学園初日
暗闇で微笑む男。
鼻につく腐臭と死臭で今にも吐きそうになる。
手足に繋がれた鎖はもう何年も外されていない。
俺は一体いつからそこにいるのだろう?
そのときの俺はただ生き残るために必死だった。
他の連中のように死にたくない。
その思いでここまで生きてきたのだ。
やがて、一筋の光が現れ、俺を導く――
目が覚めた。
どうやら夢を見ていたらしい。
楽しい日々のせいで油断していた。
俺はどうあがいても、あの夢から逃れることができないのだ。
「まだ付き纏うのかよ。あんたは」
その言葉には畏怖の念を込めている。
俺が殺した相手は決して死ぬことなく、俺を苦しませ続けるだろう。
俺は隣を見る。寝息を立てている海里の姿があった。
どうやら、うなされて起こしてしまうようなことはなかったようだ。
いや、もううなされることもないぐらい、俺は見慣れてしまっていたのかもしれない。
牢獄の中で見続けた夢だ。今更、驚くこともないんだろう。
そんなことを考えていると海里が目を覚ました。
学校に通うにはまだ早い時間だが、女の子にはいろいろあるんだろう。
「おはよう。早いんだな。いつもこの時間に起きているのか?」
すると、夢見心地だった海里は急激に目が冴えたのか、慌てて俺に挨拶をする。
「お、おはようございます!朝早いんだね」
随分意外そうな反応を見せてくれた。
自分が先に起きてないことに焦っているのだろうか。
「そ、その……見ましたか?」
何を聞いているのか、おおよその見当をつけて返してみた。
「あぁ、とっても可愛い寝顔だったよ」
それを聞いた海里は居ても立ってもいられなくなったのか。
顔を紅潮させながら、洗面台の方に駆けて行った。
少しおちょくり過ぎただろうか?
でも、事実を言っただけだし、悪びれる必要もないだろうと自分を納得させた。
外の景色を眺める。
そこに広がる美しい世界と先ほど見ていた夢のギャップに俺は頭を悩ませる。
今はこっちが現実なんだよな……。
これがいわゆるギャップ萌えというやつなのか!などと、わけの分からないことを言ってみたが、どうも使い方が合っているとは思えなかった。
やがて、洗面台から海里が姿を見せた。
女性にしては早い気がしたが、彼女、いや彼は学校では男なので、深くは考えない。
最低限の身だしなみさえできていれば、問題はないのだしと一人、頷いていた。
そんな俺に海里が話掛けてきた。
「洗面台空きました……。あの、先ほどは取り乱して、すいません」
などと言って謝ってくる。
そうなると俺の方が罪悪感に駆られる。
「いや、俺も驚かして、悪かった。ありがたく使わせてもらうよ」
一言断ってから、洗面台に入った。
顔を洗い、髪型を直し、歯を磨く。
時間はそれほど経ってはいないが、部屋に戻ると海里は制服に着替えていた。
もちろん男物である。
目の前にいるイケメンが一瞬誰か分からなかった。
「遊離、急がないと朝食に間に合わないよ」
海里が俺に催促してくる。ぐぬぬっ複雑だ。
自称ナイスガイの俺としてはちょっと面白くない。
あくまで自称だから、その差は歴然だろう。
制服を着た海里は、それでスイッチが入ったのか、昨日のような少女の反応がない。
「あぁ、すぐに着替える」
そう言って、ハンガーに掛かったた真新しい制服に手を掛ける。
新品独特のにおいがするが、気にせず着る。
これで昨日のような不審者騒ぎにはならずに済むと思うと、制服の偉大さを感じざるおえない。こんな布きれ如きに、などと思う。
俺の着替えを見ないようにしていた海里が言う。
「もう準備は出来たの? 行くよ」
男の着替えも見ちゃいけないのか、俺は疑問に思う。
男子なんかは廊下で着替えさせられていたイメージなので、見放題だと思っていたが。
俺はあぁと答えると海里と一緒に食堂へと向かった。
食堂に着くと周囲はがらんとしていた。
どうやら、まだ朝食をとる連中は少ないらしい。
手早く朝食を貰う海里に続いて、朝食を受け取る。
近くのテーブルに座ると、海里はいただきますと挨拶をして食べ始めた。
「おい、そんなに急がなくてもいいんじゃないか?」
俺はふと感じた疑問を海里にぶつける。
「人目は少ない方がいいからね。下手に人と接触してバレたら元も子もないし…」
海里はそう言ってのけた。
もっとも俺は恐らく長年り続けてきたであろう秘密を知ってしまったのだが。
イレギュラーにして不愉快極まりない存在だろう。
それでも、ルームメイトとして過ごしてくれる彼女に俺は尊敬の思いを募らせた。
