プールの授業
春に比べると暖かくなってきた季節。
俺は楽しみにしていることがあった。
男性諸君なら誰しも大好きだったろう。
そう…プール!
布の面積は下着と変わらないのに惜しげも無く晒される天国の日々。
それを楽しみにせず、男を語ることはできない。
想像するだけで顔がにやけてしまう。
なんたってこの学校は女子のレベルが頗る高い。
その中でも随一のレベルを誇るのがうちのクラスなのだ。
これは期待しないほうがおかしい。
俺はどうにかして彼女たちのあられもない。
いや、美しい記録を後世の人にいかにして残すべきかを考えていた。
それはひとまず保留にして、とりあえず楽しむことに決めた。
しかし、現実はそう甘いものではなかった。
「女子はプールだが、男子は陸上な」
非情にもそう言い放った。
その字面にすると二十字に満たない言葉は俺には呪詛の言葉に聞こえた。
「そ、そんなことが……そんなことが許されるわけがない! なぜこんな悪魔の所業を見流さなければならない。俺達は一体何のために生きてきたと思う。水着の女子と戯れることだと言っても過言ではない。それなのに……それなのに……どうして?」
俺は涙を流していた。大の男が号泣するさまは圧巻である。
「そのぉ、不知火。熱弁は十分に結構だが、周りを見ろ」
京子の言われたとおりに周りを見ると、女生徒が腫れ物を見るような目をしている。
俺はその視線に耐えることが出来なかった。そして、俺は逃亡した。涙は拭わなかった。
行く宛など無い俺は中庭の木の下で寝転んでいた。
この中庭は緑が生い茂っている昼食をとる際の人気スポットである。主にカップル。
俺は残念ながら、学食なのでここで昼食をとることはない。
あくまで学食だからだ。そこは間違えないでもらいたい。
「ちくしょう! なんで俺がこんな目に……何も間違ったことなんて言ってないのに」
俺は納得できない思いが溢れて、木に対してヘッドバンドをかましていた。
数回するだけで額から血が垂れてきた。自身の力を制御するのは慣れていない。
すると、木の上の方から何かが落ちてきた。
「いってぇ~誰だよ。揺らしたのは」
そう言って立ち上がったのは美少女だった。意思の強そうな目に下フレームのメガネ。髪は頭の天辺で縛っており、ヘッドフォンを付けていた。
かなり変わった格好をしていたので、俺は関わらないようにさっさと立ち去ろうとした。
「おい! 何逃げようとしてんだ」
美少女は俺を見逃す気はさらさらないようだ。俺は目を合わせないように後ろ向きで言った。
「ここで見たことは忘れな、子猫ちゃん。君と俺はすれ違うだけの運命だったのさ」
どこかで聞いたことのある台詞を紡ぎながら歩き始めた。
「ふざけんな! こっち見ろや、こら」
阻まれた。手を掴まれた。柔らかい。手を引かれ前を向かされる。いやん、見ちゃらめぇ。
「おい、血が出てるじゃねぇか。ちょっと待ってろ」
ガサゴソと背負っていたリュックを漁る。その中からファンシーな絆創膏を取り出した。
「いや、大丈夫だ。唾を付けてりゃ治るから」
俺は遠まわしに断る。その絆創膏を額に貼りたくはない。変な人になってしまう、今更か?
「いいから、こっち見ろ。俺の厚意を受け入れろ」
男らしい。下手な男なんかより、ずっと男らしい。惚れてまうやろ!…期は逃したな。
貼られている時は唇やら胸元に目がいく。プリッとした質感の唇に。真平らな胸。
色々コンプレックスがあるのかもしれないが、俺だったら気にしない。
「どこ見てるんだよ、お前」
どうやら視線を読まれたらしい。
瞳を全く動かさずに視線を変えることも出来なくはないが、変な神経を使うのでやるのは控えている。
「唇と胸をな。男だったら当然だろ」
さも当たり前だと言わんばかりに。潔いという意味でなら男らしい。
「ふぅん。スケベなんだな、お前」
とても寛容な娘だ。起こる様子などない。ヒステリーを起こす女たちとは大違いだ。
「俺はただ美しいものを見ていたいだけさ」
ふふんと自慢気に話す。“美しい”その言葉に少女はピクンと反応したようだ。
「美しいか……もしかして、あれか。さっき教室で熱弁していたのはお前か」
どうやら相当な音量で語っていたようだ。
いや、多くの人に聞いてもらえることは光栄に思わないと。
「そうだ! 美しい肢体を視覚を通して愛でようという行為に何を恥じる必要などあるか」
信念は決して揺らがない。揺れるのはたわわな果実。揺れなくても、その存在が癒し。
好きなんだからしょうがない!
