巨○は貧○を兼ねる5
「くっ! 起き上がれないっ! 私の胸が大きくて重くて立ち上がる事が出来ないわ! みんな、私の事は構わず先に行って!」
うつ伏せの状態も手伝い、胸で心臓が圧迫されるような苦しい中、力を振りぼった小好出子のその言葉に、仲間の巨乳軍達は涙ながらに出子の元を去って行った。
出子は荒れ果てた街中で必死に逃げている最中、瓦礫に足を取られて転んだ。その際に足をくじいた。とりあえず起き上がろうと試みるも、自身の胸の重みで起き上がる事も出来ない。もう立ちあがる事も出来そうにない。だが自分が足を引っ張る訳にはいかない。自分のせいでみんなを巻き込むことを、出子は何よりも恐れた。
「これでいい。私がここで終わっても巨乳が絶える事はない。これで良いのよ」
20XX年。後世の歴史に於いて「ノーパイデー」と言われるその日、巨乳の民に虐げられていた一部の貧乳の民達が決起した。それに呼応するようにして徐々に貧乳が集まりだし、膨れ上がったその集団は貧乳軍を名乗ると共に内乱を起こすに至り、それが原因でかつての平和な日本は姿を消し、燦々たる有様となっていた。
その貧乳軍に対抗する為に組織されたのが巨乳軍であり、出子も参加していた。だが貧乳軍の力はすさまじく、胸の無い人達の機敏さにとてもついて行けずに徐々に追い込まれていった。
巨乳にあぐらをかき、貧乳を侮っていた事を今更ながらに巨乳軍は後悔した。
世紀末。そんな言葉が似合う砂塵舞う瓦礫の中、うつ伏せに倒れ、既に覚悟を決めた出子の元へ、1人の人物がおもむろに歩み寄ってきた。その者はうつ伏せに倒れている出子の顔近くで足を止めた。
「フン、無様ね」
倒れている出子を立ったままの姿勢で見下すようにして、その者は言った。その言葉を耳にした出子は力を振り絞りながらに顔を上げ、その者の顔へと視線を向けた。
「……え、栄子? あなた栄子なの? なぜあなたが?」
出子の表情が一瞬にして驚愕の表情へと変わった。そこに立っていたのはかつての隣人であり旧友である、親友の大良栄子であった。
「貴様ら巨乳の民達が我々貧乳を見下す態度が私達を変えた。見ろ、その結果がこれだ」
荒れ果てた周囲を見渡し、手で指し示しながら栄子は言った。
「も、もしかして栄子は貧乳軍なの? 確かにあなたの胸では巨乳軍には入れないわね……。そ、そもそも、私達は貧乳であるあなた達を見下すなんて事してないわよ? だからお願いよっ! もうこんな真似やめてっ!」
「やめろっ! 今更そんな議論は不毛だ! 聞く気もない! 我々貧乳軍は修羅の群れと化した。巨乳を駆逐するまで貧乳軍の勢いは止まらないっ!」
「ねぇ栄子っ! お願い! もう止めてよ! そもそも私達の巨乳は自分で望んだ訳では無いのよ? あなたの貧乳だってそうでしょ?」
「今更どうでも良いと言っているでしょ! どうせ巨乳軍はもう終わりなの。その溢れんばかり胸の肉が自らの破滅を呼んだのよ。既に巨乳の時代は終わりなの。自分の肉に溺れて消えるがいいわ。うわっははははは」
「そんな、待ってよ栄子っ! そんな馬鹿な話ありえないわ! 巨乳が貧乳に駆逐されるとでも言うの! まって栄子っ!」
その瞬間、栄子の後ろから足音が近づいてきた。出子が栄子の後ろへ視線をずらすと、1人の女性がおもむろに歩いて来るのが見えた。出子はそれが誰か直ぐに気付いた。小好美栄。出子の母親であった。
「ママッ! 助けに来てくれたの? 早く助けて! 貧乳軍に襲われているの! ねぇママッ! マ――――」
出子は言葉を飲んだ。何故に母親がゆったりと歩いて来たのか。何故に巨乳軍に襲われずに歩いているのか。
「もしかして、ママも貧乳軍……」
「ええそうよ、出子。ママは貧乳軍なの。この地区の指揮官なの」
