親心、タレアの過去、カッツェという男、タレアが背負うもの
[※親心※]
彼女にばれてしまう前に私はそろそろ眠らなければならない。
[※タレアの過去※]
柔らかな寝具の中、1つの傷もない手で頭を撫でられて眠ったのが母親をみた最後だ。
慣れない揺れに気づいて目を覚ましたのだ。
薄暗い中、所々に傷や痛みが見られる木で作られた狭い空間に閉じ込められている。
自分の下に敷かれた布をめくったところで何も起きず、壁の通気口から紛れ込む土の匂いと蹄鉄の奏でる変哲のない音楽を聴いて、ここが使い古された馬車の中であると気が付いたのだ。
対面でこちらの様子をうかがう存在。
私の挙動に不満があるのか、険しそうな顔をしている。相手の座るすぐ脇には、剣が立てかけられており。
扉に手を掛けることも逃げ出すこともできないだろう。
相手の名前は答えてくれないが返答はしてくれたので私は尋ねたのだ。
ここは何処、何故私はここにいるの、何処へ向かっているの。
「わかりません」
「話せません」
「……とにかく遠いところです」
朝焼けはとうに過ぎている、何度も馬車は止まり人が動く気配はあったものの、彼は動かず目の前に座っており、私を気まずそうな顔で見つめているのだ。
日が真上に昇る頃には馬車の外に出してもらえた。周囲に道は見当たらす、馬を従えた剣士に遠くから囲まれている中で、休憩をもらい軽い食事をした後は、再び狭い馬車に入るのだ。
そうして何日も過ごす間に、彼らの声を何度も聞いてようやく、家からよく見かけた兵士たちだと気づいたのだ。
どうなったとしても家には帰れないのだと、その時に諦めた。
名前も知らない村に辿り着くと、そこの村長宅の一室に通される。
土を被ったような色の服に着せ替えられた後、村はずれの家へ向かい、後に師匠となる薬師のカトレアに顔を合わせたのだ。
[※カッツェという男※]
村の大樹のてっぺん辺りに太陽が昇る頃、私の一日が始まる。
土ぼこりも少なく、空も今日一日は雨が降ることは無い様子だと思う。狩りの組では小屋の脇に幾つもの衣類を干す作業が行われるだろう。
共同の炊事場の方には僅かに煙が昇っているのがまだ見える。昨夜は門番の組も協力していたらしいが、久しぶりの獲物に村の子供たちも焚き火の傍に集まっていたのを思い出す。雨季が明けて待ちに待った狩りだったためか皆が慎重で、怪我人が少なく怪我も大したものでは無かった事は嬉しい。
山の方はまだ湿り気が残っているらしく、私が森の奥に入るのは数日先になる。
習慣の体操を終える頃には村の各所で人が集まって、それぞれの作業を始めているだろう。大体の組は朝と夜に打ち合わせを行うため、この村に入ったばかりの頃は連れられて挨拶に行っていたのが懐かしい。
打ち合わせを終えたらしい一組の集団がこちらに近づいてきた。
目立つ一人、身長も含め一回りも二回りも大きい体は重い物を扱うことで鍛えられたものであるのが遠目でもわかる。集団の先頭にいるのは樵の組長であるカッツェさんで、すぐ後ろにいる若い3人は1年未満の新人であり、村の外で作業を行う外組は私のところか門番のところに連絡するのがこの村の習慣になっている。
「カッツェさん、それに皆さんおはようございます」
「おはよう、タレアさん昨日はお疲れ様」
カッツェさんが一息置く
「明日には配るみたいだから籠を持って集まるように言われてるよ」
「ありがとうございます、カッツェさんも食事が待ち遠しいですね」
「それはもう、モニカも昨夜の話を聞いて喜んでいたよ」
カッツェさんの目が優しくなる
「モニカさんは料理上手ですから」
「また一緒に料理をしてくれるといいな」
「良い山菜がとれたらお邪魔しに行きますね」
「それは良いことを聞いた、今日は西の奥まで行くから」
カッツェさんはこの村でもよく知られた愛妻家でもある
「西の森の奥ですね、お仕事お願いします」
「もちろん頑張るよ、そろそろ村長も戻ってくるから樵の組は忙しくなる」
「今回は何人きますか?」
「30は超えないらしい、空き家もあるし家3戸とあと柵を少し広げたいところだ」
視線の先には村長が向かった街がある
