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旅バト!  作者: 染莉 時
第四章:涼? 量? 料理!
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料理長のトラウマ

 夜九時。今日の仕事が全てが終わって後は帰るだけの俺は、自分の住む女子寮とは別方向の調理場へと向かっていた。料理対決後のフォワさんの様子がすっと気になっていたからだ。


「夕食の後片付けはとっくに終わってるし……もう帰っちゃってるかもなぁ…………おっ、電気は点いてる」


 少しだけ開いた調理場の扉からは廊下よりもやや白く明るい光が漏れ出している。誰かがいる可能性が高い。

 もしかすると明日の仕込みをしているかもしれないので、邪魔をしないよういきなり扉は開けず、そ~っと中の様子を確認してみる。


 フォワさんは……いた! 

 しかも一人だ。なにやら包丁を持ったまま一点をじっと見つめている。見つめている先は物が邪魔をしていてここからでは見えない。


 ………………料理をしているわけではなさそうかな。全然動く気配ないし。


「あの~、フォワさん?」


 静かに扉を開けて声をかけてみる。するとフォワさんは慌ててじっと見つめていた目の前の物を後ろ手に隠した。しかし……


「……手に持っているのってまな板ですよね。なにか食材が乗っていたような?」


 隠した物――まな板が大きかったために体からはみ出てしまっているのである。


「ま、まあな……」


 フォワさんは苦笑いしながら、隠そうとしたまな板を調理台の上に置き直す。まな板の上に乗っていたのは生の新鮮なイカだ。


「これは……もしかしてフェーダさんの料理を自分でも作ろうと?」


「…………そうだ。……いやそうだったと言った方が正しいか」


「どういうことですか? イカとにらめっこしていたことと何か関係が?」


「見られてたのか……」


 フォワさんが片手を額に当てながら苦い顔をする。


「すみません。覗くつもりはなくって単に作業していたら邪魔になるかと思って先に確認を……」


「謝ることはねえさ。誰でも入れるこんな場所でみっともねえ姿を晒している俺の方がわりいんだ……」


 なぜか自分を責めている感じのフォワさん。落ち込んでいるようで心なしか顔色が悪い。よく見るとこめかみ、額辺りに汗をかいている。今は火を使っていないので、調理場は涼しさを保っているのに……。


「ど、どうしたんですか!? 体調悪いのなら早く帰って寝た方が――」


「いや、そういうことじゃねえんだ。…………はぁ、これもまた転機っていうやつか……」


 フォワさんは大きくため息をつくと神妙な面持ちで俺の方を向き直した。


「なあティナ、お前が来てからずいぶん客が増えたよな。旅館も変わったように思う。そこで相談なんだが……俺も変わるにはどうしたらいい?」


「えっ? えっ!? ちょ、ちょっと待ってください! いったいどういう……フォワさんが変わる?」


 フォワさんの言っている意味が分からずに聞き返す。


「ああすまん。いきなりすぎたか。俺が変わりたい内容ってのはあれだ。フェーダが作ったような料理を俺も客に出せるようになりたいんだよ。客がああいう料理を待望しているのは今日の結果を見れば明らかだったしな」


「フォワさんの腕なら簡単に作れるんじゃないですか?」


「ははっ、買いかぶりすぎだ……さっきも同じような料理を作ろうとしていたんだが……」


 なるほど、やっぱりこのまな板の上に乗っかっているイカはフェーダさんの料理を真似するために用意したものだったのか。でも作ろうとしていたん『だが』ということは……。

 フォワさんが言葉を続ける。


「――できなかった。どうしても手が震えちまうんだ、トラウマを思い出して……」


「トラウマ?」


「実は十年前――――」


 フォワさんはどこか遠くを見つめるように仰いで、過去の出来事を話し始めた。




「俺は別の旅館で料理人をしていたんだ。当時は天才ともてはやされ、若くして料理長候補にも挙がっていた。……だがすぐに候補からはずされることになっちまった。原因は俺の手がけた料理『海鮮コース』で起こった――『食中毒』さ。それまで順調だった旅館の経営は当然のように傾き、俺は旅館から追放。当てもなく彷徨っていたところをここに拾ってもらったんだよ」


「はぁ……」


 フォワさんの過去の告白に驚き、唖然とする――と同時にいくつか納得できることがあった。


 一つはフォワさんほどの優れた料理人がどん底ともいえるこの旅館に勤め続けていること。ここなら食中毒を起こした料理人という街の噂は関係なく仕事ができたはずだ。なんせ俺が来る前はほとんどお客さんはゼロだったのだから。

 そしてもう一つは、フォワさんの作る料理に関してだ。


「つまりはそのときの食中毒の原因となったのが刺身などの『生もの』だったのですね」


「……ああ、そうだ」


 やっぱりか。今フォワさんが作り、お客さんに出している料理は揚げ物、炒め物、煮物などすべて『火の通った』料理だ。『生もの』は一切出していない。だからこそ胃に重たい料理の印象が強いのである。


「加熱しねえ料理を作ろうと思うとどうしてもあの食中毒を思い出して手が震えるんだよ……また客を、旅館を苦しめるんじゃねえかと思ってな」


「なるほど…………」


 俺はここで少し黙って考える。

 フォワさんの抱えるトラウマは分かった。そして今のままじゃいけない、変わりたいという強い思いもヒシヒシと伝わった。

 ただ俺に何ができるんだろう?

 トラウマを払拭させるなんてできないだろうし、妙案も全く浮かんでこない。


 ……なので自分のことを例にしてひとまずはフォワさんを元気付けることにした。


「フォワさんは俺が旅館を変えたんじゃないかと言っていましたけど、それは俺に『なんとしてもこの旅館を改善したい!』という強い思いがあったからだと思います。フォワさんも『自分を変えたい』という強い思いがあればトラウマも払拭はできなくても乗り越えられるんじゃあないでしょうか。……すみません、なんか精神論っぽいですかね?」


「いや、精神論でもいいさ。大事なのには違いないんだろうしな。為せば為る、か……よしもうちょっとイカ(こいつ)と向き合ってみるわ」


 フォワさんは先ほどよりも少し顔色が良くなったように思える。過去の自分のミスを晒しだしたことで胸の内がすっきりしたのかもしれない。


「……ああそうだそれと!」


 俺は言葉を付け加える。


「旅館が変わったのはもちろん俺一人の力じゃありません。いろんな奴に助けてもらって協力してもらっているから徐々に改善してきていると思います。なのでその……フォワさんの過去などを他の奴にも話して――協力を仰いでもいいでしょうか?」


「おう、いいぜ! ……ただ客までは伝わらないようにな。旅館の信用にも関わっちまう」


「了解です。……それじゃあ俺はもう帰りますね。明日は朝からなのでそろそろ寝ないと」


「おう! 今日はいろいろとありがとな。『生もの』を使った料理が完成したら真っ先にティナに食わせてやるから楽しみに待っとけよ!」


「はい! それではお疲れ様です」


 嬉しい一言をもらって俺は調理場を後にし、寮の自室へ帰った


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