⑤
仕事から帰ってきて、アパートの自分の部屋のドアの前にしゃがみ込んでスマートフォンをいじっている青年を見て、結希は透?と声を掛けていた。声に反応し自分を見上げてきた顔が記憶の中の彼と重なって、透も大きくなったけどこっちは全然変わってないなと思う。
「正解。藤倉テンションの低い方、透だよ。よく一発で解ったね。晃はでかくなったのと声変わりですぐ気付かれなかったって沈んでたけど。」
そう本当に低めのテンションで小首を傾げて言う仕草が記憶の中の彼と全く変わっていなくて、結希はなんだかなと思った。藤倉テンション低い方。それ、小学生時代に晃と区別するのに言われてたので、自分で言うことじゃなくないと思う。透と晃は年子だが学年が一緒で、兄弟で区別されると晃がうるさいからテンションの低い方高い方と義務教育期間中、同じ学校に通っていた頃区別されていた。結希が彼らと離れたのが、彼らが中学生の時だから今はどうだか知らないけど、高校も同じとこにいったんじゃなければ、もうそれ呼ばれてないんじゃないなんて思う。透は案外晃のこと弟扱いしてたけど、晃も透のことお兄ちゃんだって認めれば良いのに、学年が一緒だったせいかなんだかんだと張り合って頑として認めなかったんだよな。でも、自分の方が弟だって自覚はあるみたいで、じゃあ晃がお兄ちゃんなの?ってきくと何も返せなくなって凄く不服そうな顔しながら黙り込むとことかちょっと可愛かったよな、昔の晃。なんてどうでもいい思い出が蘇って懐かしさと一緒に結希は少し胸が締め付けられた。
「こないだ晃に会ったばっかだし。透は大きくなっただけであんまり変わってないしね。」
「俺も、声変わりした。」
「そりゃそうだけど。透は声変わりしてから会ってるからね、わたし。あんたと晃、同じ学年でも実質一年の年の差あるんだから、晃が声変わりしてなくてもあんたはしてたから。身長も透の方が大きかったし。あの頃より更に大きくなってはいるけど、透、元々大人びてたしさ。変わんないよ。全然。」
それで会話が終わってしまって、沈黙が続いて、結希はどうしようと思った。このままじゃあねって部屋に入るのもおかしいよね。ここにいたってことは絶対わたしに会いに来たんだろうし。つまりそれって晃がわたしの居場所を家でしゃべったということで、透だけじゃなくてシュウ兄にもわたしの居場所がバレてるってことで。弟達がまたわたしと関わってくるの、シュウ兄はどう思ってるんだろう。そう思うとよけい透にどう対応するのが正しいのか解らなくて、結希は部屋に入ることも、話しを促すこともできないままその場に立ちすくんでしまった。
「ご飯。」
そう透が呟く。
「晃だけズルい。俺も結希のご飯食べたい。俺には食べさせてくれないの?」
そう上目遣いにきかれて、結希はつい別に良いけどと透を部屋にあげてしまった。
「急に来るから、あり合わせだけどいい?」
「良いけど。急なのは仕方ないじゃん、結希の連絡先知らないし。」
そう返されてしまうと返す言葉がない。
荷物を置いて、手を洗って。スーツを脱いで部屋着に着替えたいけど、透いるしななんて思ってちょっと躊躇して。でも、スーツのまま料理するのはななんて悩んで、結希は着替えてくるから覗かないでよと透に声を掛けて洗面所へ向かった。
「覗くわけないじゃん。。覗いて俺に得あるの?結希のこと怒らせるだけで、俺にメリット何もないよね。」
そんな透の声がどうでも良さそうなトーンで聞こえてきて、結希はうるさいなと思った。どうせわたしの裸なんて見たところで透になんの得もないだろうけどさ。チビだし、胸も小さいし、本気でスーツ似合わなくて悲しくなるくらいだし。飲み会で酔った上司に合法ロリ言われてセクハラ受けて、本気で殺意が湧くくらいの見た目ですよ。でもさ、わたしにだって羞恥心はあるんだからね。そっちは見てもなんとも思わないかもしれないけど、こっちはさ、見られたら恥ずかしいし嫌だから。ってか、コンプレックスなんだからそういうこと言うなバカ。知ってるでしょ。高校生の時、制服着てたのに小学生と間違われて、わたしが本気で落ち込んでたの。晃には思いっきり笑われたし、透にはドンマイで終わらされたけどさ。初めて会った中学生の時だって、晃には嘘つき呼ばわりされるは、シュウ兄には当時小三だったあんたらの同級生と本気で勘違いされるわで。今まで付き合ってきた相手は、もれなくロリコンなの?ってからかわれるのがお約束だけど。誰がロリだ。絶対わたしの方がそこら辺の同世代女子よりしっかりしてるし、お姉さんだから。うん。だから思ってたのと違ったとか、中身おばさんじゃんとか言われてフラれてきたんだけど。そんなことを考えて、結希は何だか急激に悲しくなってきた。