「ほほう。じゃあ俺がその願い、叶えてやろうか」
なんと美少女と思いを同じくすることがあろうとは。確かに女子の協力者がいれば、色々役に立つ。無謀に突っ込むだけでは恐らく防壁は突破できない。
「ククク。俺の情報にかかれば、突破できないものはない」
不敵に微笑む美少女はとても心強かった。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前は不知火遊離。美の探求者だ」
それに呼応するように美少女は言った。
「俺は世界を司るネットワークを持つ情報屋。桐生歩夢。美の至上者だ」
それが彼女との初めての出会いだった――
ひとまずお互いに別れた。携帯には桐生歩夢のアドレス帳に記録されている。
やり方がよくわからないから、登録してもらった。
そういえば、麗華たちの連絡先も入れられた。
こちらから連絡したことはないが、メールのやり取りぐらいならできる。
遠くにいても連絡が取れるなんて、技術の進化が感じる。
しかし、歩夢はどうやって防壁を突破するのだろうか。
女子のプールには強固な結界が張られている。視覚はもちろん聴覚も阻害される。
それを突破して尚且つ一緒にプールに入るにはどうしたものか。
俺は一人教室で頭を悩ませていた。
「遊離。あんた、プールに入るのは無理だと思うわよ。何人もの教師が三日三晩詠唱して張った防壁なんだから」
麗華は俺の考えていることを当ててきた。エスパーか。俺は驚きを隠せない。
「あんたの思考なんて筒抜けよ。それと」
なんか言いにくそうだ。一体なんだというんだ。
「その頭の絆創膏……誰に貼ってもらったの」
急にしおらしくなる。そんなにこの絆創膏の柄が気になるのだろうか。
俺ですら気にしない様にしているのに。触れないで欲しい。
「いや、怪我をしたら貼ってもらってね。特に関係があるわけじゃないよ」
今、彼女の正体を晒すのは得策ではない。正体が晒されれば女生徒からイジメにあうかもしれない。イジメられるポジションは譲れない。
「ふ~ん、そうなんだ…。まぁ、私には関係ないけどね」
そう言って麗華は去っていった。
少し機嫌を損ねたようだ。よくわからない反応だな。
女性にはデリケートな日があるみたいだからな。仕組みは知ってる。
保健体育は得意科目だったからな。無勉で満点などザラだ。
なんだろう、あまり嬉しくない。少し虚しさを感じてると声を掛けられた。
「遊離。大丈夫?怪我したの」
海里だ。相変わらず気が付くというか。女だったら良かったのに。女だけど。
「ちょっと熱くなってね。血を抜いておいたんだ」
適当に相槌を打つ。これでいて海里も勘が鋭いからな。
「へぇ~それにしても可愛い柄だね。そのキャラのぬいぐるみとか持ってるよ」
あまりそう言うことを言うとバレてしまうぞと思ったが。女子たちは
「キャー海里様ステキー」
と嬌声を上げている。所詮、顔が良ければ何だって許されるのですね。イケメンが憎い。
気を付けなよと釘を刺して海里は行ってしまった。
流石に悩んでいる俺に寄り添ったりはしなかった。
なんというか、気遣いができる奥さんだった。そんな俺を影から見つめる視線がひとつ。
「盗み聞きとは趣味が悪いな。美紗ぽん」
ぬっと現れた。何かの拳法の達人なのかもしれない。
「盗み聞きではなく、盗み見ていました。日本語は正しく使ってください、遊りん」
相も変わらず憎まれ口を叩く。相が愛だったらと思わなくもない。
「今の俺は忙しいからな。触ると火傷するぜ」
