存在感のない派手な彼
“ぴんぽーん”
ブザーがなる。
誰か降りるようだ。
車体が左へと曲がると、少し揺れた。
どんどんと振動をお尻で感じるのはわたしがタイヤの上に座っているからだ。
読んでいた文庫本から顔をあげる。
この混み合う時間、そう人の乗り降りのある場所でないところなのでどんな人が利用するのだろうと少し興味があった。
しかし、降りる素振りを見せる人は見当たらなかった。いや、わたしには見えなかった。
「すみません」
隣に座っていた黒いフードを被った男の子がわたしを見る。腕を組み背もたれにもたれたままうつ伏せて微動だにしないため寝ていると思っていた。
びっくりしていると、
「あの、降ります」
パーマのかかった金髪を揺らしながら再度強めに言われてやっと我に帰り、謝りながら場所をあけた。
取れていた黒のフードを被り直しながらサングラスを光らせ二人掛けの奥の席からすっと降りる。
「どーも」
無愛想だが、きちんと一声かける律儀さを意外に思った。
わたしがもたもたしていたからか、彼の風貌からか、周りもざわついている。
こんな田舎に所謂チャラ男、といった出で立ちのあんな男の子がいるなんて。
しかもあの乗り降りの少ない場所で降りていった。
彼の職場があるのだろうか。
休み時間、デスクでお弁当を食べながら考えてみる。帰りのバスで見かけてみよう。
そう決めると、なんだか今日は帰りがたのしみになった。
「な〜に一人で笑ってるの」
先輩のルミさんが缶コーヒーを飲みながらわたしの背後に立っている。
どうやら表情にも出ていたらしい。
人に言うほどの面白い出来事ではないのでなんとなく誤魔化していると、ルミさんのポケットから突如フレンチパピロを差し出された。
「なによ〜あ、これ、食べない?懐かしくてつい買っちゃったのよ〜」
いただきます、といって包みをやぶる。
うまく開かず中腹あたりで千切れてしまい、無理矢理本体を押し出す。
「昔はキャンディ包みだったのにね〜時代かな」
たしかに。
昔はくるくると巻いてあった包装紙だったがいまは密閉式で端がギザギザしているタイプに変わっている。
一口食べるとザクッとして、中のクリームは少し重ためで甘く、とても懐かしい味。
“プルルルル…「はい、广コーポレーションです。あ、こんにちは〜」
ルミさんが素早く電話をとった。
さすが先輩。わたしの口にはまだパピロがいる。
小さな部品を扱うこの小さな工場はやはり交流が大切で、少しフレンドリーな対応をするルミさんはテキパキと内容をまとめやりとりを進めていく。
新人なわけではないが性格上まだまだこういった対応のできないわたしは、ルミさんを心から尊敬している。
「はい、はい、は〜い、わかりました。部長に、はい、お伝えしますね〜はい。えっありがとうございます〜ははっ、では、はい、また〜」
笑顔で電話をしていたが、切った直後
「お昼終わっちゃうよ〜なんで今かな電話、ほらあと5分しかないよ〜」
そう言って慌ててタバコを吸いにいった。
ああ見えて割と喫煙歴の長い先輩を見送りつつ、わたしも歯磨きセットを慌てて準備してトイレへ。
“ドン”
振り返ると同時に衝撃が走り、わっという声とともに微かなお香のようなスパイシーな香りに包まれる。
「ごめんっ」
そこには同僚の橘くんが申し訳なさそうにしながらわたしを支える。
こちらこそっといって赤面しながら離れ、気まずいのでなにか言おうと口を開いたとき、
“キーンコーンカーンコーン”
始業時間だ。
歯はもう仕方がない、橘くんにもう一度謝罪して席に戻った。
今日は帰りのことがあるからか、なんとなく気が急いてしまい結局ミスをして少し残業になってしまった。
いつものバスを乗り逃しつぎのバスまで15分あまり、今朝の男の子のことを考える。
あんなに目を引く風貌をしていたのに、なぜわたしは声を掛けられるまで気付かなかったのだろう。
街であんな人がいれば噂にくらいなるであろうが、そんなの聞いたこともなかった。
