⑪
何とか気持ちを落ち着けて戻ると、そこになんとも言えない気まずそうな雰囲気で食卓に向かい合う透と晃の姿があって、結希は、何この雰囲気、ここに入りたくないんだけどなんて思って立ちすくんだ。
「えっと。とりあえず、食事の準備できてるから、結希も座ったら?」
そうあからさまに自分と視線を合わせないようにしている透に声をかけられ、結希は気まずさを抱えながら食卓に着いた。
真ん中を丸くくりぬかれた食パンの穴に卵とチーズを入れて焼いたトーストに、シンプルなサラダとスープ。見た目も臭いも凄く美味しそうで食欲をそそるけど、何といっても気まずい。お腹は減っているのに、気まずさが半端なくて、誰もなかなか手をつけなくて。結希はその気まずさも何もかも耐えきれなくなって、はい、じゃあいただきます、と声を上げて食べ始めた。それに続くように二人も食事を取り始める。誰も何も言わずに黙々と食べていることが落ち着かなくて、結希はどうしようと思った。晃も一言すら発しないし、透は何もしゃべらないのはいつも通りだけど雰囲気がアレだし。嫌だな、この空気。そんなことを考えながら沈黙の食事が進み、誰も何も言わないまま終了して片付けをする。
洗い物をしながら溜め息を吐いて。結希は、本当、これからどうしようと思った。とりあえず、朝食も終わったし二人を追い出す?追い出して、それからどうすんの?二人との関係今度こそ断ち切る?いやいやそれは・・・。でも、だからって、どっちかと付き合う?ムリムリ、考えられないし。だって、晃だよ?透だよ?あいつらと恋人同士になるとか本当想像つかない。そんなことを考えてると、また妙に鼓動が早くなって顔が熱くなってきて、結希は大きな溜め息を吐いた。よく知っているからこそ、なんか、ムリ。だってさ、大智ですらダメだったのに。ムリだよ。フラれたら絶対立ち直れなくなりそうだし。なんて思って、つまり、有りか無しかで言えば有りだと思ってるのか自分と自分に突っ込んで、結希は妙に焦ったような気持ちになって、意味もなく首をブンブン横に振った。でもさ、自分の中で有りだったとしても、付き合ったりなんかしたらまたシュウ兄とも縁ができちゃんでしょ。凄く気まずいし。正直、会うの怖いし。でも、付き合うとなったらいずれは顔合わせなきゃいけないわけで。それにさ、弟的存在だったからかわいかったけど、彼氏ってなったら違くない?違うよね。ムリ、ムリ。やっぱムリ。そんなことばかりが頭の中をぐるぐるして結希は悶々としながら食器の片付けを続けた。
「あのさ、結希。ごめんね。」
そう透の声がして、彼が背後に立つのが解る。
「俺、かなり冷静さ欠いてて。迷惑、だったよね。こんな風に伝えるつもりじゃなかったし、結希のこと困らすつもりはなかったんだけど。こんななっちゃって、本当、ごめん。」
そう酷く落ち込んだ様子の透の声が続いて、結希はついついお姉ちゃんモードが出てしまって励ますように、大丈夫だよと言っていた。
「凄くビックリしたし、混乱?は、まだしてるけど。そんな、透が謝るようなことじゃないって。」
「俺達のこと嫌いにならない?」
「なるわけないじゃん。」
「気持ち悪いとか思ったりとか。」
「ない、ない。そんなこと。」
そう何も考えずに自然と返してしまって、良かったと嬉しそうな声で言う透に後ろから抱きしめられて、結希は固まった。
「俺が結希のこと好きって解った上でそう言ってくれるってことは、俺、諦めなくて良いんでしょ?別に今すぐ返事くれとか言わないし。というか、そんなのムリなの解ってるから、今すぐなんてむしろいらないけど。でも、ちゃんと考えて。俺、絶対良い彼氏になるし、良い旦那になるから。」
そう耳元で言われて、結希は顔が熱くなってまた心臓がバクバクなって変な汗が出てきた。
「透、お前、なにやってんの?」
凄く不機嫌そうな晃の声が聞こえて背中にくっついていた透が引き離される。
「晃が抜け駆けした分の穴埋め。」