「結希ってさ、彼氏いるの?」
「今はいないけど。」
「今はってことは、前はいたの?」
「いたことあったら悪い?」
「別に、悪くないけど。いたんだ・・・。」
それだけ言って静かになった透に、なんなのと思う。透のテンションがデフォルトで低いせいで、発言の意味が本当に解らない。というか、なんか続きそうな雰囲気で切るな。なんだその、いたんだ・・・って。わたしみたいなのに彼氏がいたことが意外なの?わたしみたいなの選ぶような男もいるんだって言いたいの?言っとくけど、こんなんでもそこそこ需要はあるんだからね。わたしだって。わたしだってさ。そう心の中で嘆いて結希は悲しくなってきた。需要はあっても長続きしないんじゃ、結局需要がないのと変わらない。わたしを選んでくれる人なんていない。わたしとずっと一緒にいてくれる人なんてさ、どうせいないんだ。そんなことを考えて、もう本当に一人で良いかななんて思った。今までずっとただ自分の寂しさを紛らわすために自分の傍にいてくれる誰かを求めて、好きだとか付き合ってと言ってくる好きかどうか解らない相手と付き合ってきた。なっちゃんに指摘されるまでもなく、そんなんだから上手くいかなかったのは明白で、だから、もう告白されたからって適当に付き合うのは止めようと思う。なっちゃんにも心配されてるし、大智とのこともあるしね。それなりに付き合いがあって、互いに知らない相手じゃない相手と付き合って、あんな別れ方するのはもう嫌だし。やっぱ辛い。本当に好きになれそうだった分、一緒にいて居心地が良くて、楽しくて、このままが続けば良いなとか思っちゃってた分、本当にショックが大きくて。あんなのもうムリ。かといってそれ以前みたいなのも、もういいやと思う。結局、自分が辛くなるだけで、良いことないし。結局わたしが求めてたのって、わたしにとって都合の良い誰かなだけで、わたし自身がちゃんと相手の気持ちと向き合ってこなかったわけなんだよねと思う。だからフラれる。そんなの当たり前。だから止めよう、そう思うけど。でも、また誰かに好きって、付き合ってって言われたら、結局、同じこと繰り返しそうだな、なんて思って、結希は自分の事が本当にどうしようもなく思えた。
晃といた時もそうだけど、透と一緒も調子が狂う。ついつい昔の自分が出てきて、地の自分が、完全な素の自分が出てきて。他のことがどうでも良くなってくる。やだな。昔に戻りたくない。戻りたくないけど、結局、昔と同じように接してもらえるのが嬉しくて、拒めない。このままでいたいと思ってしまう。また、あの頃と同じように戻りたいなんて。シュウ兄は嫌だろうしな。このまま流されないで、ちゃんとしないと。また引っ越すか。そんなことを考えて、結希はまた少し気が塞いだ。
着替えて、居間兼寝室に戻って、結希は自分のスマートフォンを操作している透の姿を見て、何やってるの?と叫んでいた。
「ん?連絡先交換。」
「って、勝手に人のスマホいじるとかありえないでしょ。」
「見られて困るものでも入ってるの?」
「いや、別にないけど・・・。」
「じゃあいいじゃん。俺と結希の仲でしょ。あー。でも、パスワード、自分の誕生日はやめなよ。危ないから。誰かに悪用されたら大変だよ?」
そうしれっと透に言われて、勝手にいじくってるあんたが言うなと思ったが、結希はそれには何も返さずに、モヤモヤした気持ちになった。勝手に連絡先交換とかどうしようと思う。消せって言うのもおかしいし、学生だったあの頃と違って仕事で使ってる今、電話番号もアドレスも全部変えるとかムリ。余程のことじゃない限り本当ムリだし。それに、それをしたことで晃があんな風に傷ついてわたしに怒ってたのを見ちゃったら、あの時と同じことなんてできないと思う。引っ越すだけなら、元々そういう予定だったんだよって言い訳できるし、連絡先知らないんだから引っ越し先教えられないのしかたないでしょって言えるけど、こうなるとそんな言い訳はできない。そう思って、結希はどうしようもなく泣きたいような気持ちになった。