「あの人とは関わらない方が良いですよ。きっと痛い目を見ます」
どうやら美紗は一部始終見ていたようだ。外を眺める際にはシャーペンを口に当てて欲しい。密かな萌えポイントだ。分かる人には分かる。
「痛い目になんて見飽きたよ。俺が見たいのはそんなのじゃねぇ、エデンだ」
エデン…神が人類に設けた楽園。既に俺達は追放された身ではあるが、人は何故求めるのか。そこにエデンがあるからだ。登山家もビックリだぜ。
「そうですか。なら早く知恵の実を食べてください」
美紗は鋭いツッコミを入れる。そのセンスは一体どこで培ってきたのだろうか。
「知恵の実を食べるためには、エデンに入らなければな」
そう、エデンに入らなければならない。水着で。
「あまり麗華様を困らせないであげてください」
と言って美沙は去っていく。麗華と美紗はどういう関係なのだろう。ふと疑問に思った。
しばらくして、メールが送られてきた。
俺は腹を括って見る。送信者には桐生歩夢とあった。
屋上にて待つ。
そう記されていた。メールだと記録が残るからな。直接、会って話そうということか。
なんか緊張するな…。美少女から呼び出しを受けるなんて、そうそうある機会ではない。
「俺は来る者は拒まない主義だからな!」
無駄に意気込んでみるが、まだ落ち着きたくはない。
俺は一生フリーでも良いくらいなのだ。
そういう心配は恐らく必要ないとは思うが。
俺は足早に呼び出された場所へと向かった。
「遅いな。その程度の覚悟しかないのなら、諦めたほうが良い」
歩夢が胡座をかいて待っていた。スカートからパンツが見えそうで見えない。
もしかして、履いてないのか?俺は手を合わせていた、合掌。
「ったく、エロ全開だねぇ~ククク」
下品な笑いを漏らす。美少女がやれば何でも映える。何をしてもだ!
「時間の指定はなかっただろう?それに屋上は立ち入り禁止で開かなかったから、パイプ伝ってきたんだぞ」
お陰で俺の評判は悪くなる一方だ。元より下がる評判など持ち合わせていないからイイものを。
「あぁ、そうだったか。つい、いつもの癖で閉めちまったか。俺は天文部に所属して鍵を手に入れていたからな」
俺のようにパイプ伝って登る必要はなかったわけだ。もし登ったのなら、下から眺めたかったから良しとしよう。好機はなかったわけだ。
「そんなことより、折角ここまで来たんだ。それなりの作戦は練ってきたわけだよな」
俺は問いた。あの防壁を破るための作戦だ。下手な作戦を挙げられたんじゃ俺が死ぬ。社会的に。
「まぁそう慌てんなよ。作戦は完璧だぜ」
歩夢はバックからパソコンを開いた。そこには学校の地図が映し出されていた。一つの小さな光が現れた。遊離と名前が書いてある。なるほど、これが俺か。
「守りは非情に強固だ。恐らく普通じゃ侵入することはおろか、視覚や聴覚が持って行かれるだけで終わるだろうよ」
ゴクッと息を呑む。えっ、なに…聞き間違いじゃないよね?そんなにヤバいの。
「どうした?怖気付いたか」
歩夢は愉快そうに言う。俺は虚勢を精一杯に張る。
「なに、初出し情報に驚いただけさ」
声が上ずりそうになる。しかし、初出しってエロくね。うはぁ新しい発見。
「しかし、完璧なものにも必ず穴がある。正確には穴ではなく粗程度だが」
なんか心配だ。それはもう完璧で良いんじゃないかな。
「その粗を穴に変えるのが俺の役目だ」
格好良いこと言ったつもり。ドヤ顔が見せられないのが残念だ。
「プールには水が出る給水口があるだろう。そこからお前を入れる」
?
