2:限界の限界のその先
「これはこれは。簒奪者らしい品のないお姿ですこと。まともな格好を教えてくださる婆やはお連れにならなかったのですか? ジンバルト様」
本当は余裕なんて無いけれど、弱っているところをわざわざ見せてあげる必要なんてないわね。いつもの私のように敵には心からの嫌味を差し上げましょう。
「やれやれ、まったく可愛げのない女だなぁ。それにしても魔術師が五十の敵を殺すことは珍しくないが、それは前衛がいてこその話。魔術師のみが五十の敵を倒したなど冗談にしても質が悪い。しかし……聖炎の魔女様ともあろう者がほとんど炎の魔術を使っていないみたいだが、こいつはいったい何の真似だ?」
「私の炎は強過ぎるんですわ。こんな狭い場所で使えばそれこそ必要以上の被害を出してしまいますもの」
半分は嘘ですけれど、半分は本当のことなのよね。私と炎の魔術は相性が良すぎるせいか魔力の消費も少なく威力も大きい。いいこと尽くしのように思えるけれど、殺さないという選択肢だけは取ることが出来ないわ。
今、倒れている騎士だって全員が死んでいるわけではないもの。彼らだってこのクーデターが終われば同じ国の仲間に戻るのだから。だからこういう必要以上に殺したくない時には使い勝手が悪いのよね。
「ふーん。まぁ、そいつはどうでもいいか。なぁ、アリスティア。お前は俺の妻になれ。ユリウスみたいなガキよりも俺の方が強く優秀だ。事実、今この国の王はこの俺だ! ここで死なせるにはお前の才は惜しい。だから賢い選択をしろ、分かるだろ?」
「……アハハハハハ!! 何を言い出すかと思えば何てつまらない口説き文句かしら。これが愛を告げる言葉だと本気で思っていらっしゃるのならば、一度そのスカスカの頭の中身を藁に替えられた方がよろしいかと、プッ、ククク」
面白くないのに笑うしかないことを言うなんてジンバルトは道化師の方が向いていそうね。あまりの馬鹿馬鹿しさについ我慢できずに笑ってしまったわ。こんな姿お母様に見られたら叱られてしまうわね。淑女が大きな声で笑うとはどういうことですか!って。
「……もういい、この女はいらん。ユリウスへの人質とも考えたが気が変わった。出来る限り惨たらしく殺せ!! その死体をユリウスへと送り付けてくれる!!」
最初から無事で済ます気が無かったくせに良く言うわね。しかし、本格的にマズいわ。体力はもう限界、失った血は決して少なくなく、魔力に至ってはほぼ空。これでどうやって抵抗しようかしら。
ユリウスが約束してくれた援軍はまだ来そうにないわね。何かあったのかしら?
不安が胸をよぎる。もしかして私は見捨てられたのかもしれないと。ユリウスが私を見捨てることは有り得ない。もしあるとすればそれは他者の判断でしょう。
でも、ユリウスがそんなことを許すとは思っていないわ。だからあるとすれば……。
「ユリウスが呼びに行ったユーステリア公爵の軍を期待しているのならば無駄だ。八百の別働隊が今頃攻撃している頃だろう。上手くいけばそこでユリウスを捕らえることが出来るだろうし、ダメでも戦力は削れる。どちらにせよお前という大きな戦力をあのガキが失うことに変わりはない」
そう告げたジンバルトが手を上げると傭兵たちが一歩前に出てきた。ざっと見て百はいそうね。先ほどの騎士の倍はいるもの。それにしても騎士団を使わずに傭兵に頼るなど。あまりにも無様過ぎて見ているだけで悲しくなるわね。
「騎士団からは嫌われたようですわね。まともな騎士も送ることが出来ずに挙句の果てには傭兵に頼らざるを得ないなど笑いものですわ。その今のお姿があなたが簒奪者である何よりの証拠ではないかしら?」
「いい加減その口を閉じんかぁぁぁぁ!! 殺せ!! あの女を殺せ!!」
血走った目で顔を真っ赤にしながら唾を飛ばして命令する姿はどう好意的に見ても王には見えないわね。
ジンバルトの命令を受けた傭兵たちが慎重に歩を進めてくる。先ほどのボンボンとは違って流石に戦い慣れているようで迂闊に近づこうとはしない。それはそうよね、魔術師を相手取る時は接近するのがセオリーだけれど、魔術師だってそのことは十分に承知しているわ。だからこそ、その近づく瞬間が一番危険なのだから。
私と同じ十七歳くらいの傭兵ですらしっかりと警戒をしてくるのだもの。先ほどの彼らがどれだけ役に立たないか良く分かるというものね。
