⑧
「ふと思ったんだけどさ。なんで毎週末になるとうちで受験勉強してんの。家でやりなよ。」
スマートフォンにイヤホンを繋いで動画を見ながら当たり前のごとく部屋に居座って勉強している透にそう声をかけ、聞こえていなかったのかイヤホンを外して自分の方を見上げる彼を見て、結希は溜め息を吐いた。
「俺、邪魔?」
そうきかれて、別に邪魔じゃないけどと結希はごにょった。邪魔ではないけどさ。邪魔にはなってないんだけど、別に。週末だからってなんか予定があるわけじゃないし、あったとしても透になら普通に留守任せておけるし。でもさ、こう自分ちのように当たり前にここでくつろがれるとさ、ただでさえシュウ兄に後ろめたい様な気がしてるのに、なんて思う。
「晃から聞いてるかもしれないけど、兄さんの嫁がうざくてさ。勉強しててもやたら人の部屋に来るし、話しかけてくるし、無視してても色々面倒くさくて。だから、うちだとまともに勉強できない。前は図書館とかファミレスで勉強してたけど、ここの方が集中できるし。眠くなったら寝れるし。食事も軽食も出てきて、楽。結希はさすが、俺の間合いよく解ってるよね。タイミング適切。凄く居心地良い。」
そうしれっと当たり前のように自分の都合を押し付けてくる透を見て、結希は少しうんざりしたような気持ちになったが、でも受験生が勉強に集中できないのは死活問題だからな、なんて思って諦めたような気持ちになって心の中で溜め息を吐いた。
「あのさ、なんでうちで昼寝するの前提になってるの。わたし、布団使って良いって言ってないよね。人の布団占領するの当たり前にしないでよ。」
勉強場所を提供するのはしかたがないと思うことにしても、自分の布団を勝手に占拠されることには納得がいかなくてそう言うと、透が表情を変えないまま何で?と言うように小首を傾げてきて、結希は少しイラッとした。
「もしかして結希も休日は寝たいの?寝たいなら俺のことは気にせず寝れば?俺が寝てたって、別に布団入ってきても良いし。結希小さいから、このベットでも普通に二人寝れるでしょ?良いよ、別に。隣入ってきても。」
「一緒になんて寝るわけないでしょ。透いるのに昼寝もしないから。ってか、なんでベットの使用権を透が握ってるのさ。それ、わたしのベット。わたしの布団。透が勝手に使って良いものじゃないの。透が自由人なのは知ってるけど、デリカシーなさ過ぎだから。透は意識してないかもしれないけど、一応わたし女子だからね。透だってもう子供じゃないでしょ。女子の布団を男が勝手に占拠するな。透はなんとも思わなくても、わたしは恥ずかしいし嫌だから。いくら透でもダメだから。」
そうムキになって言い返して、それを聞いた透が口元を抑えて可笑しそうに目を細めてきて、結希はムカッとなった。
「結希ってさ。俺のことちゃんと男だって認識してたんだ。全く意識されてないんだと思ってた。」
そう言う透はいつも通りのテンションなのになんか妙に嬉しそうに見えて、結希は変な感じがした。
「俺のこと男だって認識してるならしてるで、警戒心なさ過ぎ。簡単に部屋あげすぎ。気抜きすぎだし、無防備すぎ。俺、これでも思春期男子だよ?俺のこと男だと思ってるならさ、こうやって部屋に二人きりでいて、危ないと思わないの?それとも、そういうこと考えた上で部屋にあげてるなら、俺、そのつもりでいていいの?それでいいなら俺はそれでも良いんだけどさ。女扱いされて困るの結希の方じゃない?この状況、襲われても文句言えないよね。俺のこと男だと思ってて、自分の事ちゃんと女として意識しろって言うならさ。」
そう言う透はもうすっかりいつもの調子に戻っていて、淡々と指摘されたそれに何も言い返すことができなくて、結希は悔しくて悔しくてモヤモヤしながら黙り込んだ。
「だから、俺、今まで通りで良いでしょ?だめ?」
そうなんでもないように言いながら、透が首を傾げてきて、結希はモヤモヤしたまま彼を睨んだ。
「いいけどさ。べつに、良いけど。もう、どうでもいいよ。好きにすれば。ってか、透ってさ・・・。」
「性格悪いよ。知らなかった?」
そう自分の言葉を継ぐように言う透がなんか楽しそうで、結希はまた何も言えなくなってムッとして黙り込んだ。
「小さい頃だってさ、晃のこと悔しがらせたくて、勉強でも運動でも絶対に負けないように影で努力して、晃のことこてんぱんにして。それでいて晃に勝ったのなんてどうでも良いような顔しながら内心晃の反応楽しんでたんだよね。結希も心当たりあるんじゃない?俺、結希に悔しがりながら勉強教えてって言わせたくて、かなりムリして頑張ったんだけど。勉強以外もさ、色々。結希がムッとしながらありがとうって言ってくるのがかわいくて、先回りして色々やったり、結構かまってたんだけど。本当は兄さんに対してみたいに普通に嬉しそうに言って欲しかったけど、それはムリだって解ってたから。結希が完全俺のこと子供扱いして下に見てたの解ってたし。だから、不承不承でも俺のこと頼らせたくて、ありがとうって言われたくて。俺、かなり頑張ったんだよ。いつも頑張ってた。知らなかったでしょ。」
