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九.雨宮悠の物語 〜この地へ〜

少し長めの更新です。


ここからが悠のストーリーの始まりと言ったところでしょうか。

 大学生活は、正直疲れることが多かった。それは疲労ということではなく、充実と言うもの。朝は午前は航空工学から整備技術の講義に、少し回転が遅い頭には念仏のような講義が続き、午後からは実技として実際に航空機器を使用しての整備士としての勉強が続く。その後はバイト。さすがに疲れる。それで疲れないのなら人間じゃない。帰宅してからも明日の予習と復讐をノートにまとめると、寝るのは深夜二時を過ぎることもしばしば。友達と遊ぶこともあるけれど、それでも時間が惜しいと思うことが多かった。

「大変よね、この仕事」

 ちょうどドラマでパイロットと整備士のラブストーリーが放送されている。それはそれで面白い。でも、現実とは違うのだと、ドラマのように展開が上手く行くはずもなく、それ以上に、パイロットと会うこともほとんどないそうで、現実は大変の一言に尽きる。

大手で活躍する整備士が如何に大変なことなのか、茫漠と考えていた高校の進路選択までとの現実の差異は、寮に戻ると全身から力が抜ける。まさか各機種毎に一等航空整備士という国家資格がいるとは思わない。就職しても一年間ほどの飛行機の基礎、整備方法、専門用語に整備実習を重ね、幾度もの筆記と実技試験を受け、社内審査を通って初めて国家資格に挑める。道のりはまだまだ遠かった。

「ん? メール?」

 それでもやらないといけないと、自己奮起して机に向かう。あまり女の子らしくない室内も、落ち着く。その中で響いた着信音に携帯を手にとる。

「健介?」

 ―――よっ(^^)/ どうだ? そろそろそっちも実技か筆記試験があるんじゃね? こっちは今日、Undercarriageの勉強だった。前にやったんだけどよ、教官が抜き打ちで試験してきてよ。マジ焦ったぜ。

 そんな内容のメール。最近はほぼ毎日来る。まるで定例報告のように。頼んでもいないけど、飽きずに送ってくる。今日はどうやらUndercarriage、つまりは降着装置。簡単に言えば車輪のこと。きっとブレーキシステムのこともついでに勉強させられたんだと思う。そう言う基礎知識もパイロットは学ぶ。もちろん私だってそれくらいは教わった。だから、どういうことをしたのかは想像がつく。

「結構楽しそうね、健介」

 それでも確証はないけれど、健介は健介で昔から変わらない夢を追いかけて楽しんでいるみたい。素直に羨ましいと思う。

 ―――基礎はちゃんと復讐しなさいよ。

 他に書くことが浮かばなくて、それだけを返信した。複雑とか羨望はない。ただ、本当に楽しみにしていたことを頑張っている健介に感心してしまう。

「負けてられないわね」

 昔からお調子者のくせにやることはしっかりやっているような健介。気軽な一日の報告メールを見るたびに、感心すると同時にちょっとムカつく。健介が出来ていることを、私が引けを取っているなんて思いたくないという、勝手な嫉妬。つまらないことだけど、そう言う健介とのやり取りがあるのは、悪い刺激じゃなく、むしろ疲れた体を奮い立たせるようなものも感じる。

「置いていかれたくは、ないからね」

 ここで机の上にでも写真の一枚や二枚、あればもっとそのやる気も上がるというものなのかもしれないけれど、あいにく、健介と写真なんて撮影したことは一度も無くて、せいぜい卒業アルバムくらい。それを見返すほどではなく、静かに机に向かう。

「はぁ、一等航空整備士って、航空機全般を扱うのね……回転翼機までなんて、道のりは遠そう……」

 大手で働いているような整備士と、今の私。天と地もの差がある。夢のまた夢と思って一歩踏み出した私の足は、一体今はどれくらいの所まで来ているのか、学科教習本の中に記されていた、一等航空整備士という資格取得までの経緯に、やる気が少しずつ減った。


「あー、悠っ! 久しぶり〜」

 それから月日と言うものは充実していたのかそうではないのか、高校を卒業して二年が経った。学校を卒業してからも、私にはまだ整備士という資格は無く、これからの就職先での約半年間の整備経験を積んで、二等航空整備士を目指す。学校では訓練課程は終えたけれど、技能証明が無ければ担当する航空機の整備資格がないわけで、それは就職先からの指示と自己判断で決めることになった。

