決心
「ふぃ~、疲れが抜けていくわ~」
頭にタオルを乗せ肩までつかってフォワさんが大きく息をつく。
「入浴中は悩みなんてどうでも良く思えるなあ……ほんと風呂入って悩みが解決すればこの上ねえことなんだが」
「あはは、そんな効能があるお風呂があったら俺も入りたいですよ。でもここはそんな効能はないですけど解決できるかもしれませんよ?」
「本当か? 何か言い案があるってことか? ……そういえばさっき調理場で俺が作った駄作を自分で食べるのかを聞いていたよな。それと関係が?」
「まあ一応……もう一度聞きますけど大丈夫と思って食べるんですよね?」
「ああ。だが大丈夫というのは俺の主観だぞ。安全かと聞かれたら自信はねえし、もしダメでも俺が被害を被るだけだから食べれるだけだ」
「でも大丈夫と思うにはある程度理由があるんじゃないですか?」
「あ~……見た目とにおいでだいたい判別してるな。鮮度が落ちているのは目視で判別して、痛みかけているやつや菌のあるやつは微妙ににおいが違うんだ。まっ、すべて自己流だから合っているのかいないのかは分からねえけどな」
「判別できた確率は?」
「いやダメと思ったやつは食ってねえからそれがどうだったかは分からん。それに大丈夫と思ったやつも大抵煮るか焼くかしているからなんとも言えん」
そうかー……フォワさんの自己流で身につけたものがどれほどの精度を持つものかは分からないか。ただ自己流とは言いつつもフォワさんのことだから極めていそうな気がするんだよなぁ。
「……そうですか。いや一つ提案なんですけどね。フォワさん自身が食材の安全性を保障できれば、お客さんに出しても大丈夫かどうかを気にする必要がないんじゃないかと」
フォワさんは目を瞑り、じっくりと考える。その後うんと小さく頷いた。
「…………一理あるな。食材の選別に長けている者といえば……仕入れ業者や加工業者か」
「たぶんそうだと思います。そこに長く勤めている経験豊富な人から教えてもらうのがいいかと」
「だよな。――よしっ、そうと分かれば善は急げだ!」
バシャっと大きな音を立ててフォワさんが立ち上がる。大事なところも丸見えの状態のまま廊下にまで響く大きな声で宣言した。
「俺は街へ修行に出る!!!」
「………………えっ?」
修行に出るってことは長い間この旅館を離れるってことか? ……いやいやそこまでしなくても経験者に教えてもらうのと旅館で働くのを両立する方法はあると思うんだけど。休日とか空いた時間に街へ出向くとか。まさかそんな猪突猛進な考えになるなんて予想外だぞ……。圧倒的な腕前を持つ料理長がいなくなれば確実にお客さんに出す料理の質が落ちてしまう。と、とりあえずはフォワさんにそこは考え直してもらわないと…………ってもういない!?
いつのまにかフォワさんは浴槽から上がり、大浴場から姿を消していた。
修行に行くと言ってもこんな夜中に街にいきなり向かうだろうか? いや行動派のフォワさんならありえるかも……?
俺も慌てて風呂から出て、脱衣所へ。
そこには不思議な光景が広がっていた。
……あれ? フォワさんの着ていた仕事着の甚平も着替えもそのまま置いてあるぞ。でも床は明らかにさっきできたばかりの水滴があちこちにあるし、なぜか床にはタオルも……あっ!?
辺りに散らばる水滴を観察していると、廊下へ続く足跡がうっすらと肉球の形になっているのに気がついた。どうやらフォワさんは着替える時間も惜しかったらしく、『獣化』により狼の姿になり、ブルブルと水滴を払って廊下へ出て行ったのだろう。
なので俺もできる限り早く着替えて脱衣所から出てフォワさんの後を追おうとする。
「――っとクク!」
「あっ、クレスさん」
廊下に出るとちょうど同じタイミングでパジャマ姿のククも出てきた。髪も乾かさずに出てきたところを見ると、おそらく――
「ククもフォワさんを追いかけて?」
「はい。隣から「俺は修行に出る」という声が響いてきまして」
さすがに男性であるフォワさんの声真似はできないみたいで今回は普通に言った。
「そうなんだよ。フォワさん自身が食材が安全かどうかを判断できるよう、仕入れ業者の人に教えてもらったらいいんじゃないかってアドバイスしたら……。全力で前に突っ走るんだもの。あれじゃ狼というよりは猪だよ」
「そうだったんですか……となるとフォワさんが向かった先は街……ではないでしょうね。その前に必ずあそこに行くはずです」
「だろうな」
思い立ったらすぐ行動してしまうようなフォワさんだけど、言っても長い間勤めている料理長。常識は十分に持っている。修行をする間旅館を空けるなら、必ず主人には一言声をかけ了承をもらってから街にむかうはずだ。
つまりフォワさんが向かった先は――
「じゃあ俺も『ルシフ宅』に行ってくるか。ククはどうする?」
「せっかくなので私も一緒に行きましょう。フォワさんに会ってなにをするわけでもないですけど、しばらくここを離れるなら挨拶くらいはしておきたいですし」
できれば旅館に残ってもらえるよう説得はしたいけど……難しいかなぁ。あとはルシフがフォワさんが修行に行ってここを空けるのをどう思って判断するかが重要になってきそうだ。
フォワさんがどうなるのか、俺は緊張しながらルシフ宅へと急いだ。
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ドンッ! ドンッ!