そう言う透に真っ直ぐ視線を向けられて、結希はなんだか落ち着かない気分になった。透が自分の全然知らない人に見えて変な感じがする。言い方も表情もいつも通りで、どっからどうとっても透以外の何者でもないんだけど。でも、こんなことを言われると、自分に意識されたくて頑張っていたんだと言われているようで、妙に意識してしまいソワソワして落ち着かない気分になって。いや、透だし。これ、透だし。透だからね。なんて意味の解らないことを頭の中で自分に言い聞かせて、結希は軽くパニックになった。それを見た透が、口元を抑えて可笑しそうに小さく声を立てて笑う。それを見て、からかわれたと思って結希は腹立たしさと羞恥心で顔が熱くなって透を睨んだ。
「やっぱ、結希といると楽しい。本当、結希が家にいたときが一番だったと思うんだ。一番、家の中が纏まってた。一番ちゃんとした家族だった。」
そう言って透が視線を逸らす。
「今は、めちゃくちゃなんだよ。兄さんの連れてきた嫁のせいでさ。本当、兄さんは女見る目がない。ってか、兄さんもどうしようもないから、あんなのにつけ込まれて嫁にまでしちゃったんだろうけど。本当、バカ。兄さんは自業自得でも、俺と晃はいい迷惑。俺達はあの人嫌いだからさ、それで家ん中ギスギスしてるの。でも、兄さんはそれを取り繕うとして、無駄な努力と労力割いて・・・。俺達があの人と仲良くできないのは俺達のせいじゃないから。俺達は悪くないから。なのに、兄さんは・・・。兄さんはなんであんな奴の肩持つんだろ。兄さんってさ、本当、昔っから言ってることとやってることがちぐはぐでどうしようもないよね。無理に家内円満にさせようとするの諦めて、さっさと離婚すれば良いのに。どうせできないんだろうけど。」
そういつもの調子でどうでもよさそうにぼやいて、透がまた結希に視線を戻す。
「俺も晃も、高校卒業したら家出るつもりなんだ。俺は進学するつもりだけど、晃は高卒で働くつもりで、通ってるのも商業高校だし。俺もバイトするし。どうせ二人とも出る予定なら、一緒に部屋借りて、適当に二人でやっていこうかなって考えてて。よかったら結希も一緒に来ない?俺達と。一緒に暮らそうよ、昔みたいに。」
そう言われて結希は咄嗟に返事ができなかった。透と晃と一緒に暮らす。その光景は手に取るように想像できて、とても魅力的に感じて。でも昔みたいにとは言っても、修助が抜けている。そこには修助はいない。それが妙に引っ掛かって心にすきま風が吹く。透が言っていることはただ実家を出るということじゃなくて、透も晃も修助と縁を切るつもりだと言っているように感じて、弟達から修助が捨てられるのかと思うと結希は胸がざわついた。
「俺達がいなくなったって、兄さんは一人になるわけじゃないよ。嫁もいるし、子供も生まれるし。兄さんには兄さんの家庭がちゃんとあるんだから。」
まるで心を見透かされたような透の言葉を受けて、結希は彼の顔を見つめた。
「正直、兄さんには辟易してるんだ。うちの親が死んだときも、兄さんは一人で勝手に自分が俺達のこと育てるって決めて周りに迷惑かけまくってさ。中でも、兄さんが当時付き合ってた彼女さんは、兄さんのワガママに付き合わされて振り回されて、一番被害被ったんじゃないかな。結希がうちと関わり持つ前の話しだけど。兄さんの彼女がうちに来てくれてた時期があったんだ。良い人だったけど、なんでもやってあげなきゃって頑張りすぎて、ダメになった。最後の方は兄さんと喧嘩ばっかしてて、正直、聞かされてるこっちはたまったもんじゃなかった。それで晃がひねくれちゃったとこもあるし。でも、兄さんはそういうの全く解ってないから。解らないまま、自分が悪いなんて想像もしないで、周りにばっか腹立ててて苛々して、一人で全部抱えて、立ち行かなくなって。結希が来てくれなきゃ、あの時点で俺達ダメになってたと思う。結果としてはさ、よかったのかもしれないけど。でもね。いいかげんもう、兄さんのワガママに付き合うのも嫌気が差してるんだ。正直、兄さんのことはもう見限ってるんだけど。でも、やっぱ兄さんは兄さんだし。兄さんなりに必死だったことも、兄さんが色々犠牲にしてきたことも解ってるから。縁切ろうとかは思ってないよ。だから別に、結希が心配するようなことないから。元々だいぶ前から晃とそんな計画立ててて、タイミング良く結希と再会できたから、誘ってみただけ。結希にも都合あるだろうし、無理にとは言わないけど。でも、考えておいて。結希も一緒に住むってなったら晃も喜ぶだろうし。俺達は歓迎だから。」
そう言われて、結希はうんと小さく頷いた。心配する必要はない。そう言われて、そうなんだろうなと思う。でも、モヤモヤするのは、縁を切るつもりはないと言っても、透の心はもう修助からだいぶ離れてしまっていると感じるからだと思う。晃も前、シュウ兄のせいで家族が壊れたとか言ってたっけ。アレはわたしが姿を消したのがシュウ兄のせいだと思ってたからだと思い込んでたけど、それだけじゃないのかもな。いったい今、藤倉家はどうなってるんだろう。そんなことを考えて心配になって、でもそれはわたしとは関係ないことだからと結希はそれに蓋をして、現実を知ろうとすることを放棄した。