「ねぇ、何食べさせてくれるの?」
そう言いながら透がキッチンに付いてきて、なんか手伝う?なんて言いながら自分の周りをうろついてきて、結希は、これだけでかくなってこれされるの邪魔だなと思った。そもそも藤倉家のキッチンと違って、一人暮らし用のマンションのキッチンは狭いし。そんなことを考えて結希は、テーブル拭いて、あとはできるまで向こうで待っててと言って、透に台拭きを押し付けてキッチンから追い出した。
「どうでも良いけどさ。結希、ちっちゃくなったね。」
「あんたがでかくなったんだよ。わたしの身長は変わってないから。」
「あー。じゃあ、百五十いかないままなんだ。昔、晃と一緒になって身長伸ばそうと必死になってたのに、ドンマイ。結希は伸びなかったみたいだけど、晃はかなりでかくなってたでしょ。今、あいつ百七十八もあるんだよね。うちで一番のチビだったのに、俺も兄さんも身長越されちゃったんだ。俺はそんな伸びなかったからな。ちょっとショック。」
そんな透の言葉が何だか意外で、結希は思わず、晃に身長抜かされたのショックなの?ときいていた。
「当たり前。俺、結構負けず嫌いだよ。知らなかった?」
そう言って意味深に小さく笑って、台拭きを持った透が居間の方へ向かって行くのを見て、結希は若干頭の中が混乱した。透って負けず嫌いなの?嘘でしょ。透に負けず嫌いなイメージが全然ない。いつもしれっとしてて、なんでも淡々とこなして。そもそも透って人の評価気にしたりするの?昔からかなりの自由人だったよね。本当、ぼーっとしてる割に勉強も運動も何でもこなせるから、いつも晃の方が負けて悔しがってギャーギャー言ってた方で。晃はいつも次こそは透に勝つとか言って色々必死にやってたけど、透が必死に何かしてるのとか見たことないんだけど。努力しないけど、負けると悔しいの?いや、負けて悔しがってるとことか見たことないよ。テストの順位落ちても、あー今回ゲームに没頭しててあんま勉強しなかったからなとか言って、シュウ兄にお前テスト期間中にゲームに没頭してたのか、ちゃんと勉強しろよって突っ込まれてた感じだったし。それでもちゃんと勉強してた晃より順位上で、あの時はちょっと晃がかわいそうだったな。無駄に晃のこと励まそうとして、よけい惨めになるだろ、やめろよって怒られたっけ。そんな思い出が蘇って、結希は思わずクスリと笑ってしまった。
楽しかったな。皆といた頃。シュウ兄は忙しいから、家では透と晃と一緒に三人でいることが多かった。いや、透と二人の方が多かったかな。晃は結構友達と遊びに行ったりなんだりしてたけど、透はあんまり遊び回る方じゃなくて、わたしも家にいること多かったし、必然的にね。別にだからといって一緒に何かするわけでもなかったけど。自分も家にいるくせに、結希は遊びに行かないの?ってか友達いるの?とか言われて、うっさい、あんたに言われたくないとか言ったりしたっけな。リビングで自分の宿題やりながら二人にも宿題させてとかは藤倉家に居候する前からしてたんだよな。晃はすぐ逃げようとするし、やっててもつまずくことが多くて勉強教えてあげたけど。透は手が掛からないどころか、いつの間にか中学生の問題も解けるようになってて、人の間違い指摘してきて、逆にわたしに勉強教えてきたりしてさ。本当、かわいげがなかったな。しかも教え方上手くて、なんていうかわたしの立場がなかった。五歳も下の奴に負けてたまるかって、しばらくは意地張って透に指摘されないように頑張ってたけど、最終的には諦めて普通に教えてもらってたんだよな。シュウ兄もちょこちょこわたしの勉強見てくれたけど、透の方が一緒にいることが多かったから、結局は透に解らないとこ教えてもらうことの方が多くて、小学生に勉強見てもらってた自分が本当情けなくて情けなくて、めちゃくちゃ悔しかったんだよな。小学生の時既にアレだったんだから、絶対、透、高校は頭良いとこ通ってるんだろうな。そう考えると、晃じゃ絶対透と同じ高校に通うのなんてムリだろうし、透が晃に合わせてランク下げるなんてしないだろうから、二人はきっと別々の高校に通ってるんだろう。