それに、いくら小説を読んでいたからといっても、あのとき固まってしまうくらいには衝撃の人物だった。彼が奥なら先に乗っていたのは彼だ。
不思議な感覚に陥る。
センター分けでパーマのかかった金髪は長く耳にかかっており、ピアスは軟骨にも空いていたように見えた。
黒いサングラスは長年続いたお昼の定番バラエティの司会者のようにベーシックなデザインだった。
あのときは黒いパーカーのフードを被っていたし、俯き加減で腕と脚を組んでいたからほとんど服しか見えなかったけど…
考えているとバスが来た。
いつも開く小説はしまったまま、窓を見つめる。あのバス停の前後、特に暗くてなにもないように見えた。
なんだろう。
暫くすると日常にすり減らされたあの日の衝撃は薄れ、ついに忘れてしまった。
あれから二週間ほど経っただろうか、週末珍しく友達の家でランチすることとなり、早めに目覚めたわたしはその近くにある図書館にいくことにした。
降りたのは、あのバス停。
そうだ、図書館がある。
盲点だった。
最寄り、といってもバス停からは歩いて10分近くかかるし自宅からは本屋の方が近くにあるので全然利用していなかった。だからこの図書館を利用するひとの殆どは自転車の学生か車を利用する老人であった。
彼を思い返しながら自動ドアをくぐる。
図書館で本、というよりスタッフや利用している人を中心に見渡してみるが田舎特有の大きな敷地を持つこの図書館をみて回るにはなかなか骨が折れる。
その途中で気になっていた本を見つけては手に取ったり、少し読み進めたりもしてしまい一周りして時間を見ると、もう向かわなければ間に合わないくらい切迫していた。
かれこれ40分は図書館をみていたようだ。
小走りで友達の家まで約10分。
慣れないパンプスのヒールがカツカツとうるさい。
車で来ればよかった。
間に合った。
汗ばんだ顔を手で仰ぎながらインターフォンを鳴らすと、柔らかそうな赤ちゃんを抱えた芳子が久しぶり!と笑顔で出迎えてくれた。
わたしが手土産を差し出すと、
「とりあえず中で。どうぞ〜」
と言った。
彼女は赤ちゃんで手いっぱいだったことにようやく気づき、我ながら気が利かないなと思う。
お邪魔します、と言いながら訪問の作法を思い返し靴を端に寄せる。
人の家に訪問するなんていつぶりだろうか、小心者のわたしは、友達とはいえ失礼にあたるようなことはしたくないという気持ちでいっぱいなのだ。
部屋へ上がるとありがちなパズル状に組み合わせるふわふわのマットが片隅にあり、キッチンには真っ赤でピカピカのフライパン、窓から入る柔らかな日差しと子どもがきゃっきゃしている声、この風景は幸せでしかないなと感じる。
「まぁ適当に座ってよ」
そういわれて、やっとソファに腰掛ける。
就活のときの面接を思い出した。
学校で指導を受けたときには人に言われなければ座ってはいけないなんて、まるで調教される芸達者な猿のようだなと思ったものだ。
いまでは日常生活でもこれだ。わたしは社会人という型にはめられいわれたことをこなすだけの猿になってしまった。
はっと我に帰り改めてお土産のクッキーを手渡すと、芳子が今日のお茶菓子が一品増えたラッキーといってキッチンへ向かう。
ありがとねーと言いながらクッキーとスコーンと一緒に出された紅茶はアールグレイで茶葉のとてもいい香りがした。
紅茶なんて一人じゃ入れる余裕なんてないから久しぶり。
赤ん坊の一歌ちゃんは一人でドーナツ状の柔らかなおもちゃをかじったり投げたりするのに夢中でおとなしくしていてくれたので、二人はたくさん話すことができた。
そのなかで、金髪の彼のことを知っているのか聞いてみると
「そんなひとこの地味な町にいるの?わたしもみてみたいな〜。しかも男の子なのにその人あたしより髪長いってことだよね!」
と無邪気に笑う。
そして赤ちゃんがいるこの環境では自分のベリーショートはなかなか気に入っていてオススメなんだけどなーと付け加えた。
やっぱり知らないよな。
そう思ったけど何か引っかかりつつも、彼のことをまたすぐ忘れて学生時代の思い出やいまの環境についての話で盛り上がった。