炎上6日目
「何なんだ、これは」
目の前に積み上げられた手紙の山を見て、委員長は叫んだ。
「どうやら、ブログの書き込みだけではなく、手紙でも批判が寄せられることになったようです! ブログへの書き込みの勢いも増すばかりで、沈静化の兆しはまったくありません!」
書記局長は悲鳴を上げた。
その時、
「ちぃーっす」
例によって、何の前触れもなく、副委員長が組合本部に入ってきた。
「同志委員長と同志書記局長じゃん。二人して、何やってんの?」
「君は、同志副委員長、まったく、君という男は……」
副委員長を見た委員長は、例によって少し声を荒げた。
「すごい野火だねえ。ここまで激しく燃え上がると感動するよ」
副委員長はそういってパソコン画面を見た。
昨日1日で、アクセスやコメントは10万件に達していた。なお、代表的な書き込みは、次の通り。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
「もう俺は知らないからね。二人で始めたんだから、二人で責任とってよね」
副委員長はそう言って組合本部を出た。
「困るよ、これでは組合業務にも支障を来たすよ」
委員長は少しだけ狼狽して言った。
「同志委員長、ここまできたらダメですよ。ブログ閉鎖しましょう」
書記局長はパニックに陥っていた。
その時、プルルルルルルル……、と委員長席の電話が鳴った。委員長は受話器を取る。
「国家経済計画省リベラル公務労働者評議会中央委員会委員長です…… はいっ……はいっ……いえ、違います。この件につきましては、一部の冒険主義的な策動が政治路線を決定するという……そうではなく……そうなんです。はいっ……いえ……だからこれは大体何も理由も…… 分かっています。はいっ……そこはアチャー……」
委員長は、恐らくは本人も何を言っているのか分かってなさそうな会話を続けている。書記局長はその横で不安げに委員長を見つめている。電話は1時間ほど続いた。
「まいったよ。国家公務員全公務労働者会議中央委員会会長から電話をかけてくるんだから」
「国家公務員全公務労働者会議中央委員会会長というと、公務員労働組合の元締めみたいなところですね。それで、会長は何と……」
「会長のやつ、どこで聞きつけたのか知らないが、今回の我々のブログ問題のことを知ってるんだ。会長の話は長いが、要約すると、今回の一件は、傘下の組合である国家経済計画省リベラル公務労働者評議会に固有の問題であるからして、国会公務員全公務労働者会議中央委員会には一切関係がないから、僕らの責任で事態を収拾せよと、こういうことだ」
「ええっ!?」
「あの会長もひどいよな。上納金をもっと出してくれって僕らのところに頭を下げに来てたのに、こっちが困ったときには、自分は無関係だなんて、一体、どういうことだよ」
「この状況で救いの手を差し延べてくれるような人はいませんよ!」
書記局長は泣きそうになっていた。
「しかし、この『あぼーん』って何だよ。わけが分かんないよ」
委員長はうつむきながら腕組みをして考えた。程なくして顔をあげる。
「同志書記局長、とりあえずこの『あぼーん』を何とかしようよ。昨日みたいに、片っ端から削除していってくれたまえ」
「ええっ、そんな! 無理ですよ! 無駄な抵抗ですよ」
「何を弱気になってるんだよ。これはきっと反動勢力の陰謀に違いないよ。ここで負けたら日本の労働運動も終わりだよ。だからここを何が何でも頑張りきるんだ」
書記局長は、委員長が強硬に主張するので、仕方なくマウスをクリックし始めた。削除しても削除してもコメントは減らなかった。逆に、すさまじい勢いでコメントは増加していく。
「ねえ、同志書記局長、今日の記事なんだが……」
「知りませんよ! こっちは削除で手が一杯なんです。委員長のパソコンからでも入力できますから、自分でやってくださいよ」
書記局長は絶望的な叫び声を上げた。
「どうしたんだよ、急に感情的になって」
「委員長がいけないんですよ。あんな人の感情を刺激するような記事を載せるから!」
「君だって賛成したじゃないか。それに、もともとブログを作ろうと言い出したのは君だよ。一義的には君の責任じゃないのかい」
書記局長はわっと泣き出した。マウスを置き、立ち上がって言う。
「分かりましたよ! 責任とりますよ! もうダメですよ。終わりなんですよ。今日を限りに僕は書記局長をやめさせてもらいますよ。国家経済計画省リベラル公務労働者評議会からも脱退しますよ」
「何をわけの分からないことを言ってるんだよ。君は10年近く在籍専従してきたじゃないか。今更脱退して通常業務に復帰すると言ったって、受け入れてくれる部署なんかあるわけないだろう」
「それでもやめますよ。もういいんですよ。構わないでくださいよ。うわーん!」
書記局長は、泣きながら組合本部を後にした。委員長は呆気にとられていた。在籍専従暦20年以上の委員長には、最後までこの状況が理解できなかった。