「何だよそれ。」
そんな風にまた言い合いが始まりそうな雰囲気に、結希は今朝のアレは本当に恥ずかしいから本当にもう止めてと心の中で叫んだ。でも、噛み付くような雰囲気の晃を透が普通にスルーして、何も起らなくて、ホッとする。
一人さっさと居間兼寝室に戻ってしまった透の後に続くように晃もそっちへ行き、結希も洗い終わった食器を拭いて片付けてから、そちらへ向かった。
「はい、これ。返しとく。」
そう透にいつも通りの調子で合い鍵を差し出されて、結希は思わずポカンとしてしまった。
「持ってて良いなら持っとくけど、俺にこれ持たせたままでなんかあっても自己責任だからね。」
そう続けられて、いや、嫌だって言われても奪い返すつもりだったけどさと心の中で言い訳をしながら、結希はそれを受け取った。
「結希はさ。俺達に甘いし、押しに弱いから。ちゃんと気をつけなよ。その気がないなら、流されないようにね。バレちゃったし。これからは遠慮する気ないから。」
そう忠告を受けて、ダメだと言っていたのに結局昨日晃を泊めてしまったことや、ついさっきもう気を抜いて透に後ろから抱きしめられたことを思い出して、結希は反論することができず黙り込んで、悶々とした。っていうか、わたしがそうだって解ってるならそっちが気をつけてくれれば良いじゃん、なんて思って、いやこれはわたしがちゃんと気をつけるべきことだよなと思ってちょっと自己嫌悪に入る。だって、だってさ。突き離すってどうしたらいいの?本当に凄く嫌だって思ったら何とかなるけど、難しいよ。線引き。相手に傷ついた顔されたり、辛そうにされるの、こっちも辛いし。って、そんなこと言ってるからダメなんだよな。そう思って少し気落ちする。
「はい。晃にはこれ。取り返しといた。」
そう言って、透が今度は晃に箱に入った腕時計を渡す。
「え?これ。あいつ捨てたって。」
「ん?それ嘘。あいつネットで売って金にするつもりだったんだよ。俺は自衛してるからやられてないけど、あいつ、ちょこちょこ兄さんの物とかお前の物くすねて売ってるよ?知らなかった?」
「え?マジ?全然気付かなかった。」
「証拠集めのために、アカウント監視して泳がしてたんだけど、これは売られる前に取り戻さないとなって思ってさ。さすがにアレだけ怒りまくった晃見た後ですぐには出品しないだろうなと思ったんだけど、一応突撃する前に覗いたら、あいつ普通に出品してて。ある意味凄いよね。まぁおかげで取り戻すのに俺の労力そこまで使わず済んだけど。でも、兄さん巻き込んだから、昨日はうちかなりの修羅場だったよ。おかげで晃のこと回収に来れなかったし。散々あいつのこと庇ってきた兄さんも今回は完全に頭来てるしさ、丁度良いから兄さんの怒り熱が完全に冷め切らないうちに追い打ちかけて追い出してやろうかなって思ってるんだけど。」
そう淡々と言った透の目は完全に据わっていて、だからもう帰るよと晃に向けた笑みは恐ろしくて、それに萎縮した晃は何も言わずコクコク頷いていた。それを見て結希は、透って絶対に敵に回しちゃいけない人だ、と思う。朝も凄く怖かったし、怒らせないように気をつけよう。そう思うが、どうしたらここまで怒らせられるのかも想像できなくて、とりあえず言いつけはちゃんと護るようにしようと、小さい子みたいな誓いを心の中で立ててみる。
それにしても、丁度良いから追い打ちかけて追い出してやろうって言われるシュウ兄の奥さんってどんな人なんだろうと結希は思った。二人が毛嫌いしてるのは感じてたし、ちょっと話し聞いただけでもなんか凄い人だなって解るけど、それにしたって、ね。いや、自分も良い印象は持ってないけどさ。ただ、わたしの場合は私情もかなり交じってると思うからな。一回しか会ったことないし、正直全然覚えてないけど。大人っぽくて綺麗な人だったような気がする。なんかやたら付きまとわれて嫌みみたいなこと言われ続けたことと、シュウ兄にベタベタしてたなって記憶はある。