「うわぁ、めっちゃ綺麗じゃん、あんた」

 それでも私は二年ぶりに地元へ戻ってきた。冬晴れの北風の強く吹く日。それは私が大人の仲間入りと言う子供との一区切りを示す成人式の日だった。大して昔と変わらない町の中で、声を掛けてくる友人たちとの久々の再会は、驚きに満ちた再会で、あの頃みたいなあどけなさはなく、髪も随分と皆変わっていた。もちろん、それは私も同じだったけれど。

「そんなこと無いわよ。みんな同じじゃない。それよりも久しぶり。元気みたいね?」

 高校を卒業して、地元を出る前に数度遊んで以来の再会。もう誰一人としてあの頃と変わっていない友達はいないのに、その姿を一目見るだけで、誰が誰なのかすぐに記憶の扉が開かれた。

「いや、悠。あんた化けすぎだって。モデルとかやってるわけ?」

 再会の挨拶がひとしきり終わると、視線が私に集まる。

「してないわよ。言ったでしょ」

 私が整備士を目指していることは周知の事実。そんな人前に出て、とか苦手。

「いやぁ、もったいなさ過ぎ。今からでも遅くないって。応募しよ?」

「しないわよ。興味ないんだから」

 再会早々の話題にうんざりする。

「そっちこそどうなの?」

 自分が話題に上がるのは、未だに好きじゃない。

「そうそう、悠。知ってた。これ、結婚したのよ、去年」

「うそっ?」

 思わず視線を向ける。これ、と呼ばれる友達の薬指を見る。そこには、二本の指輪があった。婚約指輪と結婚指輪。今時二つを贈られるのは、相手はそこそこの人なの? 思わず視線で訴えてしまう。

「旦那ってば、銀行員よ。しかも元上司。あんたも隅に置けないことするわよね」

「そうかなぁ? でも告白されたのは、私だよ?」

 そうあけすけと言われると、二の句が無い。おかしなことはないし、これからもそう言うことが増えていく。おそらく自分もいつか……。そんなことを考えようとしても、真白なビジョンしかなかった。

「呼んでくれれば良いのに」

「違うのよ。これったら、挙式はグアムよ、グアム。親族だけ連れて、あたしら誰一人呼んでなかったわけ」

「ごめんねぇ。でも、最初は考えたんだよ? でも資金も考えると、後で報告した方が良いと思ったの」

 グアム、ね。それなら仕方が無いと言えばそうかもしれない。今の私にはそこまでの資金はないし、時間が何よりない。恐らく招待されても欠席したかも。

「あーぁ、あたしらもこうなっていくんかねぇ」

「さぁ、どうかしら」

 少なくとも、最も遅く結婚するなら私。そんな印象を、友達を見ていると思う。でも皆まだ二十歳。それがもう二十歳なのか、と幸せそうに笑うその子を見ていると感じてしまう。

「やぁよね。成人式で再会したら、子供いました、とか、結婚しましたとか言われるの」

「じゃあ、結婚したら良いのに」

 これが余裕なんだろうか。そう簡単に言われると、さすがにため息ものであって、近くをベビーカーを押して通り過ぎる同い年らしい子を見ると、言葉も無かった。

「あたしはまだまだやることあるのよ。悠だってそうよね?」

「えぇ、まぁ」

 その同意は、何かむなしいものがある。

「でも、良かったわね。おめでとう。今度何か贈るわ」

 それでもやっぱり友達のめでたいことは祝福したいわけで、自然と会話が止まるとそう伝えた。

「いいよぉ。悠だって大変でしょ? そのうちまた昔みたいに遊びに行けたらそれで良いんだよ」

 それを言われると、それを受け止めるしかなくて、そうね、と笑っておいた。

「つーかさ、悠。あんたはどうなのよ?」

「何が?」

 続々と会場の文化会館に集まる成人を迎える同年代。覚えている顔もあれば、名前も出てこないけど、顔は知っているような気がする人もいた。その中で再び振られる話題に首を傾げる。