ルシフ宅の扉が叩かれる。
大きく、一呼吸置いた音。手で叩いているのではなく、扉に体当たりしているような重い音だ。
不審に思ったフェーダが何か不測の事態があってもいいよう身構えながらバッ! と勢いよく扉を開ける。
「――あら? フォワさんじゃないですか。どうしたんですかそんな姿で」
扉の前にいたのは灰色の毛をした狼。『獣化』状態のフォワだった。
「すまねえな。ちょいと取り急ぎルシフに申し入れしたいことがあるんだ」
「わかりました。どうぞ中へ」
狼の姿のまま部屋の中へ。今、人の姿に戻ったら裸のあられもない姿になってしまうので当然ではある。
「お~、フォワ。ここに来るのも珍しいが今日はまたその姿とは……何年振りじゃろう。とりあえずもふってよいか?」
「少々ならいいが……風呂上りだからちょっと濡れてるぞ」
「むう……なら仕方あるまい、フェーダ乾かしといてやれ」
「はい」
フェーダが風の魔法を使ってフォワを渦巻くように風を発生させる。
エルフ族は『火』『水』『風』『土』と自然の力を操った魔法が使うことができるのだ。特にエルフは効果範囲が広く、補助として扱うのに長けていて、ダークエルフは凝縮して攻撃手段として使うことに長けている。
もちろん長けているだけであって補助的に使うこともできる。今回フォワを乾かすための風も攻撃として用いる『竜巻』をかなり弱くしたものだった。
「それでこんな時間にどうしたのじゃ?」
乾かし始めたばかりのとき、ルシフが今日夜遅くにアポなしで訪れた理由を聞く。するとフォワは姿勢を正し真剣な目でルシフを見た。
「お願いがある。街で修行をするためにしばらく旅館を空けさせてくれ!」
土下座をして頼み込むフォワ。
そんな彼に対しルシフは――
「うむ、構わんぞ」
とフォワの頼みをあっさりと承諾した。
「新たな料理を取り組むのに必要なんじゃろ? フォワが決めたことじゃ、ワシから強く引き止めるのはかえって成長する機会を奪いかねんしのう。ただし条件はつけさせてもらうが」
「……条件?」
「な~に簡単なものじゃ。ただ修行が終わったらすぐにそのことを知らせにここに戻って来ること。そしてできるようになった料理を作ってワシに食べさせることじゃ」
「……そ、それだけか?」
フォワが驚くのも無理はない。ルシフの出した条件は期限もなにもない非常に甘い条件だったからだ。そこまで甘いと別にいなくなっても問題ないと言っているようなものだが実際は全く違う。料理長であるフォワがいなくなれば料理の質など確実に影響を受ける。それでもあっさりと修行へ出る許可を出したのには理由があった。
「それだけじゃ。……フォワには言っておらんかったがワシは旅ラン一位、そして全てにおいて最高の旅館を目指しておる。そのためにはフォワも最高の料理人になってもらわねばならん。腕を磨きたい、新たな料理を作りたい思いがあるなら全面的に協力するつもりじゃ。もちろんフォワがおらんくなったら困ることが多々出てくるじゃろうがそこはまあなんとかするじゃろう……ティナが」
最後の一言で台無しになってしまったが、協力してくれるという言葉にフォワは頭を垂れて感謝した。
「ありがとな。ひとまずは秘伝のたれが結構余っているから夏の間は乗り切れるはずだ。俺以外の料理人も腕のあるやつもいるしたぶん大丈夫だろう。……それじゃあ行ってくる」
「待ってください」
玄関のほうへ背を向けたフォワにフェーダが呼び止めた。
「あの……今から街へ向かってもフォワさんの足なら夜中に着いてしまいますよ。そんな時間どこもやっていないでしょうし、最悪警備兵に見つかって職質されます。今日は自分の部屋でしっかり寝て明日出発すべきでしょう」
「あ、ああ、そういやそうだな」
全くの正論にうんうんと頷くフォワ。
かなり気が逸っているように見えたルシフは最後にもう一言だけ付け加える。
「ああ、もう一つだけよいか――――」
「…………そうか」
その言葉を聞いたフォワの表情が和らぐ。
「じゃあ明日の朝、出発前にもう一度挨拶することにするわ。そのときはルシフ、ちゃんと寝坊せず起きていてくれよ?」
フォワ自身は気付いていなかっただろうが、さっきの一言で軽口を挟めるくらいには心に余裕ができていた。
「大丈夫じゃ。これでもこの旅館の主人じゃぞ。見送りくらいちゃんと起きてやるわい。……フェーダ、寝てたら頼むぞ」
「いえいえ、それだけ心意気があれば自分で起きれますよね? 私は起こしませんよ?」
フェーダに釘をさされて、少し自身がなくなったルシフは、今日はフォワが帰ったらすぐ寝ようと心に決めるのだった。
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