空気の授業
毎回毎回、属性の授業では痛い目を見ている。
そういう星の下に生まれているのではないかと疑い始めた。
しかし、まぁ待て。
今まで駄目だったのは、属性が合わなかったからだ。
今日は属性最後の授業、空気。
これが俺の本命だと言うのならば、過去の過ちも水に流そうではないか。
気分は最高潮に達している。
今なら、某ノートの所有者のように腹のそこから込み上げてくる笑いが出来そうな気がする。
「ぬふふふふふ、ふぁーはっはっは!」
後半、違うのが混ざってしまった。しかし、テンション的には大差ないので、良しとしよう。
俺は午前中の授業になど目にもくれず、午後の授業を待っていた。
すると、麗華が俺に話しかけてきた。
「今日のあんたの担当よ。しっかり挨拶しときなさい」
紹介されたのは以前、図書室で助けてもらった人物だった。
「名取空と言います。よろしくお願いします」
その少女は俺に気づいたようだった。
「今日は世話になるよ。あとパンありがとう、あの時は助かった」
そんな俺を麗華は不信がっていた。
「へぇ~一体どういった経緯で知り合ったのかしら。それとも美少女だったら、何でも良いのかしら」
そんな究極の質問を投げかけられても困る。
俺が口篭ったのを良いことに麗華が罵詈雑言を言おうとしたとき、空がそれを制止した。
「いえ、彼とは不審者騒ぎの時に出会っただけです。あの時は口を抑えられ、羽交い締めにされたので、正直不審者以外の何者でもなかったのですが。話を聞いて彼が悪い人間でないことを知りましたから」
麗華の目を真っ直ぐ見て話す。流石の麗華も少し臆したようだ。
途中、殴られても仕方のないことを言われた気がしたが、気づいていないのが幸いだ。
「まぁ、いいわ。知り合いなら紹介する手間も省けたってことだし。彼の面倒よろしくね」
まるで、俺が一人では何もできない子どもであるかのような扱いだ。
これまでの不祥事を見れば、あながち間違っていないのが腹正しい。
「はい、分かりました」
そう答えた空は使命感に満ち溢れていた。
理事長から頼られたことを誇りに感じているようだ。
そういえば、あいつ理事長だったな。完全に忘れたぜ。
「今日はよろしく頼む」
俺はシェイクハンド、俗に言う握手を求めたら、快くその手を握り返してきた。
「はい、よろしくお願いします」
どうやら、一番まともな娘が最後に来たようだ。
俺は幸先の良いスタートのような気がした。
しばらくして授業が始まった。空は俺の隣に座っていた。
目の届く監視下に置いておくことが最善だと判断したのだろう。
たしかに過去の授業、火や水、土のような失敗談を聞けば、目に入れることは至極真当な対処の仕方である。さすがの俺も文句は言えない。
「それでは、今日は新しいことに挑戦しましょうか」
教員はそう言うとペアを組みなさいと言った。
ここの教員はペアを組ませるのが、大好きだなぁ。
それとも、そういう展開しか思い浮かばないのかな?
おっとメタ発言しちまった、失敬失敬失敬失敬。
「組みましょうか、えっと……」
「遊離だ」
「はい、遊離…///」
名前で呼ぶのに抵抗があるのか、少し恥じらいがある。
その仕草に萌えてしまうのは男児なら、当たり前だ!