「奥田君よ、奥田君」

「そうだよねぇ。奥田君に誘われて、整備士目指してるんだよねぇ?」

 その話題か。心の中でうんざりした。

「違うって昔から言ってるじゃないのよ。付き合ってないし、そもそも卒業してから会ってないわよ」

第一、学校が違う。ただ、電話やメールをしていることは言わない方が良いような気がし

て、それは黙っておいた。

「そう向きになって否定するのは、怪しいわね。メールくらいはしてるんじゃないの?」

 鋭い指摘に、そっぽを向く。

「顔、反らすってことは、そうなんだね?」

「あー、もぉ、違うってば」

 何をしてもからかわれることに変わりはないということらしく、怒ってるんだけど、どうしてか笑ってしまう。きっと、懐かしいという感覚が甦ってきたからかもしれない。

「ま、本人に確認すればいいわけよ」

「え? 来てるの?」

 前にメールで聞いた時は、確か訓練が入っているとか聞いたと思うけれど。

「さっき、他の男の子たちといたよねぇ」

 思わずその言葉に周囲を見回す。健介が来てる? 訓練はどうしたのよ? そんな疑問を抱えて。

「あーこりゃ、当たりだ。うん」

「そうだねぇ。反応が早いもんねぇ」

「え?」

 そんな私の背中に、勝手に納得して肯く女友達二人。直感ですぐに気づいた。

「あんたたちね……」

「はいはい。怒らない怒らない。今日は楽しむ日でしょうが。せっかくの美人顔が般若になってるって、あんた」

「素直に教えてくれないからだよ?」

「もぉ。本当だって言ってるじゃない……」

 振り回されて、盛大に一息漏れた。昔のまんまの今に、楽しいのかそうじゃないのか、よく分からない気持ちだけが残った。

「新成人の皆さんは館内の方へお入りください」

 その時、拡声器を持った関係者らしき人の声に、私たちのそんな懐かしい会話も一旦途切れる。

「やっと始まるのね。いつまで待たせる気だったってのよ」

「寒かったもんね。早く行こ」

「そうね」

 そこからの会話は懐かしい思い出を語り合いながら、ただ長い時間、舞台でスピーチをする祝辞とこれからのことを話す来賓の方たちの話を、聞き流しながら少しだけ昔の空気の中で、私たちは時を過ごした。

「これからどうする? どっか寄ってく?」

 ひとしきり式が終わると、写真を撮ったり、談笑が待っていた。そこでも同じ会話が再び私を疲れさせ、なれない振袖も相成って、これから出かけるという気持ちは、正直私には無かった。

「このままじゃ、無理じゃない?」

「というより、私、また行かないといけないから、悪いけどここまでね」

 それよりも優先すべきは、仕事。今年は成人式が週末だったから良かったものの、休み明けには早速仕事がある。引越しの荷解きもしないといけないし、準備もある。さすがにこれ以上の時間は取れない状況が待っていた。

「じゃあ、また今度にする?」

「そうだね。悠もこっちで就職したんだよね?」

「ええ。時間が空いたら連絡するわ」

 再会は懐かしんだけれど、別れは実にあっさりとしたものだった。それはきっと、誰もが地元に残るから。運が良かったのかもしれない。こうして友達がいるということは。

 そこでまた今度遊びに行こうといつになるかは分からない約束をすると、実家に迎えを頼んで車を待つ。どこかへ行く人。帰る人。今日貰った紙袋の中を見て、口々に声を漏らす人。同い年だからか、その全てがどこか懐かしく見えた。この中から、これから先一生会うことの無い人がどれくらいいるのか、そんなつまらない事を考えながら人の波で待っていた。

「免許の試験にも行かないと」

 学校時代に卒業はしたけれど、まだ試験場での試験は受けていない。引越しが落ち着いてからにしようと思っていたけれど、見える景色が田舎であると再認識すると、その必要性が間近に思えた。いっそのこと、高校在学中にとっておくべきだったかもしれない。そんな後悔も沸いた。職場には近い所にアパートは借りたけれど、買い物の事を考えると、車で会場を後にするのを見ていると、そう思ってしまう。

「あ……」

 暫く待っていると迎えに来た。良かったの? と聞かれるけれど、時間を考えると肯くしかなく、後ろ髪を引かれることも無く、久しぶりの実家へ戻った。

「悠も成人か。早いもんだ」

 その日の夕食は、久しぶりに母の手料理をゆっくりと堪能した。成人式前日に引越しを済ませて地元に戻ってきたせいか、昨夜は疲労にゆっくり出来なかった。

「そうねぇ。なんだかあっという間よね」

 家族三人揃って囲む食卓で、両親が私に感慨深そうにそう言う。理由に思い当たる節が多いだけに受け止める。

「まだまだ実感もないし、変わらないと思うけど……」

 二十歳になったからと言って、変わることは納税関係くらいにしか思うことは無い。他の事はそれほど大きな変化があるわけでもなく、仕事が始まるということくらい。

「昔は入退院を繰り返していたからな。今日を無事に迎えられたことだけでもえらいことだぞ」

 お酒を勧められたけれど、明日の事を考えて遠慮した。少々父は残念そうだったけれど、いつかは晩酌に付き合ってあげたい。そう思った。これからは親孝行も考えていかないといけないのかぁ。なんて、少しだけお酒の臭いに思ったりもしたけれど、まだ、私には出来ることは少ないし、今はとにかくここまで来たことをきちんとやり遂げるだけなのかもしれない。