皆の前ではニコニコしてて、わたしのこと褒めてる調でなんか地味にぐさぐさくること言われた気も。そういえば、あの時、透がいつもの調子で淡々となんかあの人に返してたっけ。それ聞いて皆笑ってて、だから皆といる時はそこまで言われてること気にならなかったんだよな。今思うと、透、いつも通りにしてた様に見えてたけど、あの時わたしが嫌がらせ受けてるって思って護ってくれてたんだよね。それを思うと、あの時自分には味方がいて、言われたことにあんなに落ち込む必要はなかったんだなと思って、結希は胸が締め付けられた。結局わたしが弱くて、しかもシュュウ兄しか見てなかったからいけなかったんだ。わたしのために頑張ってくれた透のことを傷つけて、晃にも辛い思いさせて。わたしは本当にバカだったな。そう思う。
「わたしも行っても良い?」
そう口に出していて、驚いたように二人に振り向かれて、結希は自分でも自分が言ったことに驚いた。
「来ても嫌な思いするだけだからやめなよ。」
「俺も同感。絶対来ない方が良い。ってか、来んな。」
そう言う二人が自分の事を心配してくれていることがひしひしと感じられて、結希は自分の心に自分の意思を確認して、真っ直ぐ二人に視線を向けた。
「これはわたしのワガママなんだけどさ。自分の過去にケリを付けたいの。あの時、何もしないで逃げ出して、全部捨てて、皆の前から消えちゃって。透のことも、晃のことも傷つけて、辛い思いさせて。そんな自分を変えたい。あの頃の、弱いままの自分でいたくない。二人があの人を追い出しちゃう前にさ、わたしも一言、よくもあの時やってくれたなって、言ってやりたい。シュウ兄にも。わたしが初めて藤倉家に行ったあの時みたいに、何してるんだって、透や晃になんて思いさせてんだって、長男でしょ、二人の保護者でしょ、自分の嫁のことばっかじゃなくて、ちゃんと二人のこと大切にしろって、怒ってやりたいんだ。わたしにそんな資格ないかもしれないけどさ。」
そう言うと、二人がそれぞれ困ったような呆れたような、でも、そう言うならしかたがないなみたいな顔をして、じゃあ結希も一緒に行こうと言ってくれて、結希は笑った。そう、あの時、捨てられたのはわたしじゃない。わたしが捨ててしまったんだ。大切なものを捨てて、自分で勝手に独りぼっちになってしまったんだ。大切なら、失いたくないなら、与えてもってばかりじゃなくて、自分で掴んでなきゃいけなかった。傷ついても、苦しくても、戦って、自分で自分の居場所を護って、離さないようにしなきゃいけなかった。二人がこうして自分を見つけ出してくれて、思いをぶつけてくれたことで、今、そう思える自分がいる。大智との付き合いだって、やっぱ、なっちゃんが言ってたみたいにわたしが悪かったんだ。わかれようって言われて、わたしは縋ることすらしなかった。大智が何でそんなこと言い出したのか知ろうともしないで、理由を聞くのがただ怖くて、やっぱりダメだったって、早々に諦めて、すぐ受け入れて。フラれたのはわたしだけど、きっと捨てたのはわたしの方だった。そう思うとすごく申し訳ないような気がして、大智には本当に悪いことをしたような気がして、でも、もうしかたがないよね、なんて諦めたような気持ちになる。次は気をつけよう。そう考えて、誰かと付き合うとかもう良いかなとか思ってたのに、少し前向きになっている自分を認識して、結希は自分って現金だなと思った。そして、少し前向きになることができているのは、透と晃がこうしてまた自分と関わりを持ってくれたおかげなんだと思うと、ずっとお姉ちゃんぶってたけど、わたし、全然二人にかなわないなと思って情けないような気持ちになった。本当、わたし格好悪い。そう思って、結希はもう変な意地を張ることを止めて、ちゃんと二人の想いに向き合えるような、向き合って恥ずかしくないようなちゃんとした大人になろう。そう心に決めて、二人と共に藤倉家に向かった。




