足元で何か言っている
「さて、ルシフ様が目を覚ますのは時間がかかりそうですし先にやるべきことがあれば済ませておきましょうか。ザッと読んでみるともう一枚の紙に書き込んでそれを返信する必要があるみたいですが……結構記入する欄がありますね。返信は急がなければいけないのでしょうか?」
封筒の中に入っていた申請用紙を読みながらフェーダさんは俺に質問をしてきた。
親父の経営していた旅館『居鯉の里』も親父が体調を崩すまでは旅ラン上位にランクインしていたときがある。そのときのことを思い出しながら話を進める。
「ええと……返信は早いに越したことはありませんが、その紙はイベントの一週間前までに送ればいいはずです。ただ参加の表明だけは別で即急に、今日伝えた方がいいと思いまね。何の返事もないとイベントを主催しているRJの方々が困るでしょうし。ここの印象も悪くなります」
RJとは旅館審査委員の略称だ。旅館に関するアンケートを密かに収集し、旅ランもここが集計して発表している。ここからの印象が悪くなるのは確実に避けたいところである。
「じゃあウチがそこに直接届けてこようかにゃ?」
「場所分かるのか?」
「もちろんにゃ! 街はよく歩き回っているし、おっき~な建物だったからよく覚えているにゃ」
「それでは参加表明はカトレアさんにお願いしましょうか。郵便よりも早いでしょうし。何か紙に書いた方がいいでしょうか?」
「そうですね。判子も押しておくのがベストかと思いますけど……普段はどうしてます?」
俺がこう聞くとフェーダさんは申し訳なさそうに苦笑いをした。
「……ええと、普段はルシフ様が一人でやり取りをしていますので……」
そういえばフェーダさん、料理、洗濯、掃除と周りの世話をしているところはよく見かけるけど、文書を書いたりするなどの業務は見たことないな。あっても書類整理くらいだ。肩書きは秘書だけど実際のところ家事手伝いが合っているのかもしれない。そう考えるとルシフは旅館の仕事をかなりやってくれているのか、ああ見えて。
「……一応判子も押しておきますね」
フェーダさんはすらすらと達筆で参加表明の文書を書き、旅館の名前が入った判子を押す。そしてそれをカトレアに渡した。
「ではこれをRJに届けてください」
「了解にゃ! ……ティナ、今日は残りの仕事頼んでいい? あとセンカに仕事で出かけると言っておいて欲しいにゃ」
「それはいいけど……寄り道するんじゃないぞ?」
「分かってる分かってるって~♪ それじゃ行ってきま~す♪」
カトレアはルシフ宅から鼻歌混じりに出ていった。
はぁ……あの様子じゃまず寄り道して街を楽しんでくるんだろうなぁ。
…………いや、でもものは考えよう。寄り道してくれた方がいいかもしれない。街の隅々まで知っておくのは大運動会のあの種目で重要になるし。
「これでひとまずは返信の締め切りに余裕ができましたか。しかし驚きですね、運動会の参加がほぼ必須とは。それほど重要なイベントなのですか? 運動会といえば参加する側が汗を流してわいわいと内輪で楽しむものだと聞いたことがあるのですが……」
内輪で楽しむというのは語弊がある気がするけど……だいたい合っているかも?
「ええと、そうですね……運動会という名ではあるんですけど運動会じゃないと言いますか運動会の範疇を超えていると言いますか……かなり様々な種目があるんですよね。それも旅館の仕事に関わるものが。ほら、RJが主催しているじゃないですか。言ってしまうとこのイベントは自分達の旅館を観光客にアピールする機会なんですよ」
「そうなんですか」
「……ほほう、なるほどのう」
足下から声が聞こえたので目線を下に向けるとむくりとルシフが起き上がってきた。
「ひぁっ! もう目が覚めたのか!」
「一応手加減はしておきましたから。クレスさんたちはルシフ様を訪ねて来たはずですので」
手を口元に当てふふふっと笑うフェーダさん。
手加減して床にめりこむくらいなのね。本気を出したらいったいどうなることやら。そしてルシフはルシフでめり込んだくせに平然としすぎだ。力は失っているらしいけど攻撃力だけで防御力は健在なんじゃないか?