「これで後は、結婚だけねぇ」

「悠が結婚、か。想像できんし、早いだろ」

 母さんは彼氏はどうなの? と訴えてくるように見てくるけれど、父さんはそうでもないよう。それは嬉しいようなそうじゃないような、微妙な感情だった。

「今は仕事のことでいっぱいだから、当分ないわよ」

 散々口にした言葉を両親にも伝える。

「そうだ。悠にはまだまだ早い」

 そこでお父さんと言う存在に同意されるのも複雑だった。それが父親心なのかもしれないけれど。

「何言ってるの。あなただって悠くらいの歳に、だったじゃないのよ」

「それとこれとは別だ。悠が男を連れてきても、追い返すぞ」

「あらあら、悠も大変ね?」

「だから、そんなことないってば」

 どうしてそう言う話ばかりなのか、苦笑して受け流すしかなく、本当にそんな気もなかった。でも、同時に自分が結婚するという、女としてのことを考えると、二十歳を過ぎると昔みたいに冗談交じりにならないのかもしれないと、これからの仕事との事を考えると、やっぱり簡単には消えていってはくれず、結婚と言うものがどういうものなのか、初めて少しだけ真剣に考えた今日だった。


「それじゃあ、しっかりやるのよ」

「大丈夫。今までとそんなに変わらないんだから」

 翌日、ゆっくりする暇もなく、朝から忙しさが溢れていた。眩しい空の下、ゆっくりと家族談議なんてものは無く、すでに父さんは仕事へ行き、母さんも洗濯の途中で見送りに出てくる。少しだけ懐かしい、母の見送りを受けつつ、それほど心配されていない今。高校卒業後は、名残惜しいと訴えてくる両親の説得に苦笑したのに、今はそれもない。まるで高校時代と同じように朝登校して夕方には帰宅する。そんな軽いものだった。

「それからこれ、持って行きなさい」

 時元に戻り、地元に就職し、実家から少し離れた職場へ一人暮らしが再会する。それはかつてのように県外へ進学するわけでもないから、自分の気持ちも比較的落ち着いていた。結局故郷の重力に引かれてしまい、離れられなかっただけかもしれないけれど、親の心配を軽減できるのであれば、それは悪くなかったと思う。

「別に自分で用意するのに……」

 手渡される大きな紙袋は、少しだけ重量感に腕が下がる。中には菓子折り。受け取ると、そう言うものなのか、少しだけ疑問も浮かぶ。新人のくせにいきなり取り入ろうとするのか? とか思われることは無いのだろうか。そんな疑問。

「いいのよ。まずはこうやって話題作りから入れば」

 そう言うのは必要ないと思った。配属されるのは整備部署。適当な話題よりも、恐らくは早速業務連絡としての話題や、修学してきたことを聞かれそうな気がする。それでも無碍にするわけにもいかず、受け取りバス停へ向かう。

「落ち着いたら連絡しなさいよ。あ、それなら手伝いに行こうか?」

「大丈夫よ。私だっていい加減大人なんだってば」

 根に差す所は昔と相変わらずだったかもしれないと、思わず小さな笑いが出た。

「それじゃあ、行くね」

「いってらっしゃい。頑張るのよ」

 お互いに顔を見合って、私は先に背を向けた。これからバスに乗り小一時間ほど移動し、これからの生活の地へ向かう。それは新鮮で、不安で、それでも目標がそこまで来ているのだと、興奮もしていた。まだ二等航空整備士の資格すらない私を、雇用してくれたのは昔から知っている小さな飛行場。受験資格はあれど、やはり経験がなくては理解もままならない。現場と学校は異なるのだから。だからこそ、そんな私を認めてくれた会社には、高鳴る気持ちが大きく私の足を突き動かした。


