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幼い頃の初恋

「そこで、何をしているの?」


 家の庭の端っこで、一人しゃがみ込んでいたマルガリータに声を掛けてきたのは、見た事のない男の子だった。

 赤みがかかった茶髪と同じ色の瞳は、この世界では良くある色。上質な服装から、貴族の子だとわかる。


「みんな雑草だって言うんだけどね、とっても良い香りがするの。だから、この場所だけでいいから抜いてしまわないでって、庭師のテリーにお願いして残してもらったんだ。マリーの、秘密の場所だよ」

「へぇ、僕も嗅がせて貰ってもいい?」

「うん、いいよ。あのね、マリーのおすすめは、この葉っぱ!」


 指差したのは余り伸びていない草だったから、男の子は地面に這いつくばるような姿勢になって、マルガリータが示した葉に鼻を寄せた。


「……本当だ。凄く爽やかな香りがするし、なんだか鼻の通りも良くなった気がする。よく見つけたね」

「でしょう? あのね、こっちのは甘い香りがするよ。それでこっちは、ちょっと眠くなっちゃう香り」


 雑草だと散々皆に言われ続けていたのに、その男の子は同意してくれた上に、頭を撫でて褒めてくれる。

 それが嬉しくて、マルガリータは次々と発見した草を紹介していく。


 男の子は嫌な顔ひとつせず、マルガリータが勧めるままに地面に手をつき地面に鼻を付けて香りを確かめ、「本当だ」「凄いね」「確かにそんな香りがする」と、一つ一つに頷いてくれた。


(今思えば、貴族の子供に勧めるものじゃなかったわね……)


 過去の風景を眼下に望みながら、マルガリータはぼぅっと幼い自分と、丁寧に相手をしてくれている男の子の姿を、ただただ眺めていた。


 自分は夢を見ているのだとわかる、夢。

 そしてそれは確かに、マルガリータが過去に経験した出来事だった。

 何故今、こんな夢を見ているのか良くわからなかったけれど、この頃はまだ貴族社会の闇を見る事もなく、またその必要もなく、家族に守られて穏やかに暮らしていた平和な時間だった。


(この男の子が、どうしてここに現れたのかは良く覚えていないけれど、お兄様のお友達……かしら?)


 マルガリータとちょうど十歳離れている兄は、この頃学園に通い始めた時期だったはずだ。

 長期休暇の際に、学友を家に招いていたのかもしれない。

 それにしては、夢の中にいつまで経っても兄は現れないけれど。


 父ほどではないけれど、兄もマルガリータを溺愛するタイプだった為、全寮制の学園に入学してしまってから暫くは、マルガリータも寂しい思いをした。

 「お兄様はいつ帰ってくるの?」と、毎日のように訪ね歩くマルガリータの気を少しでも紛らわす為か、母が「マルガリータ専用の、庭園を造りましょう」と提案してくれたのを、鮮明に覚えている。


 その途中で、マルガリータは良い香りのする草を見つけて、庭園作りよりもそちらに夢中になってしまったのだ。

 きっとこの夢は、その頃のもの。


(あの香りの良い草は、ハーブだったのね)


 この世界では、ハーブは香草として知られておらず、大輪の花を咲かせる他の花々の邪魔をする雑草というのが常識だ。

 真奈美の記憶を思い出した今だからその正体がわかるけれど、それがなければマルガリータはそのまま、「幼い頃に、良い香りのする雑草に夢中になっていた時期があったなぁ」位の思い出で、終わってしまっていただろう。


 その位、今現在のマルガリータには既に馴染みのない物になっていた。

 それなのに、黒仮面の男がブレンドしたというハーブティーの味に抵抗がなかったのは、真奈美の記憶だけではなく、幼い頃マルガリータ自身がその香りを気に入っていたからという所も、大きかったのかもしれない。


「お兄さんは、お兄様のお友達?」


 マルガリータが疑問に思った事を、幼いマルガリータも同じ様に、疑問に思ったらしい。

 こてんと、幼いが故に重たい頭を大きく傾げるマルガリータに、男の子は少しだけ困った様な表情をした。


「そうなれたら嬉しいけど……、多分僕では無理かな」

「どうして? お兄様に「お友達になりましょう」って言えばいいだけですよ?」

「僕に関わると、余り良い事がないから。迷惑を掛けたくないんだ」

「むぅ……。よくわかりません」

「うん、ごめんね。でも君のお兄様の事を、嫌いな訳じゃないんだよ」


 ぷく、と頬を膨らませて抗議するマルガリータの頭を、優しくそっと撫でながら謝る男の子はとても寂しそうで、マルガリータは余計に納得する事が出来なかった。

 だって、お友達になりたいって言っていたのに。嫌いじゃないのに。

 どうして関わってはいけないのか、全然わからない。


「そうだ! なら、マリーとお友達になりましょう」

「え?」

「マリーは、マルガリータ・フォン・オーゼンハイムと言います。お兄さんのお名前は?」


 最近になって、ようやく自分の名前をつっかえずにフルネームで名乗れるようになったマルガリータは、得意気に名乗ってそのまま男の子へ問いかける。


「僕は……オブシディアン、だよ」


 男の子は少しだけ名乗るのを迷っている様子を見せたけれど、最終的にはマルガリータに視線を合わせて、そう教えてくれた。


「おぶ、し……でぃあん……オブ、シディ……アン……」

「ディアン、でいいよ」

「でぃあん……ディ、アン……ディアンですね! 覚えました! マリーの事も、マリーでいいですよ! では、ディアンにはお友達の印として、マリーのお気に入りの葉っぱを差し上げます」