何て言ったこの娘。暑さで頭がイッてしまわれたのか。その原因が俺なら申し訳ない。
「なんだ?その哀れな奴を見る目は。唯一思いついた方法だぞ」
思いついた。そんな適当に思いついたものを実践させようとしているのか、この娘は。
いや、やるよ。美少女が考えてくれたんだもん。今更、断ることなんてできないじゃん。
「おk! それで俺は何をすればいい」
俺は嬉々として話しだす。危機として。
「まずお前を液体にして、侵入させる。そのあとはお前が好き勝手すればいい」
うん、この娘バカだ。でも俺のほうがもっとバカなので文句はない。
「それで侵入して終了か。帰りはどうすればいい」
その言葉に歩夢は一瞬苦い顔を見せたが、すぐに笑顔に変わり
「帰りの燃料は積んでない☆」
てへっと舌をを出す。いっそひん剥いて下を出そうと思ったが、やめた。
もう臭い飯は食べたくない。おっさん元気にしてるかなぁ。
「それでエデンが見れるというのなら従おう。蛇の道は蛇。行き着く場所は一緒さ」
既に失われた地位や名声を汚名で塗り固めるのも悪くはない。
人は持って生まれたものに。性欲に支配されているのだから。
「それじゃあ、早速午後の授業。お前のところのクラスにお邪魔しますかね」
面白いことを思いついた子供のような純粋な笑顔だった。やることはえげつないことだが、少女の屈託の無い笑顔を見ていたら、問題など瑣末なことに思えた。
「よっしゃー行くぞー!」
俺はウエットスーツに着替えて、歩夢の魔法で液体化+ステルス化された。
液体化はプールに放出されれば、とけるようだ。
それに空気に触れなきゃステルス効果も持続するようだし、特に問題はない。
加えて、水に入った時にステルスの恩恵を受ける。
肺活量がものを言う。ヤッテヤルデス!退路を失った俺に怖いものなどなかった。
歩夢が準備してくれた給水口に繋がるパイプに足を付けて待機していた。
そして、俺は歩夢に言われた時間に秒針が合わさるのを確認してから、パイプの中に入った。
凄まじい勢いだった。ウォータースライダーが遊具であるのが分かる。
普通だったら、死んでる。肉体なら間違いなく、砕けていただろう。
俺は流れに身を任せ、目的地のエデンを目指した――
「久々にバカが釣れたぜ」
俺のことをか弱い女子だと思い込んで、まんまと作戦に乗りやがった。
自分が囮になっているとも知らずに。俺は女性用の水着を着て普通にプールに入った。
最初さえバレなければ、あとはあいつが自爆してくれてる間に逃げれば良い。
防水仕様の小型カメラを胸のフリルに忍ばせる。
学校指定の水着だったら、形が浮き出てただろうけど。
水着の自由を謳った先人たちに乾杯ってな。
「麗華様、学校指定の水着なんですね」
「露出が多いのよ、そういう水着は」
理事長である赤羽麗華と毒舌の藤堂美紗か。学校でも人気の高い女子の水着が拝めるとは。
チラッと二人がこちらを見た。俺は慌てて隠れた。危ない危ない。
勘の鋭い女はこれだから困る。俺は目立たないようにプールに入った。
カメラが捉えていることなど知らないから、無防備だな。
高値で売れるぞぉ、キシシ。
俺は十分に女生徒の水着姿をカメラに抑えた頃、時計を見た。
「予定の時刻だな。これであいつが入ってきて、バレて問題になっている間にとんずらさせてもらおう」
俺はすんなり上がれるように退路を確保する。じゃあなバカな遊離くん…。
「ねぇねぇ、これに魔法かけて動かそうよ~」
「このサメのボートが動いたら、みんなビックリするよね、えい」
周りから悲鳴が聞こえる。いったい何が起こってるんだ。俺は周りを見渡すとサメが泳いでいるのを見つけた。女子達は悲鳴を上げながら、プールから上がっている。
「あれは実体魔法か。動かすだけならまだしも本物にするなんて」
俺も早いとこ上がらないとな……痛っ。こんな時に足がつりやがった。
それにサメってのは血の匂いに寄ってくるはずだ。木に登った時の擦り傷が…。
「逃げてぇ!」
そう叫ぶ声が聞こえる。俺にサメが向かってきやがった。
ちくしょう、俺はこんなところで死んじまうのかよ。
ずる賢く生きてきたツケがやってきたのかねぇ。俺は死を覚悟した。
「諦めるにはまだ早いだろ」
誰だよ、そんな事言うのは。俺は夢を見ている気分だった。
その言葉を言い放ったのは俺が騙した遊離だった。
「バカヤロー早く逃げろ! 死んじまうぞ」
俺にも他人を思いやる気持ちが残っていたようだ。素直にそう思えた。
「ここで逃げたら、女が廃るってね。まぁ俺、男だけど」
軽口を叩いてから、俺を抱き抱える。こいつが何を考えているかわからない。
自分以上に大切なものなんてないはずだろう!
「しっかり捕まってろよ」
サメが距離を詰めてきた。もうダメだ…食われる?!