「よし、お前ら、一旦集まれ」

 格納庫内に男の声が響く。ドッグ内で機体整備をしていた整備士数人と、外で出発前の整備をしていた整備士が集まる。

「ラインはいい。ドッグだけ集まれ」

 それを見た男が外からドッグへ来る整備士たちを仕事へ戻す。全員が不思議そうに男を見ていた。整備士は大きく二つに分かれ、飛行前、到着後の点検、燃料補給などを行う整備士をライン、航空機に問題があり、格納庫での整備が行われる場合や飛行時間に応じて時間をかけて点検をする場合に担当するのがドッグと区分けする。

それも大手が所有する大型の機体はともかく、基本的には整備士一人によって機体は整備される。それでも手間と労力はかかる為に、数人で行うことが一般的ではあるが、この飛行場においてはラインもドッグも基本的に整備士は一人一機を担当している。その為整備士の人数もそれほど多いわけではなかった。男の呼びかけに集まる整備士は十人もいない。

「今年はうちも新卒を採ることになったのは知っているな?」

 男の話に、集まった面々は、「あぁ、そのことか」と肯く。

「当面は両方の資格受験訓練になるが、それでも戦力には変わりない。まずは俺が指導するが、その後は資格受験次第で配分する。それまではお前たちもそいつをしっかり面倒見てやれ」

 はいっ、と返事が響く。

「大浪機付長」

「何だ?」

 一人がいいですか? と男を見る。

「新人はどんな奴ですか?」

 誰もが興味を持つところ。男もそれを分かっているのか、わざと間を溜める。

「そいつはな……」

 整備士たちが大浪を見る。ラインの作業音がそこから沈黙を連れ去る。時間だけが流れていく。

「女だったな。成績はお前らよりも良いそうだ」

 だが、その続きは大浪の言葉ではなかった。

「てめっ、そりゃ俺の言葉だろうがっ」

 ドッグの入り口に立つ強面の男は、整備士の格好ではなく、パイロットスーツだった。

「お前がいつまでも溜め込むからだ。最終確認書を見せろ」

「ったく。いいとこどりが。ほらよ。こいつだ。後はラインからサイン貰って、さっさと飛んじまえ」

「そうさせてもらおう。下らない話に花を咲かせるなら、仕事をしろ、大浪」

 言うだけ言うと、受け取った書類を手に、ラインで燃料補給を受けているヘリコプターへと男は歩いていった。

「なんであいつがウチの重鎮だかな。全く」

 大浪が面倒そうにその背中を見送るが、若い整備士たちは何も言えなかった。双方が整備士にしてみれば重鎮である証拠だった。

「大浪機付長。女性なんですか?」

「あぁそうだ。相当賢いらしいからな。お前らも気合入れて指導するんだぞっ。良いなっ?」

 檄を飛ばすような声に、再び声が響いた。再び仕事に戻る面々を見つつ、大浪は一枚の書類を見ていた。それは新人の学校より送付された書類だった。

「雨宮悠、か。何でまたこんな寂れた所を選んだもんだか……」

 そこに記されている成績ならば、大手航空会社にも就職できる。それこそ資格を取るには最適な環境下。大浪にはそれが不思議だったようだ。


「よし。こんなものね」

 一通り片付けた室内は1DK。一人暮らしにはそこまで不満のない室内。今月までは両親に多少援助を頼んだけれど、来月からは本当の意味で自立が始まる。

「買い物も行かないといけないわね」

 空っぽの冷蔵庫はまだ冷え切っていない。テレビのチャンネルも設定しないといけないし、仕事の準備もしないといけない。引越しが完了したとは言え、することはまだまだある。これからここでの生活が当たり前になっていくのだから、スタートは気持ちよくきらないと。

「少し、見学に行ってみようかしら」

 ちょうどそんなことを考えていると、ベランダの向こう、何もない畑を越えたその向こうからヘリコプターが網戸を突き破ってそのエンジン音を届けてくる。

 地元の小さな空港。大手の飛行機なんて莉着出来ない、プロペラ機がせいぜいの空港。それが私の就職先。

「綺麗な離陸……」

 恐らくはベテランパイロットの操縦。昔から実家の上空を飛行していた航空機だけれど、改めて自分がその帰る地の空港で働くとなると、それを見る目もいつもと違うように感じる。私も資格を取れば、あのヘリコプターを一人で整備することになるのかもしれない。そうなると、ただ見ていたものが、人の命を乗せて飛ぶ航空機だと認識できて、それを整備することは、その最も底辺のところで人の命を預かる身であるのだと、ちょっとした責任感のようなものが、私にも湧いてきた。

 

次の更新は、「マリーとサイファー」です。


更新予定日は10日を予定しています。


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