傭兵の一人が私に向かって鎖を投げてきた。見えているのに体は思うように動いてくれず腕を取られてしまう。
「しまった!!」
思いっきり引っ張られてバランスを崩しそうになった瞬間、私は反射的に魔術を唱えていた。
「炎の剣!」
炎の剣が現れ鎖を断ち切る。
首筋にチリリとした感覚が走った私は、バランスを崩すことに逆らうこと無くそのまま地面を転がる。
そのまま私がいた場所に何本もの剣が突き立てられるのを見て間一髪だったと思い知らされる。
嫌な相手ね。戦い慣れているのだもの。
「囲め! 相手に魔術を使う隙を与えるな!」
リーダーっぽい傭兵がそう叫ぶと私を囲むように傭兵たちが動き始める。月明かりに剣が照らされて嫌な輝きを発しているわね。
ふと、少しだけ湿った匂いが鼻をくすぐる。この匂いはもしかしたら一雨来るかもしれないわね。
だとすればこれはチャンスだわ。雨が降るのなら炎の魔術を使ってもそこまで被害は酷くならないはず。いつ降るかは分からないけれど、この感じならそう時間はかからないでしょう。
ユリウスの方に別働隊八百が攻撃をしているのならば、なおさらこの傭兵たちを合流させるわけにはいかないわ。八百の相手ならユーステリア公爵の兵がおそらく五百はいるできるでしょうから戦えない訳じゃない。
はぁ……今は敵とは言え騎士を必要以上に殺したくなかったから炎は使わなかったのに……あなた達、恨んで良いわよ、私のこと。
私は地に伏している騎士たちを見回す。生きているけれど動けない人達。本当に残念だわ。
ただ、残った問題はもう魔力がほとんど残っていないことかしら。
息も荒く膝をついている私を見下ろしながらジンバルトが満足げに笑う。
「ふん、そろそろ魔力も尽きる頃だろう。これだけ暴れたのだ、普通はもっと早くに尽きるというのに聖炎の魔女の名は伊達ではないか。まぁ、その最強もここで地に落ちるわけだ。じわじわと嬲り殺してくれる!!」
聖炎の魔女か……始まりはユリウスが私が使った炎の魔術を見て名付けてくれたものだったわね。それがいつの間にか最強の魔術師になった私の二つ名として正式に採用されていたのよね。
――そう、これは愛するユリウスが送ってくれた名前よ。
だからジンバルト、あなた程度が汚せる名前じゃないってことを教えてあげるわ。
魔力が無いのなら無理矢理ひねり出す。
膝をついていた体を無理矢理起こす。
大丈夫、まだ体は動くし心臓だって動いている。
絞り出すほど魔力が残っていないなんて信じないわ。私の魔力はまだあるはずよ。
これ以上出ない? 冗談でしょう? まだ出せるはずよ!!
無理矢理絞り出すのよアリスティア!!
必死に絞り出した魔力の先にまだ私の魔力が眠っている気がするわ。
もっと! もっとよ!
一度限界を超えて引き出せたのならもう一回超えることだって出来るはず!
ここで確実に仕留めることが出来なければユリウスが危機に陥るわ。私はあの人の敵を焼き尽くす焔!!
限界のさらに限界を超えて絞り出そうとすると魔力が満ちてくるのが分かる。体が火照り鼓動が早くなる。肌に触れる空気の動きが手に取るように分かりそうだわ。
もちろんこんなことは体に大きな負担をかける行為だからとても褒められた行為じゃないことは分かっている。限界を無視して更なる限界の先を望む行為だもの。何らかの後遺症があるかもしれない、でもそれくらいのリスクは当然だわ。
満ちる魔力に意志を伝えてただの魔力を意味ある力に変えていく。
「お、おい! 様子が変だ! 今すぐに殺せ!」
ジンバルトが叫ぶけれどもう遅いわ。魔力は十分に集まったわ。体に満ちる魔力を一気に開放してしていく。私が一度に使える力を
でも安心しなさい。私は聖炎の魔女だけれど、聖炎は人間に使うことは無いわ。
その代わりに飛び切りの炎をあげるわ。
目を閉じて普段は必要としない詠唱を口ずさむ。
「我が体を満たし噴き上げる炎よ。汝その力よ我が障害に灰はいらず。汝は我が生涯の敗を燃やし尽くす」
「止めろ! その詠唱を完成させるな!!」
ジンバルトの叫ぶような命令を受けて傭兵たちが剣を突き出してくるけれど、全て私に届くことなく私から噴き出した炎に巻かれ溶け落ちていく。
私の体が少しずつ宙へと浮き上がって行く。ふふ、この感触はいつ味わっても好きだわ。地面を離れていつもよりちょっとだけ自由になった私は心が少しだけ躍る。この魔術は術者を中心に炎の球を形成して爆発させる広範囲魔術。炎が得な私にとって切り札の一つよ!