そんな眼差しを向けると海里は既に食べ終えていた。俺は急いで朝食を口の中に納める。
「ぐふぇっ。ふぇっ」
多少むせたが、問題はない。すべて胃袋の中に納まっていた。
そんな俺の様子を見ていた海里は別に急ぐ必要などないのにと言っていた。
たしかにそうだが、なんとなく自分に合わせてくれている海里に迷惑を掛けたくなかったのだ。そして、海里が席を立ったので、俺もそれに続いた。
食堂には人気が出てきていたが、俺達は特に気にすることもなく、その場を後にした――
部屋に戻り、カバンを手に取ると、すぐさま学校へと向かった。
「ごめんね。僕は今日、日直を任せられてるから、少し急ぎ足になっちゃったね」
申し訳なさそうに海里が言ってきた。
俺は別にかまわないと言うと職員室に向かう海里についていく。
「それに俺も職員室には行かなきゃいけなかったし、場所もよくわかってなかったからな。一石二鳥だ」
俺は事実を口にする。
このあからさまにでかい校舎のことなんて全然覚えていない。
これも寮のように魔法かもしれないが。
そうこうしているうちに職員室まで来ていた。
俺は海里に続いて、職員室へと入る。
海里は恐らく担任と思わしき人物のところに行くと日誌と教室の鍵を貰っていた。
俺はと言うと、誰に話しかければいいか分からず、とりあえず一番偉そうな男に話しかけた。
「あのぉ、今日から転入する不知火遊離なんだが」
すると男は面倒臭そうにファイルを取り出し、確認していた。
「お前は菱田先生のクラスだ。詳しくはそっちで聞いてくれ」
男は投げやり気味にそう言う。
指を指した方向にはさっき海里と話していた女教師がいた。
俺はその女教師のもとに行って尋ねる。
「今日から転入するものなんだが、俺はどうすればいいんだ」
そんな俺の口のきき方に眉を歪めたが、ファイルを取り出し、確認していた。
「相沢! 長くなるからお前は先に行ってていい」
女教師はそうと言うと海里はまた後でと俺に言った。
海里が職員室から出ていく。女教師が俺を睨みつける。何か悪いことしたか、俺。
かなり高圧的な目だ。
俺はその教師が教鞭を取る姿よりも、鞭を取る姿の方が似合っていると思う。
「こんなこともできない奴はお仕置きだ!」
ベシッ
「すいません、これも私のような豚のせい。どうか、その鞭で私をお仕置きしてください!」
妄想が膨らむ。
やはり、男たるもの妄想を手放したら、おしまいだよな、などと思う。
「おい! 聞いているのか」
その言葉で現実に戻される。
俺は聞いてませんでしたと素直に言った。
すると、女教師は呆れたように言った。
「じゃあ、初めから説明するぞ。お前のように転入する生徒は創立以来なのだ。勝手は私にも分からないが、理事長の推薦であることに間違いはないな!」
俺はあぁと頷く。
「私は君の実力なんかをとやかく言うつもりはないが、この学校には選択授業というものがあるのだ」
選択授業?なんだ、それ。
「選択授業には四種類あり、魔法の属性ごとに分けられている。その属性検査は事前に行われたのだが、君は受けることができない」
ふむ、途中から入ってきたからな。
「なので、一日毎に選択授業を変えてもらう。それによって、一番適した授業を選択してくれ」
なるほど実際に受けて、合うところに行けってことか。
「一日目は火、二日目は水、三日目は土、四日目は空気の授業を受けてくれ」
どれが自分に合うか検討もつかない。まぁ適当に受けりゃ分かるって教師が言ってんだ。
緊張せずに行こうぜ。
「分かった。適当にやるよ」
そんな俺の態度が気に入らないのか、威圧的な態度を依然としている。
俺は何を思ったのか女教師に本心を口にしていた。
「そんなに怒るなって。そんなんじゃ嫁の貰い手に困るぞ」
ぶちっと言う音が聞こえた。どうやら地雷を踏んだらしい。
父さん、母さん、先立つ不幸をお許しください、と手で十字を切る。
「貴様に何が分かる! 二十代後半になり、行き遅れと言われる私の気持ちが、貴様に分かるのか!」
手にものすごい魔力が宿る。周りの先生は慣れた様子で防御魔法を展開している。
あぁ、俺も守ってよ……。
教師は俺のことなど視界に入ってないかのように、各々の準備を追えテキパキと職員室を後にしている。さっきまでダラダラやってたのに。
あぁ、こんなところにデッドエンドが潜んでいたなんて。
俺はこんなシナリオを用意していた奴を絶対に許さない、絶対にだ!
