打ち上げ
「渡辺様、これはどういった意味でしょうか?」
運営のスーツ男は下げた頭を立て、後ろに手を組んだ。
「こんな汚い金なんかいらない、黒幕を出せって言ってるんだ」
無言になったスーツ男は目のあたりだけを隠す舞踏会仮面の奥から、睨んでる様に見える。
黒幕を出さないつもりならどんな手を使っても引きずり出してやるしかないな。
じっと見つめるスーツ男は僕の足元に視線を送る。散らばった100万円束を見ているのか? 怒らせて喋らせるしかない。
「こんな金ゴミだね、優勝したんだ。黒幕に会わせて貰おうか」
100万円を踏みつけるのを見たスーツ男は再び視線を合わしてくる。
「お金に罪はありません。それにその要望も心配ございません。最後にもう一つ。ゲームはまだ終わってません、『地区優勝』おめでとうございます」
「地区優勝? 全国大会でもこの後あるっていうのか?」
「お答えできません、近日中にアプリから詳しい説明がございます、地区優勝の賞金はどうなさいますか?」
まだ続くのか? とことん人を馬鹿にしてやがる。こうなったら最後まで行ってやる!
「賞金は、ケンジと彩子と古市くんの借金に当てろ。それと優勝したら黒幕に会わせろ」
運営のスーツは口元から少し笑いをこぼしたように、不気味な雰囲気を出し、この先のゲームに対する不安を煽った。
「3人合わせるとマイナス245万円になりますが」
「俺が持つ、この先のゲーム考えたら、そんなの気にならない。話しがないならもう帰るよ」
階段から降りてきたもう1人のスーツ男が僕の荷物を渡して、頭を下げる。
「渡辺様は次のゲームを参加、という事で。お疲れ様でした、お気をつけてお帰り下さい」
振り返りドアを開け、射し込んだ光が一瞬にして現実に引き戻してくれた。
「あっ! 優くん! な? 言っただろ? 昼前くらいに優勝が決まるって!」
ケンジが彩子に抱きつこうとして、みぞおちを蹴られてうずくまる光景が目の前に入った。
「だからって抱きつくな! ボケ、ナス、カス! 毎回朝は9時からスタートしてたから誰でも解る事でしょうが」
「うごお……。みぞおちにピンポイントで来るとは」
「お前ら! 来てくれたのか!」
刑務所の出所でもした様な気分になり、先程までの重いまとわりついた空気が一瞬で消えた。
「当然よ、優勝のお祝いしてあげる」
彩子は腕を組み、右の口角を上げた。
「優くんなら余裕だって、それよりお腹痛いんだ。胃痛薬くれ」
「なんで優勝って解ったんだ? ケンジ、それは胃痛薬では直らん」
腹を抑えたままケンジは弱々しく立ち上がる。
「さっき裏口で、モヒカンが暴れながら連れて行かれたの見たよ。彩子が車回してくれてるからとりあえず移動しよう」
普通の一軒家が並ぶ小さな道路に不釣り合いな、長い車が止まり運転手がドアを開けてくれる。
「本当に彩子は凄いなあ、こんな車生でみるのも初めてだよ」
「移動しながら話しを聞かせて優くん、お腹空いたでしょう?」
繁華街へと近づいた頃には、車の中はお祝いムードとは程遠いものだった。
「地区大会だったのか……もう参加するって言っちゃったんでしょ?」
先生に怒られる小学生の様にケンジは威勢を無くしていた。
「運営は何考えてるのかしら、全国規模なら相当儲けてるわね」
「なんか手伝える事があったら俺らに言ってよ! 優くん」
「そうね、少しでも力になれる事があるかもしれない」
僕は俯いた2人を見て膝をパシッと叩く。
「よし! 話しはここまでにしよう。今日はとりあえず腹減ったし、お祝いして貰わないと」
「それならとっておきのフレンチがあるわ! 優勝のお祝いしなきゃ」
待ってましたと言う様に手を取り、彩子は顔を異常に近づけて来る。
「出たよ……。俺はフレンチなんてやだね、焼き鳥屋がいい」
けっ、とケンジは横を向く。