美栄は栄子の隣までやってくると足を止め、実の娘に対して冷たい視線を送った。そんな実の母親からの言葉に、出子は目を見開き驚愕の表情を浮かべた。
「そ、そんな……確かにママのサイズじゃ貧乳軍かもしれないけど、実の娘が貧乳軍に襲われているのよ? 助けてくれるんでしょ?」
出子は涙ながらに実の母親に対して懇願した。
「出子、残念だけどそれは出来ないわ。これは貧乳軍と巨乳軍との戦いなの。いくらあなたが私の実の娘であっても、巨乳軍のあなたを生かしておく事は出来ないわ。ごめんなさいね」
「そ、そんな……」
「ふーっ。思えばもっと早くにこうしておくべきだったかもしれないわね」
「何言ってるのママ?」
「最後だから正直に言うわね。ママは巨乳のあなたが憎かった。ママは貧乳なのに何故あなたは巨乳なの?」
「そ、そんな事言われたって私には分からないよっ!」
「残念だわ出子。これでさよならね……。それじゃ栄子ちゃん。お願いできるかしら?」
「はい、おばさん。最後は親友の私の手で」
「ま、待ってっ! 栄子っ! ママッ! 助けてよっ! たす――――」
瞬間、出子は夢から覚めた。パチっと見開いた眼には、見慣れた自分の部屋の天井が映る。
「夢……良かった……そうよね……巨乳が駆逐されるはずないわ……」
出子の目には安堵の涙があふれ始め、それは枕へと零れて行った。その状態のままに深呼吸を1つすると、気だるそうにしながらもベッドから起き上がり、部屋を後に、1階洗面所へと向かった。
洗面所の鏡には疲れた様子の出子の顔が映っていた。そして目線を下にずらすと、パジャマ姿でもはっきりと分かる巨乳がそこにはあった。出子は自分の見た夢の恐ろしさに心底恐怖すると共に、それが夢だった事に心底安堵した。そして夢の事は忘れようとでもいうようにしてバッシャバッシャと、水が跳ねるのも一切気にせず洗顔を始めた。そして洗顔を終えた出子は自分の部屋へ戻り、パジャマからセーラー服へ着替え始めた。
着替えを終えると部屋の隅に置かれた姿見の前に立ち、髪の毛を中心に入念なチェックを始めた。出子の長い黒髪は軽くブラシを入れただけで輝きを取り戻し、サラサラのストレートへと変化した。着替えを含めて10分弱で身支度を終えた出子は、朝食を取る為にダイニングへと向かった。
ダイニングでは出子の母である美栄が、こんがりと狐色に焼けたパンを牛乳と共に食べていた。
「ママ、おはよう」
「おはよう。パン焼けてるから早く食べちゃいなさい」
「は~い。あれ? パパは?」
「今日は早朝会議があるからって、もう仕事にいっちゃったわよ」
「ふ~ん」
出子は美栄の対面の席に座った。その出子の目の前には焼き立ての食パン、それと別皿で用意された目玉焼きとグリーンサラダが並んでいた。
「いただきま~す」
「出子、あなた何か疲れてない? 変な夢でも見たの? 大丈夫?」
「別に疲れて無いし変な夢も見てないよぉ」
「そう? ならいいけど、何かあったらママにすぐ言うのよ?」
「は~い」
出子は言えなかった。巨乳軍と貧乳軍が闘う夢を見ていたなどとは言えなかった。ましてや母親が貧乳軍であり、巨乳の自分を倒そうとしていた夢の話など、とても言えはしなかった。そして出子は終始俯くようにして黙々と食べ続け、最期は咀嚼が終わらぬままに席を立ち、そのまま玄関へと向かった。
「ひっへひはーふ」
出子が家の玄関を出ると、隣の大良家の前に目が行った。そこでは、その家の主人である大良宗有が家の前を掃除していた。
「おじさん。お早う御座います」
出子が軽く頭を下げながらそんな挨拶をすると、大良は掃除の手を一旦休めて出子に向き直り、「おっ、出子ちゃん、おはよう。あいかわらず美人さんだねぇ」と、笑顔で返した。