そう考えて、結希はしみじみ二人とも今、高校生なんだよねと思った。お弁当、自分で毎日作ってるのかな。それともシュウ兄の奥さんに作ってもらってるのかな。学食頼りってこともありえるのかな。でも、それは想像つかないや、自分が毎日お弁当作ってたせいかもしれないけど。あの頃は、自分ののついでにシュウ兄のお弁当も作って、給食があるからお弁当いらないくせに、二人がシュウ兄のことズルいって、自分達も給食じゃなくて弁当が良いとか言ってきて・・・。想像の先にそんな思い出まで蘇ってきて、そしてそれと同時にその頃の自分がいた場所に立つ修助の妻の姿が脳裏に過ぎって、彼女を囲んで賑やかに楽しそうにしている藤倉兄弟の姿がありありと想像できてしまって、結希はまた気持ちが塞がってきて、考えるのをやめた。
冷蔵庫を開けて、そういえば昨日挽肉安かったから買ってきたんだっけと思う。じゃあ、ハンバーグだな。透、ハンバーグ好きだし、なんて考えて、ついでにオムライスも作ってやるかと思う。透はデミ系が好きだから、オムライスとハンバーグ一緒に乗せてソースかけてあげれば、透の好物盛り合わせプレートで出せるしね。晃とシュウ兄はデミ系ソースより和風系ソースが好きだから、一緒のプレートには盛れないんだよな。まぁ、ハンバーグは皆好きだったけど、オムライスが好きなのは透だけだから、透相手じゃなかったら一緒に出そうとすらしないけど。ハンバーグソース、わたしもどっちかというと和風の方が好きだったけど、そうすると透だけ仲間はずれになっちゃうから、わたしも透と一緒にデミ系ソースにしてたっけ。透はマイペースだし、一人だけ違っても別に平気そうだけど、なんとなくね。なんとなく、独りぼっちっていうのがわたしが嫌だったんだよな。食事作りをしながらそんなことを考えて、また思考が思い出に引っ張られているのを認識して、結希はなんだかなと思った。晃が来た時は、調理中も晃がやたら話しかけてきたからそうでもなかったけど、透は全然話しかけてこないからついつい作りながら思い出に浸ってしまう。晃と話していたときは、晃の話に相槌を打って晃のことだけ考えてられたけど、一人で思い出に浸るとどうしてもそこにはシュウ兄もいて、やっぱり辛い。チラリチラリと脳裏にちらつくシュウ兄の影が、もう関わるなって言ったのになんで弟達と一緒にいるんだって言ってきて、思い出の中の場所はもう自分がいる所じゃないと言ってきて、苦しくなる。
「ねぇ、透。オムライスにするけど、お米どんくらい食べる?ちなみに他は、ハンバーグと、オニオンスープとサラダの予定だけど。」
そう声をかけながら居間を覗いて、ベットに俯せになっている透を見付けて、結希はあんた何やってるのと言っていた。
「ここに布団があったから。待ってる間暇だし。寝ててもいいでしょ?できたら起こして・・・。」
「起こしてって。人の布団で勝手に寝ないでよ。」
「いいじゃん別に、減るもんじゃないし。俺、今ここから離れられない。おやすみ・・・。」
「だから勝手に寝るな。」
そんな抗議を右から左にした透が、米の量は結希の二倍でと言い残して完全に沈黙してしまって、結希は大きな溜め息を吐いた。本当、相変わらずマイペース。どうしようもなく自由人。まぁ透だからしかたがないかと許してしまうからいけないのかもしれないけど、でも、透だしな。どうせ今起こして布団から無理矢理引きはがしたところで、離れた瞬間また戻ってるんだろうし、どうしようもないよね。そう思って、諦めてキッチンに戻る。
料理をしながら、結希はなんだかなと思った。透を相手にしていると、色々考えてしまう自分がバカらしくなってくる。わたしはちゃんと離れたんだから。晃や透が勝手にわたしを見付けて、勝手にこうして押しかけてきてるんだから。これ以上はわたしの知ったことじゃないし。なんて考えてみて、でもさと思う。どうしたら良いんだろう。どうすれば良いんだろう。そんなことをもやもやもやもや考えながら、結希はもうなんだかどうでも良くなってきて、もうどうにでもなれと自暴自棄のような感じになってきて、もしこれで今度はシュウ兄が来て文句言ってきたら逆ギレしてやると無意味に意気込みながら、せっせと夕食作りに励んだ。