「では、組みましたね。今日は空気を読むことの応用。相手の動きを読んでもらいます。ペア同士で組手を行なってください」
相手の動きを読む。たしかに大事なことだが、それと空気が関係するのかな。
疑問は残るが、やるしかないか。そんなことを考えていると周りから声が聞こえた。
「おい、名取様と組手するみたいだぞ」
「うわぁ可哀想に。誰か止めてあげろよ」
ざわざわとしているが、俺は状況が読み込めない。
周りの連中は俺と空の組手に観戦モードだ。
「では、いくぞ!」
その言葉を皮切りに正拳突きを繰り出してきた。
そのスピードが人智を超えたものだと知る。
すんでのところで拳は止められ、空は言った。
「次は本気でいく」
おいおい、キャラが変わってますよ。思いの外、戦闘狂のようだ。
人は見かけに寄らないってね☆しかし、そうなると困るのは俺だ。
下手に手を抜けば殺されるし、本気でやったら殺してしまいかねない。
いや、そもそも美少女を殴りつけることなんて最初から無理な話だ。
「いいぜ、来い!」
その言葉を言ったとき、観衆たちは一際凄い盛り上がりを見せた。
俺がすることはただ一つ、避けて避けて避け続けること。
空が俺に襲いかかってくる。
一撃、二撃、その全てが人を殺せてしまうほどもの。
連続的に攻撃を繰り返してくる。
一撃必殺を連続で繰り出すのは無理ゲーな領域ではあるが、すんでのところで躱す。
「おい、今日の空様。いつもより速くないか?」
「嘘だろ、前までは手を抜いていたってことかよ」
どうやら手加減は出来るようだったが、何故俺に対しては本気なのか理解できない。
「おい…ちょ、待って。なん、で…」
相手の攻撃を躱しながら、問うと意外な答えが返ってきた。
「あの時、私は呆気にとられた。私を押さえ込むことが出来る人間がこの世にいるとは思っていなかったから」
あの時……恐らく図書室でのことだろう。俺にしか聞こえない程度の声で話し掛ける。
「私は嬉しくなったのだ。私より強い人間が同じ学校にいた事を!」
なんとなく分かった。いや、分かってしまった。武の才を持ったが故の孤独。
それを紛らわすために武の道を極め続けた。
自分より強い人間がいなくなっても、ただひたすらに己を鍛え続けた。
決して報われることのないと思っていたことが、強い人間の登場で報われてしまう。
俺はその思いに答えなければ、彼女を救えないと思った。
しかし、みんなの前で俺の本気を見せることは麗華との規約に反する。
俺は空の一撃を喰らい、学校の外へと吹っ飛ばされた。
そのあとを追ってくるのは空だけだった。
広い場所になった。障害物などは一切ない平地。
誰の目もないそこで俺は、彼女を救うことにした。
空の攻撃は凄まじいものだった。
自分の人生全てを懸けてきた技の一つ一つは芸術と呼ぶに相応しい。
攻撃の手は止むことなく続き、俺はほんの少しの隙を見せた。
空はその瞬間を見逃さなかった。
その瞬間に全ての力を注ぎ込んだ拳は空を斬った。
人は好機を見ると動作が大振りになる。いや、そんな動作は微塵もなかった。
ただ先の動きを限定してしまえば、あとは容易かった。
打ち込んでくる場所がわかれば、結果は決まる。
俺は空の拳を避けて、死角から一撃をお見舞した。
空は何が起こったか分からずに気を失ったことだろう。
俺は彼女を抱きかかえ、みんながやってくる前にとんづらすることにした。
次の日は俺が死んでしまったという噂が飛び交い、普通に登校しただけで俺は幽霊扱いされた。
あの状況を見れば、ありえないことではないが。
俺は説得したら、拳を引いてくれたということにしておいた。
空が負けたこと、ましてや俺が勝ったことが広まれば、一躍時の人となってしまう。
そうなっては麗華に何をされるかわからない。
あとで空に口裏を合わせるように言っておこう。
そんなことを思っていたが、空の方から俺に会いに来てくれた。
俺は手間が省けたと思い、その旨を伝える。
しぶしぶといった感じだが、納得しているようだ。
どうやらショックを隠しきれない様子だったが俺はその場をあとにしようとしたとき、空が抱きついてきた。
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。怒らせてしまったのかと、恐る恐る顔をのぞき込んだ。
すると、空は恍惚とした表情をしていた。周りはざわついている。
人通りが多いわけではないが、いないわけでもないのだ。
元来、廊下とはそのようなものだろう。
「私より強い人に初めて出会いました。そのことは秘密にします。でも、私はあなたのことが好きになってしまったようだ」
俺は耳元で囁く声に酔わされてしまいそうだ。
そのことを伝えると空は離れていった。俺は安心感と残念感を持て余していた。
手が空気をにぎにぎする。しばらく歩いてから、空は踵を返した。
その笑顔は俺を逃がさないと言っているかのようだ。
俺はその笑顔にただ息を飲むことしかできなかった。




