?」
ユリウスがそう言って私の頬を両手で壊れ物を扱うように優しく包んでくれたわ。私はユリウスの顔が近いのと嬉し恥ずかしでいっぱいいっぱいだったわね。
「ありがとう、ユリウス」
「アリスは僕の婚約者だからね。僕が守るのは当然だよ」
この時、私は嬉しさと同時に悔しさが胸の中で沸き上がったわ。守られているだけでは嫌だって。私もユリウスを守りたいと思ったのだから。
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