「ボケ、ナス、カス。折角のお祝い事だってのに、いつもと同じ事してどうするのよ」
「緊張するし、僕も焼き鳥屋がいいなあ。彩子は逆にそんなとこ行かないだろ?」
「そうなの、実は前から行きたかったの。オススメの店ある?」
「焼き鳥河童がいいな、よく通るけど行った事ないんだ。優くんよく行くんでしょ? 狭いけど朝からやってて美味いって。あとさ、なんで2人並んで座ってるの? 絶対彩子優くんの事……」
「黙れ」
ケンジの足に赤色のヒールがぐりぐりめり込んでいく。
「痛ってー! 地味に痛え!」
「前田、至急焼き鳥河童にvip席のコース料理の予約をしなさい。乾杯にはシャンパンがいいわ」
真顔で腕を組みメガネを光らせた彩子は運転手に命令する。
「かしこまりました社長」
俯くケンジが、ぷっと笑うのを合図に2人で笑いが止まらなくなる。
「普通の焼き鳥屋にvipもないし、シャンパンなんてある訳ないだろ! ひっひっひ。彩子の馬鹿」
「爆笑だ、ごめん彩子は気にしないで。よし、ここで降りよう。歩いてすぐだ。ぷっ」
ここで何か頭の中で線が切れて、完全にアプリの事の悩みは消えて無くなった。
「私が行く焼き鳥屋にはあるの! 何よ、優くんまで。前田、降ろしなさい」
笑わない様に肩を震わせて外に出ると、大きな外車の周りにはちょっとした人だかりができていて、体験した事のない視線を感じる。
「堂々としてればいいのよ」
ケータイのナビを見ながらズンズン歩いて行く彩子の後ろをケンジと2人でついて行く。
「看板……までは着いたわ。優くんお店はどこ?」
ケンジと2人して無言で目の前のドアを指す。
「知ってたわ、入りましょ」
ドアを開ける彩子の後ろ姿を、ケンジは指を向けて笑いを誘ってくるので、2人で口を抑えて堪える。
「いらっしゃい! 三名様?」
焼き鳥を焼きながら、大声で迎えてくれる。
「もー駄目! ひっひっひ! 河童って大将の頭の事かよ!」
10席だけの油とタレの匂いのする店の大将は頭をさすりながら笑う。
「久々だね、お友達? 好きなとこ座ってくんな。そっちの美人さんも笑ってくれてるね! なら河童も止められねえな」
「面白い大将だろ? ビール3つとお任せ串ね」
「はい、お待ち!」
座るなり、客が僕ら3人だけなのもあってすぐビールが置かれる。
ケンジは立ち上がるとビールを持ち咳払いをする。
「では、えー。優君の優勝を祝って乾杯!」
『乾杯!』
3人の笑い声はそこから止まる事もなく、おかわりの度に「乾杯」は続いた。
10分程で5杯も飲み、顔を真っ赤にしたケンジは真ん中に座る彩子の肩に肘を置く。
「何よ」
「彩子、お前にハートブレイクだ。俺様を口説け!」
「拒否権を使うわ」
「んげ!」
彩子はケンジの肘を払いのけると、赤い眼鏡を鼻の先までズレた奥からとろんとした目つきでこっちを見つめる。
「優くん、ハートブレイクしようか」
「酔いすぎだぞ彩子、でも楽しいな、お題は何?」
「わからない? 鈍感ね」
後ろからムッとした顔のケンジがビールをゴクンと飲み干すと、彩子の背中を叩く。
「彩子、拒否権は一回だからな! もう一回ハートブレイク」
チラリと見た彩子は一言でケンジを黙らした。
「リーブ」
「面白い友達だねえ、お待ち! 自慢の焼き鳥よお! 最後かもしれねえから味を覚えててくれよ」
「最後って?」
固まっていたケンジは大将の顔を見る。
「今月で店たたむんだよ、凄い美味いのに勿体無い。うん、やっぱり最高の味だよ大将」
考えると、悲しくなり焼き鳥一本をじっくり食べる。
「3人の打ち上げ最初の思い出の焼き鳥なのに……。大将! 俺それ全部食う!」
11本まとめて掴んだケンジは次々に噛み付いて行く。
「ほんと美味いよ! 大将、追加!」
「彩子の分まで食うなよー、また頼べばいいけどさ。同じのでいいか? 彩子」