「いやーまさかそんな重要な書類じゃったとは……RJのはどうせ面倒事じゃろうと思って後回しにしておったわ」
「後回しにしては遅すぎませんか?」
「後回しにしている間に忘れておった。あるあるじゃな! ――ってお、おいフェーダ!?」
フェーダさんがルシフを押さえつけてめり込んだ床をさらにへこませる。結局ルシフは床から首だけが出ている状態になった。
……これは後で床の改修が必須だな……ゲンゾーさんが三分でやってくれそうだけど。
「さて話は戻りますが、アピールするとはどういうことなんでしょうか?」
「ワシも気になるぞ」
ルシフは床に埋まった状態のまま話をするようだ。
「まず露店ですね。旅館で出している料理の一部を提供できます。それから種目。大半が旅館の質を問うものになっています。例えば『二人三脚』や『大玉転がし』は従業員のコンビ力、チームワークが必要となってくるでしょう。それから種目の中には美人仲居コンテストや最強用心棒決定戦など他の運動会には見られないものがあるのが特徴ですね」
「美人仲居コンテストじゃと! そんなものがあったとは! それには確実に見に行かねばならんのう!」
美人仲居という言葉にルシフはものすごく食いついた。
「見に行くのはいいですけど勝手に連れて帰ってくるのだけは絶対止めてくださいね~」
フェーダさんが黒いオーラを放ちながら威圧する。
「わ、分かっておるわい。さすがに他の旅館で働いている者を勝手には連れてこん。ちゃんと誘ってOKをもらってから――」
「誘うのもダメです。話しかけてはダメです」
「そんな無慈悲な! ティナからも何か言ってやってくれんか!」
「見に行かせてもらえるだけありがたいと思うしかないんじゃない?」
こんなどす黒いオーラを放つフェーダさんを横にルシフに加勢は無理です。
閑話休題。脱線した話を元に戻そう。
「コンテストの話はひとまずおいておきましょう。まあ色んな種目があるんです。その様々な種目に誰が出場するのかを決めなければいけません」
「すまん、コンテストのインパクトが強すぎてその前の話を忘れてしまったのじゃが」
うん、ひとまずルシフは無視しよう。視界に入れないのも簡単だ。
「なるほど、返信用の紙に書いてあった出場者とはそのことですか。空欄にこちらの従業員の名前を書けばいいと」
「おーい、ティナ、聞こえ――」という声は無視!
「はいそうです。……どうやって決めましょうか?」
「そうですね…………クレスさんの一存でお願いするわけにはいきませんか?」
「ええっ!? 俺ですか!?」
「はい。なんせ私共は初めてのことですので大運動会がどんなものかをよく知りません。当然種目の詳細も分かりませんので誰が出場するのがベストなのか予想が全くできないのです。その点クレスさんは街にも住んでいましたし、以前手伝っていたという旅館も参加したことがあるのですよね?」
「まあそうですけど……」
「どのような選び方になっても文句は言わない、言わせないと誓います。ですので私共を助けると思ってどうかお願いします」
フェーダさんに深く頭を下げられる。
こうまでされてしまうと依頼を受けるしかない。この旅館を建て直すと決めたんだ。旅館の良いところをアピールするチャンス。このチャンスを自分の手綱で握れるならとことん考え抜いてものにしてやる。
「分かりました! 頑張ってみます!」
俺は意気込んで、頼みを引き受けることに決めた。
そして、自分の仕事の続き、またカトレアの仕事の残りを済ませるためルシフ宅を後にする。
「フェーダ、後で詳細をもう一度……」
「…………」
ルシフがその後床に埋められたまま一日を過ごしたのは言うまでもないだろう。