「タレアさんも引継ぎの話は来ているよな」
「はい、私のところにも2人来るそうです」
「こっちはさらに4人増やすらしい」重い溜息「10年もしないうちに地図が広がる、村長はここを中継にしたいらしい」
「直轄領で管理も楽ですからね」
「自分が住んでいるところの呼び方が変わるなんてめったにないな」
「すこし嬉しそうですね」
「物が増えたらモニカが喜ぶ!」
「モニカさんの為にもしっかり稼いでくださいね」
「生き甲斐になるよ」
カッツェさんは私の師匠のカトレアにお世話になった時からいろいろ気にかけてくれている。私も師匠もこの村の生まれではなかったために最初は馴染めていなかったが、今では隔意もなくみんなからも信頼を寄せられている。
村で数年経ったある時に山崩れが起きてカッツェさんたち樵が酷い怪我をして村長宅に運ばれてきたのだ。寝る暇もなく調薬や看護の手伝いをして、村の人も木綿布の交換や食事を手伝ってくれて、なんとか怪我人の延命を続ける事になり。夜通し手に明かりをもって僅かな唸り声に耳を傾け、状態を一人ひとり確かめては記録し仮眠をしたのは、自分の体が壊れない加減を覚えてしまうほどの経験で、本当に休めるようになったのは20日ほど後だった。
最終的に運ばれてきた人の半数は亡くなり、後の半数は最低限の労働ができる程度にまで回復した。カッツェさんはその中でも幸運だった数人の内の一人で、今では傷跡を見なければほとんど怪我の影響が見えない。怪我の経過観察で家を見て回るようになってから、やっと彼らは意識がはっきりした会話ができるようになり、復帰のために少しずつ運動をさせる頃には、彼ら樵の体躯に対して私が恐れることは少なくなっていた。
カッツェさんが樵に復帰してからは今度はカッツェさんが私の家に来るようになった。休みの日には家の床の修理や棚を作ってくれたり私と遊んでくれて今でもその棚は使っている。陰干し用の屋根も建ててくれた事を思い出した。
村の周辺の森について教えてくれたり、木の実や山菜取りにも手伝ってくれて、料理をもらったりしているうちにカッツェさんの家に何度かお泊りしてしまった事もあった。この頃になると師匠は外に出ることが少なくなり、私が手伝いを連れて山に向かうようになってから師匠は少しずつ虚弱になっていった。
寝具で横たわってからも会話だけは欠かさず行っていたが、それから数か月経った夕方に誰にも知られずに息を引き取った。砕いた遺骨を撒いた時に一番傍にいてくれたのはカッツェさんとその家族だった。
カッツェさんは私にとって父親のような存在である。
[※タレアが背負うもの※]
カッツェさん達が離れていくのを見届けてから私は振り返って家を見る。
この家は元々村に住んでいた薬師が建てたものである。村にある他の家よりも一回り大きく、その壁には一般的な痛み止めの植物の葉が描かれている。この植物の葉は貴族でもない限り一生に一度はお世話になる、かくいう私も庶民であるためしっかりと助けてもらっている。
他の薬と比べて保存が利くため、村のどの一軒にも1枚は必ず置いてあると言われるほどの身近な薬である。商人や狩人など遠出をする際には妻から手渡されたり、あるいは子供たちが遊びの中で通貨代わりにしたりといった扱われ方から出会い葉、別れ葉、挨拶葉などの様々な呼び方で知られていて、庶民の誰もが一目で理解できる特徴的な葉の形は、治療院という場所を示すには十分すぎるものであった。
ただ、人との出会いを表すことから貴族たちの内では叶わぬ逢瀬を行う時の合図として手渡される事もあり、貴族でも異なった用途でお世話になるようになった事で、庶民と貴族を問わず知れた植物の葉となった。
おかげでこの葉を象った装飾や容器を売る商人たちは大変に儲かっただろう、なんと恐ろしくたくましい。
そんな話で有名な植物の葉が書かれたこの家には、この村で唯一の薬師の私が住んでいる。今はもう1人この家に住んでいるのだが朝に弱い体質らしく、私が体操を終えて朝の連絡を終え、朝食を作り終えたあたりでやっと起きてくるのが日常である。