 何度か舌をもつれさせながら名前を呼ぼうとするマルガリータに、くすりと笑って愛称を教えてくれたオブシディアンの名前を何度か口に馴染ませて、大きく頷く。

 そして、最初に香りを嗅ぐことを勧めた小さな葉を摘み取って、そっとその手に乗せ「これでお友達です」という様に、そのまま両手でぎゅっと包み込むような握手をする。


 呆気にとられていたオブシディアンは、その掌の上に置かれた葉を吸い込むようにして香りを確認して、爽やかさに笑うどころか、泣きそうに顔を歪ませた。

 その後、本当に愛おしそうに大切そうにその葉を抱きしめて、とても嬉しそうな笑顔をマルガリータに返し、ふわりと再び頭を撫でてくれる。


「ありがとう、マリー。大切にする」

「また、いつでも会いに来て下さい。もっと沢山、良い香りがする葉っぱを見つけておきますから」

「うん。でも教えて貰うばかりじゃ無くて、僕も一緒に探したいな」

「それはいいですね! 二人で探せば、もっといっぱい見つかりそうです」


 そうしてこの出会いから数年、庭の端っこで二人の逢瀬は続いた。

 だが、やがてオブシディアンは徐々に屋敷に現れなくなる。

 マルガリータが成長して十歳を過ぎた頃、「婚約者でもない男と二人で会っていては、外聞が悪くなるから」という、マルガリータの事を想ってくれたからこそ遠慮したのだろう事がわかるその台詞と共に、オブシディアンと完全に会う事はなくなってしまった。


 オーゼンハイム家は自由恋愛主義だったから、両親も兄もマルガリータがオブシディアンと二人で会うことを遠くから見守るだけで、特に咎めようとはしていなかったのだけれど、使用人達は快く思っていなかったようだ。

 オブシディアンには常識が備わっていて良かったと、マルガリータ付のメイド達がほっとした様子だったのを、微かに覚えている。


 使用人であるメイド達にそう思われる程、オブシディアンはマルガリータと釣り合いの取れない、低い身分の子息だった様には思えなかった。

 けれど結果として、オブシディアンが身を引いたような形になったのなら、一緒に居られない事情があったのかもしれない。

 自分では兄と友人にはなれないと、迷惑を掛けたくないと、寂しそうな顔をしていたオブシディアンの表情が浮かんでは消える。


 オブシディアンと会えなくなってから、マルガリータを溺愛していた兄が学園に入ってしまって寂しい思いをした時とは、明らかに違う悲しさがあった。

 いつもオブシディアンの方から訪ねて来てくれるばかりだったから、自分から会う方法もわからない。


 友人との間に、身分なんて関係ないと思っていたし、家名がわからなくても気にも留めていなかった。

 けれどそれがわからなければ、来訪が途絶えてしまった途端に、オブシディアンと連絡をとる方法が何もないのだと自覚した時には、どうしようも無かった。


 両親や兄は、オブシディアンの身分を知っていたのかもしれない。

 けれど、「自分から身を引いて姿を消したのなら、探す必要は無い」と言って、マルガリータには居場所を絶対に教えてはくれなかった。


 自由恋愛主義であるが故に、誰と付き合おうが無頓着なのに、何を捨ててでも一緒に居るという気概を感じられない相手には大変厳しい。

 きっとオブシディアンが、マルガリータにとっての初恋だったのだと気付いたのは、そうして会えなくなった後の事だ。


 気付いた時にはもう遅かったけれど、他の誰かを考える事も出来なくて、マルガリータは貴族の多くが婚約者を決めるその時期に、新しい相手を見つける気にはなれなかった。

 学園に入学する頃になると、淡い初恋はゆっくりマルガリータの記憶の底へと沈んで行ったけれど、新たな恋には出会えないまま、婚約者の居ない伯爵令嬢が出来上がってしまった訳だ。


 ゆっくりと時間をかけて忘れた感情が、こうやって夢に見て再体験することで、今になって急激に呼び戻される。


(でも、ディアンって……偶然、なのかしら?)


 オブシディアンは、髪も瞳も黒じゃなかった。

 でも家名を名乗らなかったのは、王族だったからだとしたら。


 優しい笑顔や、自分を好きになってくれる人なんて居ないと諦めてしまっている所。何より、愛おしそうに頭を撫でてくれる仕草は、今の成長したマルガリータの知るディアンと一致する。

 もし、産まれた瞬間から不吉の子だと言われ続けていたのなら、友人を作る事に尻込みもするだろう。

 そうなると、もしあの頃オブシディアンの家名を知っていたとしても、その置かれた状況を知っていたとしても、どちらにしろマルガリータがオブシディアンを追いかける事は出来ず、初恋も叶うことはなかったのかもしれない。


 だけどこの時マルガリータと出会ったことで、ディアンがハーブに興味を持っていてくれたのなら。

 マルガリータと会えなくなってからも、ずっと「もっと沢山良い香りのする葉っぱを見つける」という約束を、守り続けてくれていたのだとしたら。

 それはとても嬉しい事かもしれない。


 だってきっと、マルガリータの二番目になる恋心を奪っていったのは、黒い髪と瞳のせいで他の人との交流を恐れがちだけれどハーブの世話に熱心な、優しい庭師のディアンだったから。


(何だか私っていつも、正体不明の人を好きになってしまうのね)


 もしかしたら、その正体不明の人は同一人物で、マルガリータは知らず知らずの内に同じ人を好きになったのかもしれない。

 髪の色や瞳の色が違っている事は少し気になるけれど、きっとそう。


 だってディアンは、マルガリータを「マリー」と呼んだ。

 その呼び方は、オーゼンハイム家の中だけの呼称で、外には決して出していないものだったから。

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