大良は大工の棟梁。いわゆる1人親方であり、平日であってもふと休みが入る事もある。そして今日は仕事が休みであったが、大良の妻である豊子に「隣の小好さんのご主人は休みの日には家の前を掃除する。あんたもたまには見習いな」と強めの口調で言われた事から、渋々ながらも朝から家の前の掃除をしていた。
大良は出子の顔に向けていた視線を少し下げると、あからさまにニヤニヤし始めた。
「……いやいや、おじさん。その目線、完全にセクハラですよ? 私だからまだ良いですけど、他の人にやったら通報されるか訴えられますよ? 刺されても知りませんよ? おじさんにもし万が一の事があれば勿論葬儀には出席しますけど、私は涙を流しませんよ?」
隣人であり親友の父親を出子は蔑んだ目で見つめた。生まれた時から隣同士であり、親友の父である大良とは家族ぐるみの付き合いでもある。故に、小さい時から大良がそういう人間である事は知っていたという事もあり、制服越しに胸をジッと見られる位であれば容認すると、出子はそういう姿勢を取っていた。
「いやいや、何も見てないって。気のせいじゃないかな? ギャハハハ」
「いえいえ、完全に目が私の胸にロックオンしてましたし、目を見て話すどころか私の胸と会話してましたよ。勿論私の胸は返事しませんけどね」
「くーっ、出子ちゃんはきついなー。ぼよよ~ん。あっ違った、しょぼ~んだった。ギャハハハ」
「……」
すると、大良は急に真面目な顔になり、おもむろに空を仰ぎ見た。
「しかしなあ、悲しい事にさあ、世の中って奴はさぁ、『寄せて上げて盛って』のオンパレードじゃん? それを見抜く技術はさぁ、オジサンにはまだ無くてなぁ……真実を見抜くってのはさぁ、大変だよなあ……」
大良は感慨深げにそう言うと、静かに俯いた。発言内容を無視して、その大良の姿だけを傍から見たならば、何か切ない事でもあったのだろうかと勘違いするほどに、その時の大良には哀愁が漂っていた。
「って、やっぱり胸を見てたんじゃないですか! それに『良い事言ってます』的に仰ってますが最低の事を仰ってますよ? というか、栄子のお姉ちゃん、風子さんの方が私よりも大きいじゃないですか」
「おうよっ! まさに自慢の娘だな」
大良は直ぐに笑顔を取り戻し、自分の手で以って胸を揉む仕草をしながら言った。
「おじさん、出子ちゃんのその神様に拝んじゃおっかなーっ! ギャハハハ」
「いやいや、おじさん。仕草も言い方もスケベ親父そのものですし、そのうち見知らぬ沢山の女性から刺されますよ? 刺されまくりですよ? その事で報道記者が集まりだし、私が記者さんから質問されたら『いつかは刺されると思いました。これで地域の安定が取り戻せそうです。皆さん有難う御座いました』って、私は言いますよ?」
「もう、出子ちゃんに何を言われてもオジサン許しちゃうなっ! ギャハハハ」
「……」
出子は口にしなかった。親友の父親に対して頭に過った言葉、『死ねばいいのに』と言う言葉を口にしなかった。
「でもね……栄子はな……ちょっと、不憫でよ……」
「ん? 栄子がですか?」
涙ぐむようにして言った大良のその言葉を、出子は理解出来なかった。
「何でだろうな……母ちゃんも風子もデかいのに、何で栄子は小さいんだろうな……。何で何も無いんだろうな……。親の俺のせいなのかな……。ほんとに不憫でしょうがねぇよ……俺にはどうする事もできねぇしよ……ウウッ」
発言の内容はともかく、出子は男の悔し泣きを初めて見た。
「だれが不憫だっ!」
不意に開いた大良家の玄関ドア付近で、栄子が怒鳴った。
「おお、我が愛娘の栄子っ! ようやく来たか、出子ちゃん待ってるぞ!」
「また馬鹿な話でもしてたんでしょっ! やめてよねっ!」
「いやいや、別に大した話はしてねって」
「ったく、どうだか。じゃあ、行ってきますっ!」
「おおっ! 2人とも気をつけてな」