すっかり目も覚めた私は家に入ると桶と布を手に取り、壺から水を汲み取ると奥の部屋に入る。寝具の脇の机に桶と布を置くと、上着、肌着、下着を寝具の上に乱暴気味に脱ぎ捨て、絞った布で全身を軽くも揉む様に拭いていく。
肩に僅かにかかる髪は鈍い茶色でおそらく辺りの出身でないことが分かる。これから移り住む人達でもこの髪の色はなかなか無いと思う。そんな悩みも深く考えなくなったのは、隣の部屋で今も眠っているだろう彼女のおかげである。
畑の組ほど日にあたるわけでない私でも、肌の明暗が分かる程度には日焼けがある。そんな若干の健康を自慢しようにも相手がいない。特に最近は屋内の作業が続いていたために、ただでさえ少ない健康度が日に日に目減りするのを感じたのも、雨季を経て終わることになるだろう。
そんなことを考えている内に体も大方拭き終え、着替え直してから水を裏へ捨てに行く事にした。
この村は街の産業を規模だけ小さくした形を理想として作られたために、街にある必要最低限の施設は土地に余裕をもって建てられている。そんな事情で人口が今の10数倍にならない限りこの家の周囲には空き地ができるわけだが、限定的に空き地のままにせず有効活用できるのがこの村の良いところである。
畑などの土地が変質するものや移築が難しい建物は基本的に置けないが、治療院にあたるこの家では畑や倉庫、井戸、厠に地下室といろいろと建てられていたので増やす物が思いつかず、村の中央から離れてるという都合から家畜小屋を追加で建てることにしたのだった。
家の炊事場をすすみ勝手口から出ると少し開けた作業場がある、人口が少ない今は利用頻度も少ないが引継ぎを終える頃には街の治療院のように薬の混ざった臭いが一日中するようになるかもしれない。街で手伝いをしていた時は、嗅ぐのも慣れるのも嫌いだったが、物を運ぶだけだったあの頃が懐かしい。
そんな思い出の無い作業場の端にある排水溝に水を捨てると、家に入り桶と布を片づけてから、使い込んだ前掛けを身に着けて家畜小屋へ向かう。
キーキーと鳴く声と土を削る軽い足音は目の前の家畜小屋の住人が目覚めている証拠でもあり、壁にある隙間から覗けるその姿は馬でも羊でもなく鳥である。この鳥は飛ぶこともなく、大きくもなく、臆病であるため庶民の食卓に並ぶことは多い。繁殖、採卵、食肉と区別して育てるほどの規模も時間も私には無い、その日の気分で雑に管理している事もままにある、2重の扉を進むと扉の周辺からは鳥が引いていき。小屋内を歩き卵を回収する間も彼らは離れてくれて、掃除をする場合でも同様に非常に楽である。騒音被害を除けば餌の面でもどこの家の子供でも飼いやすい鳥である。
村の畜産場では備蓄に送られた後で住民に配られるが、私の場合は私的利用を公言している。
怪我人への食事もあるが薬の飲み合わせを確かめるため多くを利用しているのだ。資料室に記録が残っているが成体、雛を合わせると、現在家畜小屋にいる50に満たない彼らよりはずっと多く処分していると思う。複数回試験を行ったあとに寿命で亡くなった例もある。ついでに私の食事には毎朝卵が付いている。
この村の狩猟祭の一つを企画をしたことがある。大物を狩る機会も少ないこの村では宴の機会も少なく酒の消費が進まず、かといって交易量を減らすことも不都合だったため、村長の許可を受けて定期的に行うと決まり、狩猟の解禁前に年に数回行う事となった。
キーキー鳥を広場に放して子供や引継ぎ前の見習いが弓矢で狩り、矢が刺さったら卵を貰えるという、単純なものだったが、これの夜に狩人を中心に大人だけで宴を開くことを追加することで、狩猟祭としての体を与えてこの村のお酒の消費量に貢献したのだ。
街単位で行うことは難しいために狩猟祭といった生活重視の祭りは考えていなかったそうだ、この祭りもこの村が大きく育つまでの貴重な風景らしい。この前の狩猟祭ではカッツェさんとモニカさんの子供達が矢を射ていたのは深く印象に残っている。
そんなことで決まった鳥たちの定期的な消費も生産量に敵うはずもなく、結局は個人的に配っているのである。なお早朝にしっかり起きて朝の挨拶にきてくれる子供には、ほぼ漏れなく卵が配られている。