早朝七時四十分。
職員室から光が爆散する。
これはのちに京子先生の憂鬱として学生たちに語り継がれたという――
「ほら、キリキリ歩け。そろそろ授業が始まるぞ!」
担任の京子先生が俺を叱咤する。
先ほどの衝撃で全身ボロボロになっていた。
主人公補正がなければ、確実に死んでいたと予想される。
そして、一つの教室の前に立たされると
「私が呼んだら、入ってくるんだぞ」
その言葉を残して、京子先生は中に入っていった。
俺はどんな登場をするべきか、頭を悩ませていた。
まず呼ばれたと同時に扉を開き、前方宙返り、そこから半回転して後方二回宙返り一回ひねりを決める。
そうすれば、ツカ○ラ!ツカハ○!と言うコールが湧くに違いない。
俺は口元をだらしなく歪め、自分のビジョンに酔ってしまっていた。
すると、京子先生の声で入れと言われた。
俺は覚悟を決め、中へと入る。
扉を開けて、前方宙返り、しかし着地と同時にバケツが顔に被さる。
俺は何が起こったか分からずに半回転し、ムーンサルトをした。
だが、現実はそう上手くいくものではない。
途中で被らされたバケツで失速。
ムーンサルトは全然高さを有しなかった。
技としては成功したものの着地は頭から。
教室にバケツを被った逆様の男子生徒のモニュメントが完成されていた。
もちろんコールなど起こるわけもなく、大丈夫か!誰か救急車を呼べ!と言う言葉が巻き起こっていた。
頭を強打した俺はしばらく意識が飛んでいた――
目が覚めると周りに生徒たちがいた。
誰もかしこも心配そうな目をしている。
俺は起き上がると、生徒たちは元の席に着いていった。
俺は何が起こったのか、京子先生に尋ねると、みんな転校生に浮かれていたのだと言う。
どうやら、あのバケツは俺を盛り上げるものだったらしい。
俺が余計なことをして自爆してしまったのだ。あぁ恥ずかしくて、死にそう。
「今日からこの学校の仲間になる不知火遊離君だ! みんな仲良くするように!」
そして、俺に自己紹介をするように促す。
「今日からこの学校に通う不知火遊離だ。対象年齢十八歳以上の玩具なので、遊ぶときは貞操に気を付けるんだな!(キリッ」
かっこよすぎて、卒倒しそうなことを言ってしまった。
これで俺のハーレム計画が現実になる、そう信じて疑わなかった。
しかし、黄色い声が湧くわけでもなく、痛いものを見るかのような空気が流れる。
俺は泣きそうになる。狼狽気味に周りを見回すと見知った人物がいるではないか。
俺は躊躇いもなく、声を掛けた。
「おぉ麗華! あと海里も、同じクラスだったのか」
その言葉を発したと同時に教室がざわつく。
「理事長を呼び捨て! 一体どういう関係なんだ」
「相沢様に馴れ馴れしくするなんて、どこの下種野郎ですの!」
男女問わず、各々の意見を口にしている。
話に出ている当人は無視したり、顔を下に背けている。
僕に知り合いなんて、いなかったんだね。
目の前にルーベンスの絵と天使たちの姿が見える。
あぁお迎えだよ、隣に愛犬すらいない寂しい僕は、ゆっくりと現世を後にした――
「貴様ら! 静かにしろ。お前も、別の世界に行こうとするな」
一喝され、現実に繋ぎ止められる。これは……僕に生きろって言うのか、サンド○ック。
京子先生は俺に席を伝えると、その場を後にした。俺はゆっくりと自分の席に着いた。
そして、別の教師が入ってくる。どうやら、授業が始まったようだ。
俺は教科書などを出す余力もなく、ただ茫然と授業を聞いていた――
授業終了のチャイムが鳴る。
いつの間にか昼休みになっていたらしい。
転校生の初日は休み時間に質問攻め、他の教室の生徒が見に来るというイベントがあると聞いていたが、誰も俺に話しかけてきたり、見に来るということはなかった。
俺はしょんぼりと寮の食堂に行こうとすると、隣に誰かが立っていた。
俺はたまたま誰かが側にいただけと判断し、一人食堂に向かう。
だが、その人物はそんな俺を呼び止めた。
「遊離。一緒に食堂に行こう」
海里だった。
俺は嬉しくて涙が出そうになったが、懸命に堪えた。
「別にルームメイトだからって、気に掛ける必要なんてないんだぞ」
俺は完全に不貞腐れていた。海里は俺を無視したのだ。
麗華がそういう態度に出るのは分かっていたが、まさか海里がそんなことするとは思っていなかった。
そんな俺に悪いと思ってか、海里は俺の手を引いていた。
「あの時は本当に悪いと思ってるけど、どうにもできない空気だったんだよ」
弁明の言葉を紡ぐ。たしかにあんな状態で自分に振られてもどうしようもなかったと思う。
そして、海里と一緒に昼飯を食った。
周りの人間(主に女子)は俺を殺しかねない目で見ていたが、気にしないようにした。
昼飯を食い終わると、教室に戻った――
そこには麗華の姿があった。
どうやら俺に用があるようだった。
教室に戻ってきた俺に麗華は言った。
「あんた、今日の選択授業は火でしょう。同じだから、ついて来なさい」
どうせ場所とか分からないでしょうし、と付け加える。
海里はそんな俺に気を遣ってくれたのか、僕は水だから、先に行くねと言って出て行った。
教室には俺と麗華だけが残される。
麗華はさっきのことなんかじゃ、心など痛めない奴だと思っていたが、実際は人一倍気に掛けていたのだ。そんな彼女を悪く思っていた俺を、どうか許してほしい。
「早くしなさい! あの教師は熱血漢だから、ちょっとしたことで、青春ドラマよろしくな説教をかましてくるわよ」
そんなことを言う彼女は実に良い顔をしていた。俺はあぁと頷くと麗華について行った。