目を閉じた時にとても嫌な音がした。肉が食い破られる音だ。
俺は恐る恐る目を開けた。遊離の左手が根本近くまで食われていた。
俺はあまりの衝撃に言葉が出ない。俺はただ嗚咽を漏らすことしか出来ない。
「かぁ~いってぇ~。こりゃショック死するレベルだわ」
遊離はこんな状況になってさえも声色ひとつ変わらなかった。
「これでも元はボートなんだろ? だったら……叩けば破れる!」
そう言って遊離はサメに思いっきりパンチを浴びせた。右手は水を切るように鋭かった。
サメは音を立てて割れ、元のボートに戻った。
俺は遊離に抱えられたままプールサイドまで運ばれた。
「遊離! あんた何無茶してんのよ、バカ」
理事長が遊離に呼び掛ける。遊離は意識が朦朧としているようだ。
「大変です。かなり血が流れています。早く止血しないと」
毒舌娘がまじめに対処している。それほどヤバい状況なのだろう。
横になった遊離は口から血を吐いている。俺のせいだ。俺がこの状況を作り出した。
全部俺の……。俺が項垂れていたいる頭にそっと手が乗せられた。
「お前のお陰でエデンが見れたよ、ありがとう」
それで死んじまったら元も子もないだろうが。俺は泣いて何も言えなかった。
「一応、治癒魔法はかけるけど、こんな傷塞がらないわ」
理事長は噛まれた場所に魔法をかける。俺にはそんな力はない。
「死ぬなら、せめて美少女にキスされてからにしたいわ。されたら、治るかも」
遊離は息も絶え絶えに呟く。俺はそう言った遊離に跨った。
「キスならしてやるから! 早く…元気になれよ」
そう言って、遊離の唇を奪った。頭を両手で固定してからキスをする。
すると、みるみるうちに血が止まった。
「ふっかーつ!」
遊離はそう叫び立ち上がった。左手からの血は完全に止まっている。
「病は気からと言いますが、怪我が治るとは。とんだ白雪姫がいたものです」
毒舌娘は心底呆れたように、でもうれしそうに言った。
理事長もやれやれと言いつつ、とても良い笑顔だった。
「歩夢わりぃな。色々迷惑かけてえぇっ!いってぇえええ」
血は止まっても傷は開いたままなのだ。痛いはずである。
俺は笑顔を作っていた。いつぶりの笑ったのだろう。
心から笑ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。
しばらくして、保険医がやってきて傷はすぐになくなった。
左手も問題なく動くそうだ。よかった、俺のせいで傷を負わせたくなかったからな。
別に他の奴が理由っていうんなら、気にも止めてないさ!勘違いするなよ。
それから、遊離と俺がプールに侵入した件は不問となった。
説教は受ける羽目にはなったが、サメを倒した功績のおかげらしい。
「いやぁ水着も見れて、罰もないなんて幸せだなぁ~」
と遊離は言っていたが、怪我をしたことをすっぱり忘れている。
やはり、とんでもないバカのようだった。
「喜んでいるようで悪いけど。桐生は男よ」
理事長が言い放った。やはり知っていたか。
「えっ……いやいや、こんなに可愛い子が男なわけ」
俺は遊離の手を股間にあてがった。これ以上騙す気はないからだ。
「俺は男だ。見てくれは美少女かもしれないがな」
満面の笑みをこれ見よがしに見せた。遊離は口をパクパクとさせることしかできない。
すると頭をブルブルと横に振って言った。
「魔法だ! そうこの感触は魔法だ」
そう言って、話を終わらせようとするが理事長が追撃をかける。
「性転換の魔法なんてないわよ」
遊離は涙を流しながら走っていった。
「追わなくていいんですか」
俺は理事長に尋ねた。すると、理事長は笑顔で
「すぐにもどってくるわよ、あのバカは」
遊離に対してはあの堅物な理事長も笑顔を多く見せる。もしかして、理事長は。
「余計な詮索はしないであげてください」
毒舌娘は俺にしか聞こえない声で言う。なるほど、そういう関係なのね。
下手に刺激する必要はないようだ。
「理解が早くて助かります」
そう言って去っていった。何かの拳法の達人なのかもしれない。
「この俺が美しいもの以外で興味を持つとはね」
俺は走り去る遊離の背中に手の銃を向けて、逃がさないぜ☆と言った。
しばらくはあいつで遊ぼうと心に決めた瞬間だった。
俺は行く宛もなく中庭に来ていた。
「男、嘘だろ…。俺のファーストキスが」
いくら追い求めても、もう返ってくることはない。儚い夢だった。
「ぐおおおおおおおおお! 見ていろ、たとえ男だろうが女だろうが関係ない。俺は美少女だったら寛容に受け止めてやる! ふははははははははは」
少年はひとつの壁を乗り越えたようだ――