店内をゆっくり見渡した彩子はスーツの内ポケットから名刺ケースを出し、メガネをしっかりかけ直す。
「大将さん、あなたをこれから面接をします」
「彩子酔っ払いすぎだぞ、やめろ」
止めようとする手を思わず引いた、あの時のハートブレイクの目、マジだ。
「兄さん、このお嬢さん誰?」
「会社を経営してる、歳はレディに聞かないで。オススメの串は何?」
「皮と、砂ずりと……」
椅子を引き、足を組む彩子は大将を鋭い目つきで睨む。ケンジも僕も声が挟めない。
「一本よ。今から一本だけ本気で焼きなさい。合格なら融資、不合格なら店が潰れるのは味のせいだと自覚しなさい」
名刺を取り出して机の上に置く。
河童大将は、迷わず手元の串を1つ出した。
「どの串も手を抜いた事なんてねえ、ねぎまだ。鳥肉とネギ、1番人気だ」
「私はネギが大嫌いよ」
動きが止まる大将に、彩子は攻撃をやめない。
「焼きなさい」
まるで本物のハートブレイク。心を揺さぶるのは完璧、本当に味での勝負か。
その時、ドアが音を立ててチャラ男とギャルが2人入店してくる。同時に彩子はメガネをくいと指で上げた。
「2人ねー、串盛り2人前。後ビール2つ、腹減ったからすぐね!」
「はいよお!」
10分かからない内に、ビールを運び続いてすぐカップルに串を彩子より先に持っていく大将は急いで戻ってきて彩子に笑顔でねぎまを出した。
「お待ち!」
鳥肉とネギを一口ずつ時間をかけて食べた彩子は真剣になった顔の大将に言い放つ。
「美味しいわ」
ケンジと目を合わせて笑顔で手を振ろうとした時に彩子は続けた。
「でも、一つ要望があるわ。それは焼き鳥屋のイメージを大きく損ねる事になります。それでもいいなら融資、ダメなら店をたたみなさい」
多分、最大の駆け引き。大将は味と同じくらい大きなものを賭けられた事になる。
彩子はゆっくりと真ん中から名刺を千切り始めた。今度は時間制限。
そして、半分程切れたところで大将は大声を出した。
「できねえ。一瞬なんでもいいからやる! って言いそうになったが、それじゃやってる意味がねえ」
「合格」
ケンジと僕はリアクションを取らない。多分、この先要望が来る。まだ終わってない。仕事なんてそんなものだから。
「融資をします、その代わり」
目を細めたケンジが冷たい目線で残念そうに彩子の口を見ている。
「シャンパンをこの店に一本だけいつでも出せる様に、置きなさい」
『え』
3人は顔を彩子に近づける。
「Yesか、Noか」
「冷やしとくのぐらいならいいですけど、どこまで本気なんです?」
「決まりね、新しい名刺を一枚渡すから明日電話しなさい」
水を一口飲んだ彩子は小切手を取り出し、ボールペンで書き込んで大将に渡した。
「ほ……本当ですかい? 嘘だったらお嬢さんでも殴りますぜ」
受け取った大将は、それを見て涙を浮かべてした顎を震わせた。
「酔っ払ったわ、会計お願い」
頭を下げた河童大将は名刺と小切手を持ったまま声を荒げる。
「受け取れねえ!」
「あなた、せっかく融資する店の売り上げ減らす気? さ、2人共帰るわよ」
3人立ち上がると、彩子の表情がよく見えた。氷女の様な冷たい態度が、暖かい。
「変わったな、彩子。僕らも売り上げに貢献するために割り勘だな」
「優くん私変わった? でもアプリ始める前ならここに来る事もなかったわね」
河童の大将は今日1番の笑顔と声を出した。
「毎度! おおきに! 1人2630円ね!」
「あ、ごめん2000円足りない。彩子払って」
ケンジは今日3度目の蹴りを入れられた。
「ボケ、ナス、カス! なんであんたはそーなの!」
「ぐおお……」
笑いながら外に出ると、寒風が吹くが酔いと昼前の陽射しもありちっとも寒く感じない。身体に異変をきたす程の出来事があったのはその後だった。
『100万円アプリからの着信』