「デコ、お父さんと何を話してたの? 何か『不憫だ』みたいな事は聞こえたけど」
「ん? ああ、あれよあれ。巨乳は神的な。私の胸には神がいるみたいな」
「ああ……それね。つうか、まだそんな事を言ってやがるのか……っていうか、いくら制服越しとはいえども女子高生の胸に堂々と目線をロックオンするような人間を自分の父親だとは思いたくない……」
「ははは。ほんとね。私は小さい頃からオジさんがそんな人だって知っているからまだギリギリ許せるけど、見知らぬ人に対してそんな事をしたら直ぐに逮捕されちゃいそうだね」
「笑い事じゃないな……」
出子は「胸が小さい栄子が不憫だ」と、父親が本気で心配し泣いていた話はしなかった。ふと出子が栄子の顔をチラと見やると、栄子の顔が酷く疲れているように見えた。
「ねえ栄子、何か疲れてる? 寝てないの?」
「ん? ああ、ちょっとね……」
「え? なになに? 教えてくれたって良いじゃない?」
「ははは。まあまあ、色々あんのよ、色々ね」
栄子は苦笑いしながらはぐらかした。
『もう、ここまでかな……』
荒れ果てた街中を必死で逃げている最中、栄子は瓦礫に足を取られて転んだ。その際に足をくじいた。もう歩く事は出来そうにない。すると、瓦礫を力強く踏みしめる事でわざと足音を響かせるようにして歩く1人の女が、栄子の方へ向かっておもむろに近づいてきた。栄子は観念し、逃げるそぶりすらも見せずに俯いた。そして、その女は栄子の目の前で足を止めた。
「栄子、久しぶりね。こんな形であなたと会いたくなかったわ」
栄子はおもむろに顔を上げた。するとそこには見慣れた顔があった。
「……デコ? デコなの?」
「ええ。そうよ、栄子」
「そ、それじゃデコは……」
「ええ。栄子のお察しの通り私は巨乳軍よ。そして私は貧乳討伐部隊の隊長なの」
「そ、それじゃあ、デコは私を討伐しに来たの?」
「ええ、そうよ」
「そっか……仕方ないか……」
「ごめんね、栄子。貧乳の栄子を私は始末しないといけない。私にはどうする事も出来ないの。でも栄子を他の人の手により始末させない。私の手で始末する。それが私からあなたへの友情の証のつもりよ」
「そっか……でも、何で……何でよデコ! 巨乳だけの国を作るなんておかしいよ!」
「弁解する気は無いの。貧乳は討伐する。既に犀は投げられたの。それじゃ、さようなら栄子。あなたと友達だった事、一生忘れないわ」
突如、異変が起こった。栄子の胸が急激に膨らみ始め、膨らみ過ぎた胸がシャツのボタンを弾き飛ばした。
「デ、デコ! ねえ! これ見て! 私の胸が!」
その様子に出子も目を見開いた。
「ま、まさか……そ、そんなはず……でも、その大きさなら、余裕でHはあるわ……うそ……でも、ほんとに……」
「ほ、ほら、みてよ! 触ってみてよっ!」
出子が恐る恐る栄子の胸を揉んだ瞬間、出子は驚愕の表情で以って栄子の顔を見つめた。そこには確かに本物の胸が存在した。
「嘘でしょ……本物だわ……でも、よかった。本当に良かった。これであなたの巨乳軍入りは確実ね。おめでとう、栄子」
「ありがとう、デコ」
そこで目が覚めた。栄子はようやく夢から覚めた。栄子の目に見えるのは自分の部屋の天井。すぐに上半身を起こし胸元を確認すると、そこには何の突起も無いスッキリとした胸部があった。尚も確認する為に自分の胸に手を当てた。
「はは、何も無い……ははは、そうだよね。夢だもんね……」
栄子の目からは一滴の雫が零れおちた。
今朝そんな事があった、そんな夢を見た、そんな悪夢を見たなどと、栄子は出子に話す事は出来なかった。ましてや、そんな夢を見て涙したなど言えるはずもなかった。
すると、栄子と出子の前を歩く男子2人の姿が目に入った。2人とも制服姿で栄子達と同じ学校の制服。片方の男子は身長170㎝を超えているであろう感じで、その横の男子は随分と小柄に見えた。大きい男子は見下ろすように、小さい男子は見上げながら話すようにして、仲良く会話しながら歩いていた。
