第一章6
焼香のために棺の前に立った弘太に、昴の母親である雪乃が声をかけた。
「カナ君。今までありがとう」
弘太は礼を言われる理由がわからない。最後に昴と会っていたのが弘太と知らないのだろうか。どこか変だと気づいていたのに、それがどこかわからず、気づかない振りをしていた弘太には、責められるいわれがあっても、礼を言われる筋合いはないのだ。どうしてこんなに苦しんでいたのに、気づいてやれなかったのだろう。そうすれば、昴は死なずにすんだかもしれないのに……。弘太は小さく首を横に振った。
「お願い。お礼を言わせて。昴は、カナ君のお陰で学校に通うようになったの。あの子、小さい頃から学校が嫌いでね、しょっちゅう休んでいたわ。だけどね、小学三年生のマラソン大会をきっかけに、学校へ通うようになったの。その大会で優勝した子が、自分と同い年と知ったからよ。自分もがんばらないといけないって思ったみたい。その優勝した子は、カナ君。貴方なの」
弘太が昴のことを知ったのは、四年生になった時だった。同じクラスになり、前後の席になったことで話すようになったのだ。まさかその前から知っているとは思わなかった。
「あの校内マラソンは三年生から二キロ走るでしょ。でも、三年生が一番になったことはなかった。学校新聞でも大きく取り上げられていたんだけど、覚えてないかしら」
「……すみません」
それどころか、そのマラソン大会があったことすら、雪乃に言われるまで忘れていた。なんだか申し訳なく、顔を上げることができない。
「いいのよ。ただ、カナ君の走りは、息子を変えてしまうくらい素晴らしい物だってことを忘れないで欲しいの。さぁ、昴に会ってちょうだい。……っても、あまりにもひどい顔だったから、顔を見ることはできないけど……」
棺の窓は閉じられていた。写真の中では、零れる微笑みを浮かべた昴が写っている。それは、弘太の知っている昴だった。
「……おばさん……工藤を殺したのは……俺なんですね……」
気が付けばそう呟いていた。考えないようにしてきた事実。雪乃は悲しそうに微笑んだ。
「カナ君が陸上を辞めたことを言うのなら、それは違うわ。それが理由なら、それが理由ならカナ君が陸上を辞めた時点で、あの子は命を絶っている。カナ君は何も悪くないのよ。あの子を殺したのはね、……あの子自身なの」
必死で振り絞り出されたのであろう言葉は、深々と弘太の胸に突き刺さった。