私を中心に炎が球をなして広がって行く。
「故に汝の名は地上に捕らわれることは無し。汝の名はただ天にて輝き続けるもの」
「や、やめろぉぉぉぉ!! に、逃げろおぉぉぉぉl!!」
ジンバルトがなりふり構わず馬で逃げようとしているのが見えるわ。もしかしたら逃げ切れるかもしれないわね。悪運だけは強そうな男だもの。ジンバルトは逃すかもしれないけれど、この傭兵達は逃がすわけにはいかないわ。悪いわね。
ビシリと何かにヒビが入る音が聞こえた気がするけれど、今はどうでもいいわ。そんな事に構っている余裕は無いもの。
ただ、どういうことかしら? いつもと同じように詠唱しているだけなのに通常よりも大きく、未だに膨れ上がるのが止まらない。マズい気もするけれど、でもだからと言ってここで止めるわけにはいかないわね。
「顕現せよ……陽は地に沈まず」
通常の倍以上に膨れ上がった炎の球はまるで太陽の様に輝くとさらに膨れ上がって行く。その勢いに慌てて爆発させようとしたのだけれど制御がまるで出来そうにない。
「嘘! 制御が効かない!? このままじゃ巻き込まれる!?」
ここにいれば制御を失った『陽は地に沈まず』に巻き込まれて命を落としかねない。急いで逃げないと!
「転移!!」
二小節程度の転移魔術で移動できる距離はたかが知れているわ。それでも何もしないよりはマシなはず!
残った魔力で転移の魔術を構成する。とにかくこの場から逃げることだけを考えて。
魔力を注ぎ込もうとした時、急に物凄い量の魔力が溢れ出して転移の魔術へと注ぎ込まれて行く。
「ど、どうして!? こんな魔力私知らないわよ!?」
膨れ上がった魔力はあっという間に私から転移の魔術の制御を奪うとそのまま暴走し始める。
術式が転移の輝きを発しながら私を包み込んでいくのに抗おうにも、一切の制御を受け付けてくれそうにない。そのまま眩しい光の中で、私の意識は遠ざかっていった。
――ユリウス
「はっ!」
冷やりとした風に頬をなで撫でられて目を覚ます。頭の上には夜空が広がっているから転移した後からそう時間が経っていないようね。
横になっていた体を起こそうとして腕に力を入れると肩にズキリとした痛みが走る。そう言えば矢が刺さっていたままだったわね。なんとか痛みをこらえて矢を引き抜く。貫通していてくれたら抜くのは楽だったのに。
仕方なく肉を抉りながら矢を引き抜いて行く。
「命の修復」
暖かな光が私の傷を癒していく。と言っても第二小節の癒しの魔術ではここまで広がった傷を完全に癒すことは出来ない。これは傷跡が残るわね……ごめんなさい……ユリウス。
光が収まってから立ち上がると腕の痛みは治まっていた。傷の治療だけは出来たようね。それにしてもここはどこかしら?
辺りをぐるりと見回すとどこまでも深い森が広がっているわね。先ほどは渓谷にいたのだけど、近くにこんなに深い森は無かったわ。
やはり暴走した転移魔術のせいね。それにしてもどうして急にあんな魔力が溢れてきたのかしら? 『陽は地に沈まず』も想定以上の魔力が溢れてきたし。
「都合よく力に覚醒したとか有り得ないし、これは魔術は慎重に使った方が良いのかもしれないわね……あ!」
そういえば先ほど傷を治した際に使ってしまっていたわね。癒しの魔術はやり過ぎればかえって体に悪影響がある場合がある。私は急いで傷跡の確認をするために上着を脱いでみた。
「……嘘……傷跡が無いわ」
そこには傷一つ無い自慢の綺麗な肌が存在していた。
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