「あれって宗形じゃね? 隣の小さい男子は誰だろう?」
「ん? ほーちゃんじゃないの?」
河合芳一。栄子達と同じクラスの男子。本来は「くにかず」と読むが「耳無し芳一」と一緒の字であった為に「ほーちゃん」と呼ばれていた。
その河合の容姿についてはひと癖あった。女目線から見ても可愛く、男目線から見ても可愛く、知らない人からすればクラスで一番可愛いと言われるのでは無いかと言う程でもあった為に、女子のやっかみ、男子の複雑な感情が含まれた結果、更にこう呼ばれていた。
『胸無し芳一』
サラサラで漆黒の髪は男に使うには不相応ではあるがボーイッシュな髪形。その容姿のせいもあり、男子の間に於いても2人きりになるとおかしな気持ちになるといわれていた。本人も不本意のそんな仇名を付けられ、時折その仇名で呼ばれると「もう、みんな酷いよ。僕、男なんだから胸が無いのは当たり前じゃないか」と、これまた可愛い笑顔と可愛い声で河合は言う。更に言えば『ミス男の子』という訳の分からない仇名まであり、「何で僕がミスなんて肩書きがつくんだよ。もう、ひどいよぉ」と、否定する河合の困った顔すら可愛く、皆が異様な熱情で受け入れていた。
「ほーちゃん、おーす。ついでに宗形も」
栄子のその言葉に、河合と宗形は足を止め、その場で振り返った。振り返った宗形は傍からも分かる程に顔が赤くなっているのが見て取れた。
「ああ。大良さん、小好さん。おはよう」
河合は可愛い笑顔と声で以って返した。
「おはようって、宗形。何ヘラヘラしながら顔を赤くしてんだお前は?」
「へっ? そ、そうか? き、気のせいだろ? 夕陽のせいかな?」
「いや、おはようって言ってんだから朝だろ」
「な、なるほどな。お前の説明は分かり易いな。ははは」
「何を言ってんだお前は」
そんな会話を可愛い笑顔で見ていた河合が、自分の左手首に巻かれていた時計をチラリと見やった。
「あ、ごめん、みんな。僕、今日日直だから早く行かないと行けないんだった。先に行くね」
河合は可愛い笑顔と可愛い声でそう言って、1人小走りで学校へと向かった。その走る姿は女が男の走る真似をしているかのようにも見えた。その背中を3人が見詰めていた。そして河合が視界から完全に消えたの見計らって宗形が口を開いた。
「なあ。あいつ、男だよな」
既に見えない河合の背中を見つめつつ、宗形は柔和な表情で言った。
「は? 何言ってんだお前は? 当り前だろうが。お前と同じ男子の制服を着てるだろうが。おっぱいも無いだろ? 体育も一緒に受けてるだろ? ていうか宗形、お前は何で顔が赤いんだ?」
「まあ、そうだよな……なあ大良。教えてくれ。この胸のトキメキは何なんだろうな」
既に見えない河合の背中を見つめつつ、宗形柔和な表情で尚も言う。
「いやいや宗形。仮にお前にそう言う性癖があったとしても、それについての文句は一切無い。何も言うつもりは無い。が、しかしだ。ほーちゃんにはその気は無いから、それは駄目だぞ? ほーちゃんは声と容姿が可愛いというだけであってノーマルの男子だぞ? 分かってるか?」
不穏な言葉を口にする宗形に対し、栄子は眉間にしわを寄せた。
「だいたい、あんた彼女いるでしょ? ちっちゃい小振さんがいるでしょ?」
出子は蔑んだ目で以って宗形に言った。そしてさりげなく小振のおっぱいが小さいという意味を含めた。
「ああ。分かってる。分かってるよ……だが、この胸のトキメキは何々だろうな。俺は――――」
「『何々だろうな』は、こっちのセリフだっつーの。おまえは結局何なんだ? 巨乳主義はどこいった? かと思えば全部がちっちゃい子と仲良くなったり、挙句はそっちか? お前は一体何々だ? 誰でも良いのか? 何でも良いのか? だったらぬいぐるみでも抱いてろ。それに満足したら皆の為にこの世から消えた方がいいぞ?」
「そ、そうだな。俺は、ただただ、その時の『好き』という気持ちに正直で有ればいいと思う。それを大切にしたい」
宗形は空を仰ぎ見て両手を広げ、そんな言葉を誇らしげに言い放った。
「お前が最初にすべきことはこの世から消え去る事だな……。お前の言ってる事は目に入った綺麗な子、可愛い子、巨乳の子を片っ端から好きになり続けると言ってるだけだぞ? 今のお前と比べたら何も言葉を発せず、静かにしている生ゴミの方が立派だぞ?」
赤ら顔の宗形に栄子が諭すかのように言ってはみたが、尚も宗形は笑顔で以って空を仰ぎ見ていた。「ああ、これが青春なのか」と言わんばかりに爽やかな笑顔で見ていた。
「かっこ良く言えば良いとでも思ってるのかしらね? どうしてこう『宗形』っていうゴミが地球から無くならないのかしらね? 行政は何をやっているのかしらね? 職務怠慢で訴えるべきね」
出子も精一杯の嫌悪感を込めて言ってはみるものの、宗形は全く意に介さない。
「そもそもおっぱいの形状まで拘ってたくせにその変わり様はなんなんだ? つうかさ、お前の言う形状ってどういう事だったんだ?」
「形の事だよ。決まってるだろ?」
さも当然。そういった表情で宗形は答えた。
「いや、だから、どんな形だったらお前は満足するんだと聞いている」
「うむ、そうだな。垂直時、いわゆる立った姿勢に於いて重力に左右されずに前に突き出るかのような形を保っているか、と言う事だな。当然、補正器具無しの状態でだ。それと、乳首の仰角も大事だな」
宗形は腕を組みながら、真剣な眼差しで答えた。
「……まあ、朝っぱらからこんな質問をした私も悪いと思うが、真面目に答えるお前もどうかしてるな。っていうか形はともかく、乳首の仰角ってどういう事だよ?」
「凛とした姿勢で下を向かずに上を向いているか、という事だ」
いわずもがな。そんな表情で宗形は答える。
「お前はブレないな……そこはある意味、尊敬するよ……。なあ、宗形。これは親切心から言ってやるんだが、お前は早々に地球から去った方がいいぞ? お前の需要はこの星には無い。早くしないと駆逐されるぞ? いいか? これは親切心から言ってやってるんだぞ?」
ふと宗形は栄子の正面に向き直り、栄子の両肩に両手を置いた。そしてそれまで笑っていた宗形の顔からは完全に笑みが消えていた。
「なあ、大良。お前よりも容姿が勝る男が存在し、仰角云々の前にお前のソレは小さい。残念な事ではあるが、それは否定出来ない事実だ。だがな大良、きっとそんなお前でも何処かしらに需要はきっとあるんだよ。だからお前にだってきっと良い未来はあるはずだ。俺はそう思うぜ?」
宗形が真剣な眼差しで栄子に言った。その目は『心配するな。大丈夫だ』と語っていた。
「ジュ・ヨ・ウ・だと? いつもいつも、な・に・を、良い事言ってます的な顔して言ってやがんだお前はーっ!」
瞬時に放たれた栄子の上段回し蹴りが宗形の側頭部を完全に捉えた。声を上げる間も無く宗形はその場で180度回転し、アスファルトへと顔面から叩きつけられた。一瞬にして意識を失った宗形の顔は白目を剥いてはいるが笑顔であった。
「ねえ、栄子。私達も急がないと遅刻しちゃうよ?」
「は~。そうだね。こんなアホに付き合ってられないね」
「それじゃあ、行こう」
「そうだね、行こう」
そう言って2人は走り出した。未だ来ない未来に向かって。とはいっても、まずは学校に向かって。
2020年08月28日 4版 誤字訂正他
2019年11月16日 3版 句読点が多すぎた
2019年07月30日 2版 誤字含む諸々改稿
2019年07月15日 初版